Amazon Primeのウェブドラマ「Jubilee」シーズン1は、1940年代から50年代のヒンディー語映画界を舞台にした物語であり、日本のAmazonでも日本語字幕付き、もしくは日本語吹替で視聴できる。邦題は「ジュビリー ~ボリウッドの光と影~」である。シーズン1は全10話で、2023年4月7日と14日に配信された。
監督は「Udaan」(2010年)や「Trapped」(2017年)などのヴィクラマーディティヤ・モートワーニー。彼は監督としてよりもプロデューサーとしての方がよく知られており、彼の製作した「Queen」(2014年/邦題:クイーン 旅立つ私のハネムーン)は日本でも公開されたし、「Masaan」(2015年)、「Udta Punjab」(2016年)、「Mukkabaaz」(2018年)、「Manmarziyaan」(2018年)などの有名作もプロデュースしている。
ウェブドラマとはいえ、出演しているのは映画界でも活躍している俳優たちが多い。プロセーンジト・チャタルジー、アパールシャクティ・クラーナー、アディティ・ラーオ・ハイダリー、スィッダーント・グプター、ナンディーシュ・サンドゥー、ワーミカー・ガッビー、ラーム・カプール、シュエーター・バス・プラサード、スクマニー・ラーンバーなどである。また、音楽監督を務めるアミト・トリヴェーディー本人が特別出演している。
「Jubilee」シーズン1の全10話は以下のように題名が付けられている。
- Aag(火)
- Sunghursh(辛苦)
- Dosti(友情)
- Barsaat Ki Raat(雨季の夜)
- Baazi(賭け)
- Taxi Driver(タクシー運転手)
- Rajmahal(王宮)
- Kismet(運命)
- Bewafa(裏切り)
- Jubilee(祝典)
これらの大半は過去のヒンディー語映画の題名から付けられている。ただし、必ずしも映画が舞台としている1940年代から50年代に作られた映画ではない。
一応はフィクションという体裁を取っているものの、当時のヒンディー語映画界に詳しい人が観ると、モデルにしている人物や出来事が何となく分かる仕組みになっている。ここではその解説を中心にこのウェブドラマも紐解いていこうと思う。
まずは簡単にシーズン1のあらすじを紹介する。
1947年、印パ分離独立前。インド各地では暴動が起こっていた。ボンベイの大手映画スタジオ、ロイ・スタジオのオーナー、シュリーカーント・ロイ(プロセーンジト・チャタルジー)は、「マダン・クマール」という新しいスターをローンチしようとしていた。その最有力候補は、ラクナウー在住の演劇俳優ジャムシェード・カーン(ナンディーシュ・サンドゥー)であった。ロイは、妻であり、女優であり、そしてロイ・スタジオの共同経営者でもあるスミトラー・クマーリー(アディティ・ラーオ・ハイダリー)をラクナウーに送る。ところが、スミトラーはジャムシェードと情事を繰り広げるようになり、帰って来なくなる。そこでロイは、忠実な部下ビノード・ダース(アパールシャクティ・クラーナー)をラクナウーに送る。ジャムシェードは、ボンベイのロイ・スタジオではなく、カラーチーのカンナー劇団で働こうとしていた。ジャムシェードはスミトラーを連れてカラーチーへ逃げようとする。カンナー劇団の若大将ジャイ・カンナー(スィッダーント・グプター)もジャムシェードを迎えにラクナウーまで来ていた。ビノードは身分を偽ってジャムシェードに近づき、彼を自動車に乗せて駅まで送るが、途中で二人の間で喧嘩になって自動車が横転する。ビノードは助けを求めるジャムシェードを殴るが、そこへ暴徒が押し寄せたため逃げ出す。ジャムシェードは暴徒によって連れ去られた。それをビノードは、たまたま居合わせたジャイと共に為す術もなく見ていた。 ビノードはボンベイに戻るが、彼には俳優になる夢があった。ロイはビノードに俳優としての才能を見出し、彼を「マダン・クマール」にすることを決める。ビノードは「マダン・クマール」として「Sunghursh」でデビューし、瞬く間にスターになる。一方、ボンベイにはカラーチーからジャイも家族と共に逃げて来ていた。彼はビノードと再会し、ロイ・スタジオで下働きをし出す。