「Cocktail」(2012年)の続編「Cocktail 2」(2026年)の公開を控え、「Cocktail」の挿入歌「Tumhi Ho Bandhu」のオマージュ「Bandhu 2.0」の動画がYouTubeにアップロードされた。その出来についてはコメントを避けるが、これをきっかけにインド人の視聴者から「Tumhi Ho Bandhu」を懐かしがる声が多数寄せられており、つい取り上げたくなった。
「Cocktail」は、僕がインドに滞在しているときに公開された映画であり、また、インディアンムービーウィーク(IMW)にて「カクテル 友情のトライアングル」という邦題と共に上映された際に日本語字幕を担当した縁もあって、自分の心にとても近い作品だ。日本で一番この映画について深く語れる人間ではないかと自負している。
「Cocktail」の字幕を引き受けたのは、「Tumhi Ho Bandhu」を訳したかったからである。映画自体も好きだが、特に「Tumhi Ho Bandhu」が大のお気に入りなので、その字幕を担当できるのは光栄なことだった。映像を視聴してもらえば、海岸で開かれたビーチパーティーでさまざまな人種の人々がDJの流す音楽に合わせて身体を動かす楽しげなダンスシーンであることが分かるだろう。インドのゴアなどではなく、南アフリカ共和国のケープタウンで撮影されている。
「Tumhi Ho Bandhu」は直訳すれば「君こそが友」になる。ヒンディー語映画には各時代に友情の尊さを声高らかに歌い上げた名曲がいくつもあるが、2010年代を代表する友情ソングといえばこの「Tumhi Ho Bandhu」で決まりではなかろうか。
思い出話になるが、映画公開からしばらく後、ニューデリーの日本人学校を訪ねたところ、子供たちがこの曲に合わせて踊っていたのを見た。アップテンポなダンスナンバーなので踊りやすい上に、何より友情が大切な年頃に聞かせるには最適な曲だ。いい選曲をするなと感心したものだった。もっとも、その歌詞までしっかり理解して踊っている日本人の子供たちは少なかったと思われるが・・・。
ただ、「Cocktail」はロマンス映画であり、この「Tumhi Ho Bandhu」も登場人物の間で恋愛模様が変化する過程で挿入される歌曲である。よって、単なる友情ソングではなく、恋愛ソングとして読み取らなければならない。
「Cocktail」の主な登場人物は、ガウタム(サイフ・アリー・カーン)、ヴェロニカ(ディーピカー・パードゥコーン)、ミーラー(ダイアナ・ペンティー)の3人である。この内、「Tumhi Ho Bandhu」の歌詞で描写されている心情の主体はミーラーだと特定すべきである。ミーラーの気持ちの変化が「Tumhi Ho Bandhu」で歌われている。
では、どんな変化があったのか。ミーラーは、結婚詐欺に遭い、ロンドンで路頭に迷っていたインド人女性だ。インド系英国人女性ヴェロニカが彼女に声を掛け、自宅に招いたが、そこにはヴェロニカの恋人ガウタムもいた。ガウタムは英国の企業に就職したインド人男性だった。こうして三人の奇妙な同棲生活が始まったのだが、当初からミーラーはお調子者のガウタムを嫌悪していた。ガウタムに対するミーラーの気持ちが変わったのが、ケープタウンでのバカンス中だった。ミーラーは結婚詐欺に遭って深く傷つき自信を失っていたが、ユーモアを交えて彼女を必死に慰めようとするガウタムの優しさに触れ、彼を見直す。気持ちが軽くなったミーラーが思い切って酒を飲んで自己を解放し踊り出すときに流れるのが「Tumhi Ho Bandhu」である。
「Tumhi Ho Bandhu」の最初のラインは以下の通りだ。
यारा तेरे सदक़े इश्क़ सिखा
मैं तो आई जग तजके इश्क़ सिखा
友よ、お願いだから、愛を教えて
私は世界を捨てて来たの、愛を教えて
愛に裏切られ、愛を見失ったミーラーは、「友」であるガウタムに対し、「愛を教えて」と懇願している。それから何行か同様の内容の歌詞が続き、すぐに「Tumhi Ho Bandhu」のサビが来る。
तुम्ही दिन चढ़े तुम्ही दिन ढले
तुम्ही हो बंधु सखा तुम्ही
君と共に日が昇り、君と共に日が沈む
君こそ親友、君こそ相棒
シンプルな歌詞だが、訳すのは実は非常に難しい。上記のものは意訳である。また、この部分での語彙の使い方については気になる点があるため、後で詳しく述べる。とにかく、ここでミーラーはガウタムに対し、「君こそが友」と呼びかけているのである。絶望の淵にいた彼女を優しい言葉で救ってくれたガウタムに対し、強い友情を感じているのが分かる。
だが、歌が進行するに従って、ミーラーのガウタムに対する気持ちの中に恋愛感情が芽生えてくる様子が見て取れる。たとえば以下の歌詞である。
दिल की तख़्ती पर हूँ लिखती इश्क़ा इश्क़ा
जग क्या जाने दिल को मेरे इश्क़ा किसका
心の石版に私はひたすら「愛」の字を書く
世界は私の心に誰への愛があるか知らない
もうひとつは以下の歌詞である。
बनके चाहत नज़रों से ख़त लिखना लिखना
तू है जैसा मुझको वैसा दिखना दिखना
愛になって視線で手紙を書きたい
