
2026年8月21日公開のタミル語映画「Modha Rathiri(初夜)」は、訳ありの結婚式の初夜に起こる数々の騒動を描いたブラックコメディー映画である。
監督はラージャー・カルッパサーミ。「Hey Sinamika」(2022年)などで助監督を務めた人物で、映画監督は初である。音楽はバーラト・シャンカル。
主演は「Made in Korea」(2026年/邦題:マイ・ソウル・ダイアリー)などに出演のリシカーントと、「Sirai」(2025年)などに出演のアニシュマー・アニルクマール。
他に、シェリー・キショール、チェータン、バガヴァティー・ペルマール、Aヴェンカテーシュ、アブドゥル・リー、サンギーター・バーラン、バーヌ・プリヤー、スミトラー・デーヴィー・L、ヴァルシニー・カルメーガム、カールティケーヤンDK、ディリーパン・クリシュナムールティなどが出演している。また、ラージャー・カルッパサーミ監督が重要な役でカメオ出演している。
テクール村では、ドバイ在住のマルトゥー(リシカーント)と、ムトゥー(アニシュマー・アニルクマール)の結婚式が行われようとしていた。マルトゥーはそれを全く知らされていないままドバイからやって来て困惑する。一方、ムトゥーにはニティーシュ(ラージャー・カルッパサーミ)という恋人がおり、結婚式を抜け出して彼と駆け落ちしようとしていたが、ニティーシュが寝坊をして計画が狂ってしまった。また、マルトゥーの妹キールティ(スミトラー・デーヴィー)の夫カンナン(アブドゥル・リー)は新婚夫婦のためにベッドを注文していたが、まだ届いていなかった。
マルトゥーとムトゥーの婚姻の儀式が行われ、二人は部屋に通される。だが、そこにはまだベッドはなかった。マルトゥーは、ムトゥーがトイレの窓から逃げ出そうとしているのを発見し、事情を聞く。ムトゥーに恋人がいることを知ったマルトゥーは、彼女の脱走を手助けする。ところが、無職のニティーシュは金欠状態で、ようやくオンボロバイクに乗って待ち合わせ場所である祠にやって来たときには、彼は給油やパンク修理などで有り金を使い果たし無一文になっていた。ニティーシュはムトゥーとの駆け落ちに自信がなくなり、土壇場でムトゥーをマルトゥーに託し逃げ去る。
祠では司祭のプーサリ(チェータン)が二人の事情から事情を聞く。実は6年前、マルトゥーは低カーストの女性ニルマラーと恋に落ち、カーストに端を欲した争いによって彼女を失っていた。ニルマラーが身を投げた井戸がまさにその祠のそばにあった。そのトラウマからマルトゥーは結婚に及び腰だった。それを知ったムトゥーは急に姿を消すが、プーサリとマルトゥーは彼女を探し出し、結論が出るまで一緒にいることになる。
一方、マルトゥーの家では、マルトゥーとムトゥーがいないことが発覚し、マルトゥーの母親ゴーマティー(サンギーター・バーラン)と、ムトゥーの母親セルヴィ(シェリー・キショール)の間でいさかいが起こっていた。また、バス停ではムトゥーの叔父シャラヴァナン(バガヴァティー・ペルマール)とカンナンの間でケンカが始まっていた。マルトゥーの父親ヴェーラーユダム(Aヴェンカテーシュ)はカルップ(カールティケーヤンDK)と共にマルトゥーとムトゥーを探しに出掛ける。
マルトゥーとムトゥーは、プーサリに説得され、とりあえず家に戻る。そこでは両家の間でケンカが起こっており、結婚が破談になりかけていた。そこへヴェーラーユダムがニティーシュを連れてやって来る。混乱が最高潮に達したとき、ムトゥーは何も言わずに去っていき、マルトゥーが彼女を追い掛ける。
朝が来た。ベッド屋のマンナラン(ディリーパン・クリシュナムールティ)はようやくテクール村にたどり着き、祠に座っていたマルトゥーとムトゥーに「ドバイのマルトゥー」の住所を聞く。マルトゥーとムトゥーは顔を見合わせて微笑む。
過去に恋人を自殺で失ったトラウマを抱え結婚を頑なに忌避していたマルトゥーと、恋人との駆け落ちを計画していたムトゥーが、家族によって無理やり結婚させられるところから物語は始まる。通常のロマンス映画ならクライマックスになるべき場面が映画の導入部になっている感覚だ。マルトゥーとムトゥー、それぞれの過去にかなりのドラマがあったはずだが、その経緯はほぼすっ飛ばされており、本人たちが望まない結婚式の一夜に起こるゴタゴタをじっくりと集中して描き出そうとしている。
