数日前から新聞に奇妙な広告が出始めた。ヒンディー語映画の過去のヒット作のポスターのパロディーのような広告なのである。2009年3月6日公開の新作映画「Dhoondte Reh Jaoge」の広告であった。しかも、有名人の偽物みたいな名前の人物の、嘘くさいコメント文まで載っている。ノーマークの映画であったが、売り出し方が一風変わっていたので興味が出て来た。まるっきり向こうの宣伝の思う壺ではあるが、この映画を観に映画館へ足を運んだ。
監督:ウメーシュ・シュクラー
制作:ロニー・スクリューワーラー
音楽:サージド・ワージド
歌詞:ジャリース・シェールワーニー、シャッビール・アーナンド
出演:クナール・ケームー、ソーヌー・スード、ソーハー・アリー・カーン、パレーシュ・ラーワル、ディーパル・シャー、リシター・バット、ジョニー・リーヴァル、ラザーク・カーン、アスラーニー
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
ラージ・チョープラー(パレーシュ・ラーワル)は落ち目の映画プロデューサーで、借金取りに追われる毎日を送っていた。借金を返すため、何とか新作映画を作らなければならなかった。まずは男優アーリヤン・カプール(ソーヌー・スード)に近付くが、彼はガールフレンド(リシター・バット)と破局したばかりで話を聞く余裕もなかった。 アーナンド・パーワル(クナール・ケームー)は保険会社勤務のサラリーマンだった。だが、持ち前の実直さのせいでうまく世渡りできず、クビになってばかりだった。遂に6回目の解雇を経験し、失業してしまった。アーナンドの恋人のネーハー・チャットーパーディヤーヤ(ソーハー・アリー・カーン)は女優になるのが夢で、伯父の劇団に所属していたが、興奮するとベンガリー語が出て来てしまう欠点を持っており、なかなかうまく行っていなかった。アーナンドは個人的にラージに恨みがあり、彼に一泡吹かせてやろうと考えていた。 アーナンドはラージに取って置きの秘策を披露する。21人のスポンサーから5千万ルピーずつ金を集め、合計10億5千万ルピーの資金を作り、5千万ルピーだけを使って映画を作って、残りの10億ルピーを懐に入れてしまうというものだった。わざと失敗作を作り、スポンサーには投資金が無駄になったと思わせればそれでよかった。ラージもその秘策に乗り、二人はタッグを組む。儲けの10億ルピーは50:50にすることで合意していたが、心の中では二人とも全額をかっさらおうと考えていた。 二人はまずプロダクションを新設する。瞬く間にスポンサーが集まり、資金も用意できた。また、アーリヤンが自ら新作の主演に名乗り出てきた。ヒロインは、アーナンドの恋人のネーハーが務めることになった。ストーリーは、狂人パルヴェーズ・アシャッラフ(ジョニー・リーヴァル)が担当することになった。アシャッラフは、ヒンディー語映画の過去のヒット作をごちゃまぜにし、しかも最後にパーキスターンが勝利するというプロットを作った。これ以上失敗作にふさわしいストーリーはなかった。他にも全く才能のない人々を寄せ集め、ラージは映画撮影を開始する。 アーリヤンがネーハーに惚れてしまうなど、いくつかのトラブルがあったものの、映画「Soley Se L'gaan Tak」は完成し、プレミア上映会が行われることになった。だが、失敗作を作ったつもりが、観客は大いに盛り上がり、映画は大ヒット作となってしまった。これではスポンサーに大金を返さなければならなくなる。ラージとアーナンドは金を持って逃げ出そうとするが、スポンサーの1人であったドバイのマフィアに命を狙われることになり、仕方なく自首して刑務所に入る。2人は詐欺罪で1年の実刑を言い渡された。 1年後、刑務所を出た二人は、「Soley Se L'gaan Tak」がまだロングラン・ヒットしているのを知る。また、ちょうどそのときアーリヤンとネーハーの結婚式が行われようとしていた。だが、アーリヤンはネーハーをアーナンドのところへ連れて行き、2人を結婚させる。ラージは再び新作映画を作る意欲を見せた。そこへ登場したアシャッラフは、「Lagaan Se Jodhaa Akbar Tak」という映画のストーリーを提案する。
