テルグ語映画「Baahubali」シリーズ(2015年/2017年)の大ヒットを受け、切磋琢磨するタミル語映画界も、負けじと巨匠マニ・ラトナム監督とオールスターキャストによる壮大なスケールの叙事詩的映画を送り出してきた。「Ponniyin Selvan」シリーズである。タミル人に人気の同名連載歴史小説(1950-54年)を原作にしており、「Baahubali」と同じ二部構成で作られた。第1部「Ponniyin Selvan: Part 1」(2022年)は2022年9月30日にインドの主要言語で公開され同年最大のヒットを記録した。その第2部「Ponniyin Selvan: Part 2 (PS-2)」はその7ヶ月後の2023年4月28日に満を持して公開された。
「Ponniyin Selvan」シリーズは、9-13世紀に現在のタミル・ナードゥ州を中心に栄えたチョーラ朝の物語である。題名にもなっている「ポンニイン・セルヴァン」とは、タンジャーヴールに世界遺産ブリハディーシュヴァラ寺院を建立した偉大な支配者ラージャラージャ1世のことだ。「カーヴェーリー河の息子」という意味だが、これはラージャラージャ1世が子供の頃にカーヴェーリー河に落ちたが助かったという逸話に由来している。映画の中ではアルンモリ・ヴァルマンと呼ばれる。
ただし、「Ponniyin Selvan」シリーズは彼一人が主人公の物語ではなく、しかも彼が王に即位してからの華々しい英雄譚でもない。時代は、アルンモリの父親スンダラ・チョーラ王の治世であり、このとき彼は王子だった。そして、アルンモリ以外にも主役級のキャラが複数登場する。エピック映画にありがちだが、登場人物の数が多く、相互の人間関係が複雑なため、その世界観に入り込むには時間が掛かる。ただ、タミル人にはよく知られた大衆小説が原作なので、タミル人観客にはそういう困難は少ないはずだ。
また、この時代のタミル地方ではいくつもの勢力が覇権争いをしており、それぞれについて多少の前知識も要求される。主要な登場人物はチョーラ朝の王族や家来である。チョーラ朝は現在のタミル・ナードゥ州中部、カーヴェーリー河デルタ地帯に興った王朝で、タンジャーヴールを首都にしていた。スンダラ・チョーラ王の時代、チョーラ朝の版図はスリランカの一部にも及んでいた。そして「Ponniyin Selvan」シリーズで敵役になっているのはパーンディヤ朝の残党たちだ。パーンディヤ朝は現在のタミル・ナードゥ州南部マドゥライを拠点に栄えた王朝である。チョーラ朝のアーディタ・カリカーラン王子は966年、チェヴールの戦いにてパーンディヤ朝を破り、ヴィーラパーンディヤン王を殺害している。これは歴史的事実だ。これによりパーンディヤ朝は衰退したが、王族の血統は途絶えておらず、残党たちはチョーラ朝への復讐の機会をうかがっているという設定になっていた。
基本的には「Ponniyin Selvan」シリーズはチョーラ朝とパーンディヤ朝残党の争いということになるが、他にもいくつかの勢力が関与してくる。ラーシュトラクータ朝は、パーンディヤ朝を破ったアーディタ王子が次に戦っていた相手である。現在のカルナータカ州北部マルケーダを中心に栄えた王朝で、世界遺産にも登録されているマハーラーシュトラ州エローラのカイラーサナータ寺院を建立したことで有名だ。スリランカのアヌラーダプラ王国もインド本土の勢力争いに参画しており、度々映画にも登場する。また、このときまでにパッラヴァ朝は滅びていたが、その王族の血を引く人物も登場し、パッラヴァ朝再興を目指していた。パッラヴァ朝のかつての首都はカーンチープラムである。
「Ponniyin Selvan」シリーズは元々一本完結の映画として構想されていたといわれているだけあって、「Ponniyin Selvan: Part 2」は完全に第1部の続きである。よって、監督、音楽監督、キャストも連続している。すなわち、マニ・ラトナムが監督し、ARレヘマーンが作曲をし、ヴィクラム、カールティ、トリシャーといったタミル語映画界のスターたちが総出演している。第1部で非常に重要な役を演じたアイシュワリヤー・ラーイも引き続き出演し、ますます存在感を増している。
