Crook

2.5
Crook
「Crook」

 2009年にオーストラリアで「カレー・バッシング」と呼ばれるインド人排斥運動が起こり、在豪インド人が次々と襲われたことは記憶に新しい。最近は時事ネタを即座に映画に採り入れる風潮が加速しており、本日(2010年10月8日)より公開の新作ヒンディー語映画「Crook」はそのカレー・バッシングをテーマとしている。監督は「Woh Lamhe…」(2006年)や「Raaz: The Mystery Continues」(2009年)などのモーヒト・スーリー。先日公開された「We Are Family」(2010年)も実は元々カレー・バッシングに関するシーンがあったようだが、最終段階でカットされたと聞く。インド人側からカレー・バッシングを映画化するとどうなるのか、興味津々で映画館に出掛けた。

監督:モーヒト・スーリー
制作:ムケーシュ・バット
音楽:プリータム
歌詞:クマール
出演:イムラーン・ハーシュミー、ネーハー・シャルマー(新人)、アルジャン・バージワー、カヴィーン・デーヴ、グルシャン・グローヴァー、スマイル・スーリー、シェーラ・アレン、フランシス・マイケル・コーラーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ムンバイーで生まれ育ったジャイ(イムラーン・ハーシュミー)の父親は密輸ギャングだったが、自分が密輸した爆弾がテロに使われたことを知り、警察に自首する。とある良心的な警官(グルシャン・グローヴァー)が彼を警視総監に引き合わせるが、手っ取り早い功績を求めた警視総監は彼をその場で射殺し、テロリストに仕立て上げる。ジャイはその良心的警官によって育てられたが、「テロリストの息子」のレッテルを貼られ、ぐれていった。仕方なく警官は彼に偽のアイデンティティーを与え、オーストラリアに送る。

 スーラジを名乗ったジャイはメルボルンに降り立つ。空港で、奨学金を得て留学しに来たロミー(カヴィーン・デーヴ)や、オーストラリア在住インド人の相談を聞くラジオ番組のジョッキーを務めるスハーニー(ネーハー・シャルマー)と出会う。スハーニーは、兄のサマルト(アルジャン・バージワー)から、ロミーと結婚するように強要されていた。

 ジャイはゴールディーというパンジャーブ人の経営するタクシー会社で働き出す。だが、折しもオーストラリアでは印パ人を狙った人種差別的暴行事件が頻発していた。ジャイ自身もその様子を目の当たりにする。だが、その過程でニコル(シェーラ・アレン)という白人女性とも出会う。ニコルはストリップバーのダンサーで、彼女の兄のラッセル(フランシス・マイケル・コーラー)はカレー・バッシングの扇動者の一人であった。

 ジャイとスハーニーは次第に惹かれ合うようになって行くが、サマルトはジャイを認めていなかった。ある夜、ジャイとスハーニーがデートをしている間、ロミーが白人の暴徒に襲撃されてしまう。サマルトはジャイを殴って「二度とスハーニーに近付くな」と警告すると同時に、インド人留学生を率いて抗議運動を行う。だが、サマルトは暴力を振るったことで逮捕されてしまう。

 実はサマルトとスハーニーの間には、シーナー(スマイル・スーリー)という姉妹もいた。しかしシーナーは白人との恋愛の末に妊娠し、白人を憎むサマルトによって無理矢理中絶させられた。だが、そのときシーナーは絶命してしまったのだった。

 サマルトが逮捕されたことでスハーニーはジャイに助けを求めるが、ジャイは無用の争いに巻き込まれるのを嫌い、それを断る。これをきっかけにジャイとスハーニーの仲は疎遠となる。ジャイはそのままニコルと接近するが、ニコルは兄からの情報でジャイの行動を全て把握しており、サマルトの命が危ないことを教える。そのとき、留置所から釈放されたサマルトを狙い、ラッセルらが襲いかかっていた。ジャイはその場へ急いで駆けつけ、サマルトを救う。ジャイはサマルトを病院に運ぶが、昏睡状態となっていた。駆けつけたスハーニーは、ジャイに感謝する。

