ヒンディー語映画界を代表する名優として知られるイルファーン・カーンにとって、「The Warrior」はキャリアの転機となる作品だったようだ。この映画はインド系英国人アースィフ・カパーリヤーが撮ったヒンディー語映画で、国籍は英国になる。2001年9月23日にスペインのサン・セバスティアン国際映画祭でプレミア上映され、その後、世界各国で上映されたが、インドでは上映されていない。2003年のアカデミー賞外国語映画賞に英国代表として出品されたが、言語がヒンディー語だったために拒絶されたというエピソードもある。
「Salaam Bombay!」(1988年)でデビューしたイルファーンは、1990年代に思ったほど成功できず、俳優業を辞めようと思っていたが、この「The Warrior」で主演のオファーが来たため、引退を思いとどまったといわれている。
イルファーンのフィルモグラフィーの中で前々から気になっていた作品ではあるが観る機会がなかった。JAIHOで「ザ・ウォーリアー」の邦題と共に配信があったため、2023年7月7日に鑑賞することができた。
キャストは、イルファーン・カーン以外に、ヌール・マニ、プル・チッバル、シェーク・アンヌッディーン、マーンダーキニー・ゴースワーミー、スニーター・シャルマー、ダマヤンティー・マルファティヤー、トリローク・スィンなどであるが、全く知らない俳優たちばかりである。
イルファーンが演じる戦士をはじめ、映画中に全く名前が出て来ないキャラが何人かいる。下のあらすじでは、名無しのキャラクターは便宜的に俳優名で呼ぶことにする。
イルファーン・カーンは残酷な領主に仕える戦士の長だった。町外れの一軒家に一人息子のカティーバ(プル・チッバル)と共に住んでいた。カティーバはショール売りの少女スニーター・シャルマーと出会い、義理の兄妹の絆を結ぶ。カティーバはスニーターに、身に付けていた護符を渡す。 イルファーンは領主の命令に従い、年貢を納められなかったタラン村の村長の首をはね、タラン村を襲撃する。そのときイルファーンはスニーターと出会うが、彼女が息子の護符を身に付けていたのを見て彼女とその母親を逃がす。イルファーンは殺戮の毎日に嫌気が差し、戦士職を辞してヒマーラヤ山脈にある故郷クッルーに息子と共に帰ることを決意する。だが、領主は彼の勝手な引退を許さなかった。イルファーンの部下だったシェーク・アンヌッディーンによってカティーバは連れ去られ、殺される。 息子を目の前で殺されてショックを受けたイルファーンはしばらく身動きが取れなくなるが、親切な鍛冶屋によって町の外まで連れて行かれる。意識を取り戻したイルファーンはクッルーに向けて歩き出す。途中、泥棒の少年リヤーズ(ヌール・マニ)と出会い、道連れになる。リヤーズは、戦士に村を焼き払われ両親を殺されていた。イルファーンに同行する内にリヤーズは、彼は元戦士なのではないかと疑い出す。 イルファーンとリヤーズは盲目の老婆と出会う。彼女はヒマーラヤ山脈にある聖なる泉を目指していた。ちょうど牛車がやって来たので、三人は牛車に乗ってヒマーラヤ山脈を目指した。 ところがシェークはクッルーまでイルファーンを追って来ていた。既に戦士を引退したイルファーンは剣を抜こうとしないが、リヤーズが殺されそうになったためにシェークを殺す。リヤーズは途中にあった食堂で働くことにし、イルファーンは一人で雪山を上る。途中で力尽きるが、スニーターに助けられる。老婆は聖なる泉で祈りを捧げる。
アースィフ・カパーリヤー監督は、後に「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」(2010年)、「AMY エイミー」(2015年)、「Diego Maradona」(2019年)のドキュメンタリー映画三部作で知られることになる監督である。だが、この「The Warrior」はフィクション映画である。そればかりか、いつの時代の話なのかもはっきりしない。近現代ではなさそうで、大雑把に中世とすればいいのだろうが、時代考証にはほとんど労力が割かれておらず、どちらかといえばインドとは別のファンタジー世界のようにも映る。一応、クッルーというヒマーチャル・プラデーシュ州に実在する地名が出て来るため、インドが舞台であることは分かる。撮影はラージャスターン州とヒマーチャル・プラデーシュ州で行われたようだ。
「戦士」という題名ではあるが、主人公は戦士という職業を辞して故郷に戻ろうとする。その理由は、残忍な領主に従って多くの人を殺めていることに疑問を感じたからだった。しかしながら、その選択は領主を激怒させ、一人息子の命が犠牲になってしまう。主人公は追っ手から逃れながら故郷クッルーを目指す。
台詞は最小限で、映像によって多くが語られる。主人公の道連れとして途中から泥棒少年と盲目の老婆が加わる。主人公は少年の両親を殺した可能性があった。また、老婆にしても、彼女が盲目になった理由や、夫を連れていない理由にも主人公が関わっていそうだ。この二人は主人公にとって業(カルマ)の象徴なのかもしれない。そして彼らは親切な牛車乗りにラージャスターン地方からヒマーラヤ地方まで連れて行ってもらう。インドの地理が分かっている人にはにわかに信じられない行程であるが、その辺りを突っ込むのは野暮であろう。
戦士が人生の最期にヒマーラヤ山脈を目指すという筋書きは「マハーバーラタ」の最後を思わせるものだ。追っ手に追いつかれ勝負を挑まれるものの、主人公は剣を抜かない。だが、隠れていた少年が追っ手の足首に斬りかかり、少年を救うために主人公は彼の喉をかっ切る。武器を捨てた主人公は結局武器を取ることになるが、今度は残忍な領主の命令ではなく、少年の命を助けるために殺人であった。しかも、追っ手の喉を切ったナイフは主人公の家に先祖代々伝わっているものであり、かつて息子に譲ったものだった。
主人公は、息子が義理の兄妹の関係を結んだ少女と再会する。そこで映画は終わってしまうため、その後の主人公がどうなったかについては想像するしかないが、明るさは感じた。少年は食堂で職を得たし、盲目の老婆は念願だった聖なる泉に辿り着く。
イルファーン・カーンが世間から注目を集め始めたのは「Maqbool」(2004年)あたりからだったと記憶しているが、それより数年前に撮影されたこの「The Warrior」でも既に強力な眼光を放つインパクトに残る演技をしていた。
「The Warrior」は、ヒンディー語で撮られた英国映画という変則的な作品で、内容にもそれほど深みがあるわけではないが、まだそれほど名を知られていなかった頃のイルファーン・カーンが主演を張っている様子を観ることができるのが大きな見所だ。彼のファンにとってはお宝映像である。