
2026年5月1日公開の「Ek Din(1日)」は、大部分が北海道ロケという、日本人にとってとても特別な映画だ。同じく北海道ロケが行われたタイのロマンス映画「一日だけの恋人」(2016年)を翻案しており、アーミル・カーン・プロダクションが製作している。日本ロケのインド映画としては近年でもっともビッグネームだ。「一日だけの恋人」は未見の状態で「Ek Din」を鑑賞した。
プロデューサーはアーミル・カーン。監督はスニール・パーンデーイ。「Taare Zameen Par」(2007年)や「Dhobi Ghat」(2011年)などで助監督を務めており、アーミルと近い人間だ。監督は初となる。音楽はラーム・サンパト、作詞はイルシャード・カーミル。
主演はサーイー・パッラヴィーとジュナイド・カーン。サーイーは南インド映画界で活躍してきた女優で、近年も「Amaran」(2024年)や「Thandel」(2025年)などを当てている。彼女のヒンディー語映画出演は初だ。ジュナイドはアーミルの息子であり、「Maharaj」(2024年/邦題:マハーラージ)でデビューした。クレジットではジュナイドよりもサーイーの方が格上扱いされている。
他に、クナール・カプール、カヴィーン・ダーヴェー、レーシュマー・シェッティー、ジェニファー・エマニュエル、サムター・サーガル、プラガティ・ミシュラーなどが出演している。
ディネーシュ・クマール・シュリーヴァースタヴァ(ジュナイド・カーン)はノイダのIT企業マイコン・デジタル社のIT部門に務めるさえない青年だった。ディネーシュは同じ職場で働くミーラー・ランガナータン(サーイー・パッラヴィー)に片思いしていたが、ミーラーはナクル・バスィーン社長(クナール・カプール)と付き合っていた。ナクル社長は既婚だったが、妻のリトゥ(ジェニファー・エマニュエル)とはうまくいっておらず離婚秒読み段階にあると明かしていた。ミーラーは、商船隊で働いていた父の影響で日本好きであり、いつか日本に行きたいと夢見ていた。
ナクル社長は会社の業績アップを祝うため、3日間のゴアでの社員旅行を5日間の北海道旅行にグレードアップした。ナクル社長はミーラーとだけ旅行期間を2日延長し、日本に他の社員よりも長く滞在する予定だった。北海道に着いた社員たちは存分に雪景色を楽しむ。ディネーシュは鐘を鳴らし、1日だけでもミーラーと二人きりになれるように祈る。
旅行も終盤に差し掛かったとき、リトゥが突然ナクル社長を訪ねてやって来る。離婚秒読みというのは嘘で、リトゥは妊娠4ヶ月目で幸せいっぱいの様子だった。しかも、ナクル社長は社員旅行が終わった後、東京で2日間過ごすという。裏切られたミーラーは一人、北海道に残る。それを見たディネーシュは心配になり、社員旅行から外れ、彼女を見守ることにする。
ミーラーはカフェで酔い潰れ、吹雪の中、林の中へ入っていく。ディネーシュは地元の人々に救援を要請し彼女を救い出す。ミーラーの命に別状はなかったが、一過性全健忘(TGA)となって、一時的に記憶を失ってしまう。彼女が記憶を失っているのは1日だけで、翌日になれば自然に記憶が戻るという。ディネーシュは医者のケートキー・パテール(レーシュマー・シェッティー)から彼女の恋人だと勘違いされ、彼女の世話を任される。
ディネーシュはミーラーに「ナクル」と自己紹介し、彼女が記憶を失っている1日だけは恋人ではなく友人でいようと提案する。そして、ミーラーがしたためていた「北海道でしたいことリスト」をひとつひとつかなえていくことにする。ディネーシュと共に時間を過ごす内に、ミーラーは彼の誠実な人柄に触れ、恋するようになる。だが、ミーラーが彼にキスをしようとした瞬間、ディネーシュは正体を明かす。一瞬、だまされたと感じたミーラーは彼を追い払うが、彼の行動を思い起こし、彼に悪意がなかったことを確認する。また、ミーラーは本物のナクルが既婚者であることを知る。ミーラーはディネーシュとその日の最後の瞬間を一緒に過ごす。ミーラーは翌朝になってもディネーシュのことを忘れないように、未来の自分に向けてビデオメッセージも残す。
翌朝、ミーラーが目を覚ますと、ディネーシュはいなくなっていた。記憶が戻っており、違和感を抱きながらもホテルをチェックアウトしてインドに帰国する。ミーラーはマイコン・デジタル社を辞職し、ディネーシュも彼女を追い掛けるように辞める。ミーラーは、記憶を失っていた1日に何か大切な出来事があったと思うようになり、それを確かめようとする。そして、誰か男性が一緒にいたことに気付く。一方、ディネーシュはふさぎ込んでいたが、母親(サムター・サーガル)に励まされ、ミーラーにもう一度話し掛ける勇気を奮い起こす。