ひとつポイントになるのは、マルトゥーとムトゥーの婚姻は成立していることだ。新郎マルトゥーは、パンディト(僧侶)がマントラを読み上げる中、新婦ムトゥーの首に、既婚女性の証であるマンガルスートラを掛けており、これをもって正式に二人は婚姻関係になった。インド映画には、一度成立した結婚は取り消せないという強力な掟が効力を持っており、それをよく理解している者なら、マルトゥーとムトゥーが最後には結ばれることを予想する。そして、どのように二人がお互いを受け入れるのか、それを楽しむことになる。
マルトゥーはムトゥーが恋人ニティーシュと駆け落ちしようとしていたのを知り、彼女に協力することになる。だが、ニティーシュはかなりのダメ男で、ムトゥーとの待ち合わせに寝坊したばかりか無職のために金欠状態であり、途中でムトゥーとの駆け落ちを取り止め逃げ出してしまう。取り残されたムトゥーは途方に暮れ、路頭に迷うが、常に彼女を支えてくれるマルトゥーの優しさに触れ、彼とこのまま夫婦になる将来を考え始める。映画の結末は明確に二人を結びつけてはいなかったが、十分にそれを予感させる終わり方だった。
「Modha Rathiri」は、マルトゥーとムトゥーの「初夜」に起こった出来事を描いた作品だが、アレンジド・マリッジをした二人にとって、「初夜」とは決して身体的なものではなく、むしろ精神的な触れあいであった。当初は、本人の意思に反して無理やり適齢期の男女を結婚をさせてしまう傾向の強いインドの習慣に対する批判かと感じたが、アレンジド・マリッジで出会った二人が心を通い合わせる終わり方は、どちらかといえばどんな結婚でも幸せになれるといったメッセージを感じた。
マルトゥーとムトゥーのこの緩やかな接近が物語の主軸になるのだが、この映画に込められたメッセージはむしろサイドストーリーの方にあったといえる。まずはカーストだ。カルップという青年はどうやら低カーストのようで、マルトゥーの父親ヴェーラーユダムは露骨に彼に触れるのを避けていた。だが、最後には彼はカルップを受け入れ、カーストによる差別を放棄していた。また、マルトゥーのかつての恋人ニルマラーが死んだ原因もカーストであった。このように、「Modha Rathiri」のストーリーにはカースト批判が織り込まれていた。
もうひとつ明確に発せられたメッセージは、女性差別の解消であった。ムトゥーの従妹ラミヤーは勉強を望んでいたが、母親からは早期の結婚を強要されていた。ムトゥーも、学業成績優秀だったが、家でそれが尊重されることはなく、やはり結婚を急かされた。あたかも女性の人生は結婚によってのみ決定されるかのようであった。しかも、ラミヤーの母親自身も警察になりたい夢を捨てて主婦になっていた。女性自身が娘の可能性を狭めようとしていたのである。これらのエピソードを通じて、女性が思うように生きられないインド社会の問題が提起されていた。
ただ、終盤はかなり雑然としてしまっていた。両家の男性メンバー同士、女性メンバー同士でお互いに不信感が生まれ、一触即発の状態になり、ついにはケンカが始まってしまう。そこまではいいのだが、そのケンカを収めるためか、急にプーサリが祠の女神に憑依されたような状態になる。そうかと思ったら、今度はムトゥーが女神に取り憑かれた奇行を始める。それが本当の憑依なのか、単なる演技なのか、よく分からない。よく分からないのだが、とうとう「Kantara」(2022年/邦題:カーンターラ 神の降臨)のような神懸かった展開にはならず、不発に終わる。ムトゥーの恋人ニティーシュがシャラヴァナンの甥だったというオチも突然すぎてよく分からなかった。
「Modha Rathiri」は、アレンジド・マリッジで無理やり結婚させられた若い男女が、結婚式の一夜に起こるさまざまな事件を通して、お互いを夫婦として受け入れるまでを描いた作品だが、全体的にブラックコメディー・タッチで描かれており、社会風刺も織り込まれている。各キャラクターが生き生きとしており、インドの結婚式のゴタゴタ振りがよく再現されていて、楽しく鑑賞できる。終盤に掛けて緩くなるものの、良作である。
