現在のヒンディー語映画界には、「デーオール」姓を持つ俳優が4人活躍している。サニー、ボビー、イーシャー、そしてアバイである。彼らは、往年の名優ダルメーンドラ(本名ダルメーンドラ・スィン・デーオール)の血を引いている。サニーとボビーは前妻プラカーシュ・カウルとの間にできた息子で、イーシャーは現在の妻ヘーマー・マーリニーとの間にできた娘である。そして2005年に「Socha Na Tha」でデビューしたアバイは甥に当たる。サニーはヒンディー語映画男優の人気ランキングを付けたら必ず上位に来るほどの人気を誇る筋肉派男優であり、ボビーも、長年何のためにいるかよく分からなかったが、最近になってやっと演技力を伸ばして来ている。イーシャーも一応人気女優の一人と言っていい。だが、アバイだけはどうもパッとしない。サニーやボビーのようなマッチョタイプの男優になれそうでもないし、演技力も冴えないし、ヒーロー男優としてのカリスマ性にも欠けるし、どちらかというとトゥシャール・カプールのような内気そうなキャラが似合う押しの弱い男優である。とは言え、ダルメーンドラの七光りのおかげか、彼の主演作はコンスタントに作られている。2007年5月18日公開の新作ヒンディー語映画「Ek Chalis Ki Last Local(1時40分発の最終電車)」もアバイ・デーオール主演の映画である。それだけだったら観に行かなかったのだが、「2時間半で2,500万ルピー」というキャッチコピーに何か惹かれるものを感じ、映画館に足を運んだ。人気TVドラマ「24」みたいな、リアルタイムの映画かと思ったのである。
監督:サンジャイ・カンドゥーリー(新人)
制作:カルテット・フィルムス
音楽:サンデーシュ・シャンドリヤー、アンクル、テクノ・フランコルシ、ズルフィー、アキール、サンジーヴ、アマル・モーヒレー(BGM)
作詞:メヘブーブ、アンクル・ティワーリー、ズルフィー
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ、サンジャイ・カンドゥーリー
出演:アバイ・デーオール、ネーハー・ドゥーピヤー、スネーハル・ダービー、ディーパク・シルケー、アショーク・サマルト、ヴィナイ・アープテーなど
備考:PVRベンガルール・クラシックで鑑賞。
ムンバイーのコールセンターで働くニーレーシュ(アバイ・デーオール)は、友人たちと夜遅くまで飲んでいたため、午前1時40分カルラー駅発の最終電車に乗り遅れてしまった。始発までは2時間半あった。プラットフォームで待つこともできなかった。財布にはたったの70ルピー。駅の外に出てみたが、オートリクシャーやタクシーはストライキのため全く動いていなかった。途方に暮れていると、同じヴィクローリー方面へ向かう女性と出会った。名前はマドゥ(ネーハー・ドゥーピヤー)。ニーレーシュはマドゥと共に歩き出した。 しかし、深夜のムンバイーの町は危険で一杯だった。雨も散発的に降っていた。二人はバーに入って一夜を明かすことにする。だが、バーには途中で目を付けられたチンピラたちも入って来た。ニーレーシュは警戒しながらも席に着く。そのバーでニーレーシュはかつてのルームメイト、パトリックと偶然再会する。パトリックは裏の世界で大金を稼いでおり、バーの奥にある賭博場で賭博をしようとしていた。トランプのプロであったニーレーシュは、マドゥに断って賭博場へ行く。そこでは、マフィアのボス、ポーナッパ(ヴィナイ・アープテー)など、ムンバイーの大物たちが賭博をしていた。ニーレーシュはトランプの才能を活かして大金を稼ぐ。だが、熱中する余り、マドゥのことを忘れてしまっていた。途中で席を立ってバーへ行くと、マドゥがいなくなっていた。焦って探し回るニーレーシュ。女性用トイレの中から悲鳴が聞こえたので踏み込むと、マドゥがチンピラにレイプされそうになっていた。チンピラはナイフを取り出してニーレーシュに向かって来るが、足を滑らせて頭を打ち、死んでしまう。ニーレーシュは殺人犯と思われ、従業員に取り押さえられる。 実はそのチンピラはポーナッパの弟だった。