ディーワーリー週の2006年10月20日に、「Don」(2006年)と同時公開されたのが「Jaan-e-Mann」である。
監督:シリーシュ・クンダル
制作:サージド・ナーディヤードワーラー
音楽:アヌ・マリク
歌詞:グルザール
振付:ファラー・カーン
出演:サルマーン・カーン、アクシャイ・クマール、プリーティ・ズィンター、アヌパム・ケール
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ムンバイー在住のスハーン・カプール(サルマーン・カーン)は自称スーパースター、だが実際はひとつのフロップ映画に出演しただけの無職であった。しかも、1年前に離婚して米国へ移住してしまった元妻ピヤー(プリーティ・ズィンター)から500万ルピーの扶助料を要求されていた。スハーンと叔父で弁護士のボビー・カプール(アヌパム・ケール)は、どうやって500万ルピーを捻出しようか悩んでいた。 そこへ、アガスティヤ・ラーオ(アクシャイ・クマール)という1人の男がピヤーを訪ねてやって来た。アガスティヤ・ラーオはピヤーと学校が一緒で、密かに彼女のことを愛していたと言う。だが、失恋して米国へ渡り、現在ではNASAの宇宙飛行士になった。だが、スハーンもピヤーと同じ学校へ通っていた。最初は全然思い出せなかったスハーンも、話を聞く内にだんだん学生時代のことが思い出されて来た。アガスティヤは、チャンプーと呼ばれていた学園一ださい男であった。一方、スハーンは学園一カッコいい長髪のロックスターであった。ピヤーは彼のガールフレンドであったが、確かにチャンプーを利用するためにピヤーのデート相手にさせたことがあった。しかしながら、結局スハーンはピヤーと駆け落ち結婚し、アガスティヤはインドを去った。スハーンはその後何とか映画俳優になったのだが、デビュー作が大コケしてしまう。また、プロデューサーから既婚であることを隠せと厳命されていたため、彼はピヤーに自分と別居するよう要求する。それにショックを受けたピヤーは、スハーンと離婚してニューヨークへ移住してしまったのだった。だが、アガスティヤはスハーンのことに気付いていなかった。なぜなら学生時代と違って今のスハーンは短髪だったからである。 スハーンはとりあえず、アガスティヤに自分がピヤーの元夫だったことを黙っていた。一方、アガスティヤを見たボビーは妙案を思いつく。法律上、もしピヤーが誰かと結婚したら、スハーンは扶助料を払う必要がなくなるのである。このアガスティヤをうまくピヤーとくっつければ、全ての問題は解決する。スハーンもその案に賛成であった。だが、アガスティヤは全く話下手な男であった。そこでスハーンはアガスティヤと共にニューヨークへ行き、彼のプロポーズの手助けをすることにする。 スハーンはまず、ピヤーの家の前の部屋を借りて、四六時中ピヤーの様子を観察できるようにする。その後、アガスティヤとピヤーを偶然を装って引き合わせる。だが、アガスティヤはピヤーの前に出ると、今まで練習していたセリフが出なくなってしまうほど緊張してしまうのだった。そこでスハーンは小型のマイクをアガスティヤの耳に付け、言うべきセリフを彼に吹き込むことにする。スハーンの助けもあり、アガスティヤとピヤーの仲は次第に深まって行った。だが、同時にスハーンはピヤーがまだ自分のことを愛してくれていることに気付く。また、ピヤーが自分の子供を産んでいたこともこのとき初めて知る。スハーンがピヤーに別居を告げた日、ピヤーはスハーンに妊娠したことを伝えようとしていたのだった。ピヤーは子供を、スハーンの名前を取ってスハーニーと名付けていた。これらのことから、スハーンの気持ちに次第に変化が現れて来る。 スハーンは、ピヤーとスハーニーをインドに連れ帰るため、なんとか職を探そうとする。今までスーパースターにこだわっていた彼であったが、初めて謙虚に仕事を探そうと思い出した。スハーンはパンパースのTVCMのオーディションを間違えて受けてしまったのだが、意外にも合格し、俳優の道を再度歩み始めることに成功する。その知らせを持ってピヤーに会おうとした矢先、アガスティヤから衝撃的なことを聞く。アガスティヤはピヤーにプロポーズし、ピヤーもそれを承諾したというのだ。スハーンは大きなショックを受け、アガスティヤのもとを去る。 一方、スハーンの声を失ったアガスティヤは、ピヤーとの会話に困るようになる。いよいよアガスティヤとピヤーの結婚式の日が来る。そのときアガスティヤは、ピヤーの兄がピヤーの元夫から送られて来た手紙を全て隠していたことを知る。また、スハーンは結婚式に潜入し、スハーニーと話していたところで人々に見つかってしまう。こうして、アガスティヤはピヤーの元夫がスハーンであったことを知る。アガスティヤはピヤーに、彼女のことを本当に理解し、愛しているのはスハーンであると告げ、兄が隠していたスハーンからの手紙を渡す。 傷心のままムンバイーに戻ったスハーン。ボージプリー映画の端役から新たな俳優人生を始めていた。そこへスハーンがスハーニーを連れてやって来る。こうして2人は再婚することになったのだった。 一方、アガスティヤの方は遂に宇宙に飛び立った。同伴した宇宙飛行士の女性の顔はなんとピヤーそっくりであった!
