
2026年6月12日公開の「Heer Sara」は、2人の若い女性が1台のバイクにタンデムして、マディヤ・プラデーシュ州インドールから南インドの連邦直轄地プドゥッチェリーを目指すというロードムービーである。題名は「Veer-Zaara」(2004年)のちょっとしたパロディーだ。
監督はカールティク・チャウダリー。「Main Aur Charles」(2015年)の歌詞や「Shaadisthan」(2021年)のストーリーを担当したことがあり、若干の監督経験もあるが、長編映画の監督は本作が初である。音楽はアルジュン・アイヤル。
主演は、「Badnaam Gali」(2019年)などのパトラレーカーと「Four More Shots Please!」(2019年~)のマーンヴィー・ガグルー。他に、アーリフ・ザカーリヤー、シュエーター・サールヴェー、ニシャーンク・ヴァルマー、ターラー・バガーリヤーなどが出演している。
舞台はマディヤ・プラデーシュ州インドール。サーラー(パトラレーカー)は、数学教師の父親ダラムヴィール(アーリフ・ザカーリヤー)と共に暮らしていた。母親のラリター(シュエーター・サールヴェー)は10年前に失踪し、残されたのは彼女が乗っていたブレットのみだった。ショッピングモールの化粧品売り場で販売員をしていたサーラーは母親のブレットに乗って出勤していた。ダラムヴィールは金欠状態で、娘がバイクに乗るのを快く思っておらず、売って金にしようとしていた。サーラーはそれを必死で止めていたが、ある日とうとうブレットは売られてしまう。
ブレットを買ったのはマーン家のティットゥーだった。サーラーはブレットを買い戻そうとするが断られる。サーラーは、母親がプドゥッチェリーのオールヴィルにいるのではないかと考え、マーン家からブレットを盗み出してプドゥッチェリーへ向かおうとする。
ところで、ティットゥーの妹ヒール(マーンヴィー・ガグルー)は、恋人のタンマイ(ニシャーンク・ヴァルマー)がプドゥッチェリーで別の女性と結婚しようとしているのを知り、家出をしてプドゥッチェリーに向かおうとしていた。そのときちょうど、ブレットを盗もうとしていたサーラーと鉢合わせになる。サーラーとヒールは目的地が同じだと知ると、一緒にプドゥッチェリーへ向かうことになる。
当初からサーラーはおしゃべりなヒールを厄介者扱いしていたが、彼女の捜索願が出されていることを知ると怖くなって彼女を宿泊したゲストハウスに置いていく。ヒールはバスでプドゥッチェリーに向かうが、途中でサーラーを見つけ、怒鳴りつける。サーラーはバランスを崩して倒れてしまう。ヒールはサーラーを病院へかつぎ込む。これら一連の出来事を通してサーラーとヒールは親友になる。
二人はプドゥッチェリーに着いた。ヒールはタンマイに会いに行くが、彼は家族の決めた結婚相手であるソーニカーとの結婚を決めており、ヒールを追い払おうとする。ついでに彼は、ヒールが太っていることをなじる。一方、サーラーはラリターに会いに行くが、彼女は「ニック」という人物と家庭を築いており、小さな娘もいた。サーラーはそのまま引き返す。
海岸で落ち合った二人は、酒を飲みながら話し合い、このまま引き下がるのは辞めにする。まずヒールはタンマイに会いに行き、ソーニカーや両家の家族の前でタンマイのルッキズムを批判する。次にサーラーはラリターの家に行き、なぜ10年前に家を出たのかを問い詰めようとする。そこにはサーラーを追ってダラムヴィールも来ていた。
ラリターが同居していた「ニック」とは、ニコル(ターラー・バガーリヤー)という女性だった。10年前、ニコルと出会ったラリターは同性愛に目覚め、彼女と密会を繰り返すようになる。バイクの趣味もニコルから学んだものだった。だが、それを知ったダラムヴィールはラリターを家から追い出した。行き場がなくなったラリターは、ニコルの住むポンディシェリーへ行き、そこで彼女と共に電動バイクの研究をしてきたのだった。また、小さな女の子はダラムヴィールとラリターの次女であり、サーラーの妹だった。彼女の名前も「サーラー」だった。
日本では一昔前に比べると女性ライダーがだいぶ増えたと感じるが、インドではまだバイクは女性の乗り物と認識されていない。スクーターなら運転している女性はいるが、バイクの運転者はほぼ男性である。そんなインドにおいて、女性がバイクを駆って旅に出るという物語には新規性が生じる。ただし、過去には「Dhak Dhak」(2023年)という映画があった。
