本日(2007年3月2日)から、インド版「ロリータ」として話題になっていたヒンディー語映画「Nishabd(無言)」が公開された。監督はヒンディー語映画界を代表する曲者映画監督、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー。2005年に「Nisshabd」という題名のベンガリー語映画が公開されており、タイトルが似ているということで直前になって公開中止を求める裁判が行われていたが、「もし不平があったらもっと前に訴えることができたはず」として、その訴えは却下され、無事公開となった。
監督:ラーム・ゴーパール・ヴァルマー
制作:アドラブス
音楽:ヴィシャール・バールドワージ
出演:アミターブ・バッチャン、ジヤー・カーン(新人)、レーヴァティー、ナーサル、シュラダー・アーリヤ、アーフターブ・シヴダーサーニー(特別出演)
備考:チャーナキャー・シネマで鑑賞。
写真家のヴィジャイ(アミターブ・バッチャン)は、広大な紅茶園の中で妻アムリター(レーヴァティー)と共に静かに暮らしていた。二人にはリトゥ(シュラダー・アーリヤ)と言う18歳の娘がいた。彼女は街の高校に通っていたが、テストを終え、休暇を家族と過ごしに戻って来ていた。今回、彼女は友達のジヤー(ジヤー・カーン)も一緒に連れて来た。 ジヤーは特殊な環境に育った変わった雰囲気の少女であった。両親は離婚し、母親と共にオーストラリアで育った。母親は再婚しようとしていたが、彼女はそれが気に入らなかった。ジヤーはヴィジャイに惹かれ、次第に彼を誘惑するようになる。ヴィジャイの行動も段々おかしくなって来る。遂にジヤーはヴィジャイに「私はあなたのことを愛してる」と言い、ヴィジャイも「イエス」と答える。ジヤーはヴィジャイに口づけするが、それをリトゥが見てしまう。 リトゥはそのことを母親に言えず、ただジヤーを追い出そうとする。だが、アムリターは二人が喧嘩をしたものと思い、真剣に取り合わなかった。そのとき、アムリターの兄(ナスィール)がやって来る。リトゥは叔父にそのことを打ち明ける。驚いた叔父はヴィジャイを説得する。だが、ヴィジャイは自らアムリターにそのことを打ち明けてしまう。ショックを受けたアムリターは一人部屋に篭って泣き出す。 また、そのときジヤーの友達のリシ(アーフターブ・シヴダーサーニー)が彼女を訪ねてやって来る。リシはジヤーに惚れており、明日の誕生日に驚かそうと思って密かにやって来たのだった。だが、ジヤーはリシを嫌っており、彼を追い返そうとする。 だが、自分の行動が家族全てを傷付けたことを知ったヴィジャイは、ジヤーを家から追い出す。その後、崖に身を投げて死のうと考えたヴィジャイであったが、死ねずに家に戻って来る。彼は残りの人生をジヤーとの思い出の中で過ごすことに決めたのであった。
ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督自身の「Naach」(2004年)と似た雰囲気の、美しくもエロチックな作品。スタンリー・キューブリック監督の「ロリータ」(1962年)の焼き直しではなく、老年の男性が未成年の少女に恋をするという点を除けば全くのオリジナルストーリーである。アミターブ・バッチャンの重厚な演技も素晴らしいが、この映画の中心は何と言ってもジヤーを演じた新人女優ジヤー・カーンであろう。彼女がいなければこの映画は成り立たなかったし、もし別の女優が演じていたら全く別の雰囲気の映画になっていただろう。早くもジヤー・カーンは今年最大の新人と噂されている。
登場人物の心理や、これから起こる出来事を予感させる絶妙なカメラワークが映画を盛り上げていたが、その中でもジヤーの肢体の描写の仕方は突出していた。特に強調されていたのは、彼女の脚である。先日発表されたフィルムフェア賞で新人賞を獲得したカンガナー・ラーナーウトも、「Woh Lamhe…」(2006年)の中で脚を必要以上に露出していて印象に残ったが、「Nishabd」のカメラはそれ以上にジヤー・カーンの脚を執拗に映し出していた。ヒンディー語映画界の脚フェチ化が進行しているように思える。
ヴィジャイが次第にジヤーへの恋に落ちていく様子も、非常にリアルに描写されていた。映画は基本的にヴィジャイの独白によって進んで行く。彼はジヤーに恋してしまった理由を、以下のように自己分析していた。「人間は老年になると、死への恐怖を感じるようになる。それを忘れるために、若者の方へ心が向くのだ。」「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)の「Jiya Jale」が、二人の気持ちのシンクロの象徴として使われていた。もちろん、ジヤーという名前と曲の題名が掛けられている。また、ヴィジャイとジヤーの会話はどれも緊張感溢れていて素晴らしかった。
他に、ジヤーが庭のホースで水を浴びるシーン、アムリターがジヤーへの恋に狂ったヴィジャイを一喝するシーンなども映像的にパワーがあった。
しかし、エンディングはベストではなかっただろう。ジヤーを追い出し、一応家庭内に平穏を取り戻したものの、父親としての威厳と家族内の愛情は消滅してしまった。リトゥは突然米国留学を決め、妻はよそよそしい態度になった。ヴィジャイは自殺しようとするが、それよりもジヤーとの思い出を胸に残りの人生を生きることに決め、家に戻って来るのである。この終わり方は中途半端だったのではないかと思う。とは言え、ヴィジャイの自殺で幕を閉じるよりは数倍マシだ。
「Nishabd」でデビューしたジヤー・カーンは曰くつきの女優である。1987年にニューヨークで生まれ、ロンドンで育ったジヤーは、英文学、演劇、オペラ、舞踊などを修めた。ジヤー・カーンの母親はラビーヤーという名の女優だが、噂によると父親は映画プロデューサーのターヒル・フサインらしい。ターヒル・フサインは有名男優アーミル・カーンの父親であり、それが本当ならジヤー・カーンはアーミル・カーンの異母兄妹ということになる。だが、ターヒル・フサインは公式にはそれを否定している。「Nishabd」で似た境遇のジヤー役を演じたジヤー・カーンの気だるい表情には、演技ではない真の感情が隠されているのかもしれない。
また、映画中、「ヒンディー語映画界の帝王」アミターブ・バッチャンと、新人女優ジヤー・カーンのキスシーンがあり、話題になっている。
ダンスシーン一切なし、2時間の国際標準上映時間にまとめられた「Nishabd」は、心に突き刺さる重い展開と、19歳のジヤー・カーンの怪しい魅力が見所の小品である。多様に進化するヒンディー語映画の一翼を堂々と担うことができる映画と言える。