プラカーシュ・ジャー監督の最新作「Raajneeti(政治)」が本日(2010年6月4日)より公開された。プラカーシュ・ジャー監督と言えば、「Gangaajal」(2003年)や「Apaharan」(2005年)などの重厚な社会派ドラマで知られた映画監督であり、この種の映画が好きな人々からは熱烈に支持されている。彼の映画はストーリーが渋いだけでなく、配役も渋いことが常である。だが、最新作「Raajneeti」は、おそらく彼のフィルモグラフィーでは初めて、オールスターキャストと言えるキャスティングとなっている。今をときめく若手俳優のランビール・カプールとカトリーナ・カイフを筆頭に、プラカーシュ・ジャー監督お気に入りのアジャイ・デーヴガンやナーナー・パーテーカル、演技派のナスィールッディーン・シャーやマノージ・バージペーイーなどがメインキャストに名を連ねているのである。今回のテーマは題名通りインドの政治。公開前にいくつか物言いが入ったが(例えばカトリーナ・カイフの役が国民会議派ソニア・ガーンディー党首をモデルにしているのではないか、など)、予定日に無事公開された。文句なく今年の期待作の一本である。
監督:プラカーシュ・ジャー
制作:プラカーシュ・ジャー
音楽:プリータム、アーデーシュ・シュリーワースタヴ、シャンタヌ・モイトラ、ウェイン・シャープ
歌詞:イルシャード・カーミル、サミール、スワーナンド・キルキレー、グルザール
衣装:プリヤンカー・ムンダーダー
出演:アジャイ・デーヴガン、ランビール・カプール、カトリーナ・カイフ、アルジュン・ラームパール、マノージ・バージペーイー、サラ・トンプソン、ナスィールッディーン・シャー、ナーナー・パーテーカル、ダルシャン・ジャリーワーラー、シュルティ・セート、ニキラー・ティルカー(新人)、チェータン・パンディト、ヴィナイ・アプテー、キラン・カルマルカル、ダヤーシャンカル・パーンデーイ、ジャハーンギール・カーン、ラヴィ・ケームー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
マディヤ・プラデーシュ州では州議会選挙が近付いていた。国家主義党(RP)は、老練な政治家ラームナート・ラーイ(ダルシャン・ジャリーワーラー)率いるインド民主党(BPP)と連立し、政権を握っていた。だが、RP党首バーヌー・プラタープは、自身の誕生日にBPPとの連立を解消し、独立して選挙戦を戦うことを宣言する。ところが、バーヌー・プラタープはその演説の席で心臓発作を起こし、植物人間状態となってしまう。RPの中では、次期党首の座を巡って、プラタープ家の中で内紛が勃発する。
バーヌーの実の息子ヴィーレーンドラ・プラタープ(マノージ・バージペーイー)は権力欲の強い男で、自身を当然の後継者だと考えていた。しかし、意識を取り戻したバーヌー・プラタープは、弟のチャンドラ・プラタープ(チェータン・パンディト)を後継者に任じ、その長男プリトヴィーラージ・プラタープ(アルジュン・ラームパール)を補佐役にした。チャンドラの妻はラームナート・ラーイの娘バールティー(ニキラー・ティルカー)であった。その仕打ちに怒ったヴィーレーンドラは、党幹部の決定にいちいち歯向かうようになる。RPの顧問役ブリジ・ゴーパール(ナーナー・パーテーカル)は何とか穏便に済ませようとするが、彼にもヴィーレーンドラを制御することはできなかった。
ヴィーレーンドラの右腕となって働いていたのがダリト(不可触民)上がりの青年政治家スーラジ・クマール(アジャイ・デーヴガン)であった。スーラジの父(ダヤーシャンカル・パーンデーイ)はプラタープ家の運転手をしていたが、血気盛んなスーラジはRP幹部にも臆することなく自己主張した。その大胆不敵さをヴィーレーンドラに買われたのだった。実はスーラジには出生の秘密があった。彼は本当はバールティーの息子だった。バールティーは若い頃、父親に反目して左翼政治団体に所属しており、そのリーダーであるバースカル・サンヤル(ナスィールッディーン・シャー)に陶酔していた。だが、ある日バースカルは自制心を失ってバールティーと一夜を共にしてしまう。自己嫌悪に陥ったバースカルは政治活動を捨てて姿をくらます。その後バールティーはチャンドラに嫁ぐことになったのだった。だが、スーラジは自らの出生の秘密を知らなかった。彼はヴィーレーンドラをRP党首にするために策謀を巡らす。
