インドは宗教大国であり、それぞれの宗教にはそれぞれの神や信仰対象がいる。インド人は概して非常に信心深く、宗教は生活に溶け込んでおり、インド人の会話の中に神様が言及されることはとても多い。それは映画の中の台詞や歌詞においても当てはまる。
多神教のヒンドゥー教には3億3千万の神がいるとされるし、一神教のイスラーム教にしてもアッラーには99の名前があるとされる。ジャイナ教には24人のティールタンカラ(救済者)が認められているし、スィク教には10人と1冊のグル(導師)がいる。
インドでは神様の具体的な名前が挨拶に使われることが多いので、自然と映画の中に登場する回数も増える。たとえばヒンドゥー教徒同士のもっとも標準的な挨拶のひとつは「राम राम」であるが、これは「ラーマーヤナ」の主人公で、ヴィシュヌ神の化身として神格化されたラーマ王子の名前を唱えたものだ。このように神様の具体的な名前を出した挨拶は神様の数だけ各地に存在するといっても過言ではない。
インドでは神様の数自体が多いのだが、「神様」を意味する一般的な名詞の数も豊富である。ここでは代表的なものをまとめてみた。
Bhagwaan
भगवान。ヒンドゥー教徒が神様について言及する際にもっともよく使う言葉である。「ああ、神様」というときは、「हे भगवान」という言い方をする。ヒンドゥー教の神様に限らず、イスラーム教、キリスト教、仏教など、広範な宗教の神様について一般名詞的に使われることもある。
「バグワーン」は人名にも使われる言葉である。人間が神様に訴訟するコメディー映画「OMG: Oh My God!」(2012年)では、当初、「バグワーン」を訴えようとしたら、「バグワーン」という名前の人物への訴訟だと勘違いされるシーンがある。宇宙人が「バグワーン」を探す「PK」(2014年/邦題:PK ピーケイ」でも同様に、「バグワーン」は人名だと捉えられていることがあった。
「PK」のソングシーン「Bhagwan Hai Kahan Re Tu」では、「神」の意味での「バグワーン」が呼び掛けとして歌詞の中に使われている。後述する「クダー」と併せて紹介する。
भगवान
है कहाँ रे तू
हे ख़ुदा
है कहाँ रे तू
神よ
どこにいるのですか
神よ
どこにいるのですか
Ishwar
ईश्वर。「バグワーン」と並んでヒンディー語で「神様」を意味する言葉としてよく使われる言葉である。主にヒンドゥー教の神様に対して使われる。
「Pukar」(2000年)の「Ek Tu Hi Bharosa」は、著名なプレイバックシンガーのラター・マンゲーシュカルが本人役で登場し、宗教の垣根を越えた信仰心を歌い上げる。この中でイスラーム教の神アッラーと共に「イーシュワル」という単語が使われている。
ईश्वर या अल्लाह
यह पुकार सुन ले
ईश्वर या अल्लाह हे दाता
神よ、ああ神よ
この呼び掛けを聞いておくれ
神よ、ああ神よ
Prabhu
प्रभु。これも「神様」を意味する単語で、ヒンドゥー教徒がよく使うが、どちらかというと「हे प्रभु」という形を取って、「ああ、神様」という神様に対する呼び掛けに多用される。上の2つに比べると、多少古風な響きのある言葉である。
歌詞に「プラブ」が使われる例として、「Hum Dono」(1961年)から「Prabhu Tero Naam」を挙げておく。
प्रभु तेरो नाम
जो ध्याए फल पाए
सुख लाए तेरो नाम
神よ、あなたの名前を
思い浮かべると果実を得る
あなたの名前が幸せをもたらす
Khuda
ख़ुदा。イスラーム教徒が「アッラー」以外に神様を表現する際にこの言葉がよく使われる。元々はペルシア語で、しかも多神教の神々を意味する言葉だった。英語の「God」に対する「deity」のようなものだ。よって、原理主義的なイスラーム教徒の中には、アッラーを「クダー」と呼ぶことを不適切だと考える人々もいる。
「さようなら」という意味の「ख़ुदा हाफ़िज़」というフレーズがある。ヒンディー語初学者は、特にイスラーム教徒同士で使われる挨拶だと習うはずである。「神様のご加護がありますように」という意味である。だが、上記の理由から、これを「अल्लाह हाफ़िज़」と言い換えて使う人も増えている。
「クダー」はイスラーム教的でもあり、ヒンドゥー教を思わせる多神教的でもある単語であり、かつ、短くて響きがいい言葉なので、ヒンディー語映画音楽の歌詞で多用される。例として「Paathshaala」(2010年)の「Aye Khuda」を挙げておく。
ऐ ख़ुदा मुझको बता
तू रहता कहाँ क्या तेरा पता
ああ、神様、教えておくれ
どこに住んでいるのか、住所は何か
Rab
रब。パンジャービー語で神様のことを「ラブ」という。ヒンディー語映画界にはパンジャーブ地方に出自を持つ人々が多く、ヒンディー語映画の台詞や歌詞の中でもパンジャービー語系のこの言葉がよく使われる。「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)の「Rab」である。この題名は「神様が作ったカップル」という意味になる。
神様への呼び掛けの際は、「रब्बा」という形を取ることが多く、これもヒンディー語映画でよく使われる感動詞になる。
「ラッバー」が出て来る曲として、「Salaam-e-Ishq」(2007年)の「Ya Rabba」を挙げておく。
या रब्बा
दे दे कोई जान भी अगर
दिलबर पे हो न
दिलबर पे हो न
कोई असर
ああ、神よ
誰かが命を捧げたとしても
愛しい人に
愛しい人に
何の影響もないように
Wahe Guru
वाहेगुरु。スィク教では「グル」と呼ばれる歴代の指導者が神格化され信仰される。第11代グルは聖典グラント・サーヒブとなり、この書物がグル扱いされている。スィク教の信仰対象を「ワーヘーグル」という。「わぁ、導師様」みたいな意味の感動詞ではあるが、このフレーズが全体で神様を示す言葉としても使われる。「वाहेगुरु दा खालसा वाहे गुरु दी फ़तेह」は「純粋なる信徒は神を信じ、勝利は神に属する」というような意味で、スィク教徒同士の挨拶として交わされる。
ヒンディー語映画では、スィク教のキャラが出て来たときにこのフレーズを耳にすることが多い。映画音楽の歌詞の中に「ワーヘーグル」が使われるものは正直いって稀なのだが、「Halla Bol」(2008年)の「Shabad Gurbani」の中にかろうじて見つかる。
सतनाम श्री वाहेगुरु
神よ・・・