 事件の目撃者となったジャイは、スハーニーと共に警察署を訪れる。だが、警察内部にラッセルとの密通者がいた。しかもジャイが偽のアイデンティティーでオーストラリアに来ていることがばれてしまった。ジャイとスハーニーは急いで逃げ出す。一方、昏睡状態のサマルトにもラッセルが襲撃を掛けていた。異変に気付いたロミーはサマルトを病院から運び出し、姿をくらます。

 メルボルンから遠く離れた場所に身を隠したジャイとスハーニーであったが、メルボルンでは白人襲撃事件が頻発しており、その容疑者としてジャイが指名手配されていた。ニコルの働くストリップバーも焼き討ちされた。だが、それを実行していたのは意識を取り戻したサマルトとロミーであった。しかしそんなことを知らないジャイは単身メルボルンに戻り、ニコルの家に押し入る。だが、ちょうどそのときそこにはサマルトとロミーがいた。サマルトはジャイを拘束し、ニコルを誘拐する。一方、スハーニーのところにはラッセルら白人暴徒が押しかけていた。ジャイはスハーニーとニコルのどちらを助けるか迷うが、スハーニーに言われてニコルを助けることにする。

 サマルトは、シーナーが死んだ場所にニコルを連れて来ており、そこで公開処刑を行おうとしていた。そこへジャイが突入し、ニコルを救出する。ジャイはサマルトの反撃を受けてピンチに陥るが、洗脳の解けたロミーがサマルトを惨殺し、ジャイは救われる。一方、ラッセルはスハーニーを襲っていなかった。ラッセルとスハーニーはその場へ駆けつける。

 白人女性を救ったジャイの行動は、オーストラリアの白人とインド人の結束を強めることとなり、ジャイは一躍ヒーローとなった。

 この映画は、全く異なる2つのストーリーが組み合わされてひとつの映画になっていたと言える。ひとつめはカレー・バッシングの要素、もうひとつはイムラーン・ハーシュミーに典型的な狂おし系のロマンスである。

 映画中にはインド人に対する人種差別的暴行を行う白人グループが登場し、様々な事件を起こすが、意外にも映画の最終的な「悪」はインド人キャラクターのサマルトになっていた。元々の人種差別主義者はサマルトであり、彼は妹シーナーが白人との子供を身ごもったことを許さずに堕胎させ死なせてしまう。そのシーナーの恋人だったのがラッセルで、これが原因でラッセルは仲間たちと共にインド人に対し襲撃事件を起こすようになる。それに対しサマルトはインド人留学生を動員して抗議運動を起こす。ラッセルらに瀕死の重傷を負わされながらも一命を取り留めたサマルトは、白人を惨殺してさらに両コミュニティー間の亀裂を広げる。最後にサマルトはラッセルの妹ニコルを誘拐して殺害しようとする。時を同じくしてラッセルはサマルトの妹スハーニーを襲撃するが、結局は彼女に何もしなかった。サマルトはインド文化を守ることを大義名分にしてこれらの行動を起こす。サマルトはオーストラリア人に対して、「結婚前に子供を産み、誰とでも寝る」、「犯罪者の子孫」などと言った偏見を持つ一方で、、インドを「数千年の歴史を持つ国」と盲目的に誇っていた。

 一方、サマルトの妹スハーニーは、インド人とオーストラリア人がお互いの文化を理解し合うことが重要だと考えており、新しくオーストラリアにやって来たインド人にオーストラリア文化を紹介する活動や、オーストラリア在住のインド人の相談窓口となるラジオ番組を持っていた。

 これに加え、イムラーン・ハーシュミーが得意とする、ちょっと悪だが男気があり頭の回転が速い主人公が、狂おしいほど熱いロマンスを繰り広げるストーリーが織り交ぜられる。彼の演じるジャイは、基本的にスハーニーと恋愛をするが、白人女性ニコルともホットなシーンがある。

