ヒンディー語映画音楽の歌詞を聞いていると、よく特定の表現が使われていることに気付く。「जाने क्यों」もそのひとつだ。「जाने क्यूँ」と表記されることもあるが、どちらでもいい。ヒンディー語初学者にとっては、意味を取るのに少し時間が掛かる表現だろう。
この表現が使われている曲の例として、「Dil Chahta Hai」(2001年)の「Jane Kyun Log」が挙げられる。
まず、「क्यों」については何の捻りもなく、そのままである。「なぜ」「どうして」という意味の、理由を問う疑問詞であり、日常会話の中で多用される言葉なので覚えやすい。
問題となるのは「जाने」の方だ。初学者は、どの単語が変化した形なのか特定するのに迷うかもしれない。候補となるのは、「行く」という意味の動詞「जाना」か、「知る」という意味の動詞「जानना」あたりだろう。
正解は、「知る」という意味の動詞「जानना」だ。この動詞の男性単数不確定未来形であり、直訳すると「知っているだろう」という意味になる。主語はとりあえず「誰か」という意味の「कोई」と取っておくといいだろう。そうすると、「जाने क्यों」は「誰かがなぜだか知っているだろう」という意味に取れることになる。
だが、これではまだ不完全である。実は「न जाने क्यों」という形もあり、こちらは「(誰も)なぜだか知らないだろう」という意味になるのだが、「जाने क्यों」も冒頭の否定辞「न」が省略された形だと捉えた方が意味を取りやすい。つまり、「जाने क्यों」は、「(誰も)なぜだか知らないだろう」という意味になる。
よって、冒頭で紹介した「Dil Chahta Hai」の「Jane Kyun Log」の歌詞は以下のように訳せる。
जाने क्यों लोग प्यार करते हैं
जाने क्यों वह किसी पे मरते हैं
なぜだか知らないが人々は恋をしてしまう
なぜだか知らないが誰かに惚れてしまう
ただし、主語を「भगवान」や「अल्लाह」など、「神」と取る解釈も成立し得る。つまり、「神様はなぜだか知っているだろう」→「神様しかなぜだか知らないだろう」→「誰もなぜだか知らないだろう」となり、結局は同じ訳になる。同様に、「न जाने क्यों」の主語を「神」と考えても、「神様もなぜだか知らないだろう」となり、やはり結局は「誰もなぜだか知らないだろう」に帰着する。
もう1本、「जाने क्यों」の例を挙げておこう。「Dostana」(2008年)の「Jaane Kyun」である。
サビの部分に以下の歌詞が出て来る。
जाने क्यों दिल जानता है
तू है तो I’ll be alright
なぜだか知らないが心は知っている
君がいれば僕は元気になれる
「जाने」とセットになる疑問詞は「क्यों」のみに留まらず、「何」という意味の「क्या」、「どうやって」という意味の「कैसे」、「どこ」という意味の「कहाँ」など、5W1H全てがセットになり得る。例えば、「Jaane Kahan Se Aayi Hai」(2010年)という映画があったが、この題名を直訳すると、「(その女の子は)どこからやって来たのか分からない」という意味になる。
「जाने」は短くて響きが良く、日常的によく使われる単語ながら、歌詞の意味を深めることができる便利な言葉でもあるので、映画音楽の歌詞によく使われる。用法を理解しておくと、ヒンディー語映画の理解が深まるだろう。