ところで、チャンドラにはプリトヴィーラージの他にもう一人息子がいた。サマル・プラタープ(ランビール・カプール)である。サマルは米国に留学し、博士課程に在籍していたが、バーヌーの誕生日に合わせて帰国していた。RPを経済的に支える資産家の娘インドゥ(カトリーナ・カイフ)はサマルに恋しており、プロポーズまでするが、サマルはそれを拒絶する。なぜならサマルには米国で出会ったアイルランド人の恋人サラ・ジェーン・コリンス(サラ・トンプソン)がいたからである。サマルの一時帰国期間は終わり、米国に帰ることになった。チャンドラはサマルを見送りに空港まで行く。だが、その帰りにチャンドラは路上で何者かに暗殺される。サマルは急遽米国行きを取り止め、家に引き返す。
チャンドラ亡き今、RPの主権はヴィーレーンドラの手に渡った。一方、プリトヴィーラージは、チャンドラを警備していた警察の怠慢に憤怒し、暴力沙汰を起こして逮捕されてしまう。追い打ちをかけるように、プリトヴィーラージにはレイプの嫌疑もかけられる。それを見たサマルは、プリトヴィーラージに政界からの見せかけの引退を提案する。プリトヴィーラージが米国へ移民することを知ったヴィーレーンドラはやっと安心し、攻撃の手を緩める。たちまちプリトヴィーラージに掛けられていた嫌疑は晴れ、釈放される。ところがこれは策略で、プリトヴィーラージは民衆の支持が誰にあるのかをヴィーレーンドラに見せ付ける。騙されたと気付いたヴィーレーンドラはプリトヴィーラージを党から追放する。しかしこれもサマルの想定内であった。
RPを追放されたプリトヴィーラージは、サマル、ブリジ・ゴーパールらと共に新党人民力党(JSP)を立ち上げる。ところが、JSPは立ち上げ早々資金難に陥っていた。それを救うため、サマルはインドゥとの結婚を考える。インドゥの父親は大資産家であり、彼女と結婚すれば党の財政難は一気に解決する。ところがインドゥの父親は、娘の結婚相手に将来の州首相、つまりプリトヴィーラージを求めた。悩んだ挙げ句、サマルはそれを受け容れる。インドゥは、愛していたサマルではなくプリトヴィーラージと結婚させられることになって荒れるが、最終的には受け容れざるをえなくなる。完全なる政略結婚であった。また、この頃サマルの恋人サラが米国から彼を心配して駆けつけて来る。
RPとJSPの骨肉の争いは投票日が近付くに連れて熾烈化して行った。まずはサマルはヴィーレーンドラの側近を脅迫してRPの不正を内部告発させた後、彼を爆死させる。また、サマルは父親の暗殺を命じたのはスーラジであることも突き止める。一方、プリトヴィーラージは自分を逮捕した警官やレイプ告発した女性を惨殺する。しかしRP側も黙っていなかった。自動車爆弾により、プリトヴィーラージとサラが殺されてしまう。党首を失って意気消沈するJSP党員だったが、サマルとブリジ・ゴーパールは次期党首として、プリトヴィーラージの寡婦インドゥを擁立する。インドゥは精力的に選挙活動をこなし、JSPに勝利を呼び込む。敗北に我を失ったヴィーレーンドラは、投票に不正があったとの垂れ込みを信じ、郊外へおびき出される。それはサマルやブリジ・ゴーパールの罠であり、ヴィーレーンドラは後を追って来たスーラジ共々殺される。
サマルはJSPの勝利を見届けた後、米国に戻ることにする。だが、インドゥがプリトヴィーラージの子を身ごもっていることを知らされ、またすぐに帰って来ることを約束する。
インドの政治、民主主義、選挙の実態をえぐる作品とのことであったが、「Raajneeti」では、主義を異にする政党同士の駆け引き、世界最大の民主主義の問題点、仁義なき選挙戦などはほとんど隅に追いやられており、焦点が当てられていたのは政党内のポリティックス、もっと言えば、政党を牛耳る一家の骨肉の争いであった。しかもその争いは全く「政治的」ではない。とにかく邪魔者を次から次へと暗殺して行くだけの弱肉強食の争いであり、マフィアの抗争を政治に置き換えただけの作品に思えた。インドの現代政治史において、「暗殺」はいくつか例があるが、多くはもっと複雑な背景の中で行われたものであり、単なる政党内権力抗争の末にこれだけ人が次々と殺されて行くようなことは、さすがにインドと言えども今までなかったはずである(もっとも近いのはネパール王室乱射事件か)。それに、政治ドラマであるから、単純な「暗殺」ではなく、政敵を敢えて泳がせておくことで利益を得たり、離間工作をして自滅させたりなど、もっと手の込んだ深謀遠慮の数々を見たかった。この程度の小競り合いでもって「政治」を名乗っていたら、インド人は政治力がないのかと思われてしまっても仕方がない。プラカーシュ・ジャー監督の最新作には大いに期待していたのだが、かなり期待外れであった。