第1部のときは、まずタミル語版を英語字幕付きで観てチンプンカンプンで、後にヒンディー語版を観てかなり理解が深まった。そのときの経験を活かし、第2部は最初からヒンディー語版を観ることにした。2023年5月24日にSpace Boxがイオンシネマ市川妙典で主催した自主上映会にてヒンディー語版を鑑賞することができた。タミル語版とヒンディー語版では登場人物の名前に若干の違いがあるが、下記のあらすじではタミル語版に合わせた。ちなみにタミル語版ではカマル・ハーサンがナレーションを務めているが、ヒンディー語版のナレーターはアジャイ・デーヴガンである。
スリランカ沖でアルンモリ王子(ジャヤム・ラヴィ)の乗った船は嵐に遭って沈没した。アルンモリ王子の命を狙うラヴィダーサン(キショール)らパーンディヤ朝の刺客たちはアルンモリ王子の死を確認するため、彼の遺体を必死に捜索する。一方、ヴァッラヴァライヤン・ヴァンディヤデーヴァン(カールティ)は重病のアルンモリ王子を連れてインドの水郷地帯を小舟で彷徨っていた。途中、彼はナンビ(ジャヤラーム)たちと再会する。ヴァンディヤデーヴァンは彼にアルンモリ王子を託し、追って来たパーンディヤ朝の刺客に立ち向かうが、捕まってしまう。ラヴィダーサンたちを裏で操るナンディニー(アイシュワリヤー・ラーイ)はヴァンディヤデーヴァンにアルンモリ王子の居場所を問いただすが、彼は口を割らなかった。殺されそうになった彼は、スリランカで彼女にそっくりの老婆を見たと伝える。それはナンディニーの母親である可能性があった。孤児として育ったナンディニーはその知らせを聞いて動揺し、彼を解放する。
アルンモリ王子はナーガパッティナムの仏教寺院で治療を受けていた。アルンモリ王子が無事だと知らされたクンダヴァイ姫(トリシャー)とアーディタ・カリカーラン王子(ヴィクラム)はナーガパッティナムに極秘裏に赴き、彼の無事を確認して再会を喜ぶ。だが、パーンディヤ朝の亡きヴィーラパーンディヤン王(ナーサル)の仇討ちに燃えていたナンディニーは、チョーラ朝を滅ぼすため、スンダラ・チョーラ王(プラカーシュ・ラージ)、アーディタ王子、アルンモリ王子の三人を満月の日に同時に殺害する計画を立てていた。ナーガパッティナムにはアルンモリ王子を暗殺するためにパーンディヤ朝の刺客たちが潜入するが、ヴァンディヤデーヴァン、ナンビ、そしてアルンモリ王子自身の活躍により撃退する。
クンダヴァイ姫は、ナンディニーそっくりの老婆がいた話を聞き、王都タンジャーヴールに戻って父親スンダラ・チョーラ王を問いただす。スンダラ・チョーラ王は、かつてパーンディヤ朝に追われてスリランカに逃れたとき、現地で出会ったマンダーキニー(アイシュワリヤー・ラーイ)という女性との短い恋の話を明かす。その話を聞いたクンダヴァイ姫は、ナンディニーは自分の異母姉だと考えるが、母親センビヤン・マハーデーヴィー王女(ジャヤチトラ)はそれを否定する。
回復したアルンモリ王子はタンジャーヴールに戻る。だが、スンダラ・チョーラ王の命を狙うパーンディヤ朝の刺客たちもタンジャーヴールに潜入していた。さらに、刺客の後を追ってマンダーキニーもタンジャーヴール入りしていた。刺客が隙を見てスンダラ・チョーラ王に矢を射かけるが、その矢を受けたのはマンダーキニーだった。彼女はスンダラ・チョーラ王の腕の中で息を引き取る。
アーディタ王子はナンディニーにカダンブールに呼び出されていた。アーディタ王子は罠だと知っていたが敢えてカダンブールに乗り込む。そして、叔父のマドゥラーンタカン(レヘマーン)を担ぎ上げようとしていたペリヤ・パルヴェータライヤル大臣たちを叱責する。ナンディニーはアーディタ王子と対峙し、彼を殺そうとするが、殺せない。だが、アーディタ王子はヴィーラパーンディヤン王殺害の禊ぎをするため、自ら彼女にナイフを渡し、自分の心臓を刺させる。それを見守っていたパーンディヤ朝の刺客たちは、泣き叫ぶナンディニーを連れ出して逃げる。その場にいたヴァンディヤデーヴァンはアーディタ王子殺害の濡れ衣を着せられる。だが、彼は、クンダヴァイ姫から厳命されていたアーディタ王子護衛を果たせなかったことを悔い、死刑を覚悟する。
パーンディヤ朝の刺客たちと逃亡したナンディニーは、自分はヴィーラパーンディヤン王とマンダーキニーの娘であることを知らされる。しかも、ヴィーラパーンディヤン王は、スンダラ・チョーラ王と恋に落ちたマンダーキニーを誘拐し、無理矢理彼女に子供を生ませていたことまで分かる。ナンディニーはアーディタ王子を殺したことを深く後悔し、河に身を投げて死ぬ。
