モンスーン

 インド亜大陸の大半はモンスーン(季節風)の影響を受けるモンスーン気候に属しており、その季節は大まかに、雨が多い雨季と、ほとんど雨が降らない乾季の2つに分かれている。インドでは「モンスーン(Monsoon)」という言葉は、「雨季」と同義で使われている。ヒンディー語で書くと「मौसमマウサム」である。「雨季」と同義の単語としては他に、「बरसातバルサート」や「सावनサーワン」などがある。

 インドを理解する上で、モンスーンの理解は非常に重要だ。重要であるばかりか、何より最初に必要なことかもしれない。学問分野であれ芸術分野であれ、またはビジネス目的であれ、インドに深く足を踏み入れようとする者に対しては、自身でモンスーンを体験することを強くお勧めしている。インド映画についてもそれは同様で、モンスーンの理解があるとないとでは、映画の見え方がガラリと変わってくることがあるだろう。

 モンスーンの体験とはつまり、乾季から雨季への変わり目を体験することに他ならない。インドのそれは、季節の変わり目を「三寒四温」などと表現する日本とは全く異なる。グラデーション的に徐々に季節が移り変わっていくのではなく、突如として、ドラマティックに変わるのである。この気候は、和辻哲郎の風土論ではないが、インド文化やインド人の性格に甚大な影響を与えていると考えられる。

 モンスーンの到来時期は地域によって異なる。5月下旬になるとモンスーンの雲がベンガル湾南東部から徐々にインド亜大陸に迫る。6月初旬に南端部に上陸した後は北西内陸部に向かってジワジワと領域を拡大していき、7月に入るとインド全土を覆う。この時期、ニュース番組ではモンスーンの到達度が逐一報道される。

モンスーンの到達日
India Meteorological Department

 デリーでは、例年6月29日がモンスーンの到来日になっている。年によってその時期は前後する。デリーの4月~6月は連日気温40度以上の乾燥した酷暑期であるが、モンスーン到来を機に、湿度は上がるものの気温が一気に下がり、過ごしやすくなる。デリーよりも南にあるムンバイーのモンスーン到来日は6月10日と、デリーより2週間以上早い。ムンバイーはデリーよりも年間を通して寒暖の差が少ないが、モンスーンの時期にもっとも平均最高気温が低くなる。

デリーとムンバイーの降水量と平均最高・最低気温

 基本的に暑く乾燥した国であるインドでは、気温が下がり湿度が上がって過ごしやすくなるモンスーンが今か今かと待ち望まれている。モンスーンの最初の雨が降ると、人々は家屋の屋上や路上で雨に打たれながら喜びのあまり踊り出す。

 モンスーンを待ち望んでいるのは人間だけではない。ありとあらゆる生物がモンスーンを待ち望んでいる。モンスーンの到来と共に草木が芽吹き、花開き、生物は繁殖の時期を迎え、自然は活力を取り戻す。インドの国鳥である孔雀のオスは雨季に求愛のために美しい羽を広げるため、モンスーンを象徴する鳥になっている。

 インド人にとってモンスーンは恋の季節でもある。インドにおいて「雨」にはロマンチックなイメージがあり、映画の中でも男女の恋愛シーンに雨を伴う例は非常に多い。モンスーン期に大地のエネルギーが解き放たれ、生物が繁殖期を迎えることから、雨が恋を連想するようになったと考えることもできるが、歴史的・社会的な要因もあったと考えられる。古来、インドではモンスーン期は休戦の時期でもあり、出稼ぎ者が帰郷する時期でもあった。つまり、軍役や商売などのために留守にしていた夫や恋人が家に戻ってくる時期であり、普段は離れ離れになっている男女が束の間の逢い引きを楽しむことのできる時期でもあったのである。

 モンスーン期には、ティージやラーキーなど、普段は離れ離れの兄妹や夫婦が久々に再会することを祝う祭りが多いのも、モンスーンがインド社会の形成に寄与してきたことの証拠となっている。ちなみにティージ祭ではブランコに乗って遊ぶ習慣があるため、ブランコは雨季を象徴するアイテムのひとつになっている。

 日本では、いつの間にか雨にネガティブなイメージが付いてしまっているように感じる。「梅雨」という言葉にも、「ジメジメ」「不快」「洗濯に困る」などの負のイメージが付きまとう。だが、そのイメージでインドの雨、インドの雨季を捉えてはならない。インドにおいて雨、そしてモンスーンは、喜びとエネルギーをもたらすものであり、ロマンティックなものなのである。ちなみに、インドにおいて「いい天気」とは、晴天ではなく、曇天や小雨の天候のことをいう。

 文芸の世界においてもモンスーンは特別視されている。4-5世紀の詩人カーリダーサの作品に「Meghadhoota(雲の使者)」があるが、これは北上するモンスーンの雲に、北部の離れた場所に住む妻への思いを乗せて歌った美しい叙情詩である。インド古典音楽においても、雨季に演奏されるべきラーガ(旋律)がいくつも作られ、伝わってきている。これは逆に言えば、雨で屋内にいる時間が長かった雨季に、宮廷などで大いに芸術活動が行われたことを示しているのだろう。

