I See You

3.0
I See You
「I See You」

 今日は、2006年12月29日に公開された「I See You」を観た。ロンドンを舞台にしたファンタスティック・ラヴコメディー映画だった。

監督:ヴィヴェーク・アガルワール
制作:アルジュン&メヘル・ラームパール
音楽:ヴィシャール&シェーカル
歌詞:ヴィシャール・ダードラーニー
出演:アルジュン・ラームパール、ヴィパーシャー・アガルワール(新人)、チャンキー・パーンデーイ、ソフィー・チャウダリー、ソーナーリー・クルカルニー、キラン・ケール、ボーマン・イーラーニー、シャールク・カーン(特別出演)、リティク・ローシャン(特別出演)
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 ハンサムでスタイリッシュでプレイボーイのラージ・ジャイスワール(アルジュン・ラームパール)は、ロンドン在住インド人の間で人気のTV番組「ブリティッシュ・ラージ」の人気ホストであった。

 ある日ラージは、自分の部屋のベランダに見知らぬ女性がいるのを発見する。彼女の名前はシヴァーニー・ダット(ヴィパーシャー・アガルワール)。彼女が言うには、彼女は生死をさまよう身体から抜け出た魂であり、ラージ以外の人には見えないし、声も聞こえないし、物を持ち上げることもできない。最初ラージは彼女を精神病院から逃げて来た精神患者だと考え、適当に応対するが、次第に彼女の言っていることが真実であることが分かって来る。なぜラージにだけシヴァーニーを認知することができるのかは分からないが、彼女は「前世からの縁でしょう」と予想する。

 以後、シヴァーニーはラージに付いて来るようになる。周囲の人々は、空中に向かって話すラージを見て、どうかしてしまったのではないかと心配する。特に親友のアクシャイ・カプール(チャンキー・パーンデーイ)は、妻のクルジート(ソーナーリー・クルカルニー)に相談して、精神科医のパトナーイク(ボーマン・イーラーニー)に引き合わせたりするが、ラージの様子は変わらなかった。

 シヴァーニーは当初、交通事故に遭って昏睡状態になっているとラージに言ったが、それは正確ではなかった。実は彼女は殺されそうになったのだ。医者をしていたシヴァーニーは、ある日ある医者が心臓病患者から勝手に臓器を取り出しているのを偶然見てしまう。その医者は臓器密売をしていた。シヴァーニーはその秘密を知ってしまったため、殺されそうになったのだが、一命は取りとめた。だが、昏睡状態となってしまった。しかもその医者は、シヴァーニーの母親(キラン・ケール)から安楽死の同意を得て、シヴァーニーの延命装置を外そうとしていた。

 それを知ったラージは、シヴァーニーを助けるために動き出す。彼はまず、シヴァーニーの母親、ダット夫人に会って事情を説明しようとするが、ダット夫人はTV番組のために取材だと勘違いし、ラージを追い出す。次にラージが取った手段は、病院からシヴァーニーの肉体を運び出すことだった。ラージはアクシャイの助けを借りてシヴァーニーを自宅に運び込む。

 ところが、ヒンディー語を話す白人警官ジョン・スミスは、シヴァーニー失踪の捜査をしている内にラージのことを嗅ぎ付け、家にやって来る。シヴァーニーの肉体は発見され、連れ出されてしまう。もはや成す術もなかった。いつの間にかラージとシヴァーニーは愛し合っていた。だが、それを確認し合ったときは既に遅かった。病院に戻ったシヴァーニーは、医者によって殺されようとしていた。ラージはシヴァーニーの魂を抱きながら、最後の別れをする。シヴァーニーの魂は突然消えてしまう。

 ラージは、シヴァーニーを殺した医者に復讐するために病院へ駆け込む。ところが医者はジョン・スミスに逮捕されていた。なんとシヴァーニーは昏睡状態から回復し、全てを話したのだった。シヴァーニーの病室に駆け込むラージ。だが、シヴァーニーはラージのことを覚えていなかった。落ち込むラージであったが、再びシヴァーニーとの関係を最初から築き上げることにし、レストランにいた彼女に「はじめまして」と話し掛ける。

 幽霊と人間のラヴストーリーは、「ゴースト ニューヨークの幻」(1990年)を筆頭としていくつかあるが、この映画に出て来るのは正確には幽霊ではなく、「昏睡状態にある人間の肉体から抜け出た魂」という設定になっており、多少捻ってあった。悲しい結末かと思いきやそうでもなく、完全なハッピーエンドかと思わせておいてやはりそうでもなかったところは憎い演出であった。アルジュン・ラームパールの無愛想な演技、狙って外しているのか本当に外しているのか微妙なコメディーシーン、そして冗漫な展開が痛すぎたが、前向きな結末を用意したことにより映画全体が救われたと言っていいだろう。決して泣ける映画ではないし、かと言って晴れやかな気分になる映画でもないが、不思議な満足感を得られる映画であった。