一方、アーディタ王子の親友パルティベンドラン・パッラヴァン(ヴィクラム・プラブ)は彼が死んだことでチョーラ朝から離れ、ラーシュトラクータ朝と組む。だが、それより前にラーシュトラクータ朝と組んでいたマドゥラーンタカンは離反し、チョーラ朝側に戻ってくる。ラーシュトラクータ朝はチョーラ朝に戦争を仕掛け、アルンモリ王子がヴァンディヤデーヴァンとマドゥラーンタカンに支えられ迎え撃つ。戦争はチョーラ朝軍の勝利に終わる。スンダラ・チョーラ王はアルンモリ王子に王位を譲ろうとするが、アルンモリ王子はそれを断り、叔父のマドゥラーンタカンを次期の王に推挙する。
アルンモリ王子とヴァンディヤデーヴァンはマドゥラーンタカン王の治世に領土を四方八方に拡大する。マドゥラーンタカン王の死後はアルンモリ王子が即位し、チョーラ朝の全盛期を作り出す。後に彼はラージャラージャ1世と呼ばれた。
チョーラ朝の勃興という歴史的事実に、想像力を駆使して人間くさいドラマを加え、立体的な歴史フィクション映画が作り出された。もちろん、プロットは原作をかなり忠実になぞっているはずで、原作者カルキ・クリシュナムールティの創造性が光っている。だが、このような複雑なストーリーの映画化には多大な困難が伴ったはずであり、それを成し遂げたマニ・ラトナム監督の手腕はいくら賞賛されてもされすぎることはない。何度も見返したくなるような、非常に深みのある、重厚な人間ドラマであった。きっと、マニ・ラトナムの監督人生の集大成だったはずだ。
全編を通して鑑賞した上で、間違いなく最重要人物だといえるのは、アイシュワリヤー・ラーイが演じたナンディニーであった。彼女の複雑な出自と、それまでに歩んできた波瀾万丈の人生が、結果としてチョーラ朝の運命を左右する一連の事件を引き起こしていた。ナンディニーは運命に翻弄されながらもされっぱなしではなく、特に行き場を失った自分を庇護してくれたヴィーラパーンディヤン王がアーディタ王子に殺されてからは、彼への復讐心を原動力に、持ち前の美貌と政治力を駆使して能動的に動き出す。チョーラ朝にたちこめる暗雲の影には必ず彼女がいた。だが、彼女の心は決してアーディタ王子への憎悪に完全に染まっていたわけでもなかった。かつて何もなかった彼女を無条件に愛してくれたアーディタ王子への愛情が残っていたばかりか、彼女の憎悪の根底にあったのもやはり愛情そのものだった。アーディタ王子にとっても、ナンディニーへの屈折した愛情が彼を戦争にかき立て、自分を殺そうとする彼女の策謀にわざと乗り、そして彼女の手によって殺されるという最期を選ぶ。彼の死から間もなく、ナンディニーは自分の出生の真実を知り、本当に自分を愛してくれたのはアーディタ王子だけだったことを知る。そして入水自殺を遂げる。「Ponniyin Selvan」シリーズのエンディングまでにナンディニーもアーディタ王子も死んでしまうが、彼らの関係こそが全ての原因であり、特にナンディニーが最重要人物であった。
インド神話には、父親が犯した過ちを息子が償うという一定のパターンが存在する。例えば、「マハーバーラタ」のビーシュマは、父親シャーンタヌの利己的な再婚を実現するために自らが一生禁欲を貫くことになった。よく見ると「Ponniyin Selvan」シリーズにもそのパターンが適用されている。チョーラ・スンダラ王はまだ王子の頃にスリランカでマンダーキニーと出会って恋に落ち、必ず戻ってくると約束しながら戻らなかった。息子のアーディタ王子が将来の妃としてナンディニーを連れてきたとき、スンダラ・チョーラ王は彼女の顔がマンダーキニーにそっくりであるのを見て、二人の結婚を拒絶する。ナンディニーはチョーラ朝から追放され、パーンディヤ朝のヴィーラパーンディヤン王に庇護されることになる。ナンディニーを失ったアーディタ王子は正気を失い、戦争に明け暮れることになる。そしてパーンディヤ朝を追いつめ、ナンディニーの目の前で腹いせにヴィーラパーンディヤン王を惨殺する。これがナンディニーによる復讐劇の出発点になり、アーディタ王子の命はおろか、チョーラ朝全体が危機に陥るのである。
特にアーディタ王子とナンディニーの関係性は非常に緻密に描かれ、物語の主軸ですらあった。しかしながら、全てのキャラや人間関係が等しい緻密さで描写されていたわけではない。もちろん、そんなことをしたらとても全二部の構成では終わらなくなってしまうので、濃淡を付けるのは当然のことだ。ただ、省略しすぎに感じた部分もあった。
例えば、スリランカの森林に住んでいたマンダーキニーがいつの間にかインドに上陸し、タンジャーヴールまで来ていたが、彼女の行動がよく分からなかった。スンダラ・チョーラ王に会い来たということだろうが、なぜ今まで会いに来なかったのか。アルンモリ王子を何度も助ける理由は何なのか。映画の中では曖昧になっていた。