一方、スミトラーはジャムシェードの行方を捜し続けていた。彼女はビノードがジャムシェードを殺したと信じており、彼を追い落とそうとするが、ロイはビジネス優先で彼女の言うことを聞かなかった。スミトラーは機会をうかがい続ける。また、ジャイはボンベイでニローファル(ワーミカー・ガッビー)と再会する。ニローファルは元々ラクナウーの娼館で生まれ育った娼婦で、ジャムシェードの愛人だったが、ジャイとも会っていた。ニローファルはボンベイで映画プロデューサーのシャムシェール・ワーリヤー(ラーム・カプール)の愛人になっており、女優を目指していた。ニローファルはジャイにワーリヤーを紹介する。ジャイは一方で、難民キャンプでキラン(スクマニー・ラーンバー)という女性と出会い好意を寄せられていた。 ジャイはワーリヤーやキランの父親プラタープの助けを得て難民キャンプにカンナー・スタジオを立ち上げる。ジャイはビノードとニローファルを主演にして最初の作品「Taxi Driver」を作ろうとするが、ビノードはワーリヤーを嫌っており、映画から降りる。そこでジャイは自分で監督と主演を務めることにする。映画は1年以上かけて何とか完成する。だが、そのときにはマダン・クマールことビノードの人気は不動のものになっていた。元々マダン・クマールのファンだったニローファルは彼に接近し、彼の愛人になる。ビノードは既婚であったが、ニローファルと情事を繰り広げ、しかも彼女を次作「Rajmahal」のヒロインに抜擢する。しかし、このスキャンダルが世間に広まると、ロイは「Rajmahal」のストーリーを変えてしまう。おかげでこの映画はフロップになる。一方、ジャイが監督・主演し、スミトラーをヒロインに起用した第2作「Baiju Awara」は大ヒットし、ジャイはスターになる。 ニローファルはビノードから捨てられ孤独を感じていた。今でもニローファルを愛していたジャイは彼女に接近し、ニローファルもジャイと結婚を考えるようになる。ジャイはキランと婚約していたが、彼女を愛しておらず、ニローファルと駆け落ちしようとする。だが、父親に説得され、結局ニローファルを捨ててキランと結婚した。ビノードはマダンからの独立を考えるようになり、彼を罠にはめて破滅させる。所得税局の急襲を受けたロイは前途に絶望し自殺する。自殺する際に彼はスミトラーに、ビノードがジャムシェードを殺した証拠となる写真を託していた。スミトラーはビノードをジャムシェード殺人の容疑で追い込み、裁判が行われるが、証人台に立ったジャイがビノードを救う。ロイを失い、貯金も使い果たしたスミトラーは自殺する。また、ビノードの弟ナレーンは道端で歌を歌って乞食を始めた。
10時間に及ぶドラマの中で複数の登場人物が複雑な人間関係を構築していく。その中には完全にフィクションではないものも含まれており、ヒンディー語映画ファンとしては是非解読したくなる。
最序盤のメインとなるのがロイ・スタジオのオーナーであるシュリーカーント・ロイ、ロイの妻であるスミトラー・クマーリー、そしてロイ・スタジオが探し当てた新星ジャムシェード・カーンの三角関係である。この3人はずばり、ヒマーンシュ・ラーイ、デーヴィカー・ラーニー、そしてナジムル・ハサンに該当する。
ロイ・スタジオは、ヒマーンシュがボンベイ近郊マラドに創設したボンベイ・トーキーズのことに他ならない。ヒマーンシュは独立前のインドにおける最大の映画メーカーの一人だ。その妻デーヴィカーもインド映画最初期の大女優として知られている。そしてデーヴィカーは夫のプロデュースした映画の主演男優ナジムルと不倫をした末に逃亡し、世間を騒がせる大スキャンダルを巻き起こした。これはインド映画史における最初のスキャンダルとも呼ばれている。ヒマーンシュは何とか妻を呼び戻したものの、ナジムルを続投させることはできず、自身のスタジオで技術者として働いていた見栄えのしない男性を代わりの主演に抜擢し、「Jeevan Naina」(1936年)を作った。この映画は意外にも大ヒットし、この映画でデビューしたその新人はたちまち大スターになった。彼の名前はアショーク・クマールである。
