Drona

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Drona
「Drona」

 21世紀に入り、ヒンディー語映画は様々なジャンルの映画に手を出すようになった。その内の多くは、SF映画、冒険映画、ホラー映画など、ハリウッドが伝統的に得意として来たジャンルであり、いかにインド映画的テイストを残しながら、ハリウッドに負けないレベルの作品に仕上げるかという試行錯誤がずっと続いて来た。いくつかの作品は成功と言えるが、それ以上に多くの失敗作やゲテモノ映画が誕生することになった。

 スーパーヒーロー映画もそんなジャンルのひとつである。インドでもスパイダーマンなどのハリウッド製スーパーヒーローが人気だが、ヒンディー語映画界でも国産スーパーヒーローを誕生させようとする試みがちらほら見られて来た。その中で成功例と言えるのは、リティク・ローシャン主演の「Krrish」(2006年)である。

 リティク・ローシャンは元々インド人離れしたルックスと運動神経を持っており、インド人スーパーヒーローにもっとも適した俳優だったと言える。だが、今度はアビシェーク・バッチャンがスーパーヒーロー映画に挑戦した。「Krrish」のストーリーにはあまりインド色がなかったが、アビシェークがスーパーヒーローになる「Drona」は、インド神話を緩やかにベースにした娯楽大作である。2008年10月2日に公開された。

監督:ゴールディー・ベヘル
制作:スニール・ルッラー、シュリシュティ・アーリヤ
音楽:ドルヴ・ガーネーカル
歌詞:ヴァイバヴ・モーディー
衣装:アナーヒター・シュロフ・アダージャーニヤー
出演:アビシェーク・バッチャン、プリヤンカー・チョープラー、ケー・ケー・メーナン、ジャヤー・バッチャン
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 孤児のアーディティヤ(アビシェーク・バッチャン)は、幼少時から養母にいじめられながら育って来た。だが、アーディティヤは普通の人間ではなかった。彼はドローナであった。

 大昔、乳海撹拌が行われて不死の霊薬アムリタが生成されたことがあった。悪魔たちはアムリタを飲んで不老不死の身体を手に入れようとするが、神たちはアムリタを秘密の場所に隠し、ドローナをアムリタの守護者に任命した。以来、ドローナの家系は代々アムリタを守護し、悪魔を退治して来たのであった。アーディティヤはそのドローナの末裔であったが、未だに自分の使命にも力にも気付いていなかった。また、アーディティヤを守る使命を帯びた使徒たちは、身分を隠して彼の周囲で生活し、密かに彼を見守っていた。その一人がソニア(プリヤンカー・チョープラー)であった。

 アーディティヤの父親は、リズ・ラーイザーダー(ケー・ケー・メーナン)という子供の悪魔に殺された。アーディティヤの母親でプラタープガル王国の王女ジャヤンティー(ジャヤー・バッチャン)は、まだ子供だったアーディティヤを部下の将軍に託し、王宮の一部を燃やして、アーディティヤは焼死したと世間に信じ込ませた。リズは、次代のドローナの死に半信半疑ながらも、奇術師として人間世界に溶け込み、アムリタを探し出して世界を征服する野望を抱いていた。使徒たちも、TVで人気の奇術師リズが悪魔だとは気付かなかった。

 しかしある日、アーディティヤとリズは偶然顔を合わせてしまう。リズはアーディティヤがドローナであることを見抜き、追っ手を差し向けるが、ソニアたちの活躍で追っ手の撃退に成功する。また、その中でアーディティヤはドローナとしての力に目覚め始める。

 アーディティヤは、母親ジャヤンティーに会いにソニアと共にプラタープガルを訪れる。ジャヤンティーはアーディティヤを、歴代のドローナたちの墓所に連れて行く。だが、そこへリズとその部下たちが襲いかかり、ジャヤンティーを石に変えてしまう。リズはアーディティヤに、明日アムリタを持って来るように命令し、去って行く。

 しかし、アーディティヤにはアムリタの隠し場所など見当が付かなかった。ドローナたちの墓所で途方に暮れるアーディティヤの前に、突然一粒の米粒が出現する。翌日、アーディティヤはその米粒をリズに渡す。だが、リズはジャヤンティーを元に戻そうとせず、米粒だけ奪って去って行く。この瞬間、アーディティヤはドローナとして完全に覚醒する。

 アーディティヤとソニアは、職人が集まるラースプラーという町へ行き、手掛かりを探す。だが、一足早くリズが来ており、手掛かりを知る老人が殺害されていた。それでも、アーディティヤは、ドローナのみが乗れる馬デーヴァダッタがアムリタの鍵であるとの情報を手に入れる。

