今日は、2006年2月10日公開の新作ヒングリッシュ映画「Mixed Doubles」を観た。題名の直接の意味は、テニスなどの男女混合ダブルスのことを指すが、その裏に隠されたテーマは倦怠期の夫婦のスワッピングである。監督はラジャト・カプール。キャストは、ラジャト・カプール、ランヴィール・シャウリー、コーンコナー・セーンシャルマー、コーエル・プリー、ナスィールッディーン・シャー、サウラブ・シュクラーなど。
スニール(ランヴィール・シャウリー)とマールティー(コーンコナー・セーンシャルマー)は幸せな中産階級の家庭を築いていた。ところが最近、スニールは倦怠期になっており、毎晩妻にいろいろ言い訳をしては逃げ回っていた。ある日、米国に移住した友人がやって来て、スニールにスワッピングのことを教える。スニールは興味を示し、スワッピングを試すことに決める。 スニールはスワッピングの広告に出ていた連絡先に連絡をし、ヴィノード(ラジャト・カプール)に出会う。スニールはヴィノードと相談し、スワッピングをすることを決める。ところが当然のことながらマールティーはそんなことはしたくない。とうとうマールティーは激怒し、息子と共に実家へ帰ってしまう。 実家に帰ったマールティーだったが、スニールが入院したとの報を受けて病院を訪れる。医者はマールティーに、夫にストレスを与えないよう忠告する。それを聞いたマールティーは、スワッピングにも渋々同意することになる。 スワッピング決行の日、スニールとマールティーはヴィノードの家を訪れる。ヴィノードの妻の名前はカルプナー(コーエル・プリー)と言った。4人は夕食を食べ、それぞれ夫婦を取り替えて寝室へ向かう。スニールはカルプナーを押し倒そうとするものの、カルプナーも一筋縄ではいかない女で、いろいろ要求して来る。スニールがそれに応えている内にカルプナーは眠ってしまう。一方、マールティーはヴィノードの寝室でずっと読書をしていたが、とうとうヴィノードの前で泣き出す。ヴィノードも彼女を慰める。 翌朝、スニールとマールティーは家に帰る。スニールはカルプナーと何もできなかった上にマールティーがヴィノードと寝たと思い込み、激怒する。マールティーも夫の身勝手さに怒る。だが、2人は家に戻っていつも通りの生活に戻って行くのだった。
スワッピングという、インドではまだまだ未知の世界に近いテーマを扱いながら、結局最後は「インドの良心」に収束していくという無難なストーリー展開の、ライトタッチのコメディー映画であった。スワッピングをテーマにした映画が、「Ajnabee」(2001年)などが思い浮かぶが、それでもまだまだインド人には目新しく映るだろう。だが、日本人には少し退屈なテーマかもしれない。
この映画の最も重要な部分は、スニールと米国帰りの在住がカフェで話をするシーンであろう。スニールは、スワッピング決行を数日前に控え、「スワッピング経験者」の友人に助言を求める。スニールは友人に、「インドもだいぶ変わったものだ。昔は角のチャーイ屋でチャーイを飲んでいたものだが、今ではカフェでコーヒーを飲んでいる」と語る。だが、友人は、「実は俺、スワッピングなんてしたことないんだ。あのときは冗談で言っただけだったんだ」と打ち明ける。それを聞いたスニールは呆然とする・・・。
確かに最近のインドの発展は目覚しい。その発展は、欧米文化の追随に依っていることが多い。カフェ、外国製自動車、マクドナルド、ブロードバンド・インターネット、スーパーマーケット・・・。だが、インドが守っていかなければならないものもある。「発展」という名のもとに、失って行ってはいけないものがある。スワッピングを題材に、そういう保守的なメッセージが映画の奥底に秘められていたように感じた。また、米国帰りのインド人がいかに話を大袈裟にして本国のインド人に自慢するかも揶揄されていた。
最後のシーンも映画らしい終わり方だったのではなかろうか。甘酸っぱいスワッピング初体験を終え、通常の生活に戻って行くスニール、マールティー、そして息子。家の扉が閉まると、そこには子供が描いた家族の似顔絵が貼ってあった。
監督のラジャト・カプールは、「Monsoon Wedding」(2001年)や「Kisna」(2005年)に出演していた俳優であり、過去に数本監督もしている。今回は監督と俳優を兼ねていた。スワッピングに胸をときめかせる倦怠期の夫、スニールを演じたランヴィール・シャウリーは、気味の悪いアクションで半分憎まれ役の主人公を面白おかしく演じていてよかった。若くして演技派女優として既に名声を確立した感のあるコーンコナー・セーンシャルマーは、まだ若いのにどうも既婚の役をよく演じる。「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)が最も印象的だろう。あのときは敬虔なブラーフマンの妻の役がけっこう板に付いてたのだが、今回演じた結婚後10年経った妻の役はあまり似合っていなかった。コーエル・プリーはエネルギッシュな演技をする女優である。本作では登場シーンはそれほど多くなく、後半になってやっと出て来るが、スニールを誘惑するだけ誘惑しておいて先に寝てしまうというおいしい役を演じていた。この四人が主役だと言えるが、他にインド最高の演技派俳優の一人、ナスィールッディーン・シャーが端役で登場していたのは特筆すべきであろう。
言語はヒンディー語と英語が半々。インドの中産階級の言語使用状況がそのまま反映されていた。登場人物同士のセリフのやりとりを楽しんで笑う傾向が強い映画なので、ヒンディー語が分からないと、英語だけではストーリーの流れを掴んだり、映画の味を味わったりするのに苦労するだろう。
まるで東京の単館で上映される欧米などの映画のように、コンパクトにまとまった作品であった。つまらない映画ではないのだが、インドでわざわざ観たいと思うような種類の映画ではないと感じた。