また、マドゥは普通の女の子ではなく、最終電車に乗り遅れた男を狙う売春婦で、ポーナッパの弟とグルであった。怒ったポーナッパはニーレーシュを殺そうとするが、そのときマルヴァンカル(アショーク・サマルト)ら警察官が踏み込んで来る。だが、マルヴァンカルは金のみで動く汚職警官であった。ポーナッパから50万ルピーの賄賂を受け取ったマルヴァンカルは、パトリック、ニーレーシュ、マドゥの三人を連行する。 マドゥは途中、トイレに行きたいと言い訳をして隙を見て逃げ出す。マルヴァンカルの部下2人がそれを追う。その失態をからかったパトリックは、マルヴァンカルに殺されてしまう。恐れをなしたニーレーシュも隙を見て逃げ出し、マドゥと合流して身を潜めるが、マルヴァンカルに見つかってしまう。だが、このときニーレーシュとマドゥの間には信頼感が生まれる。 マドゥはマルヴァンカルに賄賂を払うため、親代わりのヒジュラー、ハビーバー(スネーハル・ダービー)の家に警官たちを連れて行く。だが、ハビーバーの手元には持ち合わせがなかった。そこで、ハビーバーも一緒に、愛人で、ポーナッパのライバルのマフィア、マンゲーシュ・チルケー(ディーパク・シルケー)のアジトへ行く。男色のマンゲーシュは、ニーレーシュとマドゥを解放するための賄賂8万ルピーを肩代わりすることに同意する。だが、その代わり、ニーレーシュが体を捧げなくてはならなくなった。ニーレーシュは縄で縛られる。 そこへ、マンゲーシュの手下の女がやって来る。その女は、ポーナッパの手下が実行した誘拐の身代金2,500万ルピーを横取りして持って来た。マンゲーシュは嬉々としてその金を受け取り、ニーレーシュに襲い掛かろうとする。ところがそこへ、今度はポーナッパがやって来る。解放されたマドゥが、ポーナッパにマンゲーシュの居所を教えたのだった。ポーナッパはマンゲーシュの手下やマルヴァンカルを殺害し、マンゲーシュの部屋までやって来た。マンゲーシュは手足を打ち抜かれ、瀕死の状態となる。また、ニーレーシュも殺されそうになるが、寸前にマンゲーシュが最後の力を振り絞ってポーナッパを射殺する。 こうしてニーレーシュはたった一人の生存者となった。彼の手元には2,500万ルピーが入った鞄が残った。最終電車に乗り遅れたために一夜にして大金持ちになったニーレーシュであったが、マドゥのことが忘れられなかった。3週間後、彼は午前1時40分の最終電車が出た後のカルラー駅で、マドゥと再会する。
インターバルを含め2時間半ほどの映画で、映画の主要部分もキャッチコピー通り2時間半の時間が過ぎ去ったが、かと言ってそのリアルタイム性が映画の重要な要素になっている訳でもなかった。ネーハー・ドゥーピヤーはまだしも、アバイ・デーオールがあまりに大根役者で、ただでさえ冗漫な展開に全く緊迫感が張り詰めなかった。それでも脇役陣は個性的な俳優が多く、所々で光るものもあった。サンジャイ・カンドゥーリー監督は新人のようだが、実験的で斬新な作品を作ろうとする意気込みは十分に感じられた。
インドには先進諸国の大都市並みに電車網・鉄道網の発達した都市はまだ存在しないが、それでもムンバイーはインドで最も鉄道が通勤客の足になっている都市である。よって、日本のように「終電を逃してしまった、どうしよう」みたいなこともありうる訳だ。幸い、インドにはオートリクシャーのような比較的安い交通手段もあるため、終電を逃したとしても日本ほどダメージは大きくない。しかし、深夜、駅に取り残されてしまう恐怖は日本の比ではない。この「Ek Chalis Ki Last Local」は、終電を逃したある中産階級の男が、始発の時間までに直面する様々なトラブルを題材にした映画である。このミクロな着眼点はインド映画では珍しい。タクシーを使って帰ればいいじゃないか、という突っ込みに対しては、所持金が70ルピーしかなかったことと、タクシーがストライキをしていたことの二つの言い訳が用意されていた。
