インドの娯楽映画はしばしば「マサーラー映画(マサラ映画)」と呼ばれる。この言葉が日本で使われるようになったのは「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)が公開された1998年以降だと思われるが、これは決して日本のメディアによる造語ではなく、それ以前からインド本国また世界において一般的に使われてきた。
「マサーラー」とは複数の香辛料を調合した調味料の総称であり、日本の七味唐辛子に似ている。インド料理に使われるマサーラーとしては、ガラム・マサーラーやチャート・マサーラーが有名だ。たとえばガラム・マサーラーならば、シナモン、クローブ、ナツメグを基本とし、必要に応じてカルダモン、ブラックペッパー、クミン、ベイリーフ、唐辛子などが追加で調合される。笑いあり涙あり、ロマンスありアクションあり、もちろん歌と踊りあり、とにかくあらゆる娯楽要素を一本の映画に詰め込むのがインドの典型的な娯楽映画であるが、その特徴をインド特有のミックススパイスにたとえてできたのが「マサーラー映画」という呼称である。
インド娯楽映画が「マサーラー映画(Masala Films)」と呼ばれるようになったきっかけは、1970年代、「Screen」誌(1951年創刊)、「Filmfare」誌(1952年創刊)、「Stardust」誌(1971年創刊)、「Cine Blitz」誌(1974年創刊)といった、当時百花繚乱状態にあったインドの映画雑誌だったとされる。これは、ヒンディー語映画産業が「ボリウッド」と呼ばれるようになった時期と一致する。また、「ボリウッド」がインドの娯楽映画を「ハリウッド映画の劣化コピー」と揶揄するために造語された侮辱語だったのと同じく、「マサーラー」という呼称も、「ごちゃ混ぜ」という悪いニュアンスで使われていた。
1970年代から80年代にかけて、「マサーラー映画」の代名詞になっていたのが、「Yaadon Ki Baaraat」(1973年)などのナースィル・フサイン、「Zanjeer」(1973年)などのプラカーシュ・メヘラー、「Amar Akbar Anthony」(1977年)などのマンモーハン・デーサーイーといった映画監督たちであった。特にデーサーイー監督は、自身が打ち立てた成功の方程式に自信を持ち、従来侮辱語として使われてきた「マサーラー」を肯定的に使うようになったとされる。
「マサーラー映画」に必要なのは、以下の要素を適切に混ぜ合わせることである。
- ストーリー(物語の内容)
- プロット(物語の構成)
- 脚本
- セリフ
- 劇的状況(スリル、アクション、格闘、チェイスなど)
- 歌と踊り
また、「マサーラー映画」の典型的な、かつ成功が約束された定番の主題は以下の通りである。
- 生き別れと再会(Lost and Found):家族や兄弟が生き別れになり、再会するも誤解から相互に気付かない。最後になってようやくお互いの素性が分かり、真の再会を果たす。
- 友情と犠牲(Dostana and Sacrifice):仲の良い男性2人が同じ女性に恋をしてしまう。どちらか一方が友情を優先し、自分の愛を犠牲にして、意中の女性を相手に譲る。
- 復讐(Revenge):悪役が悪行を行い、正義を遂行する主人公の手によって当然の報いを受ける。
料理において、素材(何を)よりも調理法(どのように)の方が腕前を試さされるのと同様に、インドの娯楽映画でも、何を主題にするかよりも、それをどのように提示するかの方が重視される傾向にある。その上で、物語を盛り上げる歌と踊りは非常に重要な要素となるのである。
ここで少し視点を転じてアカデミックな領域での「マサーラー映画」についても見てみよう。この用語は既に1970年代にはインドにおいて使われるようになっていたと思われるが、学術論文に登場するまでには多少の時差があったことが確認される。
インド娯楽映画を「マサーラー」と初めて関連づけて論じたのは、英国人映画学者ロジー・トーマスが1985年に書いた論考「Indian Cinema: Pleasures and Popularity」だったとされる。ただ、彼女は「マサーラー映画(Masala Films)」という熟語は使っておらず、ボンベイ(現ムンバイー)の映画業界で活躍する映画メーカーたちの言葉を引用する形で、インド娯楽映画の成功のコツを「適度な量のマサーラーの混合(blending of masalas in proper proportion)」としている。この発言からも分かるように、1985年以前から映画業界内では、娯楽映画の特徴を料理用語であるマサーラーでたとえられていたのは確実である。インド娯楽映画の基盤を成す「ラサ理論」が調理学をヒントに生まれた点にも注目したい。