また、ラーシュトラクータ朝と手を結び、サードゥの軍勢を味方に付けたマドゥラーンタカンがあっさりチョーラ朝に戻ってくるのも拍子抜けだった。神話を読んでいると、登場人物の謎の行動というのがよく見られるが、正にそんな感じの唐突性が「Ponniyin Selvan」シリーズにはあった。歴史フィクション映画と同時に神話映画の要素も持っているという説明も可能かもしれないが、どちらかといえば時間不足で雑に扱わざるをえなかったというのが真実であるように感じた。
これは突っ込みの部類になるのかもしれないが、ナンディニーは、スンダラ・チョーラ王、アーディタ王子、アルンモリ王子の三人を同時に殺害する計画を立てていた。だが、映画を観る限り、彼らの同時暗殺は実現していなかったし、それを狙った痕跡も感じられなかった。一体どこで彼女の計画が変更されたのだろうか。
恋愛要素もかなり希薄だ。アーディタ王子とナンディニーはさておき、この映画には他にも複数のカップルが存在する。ヴァンディヤデーヴァンとクンダヴァイ姫、アルンモリ王子とヴァーナティなどである。しかしながら、暗示的な描写がほとんどで、それらが育まれる様子にはほとんど時間が割かれておらず、消化不良に陥っていた。
役回りの軽重は俳優の出番の多寡に直結する。ナンディニーを演じたアイシュワリヤー・ラーイは、この映画の真の主人公と呼べるほどの活躍で、彼女のどの過去作よりも優れた演技を見せていた。実はアイシュワリヤーのデビュー作「Iruvar」(1997年)はマニ・ラトナムが監督しているし、その後も「Guru」(2007年)や「Raavan」(2010年)で彼はアイシュワリヤーを起用し続けている。アイシュワリヤーの魅力の引き出し方をもっともよく知った映画監督であり、この「Ponniyin Selvan」シリーズによって、彼女の女優としての潜在力を完全に開花させたといっても過言ではない。
ナンディニーの宿敵であり、恋愛相手でもあるアーディタ王子を演じたヴィクラムも、タミル語映画界を代表するスターとして、素晴らしい演技を披露していた。そして、「ラーマーヤナ」に登場するハヌマーンのように、インドやスリランカを飛び回って様々な事件の目撃者となるヴァンディヤデーヴァン役を演じたカールティも好演していた。他には、クンダヴァイ姫を演じたトリシャー、スンダラ・チョーラ王を演じたプラカーシュ・ラージ、アルンモリ王子を演じたジャヤム・ラヴィなどの貢献が特筆すべきだ。
映画の舞台は10世紀の南インドだが、まだ仏教が一定の勢力を保っていたことは興味深かった。インドで生まれた仏教は、その頃には既に衰退期に入っていた。スリランカは現在でも仏教国であり、当地で仏教が信仰されているのは頷けるのだが、「Ponniyin Selvan: Part 2」ではナーガパッティナムの仏教僧院が重要な事件の舞台として登場する。チョーラ朝時代、ナーガパッティナムは実際に南インドの一大仏教拠点だったようだ。ナーガパッティナムはスリランカからの来訪者の玄関口となる港町であり、その関係で仏教関係の施設が集中したと考えられている。映画にも登場するチュダーマニ僧院はナーガパッティナムに実在する。ただし、建立は1006年であり、「Ponniyin Selvan」シリーズの時代とは若干ずれている。
第1部でもマディヤ・プラデーシュ州各所でのロケ地を特定することができたが、引き続き第2部でもマヘーシュワルやグワーリヤルなどでの撮影が確認できた。また、オールチャーで撮影されたシーンも印象的だった。
全二部構成の「Ponniyin Selvan」シリーズの後半を担う「Ponniyin Selvan: Part 2」は、第1部を上回るスケールでの人間ドラマが繰り広げられ、オールスターキャストの俳優たちが熱演を繰り広げる。「Baahubali」シリーズや「RRR」(2022年/邦題:RRR)とはまた違った楽しさや深みのある映画で、マニ・ラトナム監督には「さすが」の言葉しか出ない。そして、長年ヒンディー語映画界を支えてきたアイシュワリヤー・ラーイの女優としての極みが見られるのもファンとしては嬉しい点だ。タミル語映画界の総力を結集して作られたこの歴史フィクション映画は、敷居は決して低くないものの、何度も見返して理解を深めるだけの価値がある傑作である。