 この種の映画には2種類のエンディングが考えられただろう。昏睡状態のシヴァーニーが安楽死させられてしまう悲しい結末か、またはシヴァーニーが助かり、ラージと結ばれるというハッピーエンドである。だが、スバーシュ・ガイー監督の弟子で、「I See You」の監督と脚本を務めたヴィヴェーク・アガルワールは、敢えてその中道を行った。シヴァーニーは助かったものの、ラージのことを覚えていなかったのである。つまり、息を吹き返した途端、魂となってラージの前に現れ、彼と愛し合った期間のことを忘れてしまったのだ。だが、ラージは落ち込まなかった。退院したシヴァーニーに積極的に話し掛け、再び彼女の心の中に自分への愛を自然に芽生えさせようとする。そこで映画は終わっていた。映画の冒頭では、ラージは「真実の愛」に理解を示さない口先だけのプレイボーイとして描かれていたため、余計その真摯な姿が映える。最も理想的なエンディングだったと言える。

 しかし、途中の脚本はもう少し面白くできたのではないかと思う。非常に陳腐でかつ冗漫な展開であった。インド映画の方程式に則ってミュージカルシーンなどが入っていたが、必要不可欠な要素ではなかった。チャンキー・パーンデーイやボーマン・イーラーニーがコメディーシーンを担ったが、それらも映画の中では不協和音となっていた。

 元トップモデルで、2001年に映画デビューを果たしたアルジュン・ラームパールは、未だに俳優として大成されていない。業を煮やした彼はチェイシング・ガネーシャというプロダクションを設立し、自ら映画をプロデュースし始めた。その第1作がこの「I See You」である。ちなみに共同プロデューサーのメヘル・ラームパールは彼の妻だ。彼女は1986年のミス・インディアである。さすが自分でプロデュースしただけあり、アルジュン・ラームパールを前面に押し出した作品に仕上がっていた。だが、デビュー当時から懸念であった演技力に改善は見られていない。彼は被写体としては一流だが、俳優としては、悲しいかな、二流である。かっこよすぎるのも罪なものだ。

 ヒロインのヴィパーシャー・アガルワールは本作品でデビューした新人。ビパーシャー・バスと似たような名前で、しかも肌の色も似ているが、タイプは全く別のようだ。素朴な役が似合う女優だと思う。

 冒頭のオープニング・ミュージカル「Subah Subah」では、シャールク・カーンとリティク・ローシャンが特別出演しており、要注目。スペシャルサンクスにはシャールク・カーンやリティク・ローシャンに加えてカラン・ジャウハル監督の名前も挙がっていたが、映画中には登場しなかったと思う。アルジュンの親友であるカランは、どうやら初めて映画を制作するアルジュンに対していろいろなアドバイスをしたようだ。

 ロンドンが舞台になっていたのは、おそらくプロットの中に安楽死に関する要素が出て来たからではないかと思う。インドでは安楽死や尊厳死は法的に認められていない。ただし、英国も、安楽死に関する議論では歴史のある国ではあるようだが、安楽死は完全に認められていないのではないかと思う。

 ところでこの映画、ロンドンが舞台となっていながら、ヒンディー語の使用率が非常に高かった。明らかに意識的にヒンディー語のセリフが多用されていたと思う。例えば、ヒンディー語を話す白人警官が出て来て、しかもなぜ白人がヒンディー語を話せるのかに関してちょっとしたサイドストーリーまで用意されていたり、病院の受付でインド人看護婦がラージに対して「インド人ならヒンディー語で話しなさい」と諭したりしていた。題名こそ英語であるものの、最近の、英語映画化するマルチプレックス向けヒンディー語映画の潮流に逆らう傾向であり、個人的に興味深かった。

 「I See You」は、アルジュン・ラームパールのファンのためにあるような映画だ。ロマンス・ファンタジー映画としても出来は悪くない。ラジニーカーントやシャールク・カーンなど、インド映画の人気俳優の多くは、残念ながら日本の美意識とはずれており、一般の日本人に受ける顔ではないが、グローバルなハンサム顔をしているアルジュンに限っては、比較的受け容れられやすいのではないかと思う。彼に頑張ってもらえれば、日本におけるヒンディー語映画人気獲得の突破口が少し開けるのではないかと考えたりする。