「Jubilee」でアパールシャクティ・クラーナーが演じたマダン・クマールことビノード・ダースは、間違いなくアショーク・クマールをモデルにしている。細かい部分は異なるが、主演俳優の不倫によってチャンスが舞い込みデビューし、スターになった点は事実を忠実になぞっている。ただし、時代は異なっている。アショーク・クマールのデビューは1936年だが、ビノード・ダースのデビューと台頭は1947年以降の設定だ。
ロイ、スミトラー、ジャムシェード、そしてビノードにモデルがいるとすると、気になってくるのは残りの主要登場人物であるジャイ・カンナーとニローファルのモデルである。ただ、上記の4人ほどはモデルがはっきりとしない。
ジャイは印パ分離独立時の混乱の中、カラーチーからボンベイに難民として逃れてきたことになっていた。そして苦労した挙げ句、自分のスタジオを立ち上げて映画を作り上げる。彼の監督・主演第1作の題名は「Taxi Driver」であった。この題名の映画はデーヴ・アーナンド主演で1951年に公開されている。しかし、デーヴ・アーナンドの生い立ちとジャイはあまり合致しない。むしろ、「ショーマン」と呼ばれた偉大な監督・俳優ラージ・カプールに近いものがある。ジャイには演劇人の父親がいたが、ラージの父親プリトヴィーラージ・カプールも役者だった。ジャイはカンナー・スタジオを立ち上げるが、ラージもRKスタジオを立ち上げた。ジャイの第2作は「Baiju Awara」という題名だったが、これはラージの監督・主演作「Awaara」(1951年)を十分に想起させるものだ。
ジャイが一目惚れし、以来ずっと愛し続けた女性がニローファルであった。ニローファルはラクナウーの娼館で生まれ育ち、タワーイフ(芸妓)をしていた。印パ分離独立の混乱の中、ボンベイに出て来て女優を目指すのだが、彼女は上昇志向の強い女性で、成功のためならどんな男性と寝ることもできた。「Jubilee」の中でもっとも強烈なキャラだが、シーズン1では結局幸せを掴むことはできなかった。ジャイのモデルがラージ・カプールだとしたら、ラージとのただならぬ関係が公然の秘密になっていた女優ナルギスがニローファルのモデルの最有力候補として浮上する。ナルギスの代表作といえば何といっても「Mother India」(1957年)である。
さらに、シーズン1では脇役だったが、ビノードの弟ナレーンも気になるキャラだ。ビノードは彼を俳優にしようとしたが、ナレーンは歌が得意で、歌手を志望していた。ビノードがアショーク・クマールだとすれば、アショーク・クマールの弟はヒンディー語映画界を代表するプレイバックシンガーであるキショール・クマールだ。もしシーズン2が作られるとしたら、おそらくナレーンが主人公になってくるのではないかと思われる。
このようにモデルになる人物が特定できる一方で、実在の人物が実名で台詞の中に出て来ることもあった。例えば「Jubilee」シーズン1の時代には、Kアースィフ監督が「Mughal-e-Azam」(1960年/2014年)を撮影中だった。この伝説的な大ヒット映画は1944年から印パ分離独立を挟んで15年以上に渡って作られ続けており、当時の業界内では「泥船」と表現されていた。「Mughal-e-Azam」の主演であるディリープ・クマールの名前も台詞の中に登場したので、少なくとも「Jubilee」には今後ディリープをモデルにしたキャラは登場しないことになるだろう。
人物のみならず、ストーリーに組み込まれた事件についても実際の出来事を容易に特定できるものがある。たとえば、政府によってヒンディー語映画音楽のラジオ放送が禁止されるという下りがあった。これは実際にあったことだ。1952年から62年に情報放送大臣を務めたBVケースカルは映画音楽を低俗とみなし、ラジオでの放送を禁止した。だが、ちょうど同じ時期にスリランカのラジオ・セイロンが「ビナカ・ギートマーラー」という番組を放送し、ヒンディー語の映画音楽を積極的に流した。これがインドでも受信できたため、インド人の間で人気になったのである。実はこの時代にヒンディー語映画音楽の人気を支えたのはスリランカのラジオ番組だったのである。