「Heer Sara」がユニークだったのは、バイク女子のサーラーが母親のラリターからバイク熱を受け継いだことだった。母娘2世代でバイク好きというのは、インドではかなり珍しい。ただし、ラリターは10年前に謎の失踪を遂げていた。サーラーの脳裏には、母親の運転するバイクのタンデムシートに乗せてもらって夜の道を駆け抜けた思い出がかなり強烈に残っており、彼女は単にバイクが好きになったわけではなく、バイクに乗ることで母親の残像を追い求めていたのである。ちなみに、父親のダラムヴィールはかなり堅物の数学教師であり、娘がバイクに乗ることを快く思っていなかった。彼は、世間一般の常識通り、「バイクは女性が乗るものではない」という保守的な考えを持っていた。
サーラーは、母親がプドゥッチェリーにいることを突き止め、単身バイクで向かおうとする。この旅の道連れになったのがもう一人の主人公であるヒールであった。
常に切り詰めた表情をしていたサーラーとは対照的に、ヒールはかなり大らかな性格だった。サーラーに比べると裕福な家庭に育ったヒールは、かなり甘やかされて育っており、ファッションデザイナーになるのを夢見ていた。幼馴染みのタンマイとずっと付き合ってきたが、どうやら彼女が勝手に恋愛をリードしてきたような感じだった。そんなタンマイがアレンジド・マリッジによって他の女性と結婚することになり、それを知ったヒールは、結婚式が行われているプドゥッチェリーへ向かおうとするのである。
サーラーとヒールの住むインドールからプドゥッチェリーまでは1,500kmほどあり、陸路で行けば24時間以上掛かる。この距離をバイクで走破するのは、一般人にとっては大きな冒険になる。
もし「Heer Sara」が本格的なロードムービーということならば、この道程に時間を掛けて描写を行うはずだが、意外にあっけなくプドゥッチェリーに着いてしまう。では、人間ドラマかといわれれば、そうとも言い切れない。サーラーとヒールの性格を正反対にし、当初はウマが合わないが、出来事を通して心を通わせ合うという展開はまさに王道であったが、その関係の変化や各キャラの心情の変化が丁寧に描かれていたわけではなかった。
サーラーの母親ラリターが10年前になぜ家を出たのかは大きなサスペンスになっており、その種明かしが当然あるわけだが、それもしっくり来るものではなかった。ラリターが同性愛に目覚め、保守的なダラムヴィールが彼女を追い出したというのが事の真相だが、それをサーラーがどう受け止めたのか、よく分からなかった。見たところサーラーはそれほど保守的な女性ではないはずで、母親がレズビアンだったと知っても特に彼女を嫌悪することはなさそうだ。ならば、母親の性的指向に気付いて彼女を家から追い出した父親の価値観の方が糾弾されそうなものだが、それもなかった。
結末にて、ラリターと再会したサーラーは、母親をプドゥッチェリーに置いてインドールに去っていくようであった。ラリターがプドゥッチェリーでニコルと小さなサーラーと共に新しい人生を送っていることを知って満足したと受け止めることも可能だが、こういう円満な終わり方にすんなりなるのかということも疑問に思う。
ヒールのエピソードの方にも同じくらい疑問を感じる。長年付き合ってきたタンマイから拒絶されたヒールは、彼と結婚相手の家族の前でタンマイのルッキズム批判を繰り広げる。その独白は、スタンダップ・コメディアン出身女優であるマーンヴィー・ガグルーのスタイルがよく出ていた。だが、普通ならば乱入者にこんな好き勝手にスピーチをする時間は与えられないのではないかと思う。タンマイの結婚相手であるソーニカーも、ヒールを責めずタンマイを責めていたが、こういう反応になるだろうか。むしろヒールを攻撃する方が自然な反応ではないだろうか。
サーラー役のパトラレーカーは、今もっとも勢いのある俳優ラージクマール・ラーオの妻である。既に一児の母で、年齢は30代半ばだ。今回彼女が演じたサーラーは20歳前後の設定だった。外見上は年齢的に不適合には感じなかったが、彼女の話し方が幼稚に聞こえてしまい、割と自分をしっかり持っているサーラーのキャラクターと合っていない気がした。
一方、ヒール役を演じたマーンヴィー・ガグルーははまり役だったといえる。恋人から「太っているから」という理由で捨てられてしまうかわいそうな役回りであったが、それでもめげないタフさも同時に表現しなければならず、彼女の存在そのものがそれを実現していた。
「Heer Sara」は、女性2人がバイクに乗ってインドールからプドゥッチェリーへ向かうというタグラインに一定の新規性があったが、その作りそのものはかなり教科書通りであり、想定の範囲内で物語が進行して盛り上がりに欠ける。バイクの旅を前面に押し出していながら、バイクへの愛情も希薄だった。どうせならもっとロードムービーやバイクムービーとしての面白さを突き詰めてほしかった。無理して観る必要はない作品だ。