 しかし、どちらも中途半端になってしまっていたのが残念だった。まず、カレー・バッシングをテーマとしながら、その責任を全て白人側の人種差別に帰因せず、発端をインド人側にしたことは、意表を突いた脚本であった。それはそれでアイデアとして面白いのだが、元凶であるサマルトのキャラクターが非現実的で、結局現実世界で今でも起こっているインド人移民に対する暴行事件の真相に迫る努力が払われていなかったし、まとめ方も楽観的過ぎた。クライマックスでのロミーの行動(突然サマルトをスコップで殴り出す)も突発的すぎてギャグにしか思えなかった。それに、インド人観客に対してこの問題に関してインド人を悪とする脚本はインド人には受けないだろう。殊に人種差別に関わる問題にはインド人は敏感なので、普通にインド人受けするストーリーとは思えない。また、イムラーン・ハーシュミーが主導するロマンス部分も、スハーニーとの恋愛などは序盤かなり良かったのだが、最終的にはカレー・バッシングのプロットに埋もれてしまい、うやむやになってしまっていた。ニコルとの関係については全くジャイの真意が分からず、蛇足的であった。また、ニコルの際どい背面トップレスシーンやセミストリップシーンなどもあり、必要以上にヴィジュアル的色気に頼っていたこともマイナス評価となる。そもそもジャイがカレー・バッシングを解決するヒーローとなるのに、映画中で前面に押し出されていたようなずる賢いキャラである必要はなかった。

 イムラーン・ハーシュミーは独特の不思議な魅力を持った男優で、最初は生理的に受け付けなくても、我慢して見ていると次第に引き込まれていくものがある。ちょっとした仕草や表情に男臭さや脆い危なさがあり、それが狂おしいロマンスにとても似合っている。「Crook」の特に序盤ではイムラーン節が堪能できるいくつかのシーンがあった。例えばスハーニーと初デートの後のシーン。ジャイはスハーニーの手を握り、「手を握っていい?」と聞く。スハーニーが「それで?」と聞くと、ジャイは「君がして欲しいと思うものをしていい?」と聞く。スハーニーが「私がして欲しいものって?」と聞くと、ジャイは「僕が口に出せないもの」と答える。この辺のやり取りはとても良かった。だが、イムラーンを主演に据えたが故にか、映画の本題からずれたシーンが多くなってしまい、結果的にはキャスティングミスと言える映画になってしまっていた。

 偶然だろうが、「Crook」では、北インド出身ながらテルグ語映画で地盤を固めた俳優が2人出演している。一人はヒロインのスハーニーを演じたネーハー・シャルマーである。ビハール州出身ながら、「Chirutha」(2007年)や「Kurradu」(2009年)などのテルグ語映画に出演し、本作がヒンディー語映画デビュー作となる。目が印象的な女優である。もう一人は最終的な悪役サマルトを演じたアルジャン・バージワーだ。2001年から「Arundhati」(2008年)など何本ものテルグ語映画に出演しており、ヒンディー語映画でも「Guru」(2007年)や「Fashion」(2007年)などに脇役で出演して来た。今回は悪役ながら物語の中心的人物であり、かなりインパクトが強かった。

 音楽はプリータム。イムラーン・ハーシュミー映画にありがちな狂おしい音楽が多く、特に「Tujhko Jo Paaya」はとても心に響く歌だが、全体的に見たらパワー不足である。ちなみに映画中では「De Dana Dan」(2009年)の「Paisa Paisa」や「Murder」(2004年)の「Bheege Hont Tere」などが使われていた。

 「Crook」は、オーストラリアで問題となったカレー・バッシングをテーマにしたインド映画である。それだけ聞くと興味をそそられるかもしれないが、特に主題を真剣に扱おうとする気概は感じられず、主演のイムラーン・ハーシュミーをフルに活かしたロマンス映画にもなっていなかった。最近「Dabangg」(2010年)や「Robot」(2010年)など、王道娯楽映画の傑作が続いたため、それらの後に観るとさらにしょぼく映る。無理して観なくてもいいだろう。