米国とソビエト連邦が冷戦の一環でヒンディー語映画界でも綱引きをしていたという部分は「Jubilee」の中でもっとも興味を引かれた描写だった。確かにラージ・カプールの映画はソ連や中国などの東側諸国で人気になった。それはたまたまラージが作る映画の主題が共産主義国や社会主義国の理念と合致したからだと考えていたが、このウェブドラマが指摘するように、その裏に国際政治の力学があったのだろうか。もしかしたらフィクションなのかもしれないが、新しい視点を与えてくれたウェブドラマだった。
インドにおける映画作りの中で独特なプロセスのひとつである「ナレーション」が「Jubilee」では随所で観察されたのも特筆すべきだ。インドでは映画を作り始める際、ストーリーの発案者がプロデューサー、監督、想定している主演男優などに対して口頭であらすじを聞かせるという過程があり、非常に重要視されている。これをインドの映画用語で「ナレーション」と呼ぶ。ビノードと新人監督アスガルがマスーリーで共に休養しているときに作り上げた「Rajmahal」のストーリーを、電話でボンベイにいるロイに聞かせるシーンは、ナレーションの典型例だったし、ジャイがビノードに「Taxi Driver」のナレーションをするシーンもあった。
俳優の中ではアディティ・ラーオ・ハイダリーの気高くもはかない美しさが際立っていた。映画ではセカンドヒロインとして起用されることの多いアディティだが、「Jubilee」シーズン1の華は間違いなく彼女である。大富豪の夫を持ちながら、将来性のある若手男優ジャムシェードとなりふり構わず不倫をするスミトラーを熱演していた。
スミトラーと同じくらい強烈な女性キャラ、ニローファルを演じたのがワーミカー・ガッビーだ。「83」(2021年)に出演していた女優で、今後伸びていきそうな予感がする。ただ、アディティほどスラリとした美貌のある女優ではなく、必ずしも元芸妓ニローファル役として適役ではなかったと感じる。
ロイを演じたプロセーンジト・チャタルジーはベテラン俳優であり、貫禄ある演技だった。重厚感を出すため、シーズン1に彼のようなベテラン俳優は少なくとも1人必要だった。彼に対峙したのが2人の若手男優、アパールシャクティ・クラーナーとスィッダーント・グプターだ。アパールシャクティはアーユシュマーン・クラーナーの弟で、「Stree」(2018年)など、近年よく顔を見るようになった。二枚目半のキャラとしての起用ということで、複雑な配役ではあったが、そのチャンスをよく物にしていた。スィッダーントはさらに新しい俳優で、最近では「Operation Romeo」(2022年)に出演していた。彼の演じたジャイがラージ・カプールだとすると、その孫に当たるランビール・カプールが演じるのがベストであろうが、さすがにそれは予算が許さなかったのだろう。
かなりマニアックな見方になるが、登場人物の出自にも注目してみるといいかもしれない。ビノード・ダースはベンガル人で、ジャイから「バーブー・モシャイ」と呼ばれていた。「バーブー・モシャイ」とはベンガル人男性全般の愛称で、「ミスター」みたいな意味になる。そのジャイはカラーチー在住だったが、出自はパンジャーブ人である。それに対し、難民キャンプでジャイと対立し、後に映画館のオーナーになったラグはスィンド人だ。パンジャーブ人のジャイもスィンド人のラグも、カラーチーから船でボンベイに逃れてきた。シュリーカーントとスミトラーの出自はおそらくベンガル地方であろうし、ニローファルはラクナウー出身のイスラーム教徒で、ワーリヤーはパンジャーブ人スィク教徒実業家だ。ボンベイの映画業界にはインド各地から様々な背景を持った人々が流入していたことが分かる。
「Jubilee」は、過去のヒンディー語映画界に起こった出来事をうまく換骨奪胎しながら、登場人物同士の愛憎入り交じるドラマに仕上げた作品である。ウェブドラマではあるが、これまで多くの名作をプロデューサーおよび監督として送り出してきたヴィクラマーディティヤ・モートワーニーの監督作品であり、しかも次世代のヒンディー語映画界を担う若手俳優たちが多数起用されていて、今後の業界を占う材料にもなる。Netflixのドキュメンタリー・シリーズ「The Romantics」(2023年)と並んで、ヒンディー語映画ファンなら必見のドラマである。