観る人が観ればすぐに気付くだろうが、「Raajneeti」は、インドが誇る叙事詩「マハーバーラタ」のメインストーリーを下敷きにしている。完全な一対一対応はしていないものの、スーラジはカルナ、サマルはアルジュナ、ヴィーレーンドラはドゥリヨーダナ、バールティーはクンティー、ブリジ・ゴーパールはクリシュナ、バーヌーはドリトラーシュトラ、チャンドラはパーンドゥだと言えるし、ひとつの政党、ひとつの家族が分裂し互いに争うなどの基本的なストーリーラインも「マハーバーラタ」そのままである。ラストの、サマルがブリジ・ゴーパールの助言の下に、手負いのスーラジを射殺するシーンなどは、完全に「マハーバーラタ」のクライマックスのひとつ「カルナの最期」の翻案だ。21世紀になっても尚、「マハーバーラタ」がインド人の創作活動の源泉となっているのを見るのは大きな驚きである。だが、「人間が想像し得る全ての説話は既に『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の中にある」と豪語されているだけあり、それは仕方のないことなのかもしれない。しかし、あまりに「マハーバーラタ」に執着し過ぎて、上述した通り、もっと現代的な政治の駆け引きが疎かになっていたことは、「マハーバーラタ」を下敷きにした故の弱点だと指摘できる。特に、インドゥが党首になってからの選挙戦をもう少しじっくりと楽しみたかった。
オールスターキャストの「Raajneeti」の中でも、もっとも注目を集めていたのがカトリーナ・カイフである。今までお気楽なロマンス映画やコメディー映画への出演が多かったカトリーナ。そのヒット率は異常なまでに高く、キュートな美貌もあって、あれよあれよと言う間にトップ女優に躍り出てしまった。最初はヒンディー語もままならなかった彼女も徐々に芸幅を広げつつあり、昨年は「New York」(2009年)でシリアスな演技を見せて称賛を受けた。その次のステップに目されていたのがこの「Raajneeti」であった。彼女が演じたインドゥは、国民会議派ソニア・ガーンディー党首、またはその娘のプリヤンカー・ヴァドラーをモチーフにしていると言われるだけあり、そのヴィジュアルは今までの彼女とは全く違ったものになっていた。だが、意外にもカトリーナ演じるインドゥが政界に飛び込むのは物語終盤になってからで、それ以前は今までのカトリーナとそう違わないイメージの役、演技になっている。それはそれでいいのだが、政治家として選挙に出馬した彼女の演技は、必ずしも褒められたものではなかった。特にヒンディー語での演説が弱かった。彼女がヒンディー語を得意としていないのは周知の事実であるが、今まではそれが大きな問題にならないような役だったため、騙し騙しやって来られた。しかし、政治をテーマにした映画において、政治家が好んで使う演説調のヒンディー語をしゃべらなくてはならなくなったとき、彼女の弱点はあからさまに露呈してしまった。マノージ・バージペーイーやナーナー・パーテーカルのレベルのヒンディー語までは要求しないが、それでももう少しマシなヒンディー語で演説してもらいたかった。これではその後の選挙での圧勝という展開も嘘くさいものになってしまう。カトリーナ・カイフは一応個人的に贔屓にしている女優ではあるが、「Raajneeti」での彼女の演技には及第点を与えることができない。彼女にとって荷が重すぎる役であったことは確実で、これはプラカーシュ・ジャー監督のキャスティングミスだと言わざるをえない。
キャスティングミスという点でまだ何人か名前を挙げなければならない。まずはアルジュン・ラームパールである。アルジュンは、業界内随一のハンサムな容姿を誇っていながら、長年くすぶっていた。だが、「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)や「Rock On!!」(2008年)などのヒットで成功を掴み、現在好調の波に乗っている。「Raajneeti」での演技も自信に溢れるもので、好感が持てた。しかし、ここまでハンサムな政治家なら、それだけで武器になるはずである。物語の中で、ハンサムさによるアドバンテージがどこかで触れられてもおかしくなかったはずだし、むしろ触れられなかったことで大きな違和感を感じた。もし彼の抜群の容姿がストーリーに何も絡んで来ないならば、アルジュン・ラームパールをキャスティングした意味がよく分からなくなる。
