サンスクリット語

 サンスクリット語は、ヒンディー語をはじめとした北インド諸語の祖となる古典語である。ギリシアの古代ギリシア語、イランのアヴェスター語などと近縁関係にあり、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる世界最大の言語グループの中で重要な一角を占める。上記の言語が死語になっているのに対し、サンスクリット語は今でも使用される場面がある点で特異だが、日常的なコミュニケーション用言語としての使用はごく限定されている。正直にいえば、ヒンディー語映画を理解する上でサンスクリット語の知識は必須ではない。

 ヒンディー語映画においてサンスクリット語が登場する典型的な場面は、ヒンドゥー教式の結婚式だ。婚姻の儀式では、ブラーフマン(バラモン)の僧侶が呼ばれ、「マンダプ」と呼ばれる護摩壇のようなステージでマントラ(真言)が詠唱されるが、この言語がサンスクリット語である。仏教の読経のようなサンスクリット語マントラの詠唱がBGMとして使われる例もよくあるが、これは荘厳な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。だが、それらのサンスクリット語を逐一理解する必要はほとんどない。

サンスクリット語概説

 サンスクリット語は、インダス文明の担い手が消え去った後にインド亜大陸北西部で有力となった勢力が話していたとされる言語に端を発している。彼らが信仰の拠り所にした聖典ヴェーダもサンスクリット語の古い形でまとめられたもので、最古層のサンスクリット語をヴェーダ語ということもある。ちょうど仏教やジャイナ教が生まれた紀元前6-5世紀頃に活躍した文法家パーニニによって文法が整備され、標準化されたことで、サンスクリット語はインド亜大陸の公用語として確固たる地位を確立することになった。

 筆記にはデーヴァナーガリー文字が使われる。ただ、デーヴァナーガリー文字の成立はサンスクリット語の成立よりも遅く、ヴェーダなどは口伝で伝わっていたと考えられている。デーヴァナーガリー文字は、ヒンディー語、マラーティー語、ネパーリー語などの筆記にも使われる。

 今でこそサンスクリット語は、ヒンドゥー教の宗教儀式で使われることがほとんどで、ヒンドゥー教と密接に関係した宗教語としての側面のみが強調されるが、古代インドにおいては文学語であり、学術語であり、インド亜大陸において綿々と蓄積されれきた膨大な知恵と知識にアクセスできる唯一の鍵であった。つまり、「宗教的な教典などの筆記用言語としても使われていた」ぐらいの認識の方が正しい。

 例えば、インドの二大叙事詩である「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」はサンスクリット語で著わされた。これらはインド神話の源泉であり、サンスクリット語を宗教語から切り離す証拠にはならないが、文学の一種と捉えることは可能だ。古代インドの戯曲家カーリダーサもサンスクリット語で多くの作品を残したが、こちらはより純粋な文学としての側面が強い。

 さらに、数学者・天文学者のアーリヤバタ、医学家チャラカ、芸術理論家バラタ、哲学者シャンカラなど、古代インドの錚々たる知識人たちはサンスクリット語で著作を残した。逆にいえば、サンスクリット語で著作を著わさなければ知識人として認められなかった。

 ただし、インド亜大陸にイスラーム教政権が打ち立てられ、当時のアジア世界で一大文化圏を築いていたペルシア語が公用語・教養語として支配層を中心に普及したことで、知識人の言語としてのサンスクリット語の地位は相対的に低下した。中世以降、重要な文献の多くはペルシア語で著述されるようになる。そして、近世に入り、英国人の植民地支配が確立したことで、英語がペルシア語に取って代わり、独立後もその状況は大して変わらず、現在に至るのである。

サンスクリット語の格言

 ヒンディー語映画を観ていると、たまにサンスクリット語の格言が出て来ることがある。もっともよく聞く格言は「अतिथि देवो भवःアティティ デーヴォー バヴァハ」だ。これは「お客さまは神様です」という意味で、日本語にも全く同じフレーズがある。敢えて付け加えるならば、「お客さま」という意味の「अतिथिアティティ」は、その語の成り立ちから、「突然現れる客」「招かれざる客」のことを指すという点であろうか。アポなしで訪問してくる客こそ神様と同一であり、丁重にもてなさなければならないとの考え方がインドにはある。

 インドの初等中等教育ではサンスクリット語を選択できることが多いので、知識としてサンスクリット語を知っているインド人は一定数いる。しかし、現代インドにおいてサンスクリット語はもはや必須の教養ではないので、ヒンディー語映画でもサンスクリット語の語学力まで観客に期待していない。よって、たとえストーリーの理解に必要なサンスクリット語の台詞やフレーズなどが映画に登場したとしても、ヒンディー語などで補足説明されることがほとんどである。

サンスクリット語彙

 上記の通り、ヒンディー語映画を理解する上でサンスクリット語の語学力までは求められないのだが、一点だけ注意しなければならないのは、ヒンディー語の中にサンスクリット語の語彙が多用される現象があることである。ヒンディー語は他言語から多くの語彙を借用しているが、インド亜大陸の古典語であるサンスクリット語は中心的な語彙供給源になっている。

 一般に、サンスクリット語の語彙は難解で固い印象を与える。通常のヒンディー語映画の台詞にはサンスクリット語彙が使われることは少ないが、特定の場面では多用される傾向にある。

 典型的な例は、ヒンドゥー教の神様などが映画に登場した際に神様が話す台詞だ。サンスクリット語はどうしてもヒンドゥー教と同一視されており、ヒンドゥー教の神様はサンスクリット語の語彙を最大限用いた台詞をしゃべるのが普通である。

 時代劇も好例のひとつだ。古代から中世にかけて、特にヒンドゥー教徒の王族などがしゃべる台詞には、サンスクリット語彙が意図的に使われる傾向にある。日本の時代劇でも、「それがし」「御意」「~でござる」など、時代性を表現するための特有の台詞回しがあるが、インド人の耳にもサンスクリット語彙を多用したヒンディー語は古代・中世的な古めかしい印象を与える。

 もうひとつよくあるのは、現代劇において、わざわざサンスクリット語彙を多用するキャラクターを設定することである。ブラーフマンの僧侶だったり、ヒンドゥー教の宗教指導者だったりすることがほとんどだが、時には頭がおかしい人やおかしさを演出するためにそのような言葉遣いをすることもある。場違いなサンスクリット語彙の使用は滑稽な印象を与えるのである。