ミーラーはディネーシュからデートの誘いを受け入れ、日本食レストランに誘う。ミーラーは、ディネーシュこそが空白の1日に一緒にいた人物だと気付く。
主人公ディネーシュは、いわゆる弱者男性だ。その場にはいるが、存在感がなく、誰の記憶に残らない。もちろん、女性からは男性扱いすらされない。そんな彼が片思いしていたのが、職場のアイドル的存在であるミーラーだった。だが、世の常として、そういう輝いた女性は才気と自信に満ちあふれたアルファ男性に吸引されるものだ。ミーラーも例によって例のごとくナクル社長の寵愛を一身に受けており、二人のただならぬ仲は職場の噂になっていた。問題なのは、ナクル社長が既婚者だったことだ。どうやらナクル社長の妻リトゥは「魔女」のような悪女で、関係は冷え切っており、離婚秒読み段階にあるという。ミーラーはナクル社長が離婚した後、彼との結婚を夢見ていた。
以上が導入部での設定だ。タイ映画の翻案ということもあって、一般的なインド映画らしくない要素が散見される。まず、主人公が弱者男性という点だ。確かに近年のインド映画でも、イニシアチブを取れない奥手な男性がロマンス映画の主人公になるケースは増えている。それでもインド映画の基本は、男性主人公が「ヒーロー」と呼び習わされている点からも明らかなように、男性主人公を特別な存在に仕立て上げる。負け犬根性が染みついたディネーシュのキャラクターは、見ていてストレスのたまるものだ。また、既婚男性と関係を持っているミーラーのキャラクターも、既存のヒロイン像とは相容れない。もちろん、そういう設定のインド映画がないことはないのだが、純愛映画としてはふさわしくない。このような点から、「Ek Din」はインド映画の定番から乖離していた。それは新規性と受け止めることもできるのだが、インド社会の奥底から自然に生じたストーリーや設定とは感じられず、付け焼き刃としかいいようがなかった。
さらに、そこにミーラーが日本好きという設定が上乗せされる。四半世紀前くらいまでは、インド人の人生に日本への憧れが入り込むことは稀だった。一部、仏跡近くに住むインド人などならば、日本人観光客との接点が生じることで、日本に対する興味が湧くことはあったかもしれない。それでも20年ほど前からインドでも日本のアニメが放映されるようになり、その影響で日本好きなインド人の人口は急増した。だから、2026年時点で20代半ばという設定のミーラーが日本に興味を持つこと自体は変ではない。しかも、商船隊で働く父の影響で日本好きになったという説明もあった。変ではないのだが、さすがに雪ミクのガシャポン・フィギュアを集めているインド人というのは想像しにくい。タイ人なら分かる。だが、それがインド人になると、どうも嘘くささが出てしまう。ただ、これはそういう設定なので、そう受け止めるしかないだろう。
ディネーシュとミーラーは、慰安旅行の一環として、5日間の北海道旅行に訪れる。ナクル社長がミーラーのために企画したものだった。当然、北海道滞在中、ミーラーはナクル社長とベッタリであり、ディネーシュのことなど目もくれない。惨めなディネーシュにできることは、1日だけでもミーラーと一緒の時間を過ごしたいと神様に祈ることくらいしかなかった。
だが、その願いがかなってしまう。ナクル社長の妻リトゥが突然北海道までやって来たことで事態は急変する。ナクル社長はミーラーに、弁護士から連絡があってリトゥが離婚に同意したと伝えていたが、それは真っ赤な嘘だった。そればかりか、リトゥと関係が冷え切っているということから嘘であり、しかも彼女は妊娠4ヶ月で幸せいっぱいだった。ミーラーはナクル社長にだまされたのだった。
どん底に突き落とされたミーラーは、インドに帰国する社員から離れ、そのまま北海道に滞在することにする。酔っ払ったミーラーは吹雪の中、行方不明になった。彼女が心配になって北海道に残っていたディネーシュがすぐに対応したため彼女は救出されたが、一過性全健忘(TGA)という記憶喪失の一種になる。つまり、彼女は1日だけ記憶を失った状態になったのだ。この1日こそ、ディネーシュが天に願ったものであり、彼はミーラーの「恋人」として、そして「1日限りの友人」として、彼女と一緒に過ごす機会を得る。古今東西、記憶喪失を主題にしたロマンス映画は星の数ほど作られており、「Ek Din」もその延長線上に過ぎない。ロマンス映画というよりもお子様向けのファンタジー映画と表現した方が適切である。個人的な方針として、病気を使って人を感動させようとする安易な映画には厳しめの評価をしており、単にこれだけだったら、訴求力に欠けるロマンス映画になっていたことだろう。
