Action Replayy

2.5
Action Replayy
「Action Replayy」

 「Golmaal 3」(2010年)に引き続き、ディーワーリー週の2010年11月5日公開の新作ヒンディー語映画「Action Replayy」を観た。この映画の監督はヴィプル・アムルトラール・シャーである。この監督は「Namastey London」(2007年)のヒットで名声を獲得した。だが、「Namastey London」のヒットは、ちょうど公開時期に開催されていたクリケットのワールドカップ予選でインドがまさかの予選落ちし、人々の関心がクリケットから映画へ向いたことが大きな原因と分析でき、映画自体に別段優れた点はなかった。確かに彼はその後「Singh Is Kinng」(2008年)を大ヒットさせているが、彼はプロデューサーであり、監督はアニース・バズミーであった。ヴィプル・アムルトラール・シャーの次の監督作「London Dreams」(2009年)はアベレージヒットとされているが、これもパッとしない映画であった。つまり、ヴィプル・アムルトラール・シャーは、今まで特に才能や実力を証明していないにも関わらず、より大規模な映画に手を出すようになって来ている。そんな彼の最新作では、アクシャイ・クマールとアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンという大御所を主演に据えた作品となっている。

 「Action Replayy」のあらすじは、現代に生きる若者が、離婚の危機にある両親の仲を改善するため、二人が結婚する前の時代にタイムマシーンで戻るというものである。つまり、タイムトラベル物の映画であり、最近インド映画界でも定着しつつあるSF映画のカテゴリーに含めることが可能である。しかしながら、SF映画としての作りは甘く、むしろ恋愛映画の枠内に収まっている。ちなみに、タイムマシンが登場するインド映画と言うと、「Love Story 2050」(2008年)が代表的であるが、この映画は大失敗作に終わった。ハリウッド映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズとの類似が指摘されているが、「Action Replayy」はヴィプル・アムルトラール・シャー監督自身が作ったグジャラーティー語劇「Action Replay」を原作としている。

監督:ヴィプル・アムルトラール・シャー
制作:ヴィプル・アムルトラール・シャー
原作:ヴィプル・アムルトラール・シャー作のグジャラーティー語劇「Action Replay」(1994年)
音楽:プリータム
歌詞:イルシャード・カーミル
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ
衣装:シャビーナー・カーン
出演:アクシャイ・クマール、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、ランディール・カプール、アーディティヤ・ロイ・カプール、ランヴィジャイ・スィン、ネーハー・ドゥーピヤー、スディーパー・スィン、オーム・プリー、キラン・ケール、ラージパール・ヤーダヴ
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 バンティー(アーディティヤ・ロイ・カプール)にはタニヤ(スディーパー・スィン)という恋人がいたが、彼女と結婚する気はなかった。なぜならバンティーの両親、キシャン(アクシャイ・クマール)とマーラー(アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン)は喧嘩ばかりしており、結婚に幻滅していたからであった。キシャンはボリウッド・カフェというレストランを経営しており、ある程度収入があったが、マーラーが買い物依存症で毎日高価な買い物ばかりしていたため、手元にほとんどお金は残らなかった。

 バンティーは両親の結婚35周年記念日にパーティーを開く。そこではキシャンの下で働くビークー(ラージパール・ヤーダヴ)が給仕を務め、キシャンの旧友クンダンラール(ランヴィジャイ・スィン)も来る。だが、そのパーティーの席でキシャンとマーラーは大喧嘩をして別々に飛び出してしまう。

 ところでタニヤの祖父アンソニー・ゴンザルベス(ランディール・カプール)は科学者で、タイムマシンを開発していた。バンティーは両親の仲を修復するため、過去へ行くことを決意する。バンティーはタイムマシンを勝手に動かし、両親が結婚する前の1975年ボンベイへタイムトラベルする。