 そして、インドにおいて「果物の王様」の地位を恣にするマンゴーが旬を迎えるのも雨季である。マンゴーが市場に並び始めるのは酷暑期の4月であるが、少なくとも北インドにおいて真打ちとされるダシェリー、チャウサー、ラングラーなどの品種が市場を席巻するのはモンスーン期の6月から8月にかけてである。雨季はマンゴー好きにとって溜まらない季節だ。

 また、なぜだか分からないのだが、モンスーンになるとインド人は雨を眺めながら軽食にサモーサーとチャーイを取りたくなるようである。

 ただし、雨季のインドには弊害も多い。道路の排水設備が整備されていないため、雨季になると道路は冠水し、交通渋滞が頻発する。下水が逆流して路上に溢れ、衛生状態は最悪となる。突風を伴う大雨が降ると街路樹がなぎ倒され、倒木によるインフラの被害が各地で起こる。山間部では土砂崩れが多発し、道路が寸断される。生活するにも旅行するにも、雨季はお世辞にも快適な時期ではない。

 モンスーンに関する話題の中で、忘れてはならないのは農業である。インドは、全人口の半分が農業に従事する農業国であり、まだ多くの地域では雨水に頼った乾燥農業が行われている。そのため、モンスーンがいつ来るか、そして雨がどれくらい降るかは、農業に大きな影響を及ぼす。そして、その年の農業の出来不出来は経済全体を左右する。つまり、モンスーン到来に関する情報は、単なる天気予報という位置づけを超えて、経済ニュースの大切な一部でもある。

映画の中のモンスーン

 近年の映画の中で、モンスーンの到来を心待ちにする様子をもっとも鮮明に描きだしたのは「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)をおいて他にない。特に冒頭のダンスシーン「Ghanan Ghanan」は、ようやく待ち望んだ雨雲がグングン接近してくる様子と、それを見て高揚する村人たちの気持ちを、踊りと音楽によって効果的に表現した傑作だ。もっとも、このときに雨雲は一滴も雨粒を落とさずに村を通り過ぎてしまうのだが、映画のラスト、クリケットの試合が終わった瞬間にまるでインドチームの勝利を祝うかのように天から雨が降り注ぐ。雨の中で踊り狂う村人たちと、そそくさと屋根の下に入る英国人の対比が興味深い。

A.R. Rahman - Ghanan Ghanan Best Video|Lagaan|Aamir Khan|Alka Yagnik|Udit Narayan

 ベンガル語映画にはなるが、一昔前まではインド映画の代名詞だった、サティヤジート・ラーイ監督の「Pather Panchali」(1955年/邦題:大地のうた)も、雨季の到来を美しく描きだした作品である。数ヶ月振りに出稼ぎに出た夫から便りがあり、もうすぐ帰ると知らされる。そのとき、急に農村の自然描写が入り、やがて雨が降り出す。日本人から見たら「急に」になるが、インド人ならその流れは痛いほどよく分かる。雨は万物に喜びをもたらすものなのだ。

 ロマンスはインド映画の中心的な要素であり、インドにおいて雨がロマンスを喚起する事物である以上、インド映画において恋心が芽生えたり、男女の関係が変化する重要な局面で雨が降り出すのは必然である。例えば不朽の恋愛映画に数えられる「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)を観ると、主人公であるラーフルとアンジャリの関係が変化する際に必ず雨が降り出すことに気付くだろう。新感覚の恋愛映画「Wake Up Sid」(2009年)のラスト、スィドがアーイシャーに告白するシーンでも雨が降っていて印象的だった。このような例はインド映画の中で枚挙に暇がないので、注意深く観てみるといいだろう。

 雨のひとつの特徴として、富める者にも貧しい者にも平等に降るということがある。服装は人の社会的ステータスを如実に示してしまうが、雨にずぶ濡れになることで、服装の違いが極力失われ、裸に近い状態になる。インド映画において雨は、身分差や対立の解消を暗示することもある。「Monsoon Wedding」(2001年)のラストでは、大雨の中で結婚式が行われ、人々がずぶ濡れになりながらも踊り狂うが、そこでも雨によって主従の差が消え去る様子が観察された。

 純粋に美しさを際立たせるために雨が使われることもある。例えば「世界一の美女」の称号を持つアイシュワリヤー・ラーイの導入ソングには雨が使われることが多い。「Taal」(1999年)の「Taal Se Taal 」や「Guru」(2007年)の「Barso Re」などが、美しいメロディーに乗せて雨に濡れそぼったアイシュワリヤーが踊る曲である。

Taal Se Taal Mila | Taal | Aishwarya Rai | Akshaye Khanna | Alka Yagnik, Udit Narayan | AR Rahman

 また、濡れ場シーンは本当に濡れるというのがインド映画のお約束である。衣服が濡れることによって女優の肢体が露になり、局部が透けて見えるという実利的な効果を狙ったものであるが、その裏にはやはり、恋愛と雨の文化的な関係性を指摘することができる。これは「ウェット・サーリー・シーン」と呼ばれており、「Ram Teri Ganga Maili」(1985年)でマンダーキニーが白いサーリーを着て踊る「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」が原型とされている。