インドの司法制度において特筆すべき特徴のひとつに、「公益訴訟(Public Interest Litigation/PIL)」がある。頼りない弁護士が巨大な権力に立ち向かう「Jolly LLB」(2013年)や、不当な差別に立ち向かう熱い法廷劇「Jai Bhim」(2021年)など、裁判所や弁護士が登場するインド映画でもよく耳にする専門用語だ。
PILとは、公共の利益に関連する法的問題について、特定の個人や団体が、自らが直接の被害者ではない場合であっても、裁判所に救済を求めることができる法的な仕組みを指す。
PILの制度が整う前のインドの司法では、当事者適格(Locus Standi)、すなわち「権利を侵害された本人でなければ提訴できない」という原則が厳格に適用されていた。しかし、これでは教養や経済力のある限られた人しか司法に頼ることができなくなり、持てる者と持たざる者の格差をますます拡大させてしまう恐れがある。裁判所の門戸を広く開き、司法を民主化する必要性が叫ばれるようになった。また、1975-77年の緊急事態宣言時代に憲法が停止され行政が暴走した反省を踏まえ、裁判所が積極的に社会問題などの解決に乗り出す司法積極主義に舵が切られた。
このような時代を背景にして、1979年に未決囚人の解放を求めて弁護士が州を訴えた裁判があり、これをきっかけにして当事者適格の原則が大幅に緩和され、PILの法理が確立された。それは、経済的貧困や社会的無知ゆえに司法にアクセスできない弱者に代わり、第三者が公的な責任を問うことが可能になったことを意味した。
この歴史的な判決の根拠となったのは、主にインド憲法が定める以下の条項であった。憲法にその法的正当性が認められたことは大いに意義のあることだった。
- 憲法32条(最高裁判所への救済請求権): 基本的人権が侵害された際、直接最高裁に救済を求める権利。憲法の起草者であるBRアンベードカル博士は、この条項を「憲法の心臓であり、魂である」と位置づけた。
- 憲法226条(高等裁判所の権限): 各州の高等裁判所に対しても、基本的人権の保護およびその他の目的のために命令を発する広範な権限を付与している。
PILには、通常の民事・刑事訴訟とは異なる以下の3つの主要な特徴が存在する。
1. 当事者適格の緩和
公共の利益が侵害されている場合、社会問題に関心を持つ市民、NGO、あるいは弁護士が、被害を受けた集団に代わって訴えを提起できる。
たとえば、「Jolly LLB」では、主人公の弁護士が直接の被害者ではない立場から、権力構造による事件の隠蔽を告発する手段としてPILを活用する様が描かれている。

2. 手続きの簡素化(書簡による管轄権)
司法アクセスの障壁を低減するため、正規の訴状を伴わずとも、最高裁判所宛ての手紙やハガキを請願書として受理する「書簡による管轄権」が認められる場合がある。
3. 裁判所による職権発動(Suo Motu)
報道等を通じて重大な人権侵害や不正を認知した際、裁判所が自らの裁量で審理を開始する「職権発動」の権限が広く認められている。
インド映画の文脈で重要なのは、複雑なPILの概念を大衆に広く普及させる役割を映画が大いに果たしてきたという点である。
たとえば、既に挙げた「Jolly LLB」やその続編「Jolly LL.B 2」(2017年)では、資本と権力が結託して司法を歪めようとする際、PILが汚職を浄化し、社会的な正義を回復するための「最後の砦」として機能する過程を鮮明に描き出した。
実在の弁護士の活動をもとにしたタミル語映画「Jai Bhim」では、カースト制度の下で虐げられた人々を守るため、司法がどのようにして「積極主義」を体現すべきかを示唆している。これは、PILが目指す「人権の普遍的な守護」という理想を象徴するものである。

総じて、インドの公益訴訟は、単なる手続き上の制度に留まらず、社会正義を実現するための強力な民主的ツールになっているといえる。それは、声を上げられない弱者の権利を代弁し、国家権力の逸脱を監視する機能を果たしている。
現代のインド映画において法廷劇が重要な位置を占める背景には、このPILという独自の制度が、現実社会において変革を可能にする「希望の装置」として深く認識されていることが挙げられるだろう。