 リズは既にデーヴァダッタを捕獲し、列車で移動させていたが、そこへアーディティヤとソニアは乗り込み、デーヴァダッタを奪還する。そして馬の行く先で法螺貝を手に入れる。だが、リズの部下が後を付けて来ており、ソニアと法螺貝を奪って去って行ってしまう。

 絶望するアーディティヤであったが、デーヴァダッタが、失われた剣のもとへ彼を導く。この剣はドローナのものであったが、父親が殺されたとき以来、紛失していた。その剣を手に入れたアーディティヤは、リズの居城に潜入する。だが、リズは法螺貝を使ってアムリタが隠されている異次元空間へ移動した後だった。アーディティヤもリズの後を追って異次元空間へ飛び込む。

 そこはだだっ広い砂漠であった。ドローナの血を地面に染み込ませることで、アムリタが出現するというヒントを見付けたリズは、後を追って来たアーディティヤと戦い、彼を負傷させて血を地面に染み込ませる。すると、砂漠の真ん中にアムリタが出現する。リズはアムリタに向かって走り出すが、復活したアーディティヤはリズを殺してアムリタを守る。リズが死んだことで、ジャヤンティーは元に戻る。

 その後、アーディティヤとソニアは結婚し、プラタープガルでジャヤンティーと共に住み始めた。2人の間には子供が生まれたが、その子供を狙う不気味な影があった・・・。

 霊薬アムリタや不老不死を巡る神と悪魔の戦いは、インド神話の定番である。その定番のストーリーを、現代的なアクション映画に翻案したのが「Drona」であり、コテコテの神話映画ではない。この辺りの設定は、「ラーマーヤナ」をベースに現代的ストーリーを構築した「Rudraksh」(2004年)に似ていると言える。しかし、この種の映画を作るにはまだインドには技術や経験の蓄積が不足しているようで、「Drona」の最大の見所であるCGを多用したアクションシーンや、独特の世界観を醸し出す美術セットなどに稚拙な部分が散見され、完成度を低めていた。ストーリーは単純かつ予定調和的なものだが、この点を責めるのは酷であろう。基本的に「Drona」は子供向け映画の範疇に入ると言えるからだ。

 「Krrish」では、リティク・ローシャン演じる主人公の人柄が丁寧に描写されており、彼がスーパーヒーローになる過程もごく自然に観客が受け入れられるように工夫されていた。だが、「Drona」のアビシェーク・バッチャンは人物像が曖昧で、寡黙すぎて魅力もなかった。

 プリヤンカー・チョープラーは、ヒンディー語映画界における定番のスーパーヒロインとなりつつある。「Alag」(2006年)、「Krrish」、「Don」(2006年)、「Love Story 2050」(2008年)など、彼女がアクションヒロインを演じたり、スーパーヒーローのヒロインを演じた映画は数多い。彼女の持つ近未来的な美貌がその大きな要因であろう。「Drona」でも果敢にアクションに挑戦しており、スーパーヒロインの座を不動のものとしている。しかし、やはりキャラクターの描き込みが足らず、キャラが立っていなかった。

 むしろ非常に個性が際立っていたのは、悪役リズ・ラーイザーダーを演じたケー・ケー・メーナンである。陰湿で狂気じみた演技は彼の得意とするところで、アビシェークやプリヤンカーを完全に食っていた。

 スーパーヒーロー映画と、インド映画の特徴であるミュージカルとは、それほど相性が悪くないはずなのだが、この映画では上手に音楽とダンスが使われておらず、映画の雰囲気を台無しにしていた。特にオープニング曲の「Khushi」は全く場違いであった。ただ、タイトル曲の「Drona」だけは悪くない。音楽監督はドルヴ・ガーネーカルという人物である。

 冒頭のシーンはチェコ共和国のプラハで撮影され、後半の海と砂漠が隣り合わせになっている場所のシーンはナミビアで撮影されたようである。その他、ラージャスターン州のビーカーネールでもロケが行われた。

 「Drona」は今年の期待作の一本であったが、残念ながら失敗作に終わりそうだ。批評家の評価も良くなく、興行成績も落ち込んでいる。「Krrish」に続くインド製スーパーヒーロー映画ということで話題性はあったのだが、作り込みに緻密さが足りず、満足のいく出来になっていない。大いに続編を臭わせるエンディングであり、実際に続編も計画されているようだが、第一作がこんな出来だとスポンサー探しに難航しそうだ。「Drona」は無理して観る必要はない。