私は君と同じになりたい
だが、ミーラーはガウタムの恋人がヴェロニカであることを重々承知している。ヴェロニカには見知らぬ土地で助けてくれた恩もある。友人であるのみならず恩人である。そのガウタムに横恋慕することは許されない。
後半になってくると、サビの歌詞が全く異なったニュアンスを含んでくる。序盤では、「君こそが友」とガウタムに積極的に気持ちを寄せていたが、終盤では、抑えきれない禁断の感情に気づき、「君は友なんだ」と自分を言い聞かせる自制の言葉になる。ミーラーの心がたどるこの旅路が、ひとつの歌の中で、同じサビによって、見事に表現されている。
ただ、この仕掛けには歌を耳で聴いているだけではなかなか気付かない。映像と共に味わうことで、この歌に込められた真意が明らかになる。終盤で「तुम्ही हो बंधु सखा तुम्ही」と歌われるときのミーラーの表情に注目してほしい。ガウタムと見つめ合い、一瞬だけ彼を恋愛の対象と見るが、その後すぐに失笑のような笑みを浮かべて、ガウタムから自ら離れていく。その一瞬の感情の発露に気付いたガウタムは、離れていく彼女を後ろから呆然と見つめる。ガウタムにも彼女の気持ちが伝染した瞬間だった。心と心が触れ合ってしまった以上、もはや二人の関係は元通りには戻れなかった。
「Tumhi Ho Bandhu」の歌詞は基本的にシンプルな単語で構成されている。だが、一部難解な単語が使われ、場違いな印象を受ける。その筆頭がサビの「तुम्ही हो बंधु सखा तुम्ही」だ。ここでは「友」を言い表すために「बंधु」と「सखा」という単語が使われているが、これらはヒンディー語圏ではあまり日常的に使われない言葉である。どちらかといえば古めかしい単語だ。「友」と言いたいならば、「दोस्त」や「साथी」など、もっと日常的に使用頻度の高い単語がいくつもある。なぜわざわざ「बंधु」や「सखा」のような古風な単語を使ったのだろうか。
もちろん、韻の関係はあっただろう。だが、調べてみると、この歌詞には元ネタがあった。以下のサンスクリット語のシュローカ(詩歌)である。学校で習うこともある、割とポピュラーなシュローカのようだ。
त्वमेव माता च पिता त्वमेव
त्वमेव बन्धुश्च सखा त्वमेव।
त्वमेव विद्या च द्रविणम त्वमेव
त्वमेव सर्वमम देव देवः।।君こそが母、君こそが父
君こそが兄、君こそが友
君こそが知、君こそが富
君こそが全て、神の中の神よ!
上記のシュローカの2行目に「बंधु」と「सखा」が使われている。「Tumhi Ho Bandhu」のサビは、このシュローカの2行目をそのままヒンディー語に訳しただけのようだ。
今一度シュローカに戻って見てみると、ここで「君」と呼びかけられているのは「神」である。神を家族同然の身近な存在として呼びかけ、讃える内容になっている。
それにヒントを得て「Tumhi Ho Bandhu」の歌詞を読み返してみると、やはりこの歌曲でも「君」には「神」を読み取ることができる。「君」は、ミーラーにとってのガウタムであると同時に、「人」にとっての「神」なのである。
ヒンディー語のロマンス映画や恋愛歌にはスーフィズム(イスラーム教神秘主義)の影響を受けているものが多く、そのような歌詞に向き合ったときは、「Ishq-e-Majazi(形而下の愛)」と「Ishq-e-Haqiqi(形而上の愛)」の両面から解釈する必要がある(参照)。
そこまで理解が進むと、「Tumhi Ho Bandhu」で使用されている他の難解な語彙もスッと入ってくるようになる。たとえば以下のラインがあるが、ここではやはり場違いなほど難解な語彙が使われている。
दे सबक़ सुरूरों का साक़ी
मुझे क्या परवाह इस दुनिया की
教えて、愛の酌人
私にはこの世界などどうでもいい
「सुरूरों का साक़ी」とは、愛という酒を盃についでくれる酌人であり、つまりは神のことだ。神に愛について授業をしてほしいと懇願している。スーフィズム特有の言い回しだ。また、「Tumhi Ho Bandhu」では何度もこの世界からの自由を訴える歌詞が並んでいる。これは、神を求める求道者の精神そのものだ。「तू है जैसा मुझको वैसा दिखना दिखना(私は君と同じになりたい)」という歌詞も、スーフィズムの文脈で解釈すれば、神との合一を求める気持ちに変換できる。そもそも「ミーラー」という名前は、スーフィズムと近い思想であるバクティの詩を作った中世の伝説的な女性詩人の名前だ。
優れたインド映画は、歌詞がストーリーを引き立て、ストーリーが歌詞を引き立てる。「Tumhi Ho Bandhu」も、中盤、ストーリーの重要な転機において戦略的にはめ込まれた曲だ。しかもアップテンポの明るいダンスナンバーになっていて容易に人々の心を掴むことができた。だが、それだけでなく、歌詞と映像が相互補完関係にあることにも注目である。映像と併せて歌詞を吟味することで、その世界に深く入っていける。さらに、わざとらしく配置された神学的な語彙が、スーフィズムの掲げる「神との合一」に通じるヒントにもなっている。
「Tumhi Ho Bandhu」は、間違いなく名曲中の名曲である。