基本的には恋愛映画の定石である男女男の三角関係を描いた映画だが、愛、笑い、涙のバランスがとてもよく取れた映画になっていた。ストーリーテーリングの手法も非常にユニークであった。キャスティングも絶妙。主演の3人、サルマーン・カーン、アクシャイ・クマール、プリーティ・ズィンターのそれぞれの魅力が上手に引き出されていた。
「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)の映画評で詳しく書いたが、インドの恋愛映画にはひとつの絶対的方程式が存在する。恋愛と結婚が相反する場合、つまり愛する相手と結婚相手が違う場合、結婚前は恋愛が勝ち、結婚後は結婚が勝つ、という法則である。「Kabhi Alvida Naa Kehna」はその方程式を破り、結婚後の恋愛を勝たせた。これは伝統に対するひとつの挑戦であったが、やはり方程式を破ったからであろうか、同作品はインドでは期待されていたほどヒットしなかった(ただし海外市場では大ヒット)。一方、「Jaan-e-Mann」は完全に方程式通りの映画である。たとえ離婚しようとも、一度成立した結婚は絶対なのだ。スハーンは扶助料の免除を狙って元妻ピヤーとアガスティヤを結婚させようと躍起になるが、次第にピヤーへの愛に目覚め、そしてピヤーの自分に対する変わらぬ愛情に気付き、最後には再びこの二人は結ばれる。とてもインド映画らしい映画で、観客にも自然に受け容れられるだろう。
この映画のひとつの特徴は、ミュージカル式のストーリーテーリングである。インド映画は元々ミュージカルっぽいのだが、「Jaan-e-Mann」は舞台ミュージカル風の手法を採用しながら、それを映画にうまく当てはめていた。特に挿入歌「Humko Maloom Hai」は見所。この歌はリハーンとピヤーの恋愛、結婚から離婚までの回想なのだが、それらの流れがミュージカルや合成映像と共に文字通り流れに流れていく。他の挿入歌も、通常のインド映画以上にミュージカルっぽい味付けがしてあった。アガスティヤがピヤーにプロポーズした後に繰り広げられる「Kubool Kar Le」も面白い。ピヤーの家族親戚友人たちがみんなで歌を歌いながら「プロポーズを受け容れなさい!」と説得するのである。
映画中最もよく練り込まれていたのはアガスティヤのキャラクターであった。「エヘヘヘ・・・」という気味悪い笑い方は、インド人観客の壺にはまっていたようだった。映画館を出た後も、周辺で「エヘヘヘ・・・」と真似して笑い合う人々がたくさんいた。スハーンも、心変わりが急すぎるものの、サルマーン・カーンのキャラクターにピッタリでよかった。だが、ピヤーの人物設定はちょっと破綻していた。学生時代にあれだけ不良少女だったのに、実はニューヨーク在住の大富豪の娘で、しかも家族は非常に温かい雰囲気だった。こんな家庭からあんな不良少女は生まれないと思うのだが・・・。ニューヨークで花屋を経営するまではよかったのだが、その後は都合よく設定をいじりすぎたような印象を受けた。だが、プリーティ・ズィンター自体は「Kal Ho Naa Ho」(2003年)以来のかわいさだった。彼女のかわいさは作品によってかなりブレがあるが、今回は合格である。
アヌパム・ケールは、小人の弁護士という謎の役。小人はインドでは「ヴァーマン」と言うのだが、彼が演じるボビー・スィンは「ヴァーマン」という言葉にやたら神経質になっていて笑えた。そういえば先日公開された「Naksha」(2006年)という映画でも小人たちがたくさん登場していた。流行なのであろうか?
アヌ・マリク作曲の音楽とファラー・カーン振り付けの踊りはどれもかなりノリノリで、映画の豪華絢爛な映画の雰囲気をさらに豪華に引き立てていた。カッワーリー風の曲「Jaane Ke Jaane Na」では、「ハラキリ」という言葉が出て来るので、日本人にとっては注目である。
映画中、「世界には同じ顔の人が7人いる」という噂が真剣に話し合われていた。そのきっかけは、ボビー・スィンそっくりの人がニューヨークにいたからである(もちろんこのおじさんもアヌパム・ケールが演じていた)。それを見たアガスティヤは、「ということはピヤーに似た女の子が世界に他に6人いるということか。じゃあその内の一人と結婚しようかな」と言う。このときスハーンはまだアガスティヤを何とかピヤーと結婚させようとしていたため、「お前が好きなのはピヤーの顔だけなのか?」と言ってピヤーに執着させようとするが、それが物語の結末の伏線になっていた。アガスティヤが宇宙で出会ったのは、ピヤーにそっくりな金髪の女性だったのだ。しょうもないと言えばしょうもないのだが、ピヤーをスハーンに譲ったアガスティヤにもハッピーエンドを用意するというインド映画の良心が働いたのだろう。おかげで観客も軽い気分で映画館を出ることができるというわけだ。
他の見所は、冒頭でスハーンが見ていた映画賞受賞の夢であろう。夢の中でスハーンは並み居る大スターたちの中から主演男優賞を受賞し、壇上に上がって感謝の言葉を述べる。これは合成映像になっており、ムムターズ、シャンミー・カプール、ダルメーンドラなど往年の大スターたちの白黒映像にサルマーン・カーンが混じり込んでいる。「フォレスト・ガンプ」(1994年)で使われた手法である。
総じて、ニューヨークを舞台にし、結婚前でなく結婚後の男女関係をメインテーマに据えた「Jaan-e-Mann」は、21世紀の典型的なインド映画と位置づけることができるだろう。