同様の批判なのだが、サマルが恋人として幼馴染みのインドゥではなくアイルランド人のサラを選んだ理由も不明である。はっきり言ってカトリーナ・カイフ演じるインドゥの方が、美貌という点でも、資金力という点でも、数倍魅力的であり、何を血迷って、自分に好意を寄せる彼女を拒絶してサラと付き合っているのか、全然納得できなかった。そしてサラを演じた米国人女優サラ・トンプソンは何をもって選ばれたのだろうか。特にこの映画に必要な要素を備えているとは思われなかった。サマルを演じたランビール・カプールは真摯な演技をしていたが、彼のキャラクターは劇中でもっとも弱かった。学者肌の優男かと思ったらいつの間にか叔父のブリジ・ゴーパールを凌駕するような謀略家になっており、眉一本動かさずに人殺しもする。そして全てが終わった後に、「これはオレの世界じゃない」と言い残して米国に去って行く。ランビール・カプールについてはキャスティングミスではなかったが、彼が演じたサマル役の人物設定に難点があった。
バールティーを演じたニキラー・ティルカーは新人で、ランビールやアルジュンの母親としてフィットするルックスの女性ということでキャスティングされたようである。しかし彼女の演技には深みがなかった。特にスーラジに対して、出生の秘密を明らかにするシーンなどは「Raajneeti」のワーストシーンに数えられる。スーラジ役のアジャイ・デーヴガンは渋い演技をしていたが、ニキラーの大根役者振りが全てを台無しにしていた。
これらの弱さの大半は、キャスティングミスにもあるが、キャラクタースケッチやストーリーテーリングを端折ったことにも原因がある。およそ3時間の長丁場であったが、まだまだ全てを語り尽くすには時間が不足していた。特に導入部と終盤があっさり描写され過ぎだと感じた。導入部の端折りのおかげで物語の世界に没入するのに時間がかかったし、各キャラクターの人となりを理解するために思考力がなかなか追い付かなかった。終盤のあっさりさは、カトリーナ・カイフにも原因があるだろう。彼女にもう少し演技力があれば、彼女が党首として擁立された後のシーンももっとじっくり描写できたかもしれないが、現状ではこれが限界だったのだろう。全体としては、プラカーシュ・ジャー監督らしくない、浅いドラマになってしまっていた。
また、ベッドシーン→妊娠の3連発には笑わせてもらった。インド人は百発百中か!妊娠・出産までつなげるのにベッドシーンを必ずしも入れる必要はないし、ベッドシーンがあったらその後に必ず妊娠シーンが入ると観客に予想させてしまうのも良くないだろう。
カトリーナ・カイフ、アルジュン・ラームパール、ランビール・カプール、サラ・トンプソン、ニキラー・ティルカーについては上で触れた。アジャイ・デーヴガンは影の主役と言えるくらい重要な役で、非常に良かった。ナーナー・パーテーカルやマノージ・バージペーイーは文句ない名演技。ナスィールッディーン・シャーやダルシャン・ジャリーワーラーの出番がかなり限られていたのは意外だったが、二人ともキチッと見せ場を作っていた。
音楽は、プリータム、アーデーシュ・シュリーワースタヴ、ウェイン・シャープらの合作となっている。サントラCDには数曲収録されているが、ダンスシーンはアイテムナンバーの「Ishq Barse」ぐらいで、後は完全にBGM扱いになっている。「Ishq Barse」にしても時間短縮のためか途中でぶった切られていた。
映画の撮影はほとんどマディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパールで行われたとのこと。ボーパールは歴史ある街であり、象徴的な建築物や風景にも恵まれていて、地方政治の抗争の舞台として格好の雰囲気を提供していた。そして人、人、人の海。動員数はインド映画史上最大だと言う。インド映画は人海戦術をしてなんぼ、だ。CGではない生の群衆を使った撮影はこの映画の大きな見所となっており、圧巻である。
言語は完全なるヒンディー語。政治家の言語を再現するため、サンスクリット語の借用語を多用しているため、難易度は高い。ただし、サマルとサラの会話は英語でなされており、ヒンディー語デーヴナーグリー文字による字幕が出ていた。
ちなみにプラカーシュ・ジャー監督は実際に政界進出を狙ったことがあり、2004年と2009年の下院総選挙で立候補している(共に落選)。所属政党はラームヴィラース・パースワーン率いる人民力党(ローク・ジャンシャクティ・パーティー/LJP)である。「Raajneeti」内で似たような名前の政党、人民力党(ジャンシャクティ・パーティー)が出て来るのは偶然ではなかろう。
「Raajneeti」は、定評あるプラカーシュ・ジャー監督の最新作、かつ政治をテーマにした映画ということで期待されているが、あまり政治映画らしくない作りである上に、同監督作品にしては深みのない退屈な映画になってしまっており、残念な出来である。注目の主演女優カトリーナ・カイフも現時点での演技力の限界を露呈してしまっている。完全なる期待外れであり、ヒットは望めないだろう。