荒削りなコメディー映画。フロップ映画をわざと作るというプロットは非常に面白かったが、丁寧さに欠け、予算も限られていたため、結果的には中の下程度の出来となっていた。
それでもいくつか記しておくに値する事柄がある。まず、ストーリーの本筋には関係ないが、日本がちょっとだけ出て来ること。最近、偶然ではあろうが、「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)や「Billu」(2009年)など、微妙に日本関係のモチーフがヒンディー語映画に登場し、少しだけ気になっているのだが、この映画でも再びその傾向が見られた。ラージとアーナンドが新設したプロダクションは、日本の「チャルツビシ」なる自動車企業が出資しているということになっていたのである。これはおそらく「三菱」のパロディーであろう。「ヨツビシ」になっていればかなり高度なパロディーと言えたが、ヒンディー語の数詞「チャール(4)」を組み合わせて無理矢理変な企業名を作り出していた。また、ネパール人を日本人に見立てて記者会見をしたり、日本人には日本語でしかインタビューできないということになっていたりと、いろいろ日本に対する偏見も見られた。ジャッキー・チェンが日本人ということになっていたのを見ても、やはり未だに日本と中国がインドでよく区別されていないことの証拠となっていた。ただ、そのように誤解と偏見の入り交じった「日本」であっても、ヒンディー語映画が日本をネタにすることが多くなっているということは、日本に対して関心が全くないことはないということを暗に示しており、もしかしたら今後面白い展開を呼び込めるかもしれない。
もうひとつは、ヒンディー語映画の過去のヒット作のパロディーが組み込まれていたこと。劇中に登場する、パーキスターンのパルヴェーズ・ムシャッラフ元大統領の偽物のような風貌のパルヴェーズ・アシャッラフは、「Sholay」(1975年)、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)、「Gadar: Ek Prem Katha」(2001年)、「Lagaan」(2001年)などのいいとこ取りをしたような映画のプロットを語り、ラージとアーナンドもこれは駄作になるに違いないと、それを採用する。そのプロットを簡潔に説明すれば以下の通りである。以上の映画を知っている人ならどの部分がどの映画のパロディーなのか理解できるだろう。盗賊ラッバルを退治しにタークルに呼ばれてラームガルへやって来たヴィールーは、馬車の御者バサンティーと恋に落ちてしまう。だが、バサンティーはタークルによってパンジャーブへ送られ、別の男と結婚させられそうになる。そこでヴィールーはパンジャーブまでバサンティーを追って行き、菜の花畑で彼女と再会する。だが、ラッバルはバサンティーを誘拐し、パーキスターンへ逃亡する。ヴィールーはバサンティーを救出するためにパーキスターンへ行くが、そこでバサンティーを巡ってインドVSパーキスターンのクリケットの試合が行われることになる。アシャッラフは、クライマックスでパーキスターンを勝たせようとしたが、最終的にはインドが勝つことになった。
パレーシュ・ラーワルは今もっとも面白いコメディアン俳優であるし、ジョニー・リーヴァルは、現在寡作になってはいるものの、一世を風靡した優れたコメディアンで、この二人の共演はそれだけで価値がある。一方、クナール・ケームーやソーヌー・スードは、今のところ二流三流に留まっている俳優たちである。ソーヌー・スードはアミターブ・バッチャンによく似ており、この役にピッタリで、非常に良かった。今回はB級映画出演であったが、ソーヌーにとっては当たりだったと言える。だが、クナール・ケームーはうまくキャラクターにマッチしておらず、成功とは言えなかった。女優ではソーハー・アリー・カーン、ディーパル・シャー、リシター・バットなどが出ていたが、三人ともほとんど見せ場なしであった。特にディーパル・シャーの存在は意味不明であった。
以上のように、「Dhoondte Reh Jaoge」はとてもしょうもないコメディー映画ではあるが、このしょうもなさを楽しめるなら、観てもいいかもしれない。