様々なトラブル、と言っても、主人公ニーレーシュにとって終電を乗り逃したことは、まるで吉と凶の両面を持った1枚のコインがクルクル回るように、不運であったり幸運であったり、目まぐるしく変化する。終電を逃し、警察から駅を追い出され、自らの不運を呪っていたニーレーシュは、駅前で美しい女性マドゥと出会うことになり、一転して自分の幸運にほくそ笑む。だが、それがとんでもない展開へとつながっていく。賭博場で大金を儲けたまではよかったが、殺人犯と間違われて逮捕されたり、友人を目の前で殺されたり、カマを掘られそうになったり、挙句の果てに殺される寸前まで行くが、最終的には漁夫の利で2,500万ルピーを手に入れる。
前半は非常に冗漫で退屈だが、後半になると物語は大きく揺さぶられ、なかなかスリリングな展開になる。ニーレーシュが2,500万ルピーを手に入れるまでの経緯もよく筋が通されていた。だが、もう少しいいエンディングにもできたのではないかと思う。ニーレーシュは2,500万ルピーの入った鞄を持って始発列車に乗るが、そこへ運悪く乗客の荷物検査をする警官がやって来る。怖気づいたニーレーシュは鞄を座席に置いたまま走っている列車から駅のプラットフォームに飛び降りる。せっかく手にした大金も水の泡かと思われたが、爆弾が入っていると勘違いした警官はその鞄を外に放り出しており、駅の線路の上に転がっていた。こうして再びニーレーシュはその金を手にする。だが、これは最上のエンディングではなかった。ニーレーシュは最後に2,500万ルピーを手にしてはならなかったと思う。お金は手に入らなかったがマドゥとは再会できた、というエンディングが最も妥当だったと思う。また、最後、ニーレーシュは列車に引かれそうになるのだが、なぜか助かる。どうやって助かったのかは全く説明されていなかったのも不満だった。
アバイ・デーオールは全く駄目だ。きっと根がいい奴なのだろうが、素朴で馬鹿正直な男以外、彼に似合う役は今のところない。この映画のニーレーシュは、コールセンターに務めるごく普通の中産階級の男だったが、中産階級らしいガツガツしたトゲトゲしさが感じられず、お坊ちゃまそのままであった。このまま彼の主演作が続くと、いい作品も駄作になってしまう。もし俳優として続けていくつもりがあるなら、かつてのアビシェーク・バッチャン並みの大改造が必要であろう。
ネーハー・ドゥーピヤー・・・ああ、かわいそうなネーハー・ドゥーピヤー・・・。2002年のミス・インディアの彼女は、知的な女性の役が似合うと思うのだが、「Julie」(2004年)や「Sheesha」(2005年)で際どい役を演じてしまったばかりに、そういうイメージがしつこく付きまとうことになってしまった。「Ek Chalis Ki Last Local」ではやっと普通のヒロインの役がもらえたかと思って個人的に密かに祝福ムードだったが、蓋を開けてみてビックリ、実は終電を逃した男を狙う売春婦の役であった・・・。やはりヒンディー語映画界はイメージ先行の業界のようだ。女優が一度堕ちた役を演じると、清純派には2度と戻れない。だが、彼女の演技に汚点はなかった。
脇役陣は普段あまり見ない顔ぶれが多かったが、非常に力強い演技をする俳優が多かった。汚職警官マルヴァンカルを演じたアショーク・サマルト、男色マフィアを演じたディーパク・シルケー、南インド丸出しマフィアのポーナッパを演じたヴィナイ・アープテー、迫力あるヒジュラー、ハビーバーを演じたスネーハル・ダービーなどなど、アバイ・デーオールの欠点を補っていた。
詳しい背景は不明だが、このヒンディー語映画、なぜか南インドのエッセンスが込められていた。賭博場にはアイヤッパンやミーナークシーなど、南インドの神様のポスターが飾られていたし、マルヴァンカルの部下の一人はタミル映画のスーパースター、ラジニーカーントの物真似に凝っていて、途中、ラジニーカーント映画のパロディーシーンもあった。
「Ek Chalis Ki Last Local」は、実験的な試みが感じられる意欲的な作品だが、娯楽作品としての質は高くない。アバイ・デーオールの大根役者振りもマイナス要因である。同日に公開された「Raqeeb」(2007年)よりは面白いが、観ても観なくてもどちらでもいい映画だと言える。