 バンティーはまず祖父ラーイ・バハードゥル(オーム・プリー)が経営する食堂スーリヤ・プラカーシュ・ボージナーラヤへ赴き、早速キシャンを探す。キシャンはすぐに見つかったが、気弱でドジでネクラな、どうしようもない男であった。また、ラーイ・バハードゥルの自宅の横には、マーラーとその母親ボーリー・デーヴィー(キラン・ケール)が住んでいた。ビークーはボーリー・デーヴィーの使用人で、クンダンラールが彼女の家に出入りしていた。マーラーとクンダンラールは一緒になってキシャンをいじめていた。

 このままではキシャンとマーラーの結婚はあり得ないと考えたバンティーは、二人の仲に干渉し始める。まずはキシャンにマーラーの魅力を説く。キシャンはマーラーのことを魔女や鬼女だと考えていたが、バンティーに言われてよく見直し、すぐにマーラーに惚れてしまう。一方、マーラーもお転婆娘だったが、バンティーに言われて多少女らしい振る舞いをするようになる。だが、基本的にマーラーはキシャンのことを馬鹿にしており、このままではこの2人がくっつくようなことはなさそうだった。

 そこでバンティーはキシャンの大改造に取りかかる。出っ歯を矯正し、ファッションを根本的から変えて、オシャレな男に大変身させる。しかし内部は気弱なキシャンのままだったため、バンティーは常にそばにいてキシャンに助言を与えた。その効果もあり、マーラーは次第にキシャンに惚れ込むようになる。だが、バンティーはギリギリまでキシャンにつれない態度を取らせる。

 しかし、女の子らしくなったマーラーを見て惚れ込んだのはキシャンだけではなかった。クンダンラールも目の色を変え、マーラーを我が物にしようと考え出す。クンダンラールは、男声と女声の両方で歌うという特技を持っていた。キシャンとクンダンラールの間でマーラーの取り合いになった際、キシャンは4つの声で歌を歌うと見得を切る。キシャンは普通に歌うことすらできないほど音痴であったが、バンティーや、マーラーの友人モナ(ネーハー・ドゥーピヤー)、キシャンの弟子となったビークーの密かな協力により、コンサートで四声で同時に歌う芸を披露する。

 これらの出来事を通し、キシャンがマーラーの心を完全に掴んだと読んだバンティーは、遂にキシャンに対し、マーラーにプロポーズするように指示を出す。クンダンラールは二人の結婚を邪魔しようとし、そのことをラーイ・バハードゥルとボーリー・デーヴィーに密告する。ラーイ・バハードゥルとボーリー・デーヴィーは2人を追いかけるが、最終的にはキシャンとマーラーはラーイ・バハードゥルとボーリー・デーヴィーに結婚を認めさせ、こうして2人はめでたく挙式することになる。

 ところで、バンティーが乗って来たタイムマシンは着陸時に故障してしまったが、若き日のアンソニー・ゴンザルベスを探し出し、彼に修理してもらっていた。ちょうど修理も終わり、バンティーは2010年に帰ることになった。2010年ではキシャンとマーラーは仲睦まじい夫婦となっていた。それを見たバンティーはタニヤにプロポーズする。

 前置きでヴィプル・アムルトラール・シャー監督の才能に疑問を呈したが、この「Action Replayy」を観てその疑問は解消されるばかりかますます募ることになった。本格的なSF映画ではないので、タイムマシンがあまりに簡単に登場し、あまりに簡単に故障し、そしてあまりに簡単に修理できてしまうことには目をつむろう。タイムマシンで過去に行って何らかの干渉をした場合、それがどういう形で未来に影響を与えるのか、それにはSFファンの間で議論がある。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)のようにリアルタイムで未来が変わって行くのか、それともパラレルワールドとして干渉前の未来と干渉後の未来が分岐するのか、など。「Action Replayy」では特にその点について何の言及もなく、何となく前者の立場に立っていたようだが、それもまあいいとしよう。そういうSF映画としての面からこの映画を批判するのはお門違いであろう。だが、「Action Replayy」をロマンス映画として見ても、非常に弱い映画である。登場人物同士の関係がいまいち説明不足だし、登場人物の心情の変化、例えば1975年のキシャンとマーラーがお互いに惚れ合うようになる過程などには、全く説得力がない。何にも増して、主人公のバンティーが一体何をしに過去へ行ったのかよく分からない。両親を結婚させるために奔走するのだが、結婚をしたからバンティーがいるのであって、一体それ以上の何がしたかったのか。非常に雑な映画だと感じた。