「マサーラー映画(Masala Films)」の学術的な初出は、1987年に出版された論集「Film & Politics in the Third World」ではないかと思われる。米国人映画学者ミラ・レイム・ビンフォードは同書に収録された論考「The Two Cinemas of India」の中で、インドの娯楽映画の特徴を端的に表す言葉として「マサーラー映画(masala films)」を紹介している。
また、この頃にケータン・メヘター監督の「Mirchi Masala」(1987年)やミーラー・ナーイル監督の「Mississippi Masala」(1991年)が国際的に話題になったことで、世界の映画関係者に「マサーラー」という言葉が広まり、「マサーラー映画」の浸透を助けたともいわれている。
さらに、1994年に出版されたインド映画学の金字塔「Encyclopaedia of Indian Cinema」では、見出し語「Kumar, Mehul」の中で「マサーラー映画(masala films)」という言葉が普通名詞として使われており、もうこの頃には学会においても一般的な用語になっていたと推測される。
こうして1998年に日本で「ムトゥ 踊るマハラジャ」に端を発する第一次インド映画ブームがあり、インドの一般大衆が楽しんでいるメインストリームの娯楽映画の別称として「マサーラー映画(マサラ映画)」という用語が日本でも紹介され、広く使われるようになったというわけだ。
「マサーラー映画」は、インドの娯楽映画を決定的に特徴付ける言葉であると同時に、各時代、大衆娯楽映画の対局に位置してきた種類の映画もしくは用語との相対的な関係の中で使うこともできる便利な概念であることは興味深い事実である。
たとえば、「Pather Panchali」(1955年/邦題:大地のうた)で有名なサティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督は、明確に大衆娯楽映画を意識しながら、それと対になるべき、国際レベルで認められるような新しい「芸術映画(Art Films)」の潮流を作り出そうとしていた。その時代に「マサーラー映画」という言葉はなかったかもしれないが、彼が意識していたのはまさに「マサーラー映画」であった。
1970年代には政府主導でパラレルシネマ(Parallel Cinema)が盛り上がったが、これも究極的にはエリート層から「低俗」と切って捨てられがちだった「マサーラー映画」を駆逐する目的で湧き起こった運動であった。ただ、パラレルシネマは商業的な成功を収めるのが難しく、1990年代には下火となった。一方、「マサーラー映画」はますます勢いづくことになり、この時代には学会でも「マサーラー映画」という用語が流通するようになった。
2000年代に入ると、ハリウッド映画に模したジャンル映画(Genre Films)が勃興した。アクション映画やロマンス映画の類はインドにも昔からあったが、ホラー映画、SF映画、スーパーヒーロー映画など、ジャンル特化型の映画が本格的に作られ始めたのは2000年代である。そうすると、今度はそれらジャンル映画が、従来型「マサーラー映画」の、あらゆるジャンルを詰め込んだ作りと対比されることになった。また、芸術映画・社会派映画とマサーラー映画の中間に位置する新感覚の映画も認識されることになり、それらは「クロスオーバー映画(Crossover Films)」、「マルチプレックス映画(Multiplex Films)」、「ハトケ映画(Hatke Films)」などと呼ばれた。これらの映画もしばしばマサーラー映画の比較対象になった。
2010年代以降は、南インドを中心に、多言語展開して全インド市場に打って出る大規模な映画が量産されるようになり、その潮流は2020年代に顕著になった。これらは「汎インド映画(Pan-Indian Films)」と呼ばれるが、その正体は「マサーラー映画」そのものである。
ちなみにインドの映画業界では「メインストリーム映画(Mainstream Films)」という用語もよく使われる。これは「マサーラー映画」とほぼ同義であるが、それはインドにおいて「マサーラー映画」が圧倒的人気を誇っているために「メインストリーム(主流)」なのであって、もし芸術映画がインドで主流になったら、「メインストリーム映画」の中身は芸術映画になることを踏まえておかなければならない。ただ、現行の状況が続く限り、「マサーラー映画」に代用できる用語である。
このように、各時代に「マサーラー映画」と比較される映画カテゴリーがいくつも登場したが、不思議なことに「マサーラー映画」だけは不動である。もちろんその中身は時代と共に進化しているが、このカテゴリーだけは衰退せず、いつの時代にも健在である。そして今や「汎インド映画」というよりニュートラルな肩書きも手にし、ますますインドの映画史上を席巻しているように見える。