ミーラーがTGAになってからの展開も想像の範囲内だった。TGA状態のミーラーはディネーシュと共に過ごす内に彼に恋をするが、翌朝回復すると彼のことをすっかり忘れてしまう。ディネーシュもそれをよく理解しており、彼女から忘れられる辛さから逃れるため、自ら存在を消した。だが、たとえ記憶を失ってしまっても、ミーラーの心の中には何かが残っていた。ディネーシュと共に過ごした1日が、人生の中でもっとも大切な時間だったという感覚が残っていた。ミーラーはその日一緒に過ごした人を探し求めるようになり、最後にはそれがディネーシュだったと気付くのである。それを証明したのが、TGA期間の最後に彼女が自分で録画したビデオだった。ディネーシュはそれを消去していたが、ゴミ箱に残っており、それを再生して、彼女と一緒にいたのが自分であることを示す。
この流れの映画だったら、ミーラーがどのように空白の1日を共に過ごした人が誰だったかを突き止めるか、そしてディネーシュが彼女の空白の1日を満たした張本人が自分であることを証明するかが一番大事な仕掛けになる。「Ek Din」はその仕掛けすらも想定の範囲内に収まる。ミーラーが自分で自分に向けて録画したメッセージビデオを再生し、ディネーシュとの間に起こった出来事を知るというのは、全くもってひねりがない。なんと陳腐なロマンス映画だろうか。
だが、北海道を舞台にインド映画が繰り広げられるというのは日本人として絶対に無視できない要素だ。インド人のセンスで北海道をどう映し出してくれるのだろうかという好奇心は抑えることができない。ミーラーは北海道でやりたいことをリスト化していたが、それは以下のようなものだった。
- さっぽろ雪まつり
- 地獄谷
- 小樽オルゴール堂
- 蘭島海水浴場
- 頭大仏殿
- なごやか亭
- 小樽芸術村ステンドグラス美術館
- 札幌市電
- 着物
- アイススケート
これらの全てが本編の中に盛り込まれていたわけではないが、一通りの北海道旅行を楽しんでいたといえる。特に「Konichiwa」というダンスシーンではインド人が北海道観光する様子が楽しく映像化されており、必見である。特にさっぽろ雪まつりは実際に開催されていた時期にロケが行われており、映画のハイライトになっていた。雪まつりのシーンでは日本語歌詞の「Japanese Song」と呼ばれる謎の歌も流れた。誰が歌っているのかは不明である。
北海道庁観光局の後援を受けて作られたこの日本ラブのインド映画がヒットしていたら、インド人観光客が北海道になだれ込むこともありえたかもしれない。だが、残念ながら大失敗に終わり、劇場から早々に降ろされてしまった。ほとんどのインド人にこの作品は届かなかったのではなかろうか。ただ、2026年7月17日からOTTで配信開始されたので、OTTでのヒットを期待したい。
サーイー・パッラヴィーが演じたミーラーは、ヒンディー語を話すタミル人女性という人物設定だった。サーイー自身がヒンディー語のセリフをしゃべっていたのかは分からないが、もしそうだとしたら十分なヒンディー語の語学力を持っている。ミーラーは職場のアイドルだったが、彼女はどちらかといえば地味な部類の女優であり、演技力やダンス力で売っている。そんな彼女には完全にふさわしい役柄ではなかったのではないかと感じた。
ジュナイド・カーンは、アーミル・カーンの息子という最高の七光りがあるとはいえ、今のところ自分探し中の男優でいまいち伸び悩んでいる。今回演じたディネーシュは弱者男性の典型であり、従来のスター志望男優は避けてきたような役柄だ。それをあえて引き受けたところからは冒険心を感じるし、おそらく彼の本性に近いキャラだったのだろうとも予想されるが、押しの弱さがスクリーンの外にまでにじみ出てきているようで、観客の心を掴むようなカリスマ性に乏しかった。父親と違って身長はあるのだが、太ってしまっているので、このままだとスターには脱皮できず、中堅の俳優止まりなのではなかろうか。何らかのブレイクスルーが欲しいところだ。
「Ek Din」は、アーミル・カーン・プロダクションによるほぼ全編北海道ロケ映画という、日本人にとっては踊り出してしまうほどうれしいインド映画だ。インド人観光客を日本に呼び込む起爆剤になるかと期待されたが、ビッグネームだったのはプロデューサーのみで、監督やキャストはいたって地味であり、タイ映画を翻案したストーリーもどこかインド離れしていて入り込めなかった。いきなり「雪ミク」といわれても大半のインド人には響かない。インドでヒットしなかったのはうなずける。だが、日本人としてはインド人がどのように北海道を映画にしているか吟味するという楽しみがあり、特別な作品になっている。