 映画の大部分は1975年のボンベイが舞台となっていた。よって、1975年のボンベイをスクリーン上で再現することも、この映画の大きな見所となっていたはずである。だが、いまいち35年前のボンベイを感じさせるような細かいこだわりが感じられなかった。もっともこだわっていたのはファッションであろう。劇中にはいわゆる70年代ファッションに身を包んだ人々が多数登場する。だが、それもとても美化されたもののように感じた。1975年と言えばインディラー・ガーンディーが首相を務めていた時代で、その頃のインドの経済は、「ヒンドゥー成長率」と揶揄された停滞状態にあった。そんな当時ボンベイに住んでいたインド人が本当にこの映画で描写されているような、ファッショナブルな服装をしていただろうか?1977年のボンベイを舞台にした「Om Shanti Om」(2007年)でも感じたことだが、こちらはボンベイと言っても映画界を主な舞台としており、当時のファッションの最先端を行く人々が出て来たとしても何とか納得ができた。だが「Action Replayy」は一般庶民が主人公であり、疑念は消えない。

 1975年を舞台にした理由のひとつは、恋愛結婚がタブー視されていた頃の恋愛を21世紀の視点から料理することを目的としていたからであろう。劇中では1970年代のインドでいかに恋愛結婚がタブー視されていたかが何度も強調され、ボーリー・デーヴィーに至っては「私は近所で1件も恋愛結婚を許していない」と豪語していた。一方、最近インドでは「ジェネレーション・ネクスト」と呼ばれる若者層が台頭して来ているが、彼らは1992年のインド経済自由化以降に物心のついた層で、欧米とそう変わらない価値観を持っており、恋愛、セックス、結婚などに対しても非常にリベラルな考え方を持っているとされる。そういう世代を代表するバンティーが、恋愛結婚不可能時代へ殴り込み、両親の恋愛を手助けするというのが、この映画の面白い部分だったはずである。しかし、キシャン、マーラー、バンティーらのキャラクター設定が未熟だったために、その面白さが活かされていない。キシャンはキシャンであり得ないほど気味の悪いキャラクターであるし、マーラーはマーラーで極度にデフォルメされたお転婆娘になっている。バンティーの飄々としたキャラは悪くはなかったが、キシャンやマーラーにフリーパスでアクセスする様子は容易に受け入れがたかった。クンダンラールとマーラーの関係もよく分からないし、モナの存在も意味不明である。挙げ句の果てにモナはバンティーに惚れて告白するという蛇足ぶりだ。タイムマシンを使ってSFっぽく枠組みを作り、1970年代を舞台にしてレトロなデコレーションにしているが、その核となる恋愛映画としての部分を見るとお粗末とした言いようがない。

 「London Dreams」の延長か、歌によるバトルもあった。単にキシャンとクンダンラールが様々な声で歌う対決をすることになっただけだったのだが、それがなぜかコンサートのようになっており、観衆の前で歌を披露することになってしまっていた。挿入歌はインド映画の重要な要素だが、こういう挿入歌の挿入の仕方は取って付けたような無理矢理感しか感じない。

 主演の二人の演技にも疑問が残った。アクシャイ・クマールからは、2008年頃の絶頂期にまとっていたオーラが全く感じられなくなってしまった。タコのように芯がなくてフニャフニャのおちゃらけた演技に終始し、持ち味が出ていない。アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンにしても、20代の女優が駆け出しの時期にやるべき役をやっており、既に30代後半に入り大御所となった彼女には辛すぎた。アイシュワリヤーではなく、ディーピカー・パードゥコーンやカトリーナ・カイフが演じたら、もう少しマシだっただろう。

 バンティーを演じたアーディティヤ・ロイ・カプールは、「London Dreams」でヴィプル・アムルトラール・シャーに抜擢された若手男優だ。途中突然髪型が変わることがあって混乱したが、それを除けば問題ない演技をしていた。飄々とした独特の雰囲気があり、新世代の若者を代表する魅力を持っている。アクシャイ・クマールよりもアーディティヤの方が目立っていたことも功を奏した。今後伸びて行きそうだ。アーディティヤは元々チャンネル[V]でVJを務めており、言わばテレビ出身の俳優だが、悪役クンダンラールを演じたランヴィジャイ・スィンも、MTVローディーズというテレビ番組で一躍有名となり、その後VJとして活躍して来た人物である。タニヤを演じたスディーパー・スィンもテレビドラマなどに出演してキャリアを積んできた女優である。よって、この映画にはテレビ出身の若手俳優が多く顔を出していることになる。

 他にオーム・プリー、キラン・ケール、ラージパール・ヤーダヴなどが出演していたが、中でも特筆すべきはランディール・カプールがアンソニー・ゴンザルベス役で出演していたことである。ランディール・カプールは、往年の名優ラージ・カプールの長男で、カリシュマー・カプールやカリーナー・カプールの父親にあたる人物だ。「Housefull」(2010年)で久々に銀幕に復帰したばかりだが、引き続き出演し、本格復帰を予想させる。ランディール・カプールの弟リシ・カプールは寡作だった時期を経て再び活発に映画出演を繰り返している。

 音楽はプリータム。映画の雰囲気自体はレトロであるが、音楽からはそこまでレトロ志向が感じられず、ほとんどは現代的な音楽となっている。結婚否定ソング「Zor Ka Jhatka」がダンスナンバーとしては秀逸。「Chhan Ke Mohalla」も良い。唯一レトロを感じさせるのは「Nakhre」か。エルビス・プレスリー的音楽になっている。この歌の冒頭にある「アーワーズ・ニーチェー(静かに)」という台詞は、以降何度も映画に登場しており、次第に観客も一緒に台詞を言うようになっていた。俄に流行しそうだ。

 興味深いことに、今年のディーワーリー公開作2本はどちらも懐古主義的要素があった。「Golmaal 3」では、ミトゥン・チャクラボルティーを中心に「Disco Dancer」(1982年)がパロディー化されたりしていたが、「Action Replayy」では1975年のボンベイへタイムトラベルするという内容で、ラジオから流れてくる音楽や看板で宣伝されている映画など、自然に当時のインドの要素が入って来る。ただ、「Action Replayy」では、21世紀からやって来たバンティーが、1970年代の人々に対して、カリーナー・カプール、ビパーシャー・バス、マッリカー・シェーラーワトなど現代の女優の名前を挙げたりしていて、ちょっとした時代錯誤的ギャグもあった。

 「Action Replayy」は、「Khakee」(2004年)以来、アクシャイ・クマールとアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンという大御所俳優同士の共演となる。2010年のムンバイーから1975年のボンベイへタイムトラベルするというSF映画的導入部となっているが、基本的にはロマンス映画である。だが、脚本の甘さと作りの粗雑さから、まとまりのない映画となってしまっている。主演二人もベストの演技をしていない。ポスターや予告編などを見ると楽しそうな雰囲気がするが、観るのを辞めるか、あるいはあまり期待せずに観るのがいいだろう。もし「Action Replayy」と「Golmaal 3」のどちらかを選ぶとしたら、断然「Golmaal 3」の方を勧めたい。