Ek Deewane Ki Deewaniyat

3.0
Ek Deewane Ki Deewaniyat
「Ek Deewane Ki Deewaniyat」

 2025年10月21日、ディーワーリー祭に合わせて公開された「Ek Deewane Ki Deewaniyat(ある狂人の狂気)」は、狂おしい恋愛に身を捧げた男性と、自分勝手な恋愛に強烈な「No」を突き付けた女性の間のロマンス映画だ。これは恋愛バトル映画と呼んでも差し支えない。

 監督は「Satyameva Jayate」(2018年)や「Marjaavaan」(2019年)などのミラープ・ミラン・ザーヴェーリー。主演はハルシュヴァルダン・ラーネーとソーナム・バージワー。ハルシュヴァルダンは「Sanam Teri Kasam」(2016年)や「The Miranda Brothers」(2024年)などに出演していた男優であり、ヒンディー語映画界とテルグ語映画界を往き来している。ソーナムはパンジャービー語映画界のトップ女優の一人で、「Housefull 5」(2025年)や「Baaghi 4」(2025年)に出演していた。

 他に、シャード・ランダーワー、サチン・ケーデーカル、アナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン、ラージェーシュ・ケーラーなどが出演している。

 ヴィクラマーディティヤ・ボーンスレー(ハルシュヴァルダン・ラーネー)はマハーラーシュトラ州の有力政治家ガンパトラーオ(サチン・ケーデーカル)の息子で、州首相よりも権力を持つ政界のプリンスであった。何でも欲しいものを手に入れてきたヴィクラマーディティヤは、トップ女優アダー・ランダーワー(ソーナム・バージワー)に一目惚れし、強烈なアプローチを開始する。アダーはヴィクラマーディティヤの下心を感じ取り、彼を拒絶するが、ヴィクラマーディティヤは彼女との結婚を勝手に決めていた。アダーの実家を勝手に訪れ、父親(アナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン)などにアダーとの結婚を宣言する。アダーは怒ってヴィクラマーディティヤを追い出す。それでもヴィクラマーディティヤはアダーにしつこく言い寄ってきた。アダーは州首相や警察に助けを求めるが、彼らはヴィクラマーディティヤの手中にあった。

 ヴィクラマーディティヤが州首相候補になると発表したその場にアダーが現れ、公衆の面前で、ヴィクラマーディティヤを殺した者と一夜を共にすると宣言する。このニュースは全国を駆け巡る。その後、ヴィクラマーディティヤは命を狙われるようになるが、彼は動じなかった。息子の情けない姿に憤ったガンパトラーオはアダーを誘拐させ、ヴィクラマーディティヤに好きにさせる。だが、ヴィクラマーディティヤはアダーを自分で家に送り届ける。

 そこでガンパトラーオは、ヴィクラマーディティヤの腹心サーワント(シャード・ランダーワー)に、ダシャハラー祭の日、ヴィクラマーディティヤが何者かに襲われたと見せかけてアダーを暗殺するように密命を下す。ダシャハラー祭にヴィクラマーディティヤはアダーをかばって銃弾を受け、アダーに抱かれながら死ぬ。アダーは最後に彼を許す。

 ヴィクラマーディティヤは政界のプリンスであり、絶大な権力を持っていた。その彼が、トップ女優のアダーに恋をしてしまう。アダーははっきりと拒絶するが、ヴィクラマーディティヤは何としてでもアダーを手に入れようとする。トップ女優とはいっても一介の女性に、権力者によるアプローチを跳ね返すような力はないように見えた。そして、序盤では「Ek Deewane Ki Deewaniyat」は、ヒンディー語映画によくある通常運転のストーカー系映画だろうと半ば結論を出していた。

 ところが面白くなるのは中盤である。アダーは決して権力者のあの手この手の圧力に屈するか弱い女性ではなかった。そこが、女性中心映画が隆盛している現代らしいところだ。アダーはなんと、ヴィクラマーディティヤを殺した者と一夜を共にすると宣言する。それを聞いたアダーのファンたちは目の色を変える。パワーが勝つか、美が勝つか。物語は定型から外れ、一気に道なき道に突っ込む。

 それでも、ヴィクラマーディティヤは決して力を使ってアダーを手込めにしようとせず、彼女に何とか振り向いてもらおうと努力し続ける。その努力は間違ったものかもしれないが、だんだんと観客の共感を呼んでくる。こんなに純粋に彼女のことを想っているのならば、アダーも少しは受け入れてあげればいいではないかという気分になるのだ。そして、いつの間にかかたくなにヴィクラマーディティヤの健気なアプローチを拒絶し続けるアダーに若干のいらだちを覚えるようにすらなる。ヴィクラマーディティヤの一途な狂おしい愛が、まずは観客の心を動かすのだ。

 そして最後にヴィクラマーディティヤは身を挺してアダーを守り、命を落とす。最後に彼はアダーから許しを得る。愛の7段階で説明した通り、インドでは愛の最終目標は死である。蛾がロウソクの炎に自ら身を投じるように、愛の道に進んだ者の行き着く先には死しかない。政界のプリンスとして次期マハーラーシュトラ州首相を狙っていたヴィクラマーディティヤは、アダーという一人の美女に心を奪われてしまったがために、その命を政治や民衆のためではなく、一人の女性に捧げ、死んでしまうのである。冷めた世間の目からしたら全くの無駄死にであろうが、愛の道を知る者にとっては達成感のある死だ。

 少し吹き出してしまったのは、ヴィクラマーディティヤが死に際にアダーに漏らした言葉だ。「どんなに好きでも女性が嫌だといったら嫌なんだ」みたいなことを言っていた。これは「Pink」(2016年)とも共通するメッセージである。全体としては、好きになった女性にとことんアプローチを掛けるストーリーながら、最後には、どれだけ相手のことが好きでも女性の気持ちが最優先されることを教える教育映画になっていた。

 「Ek Deewane Ki Deewaniyat」は、評論家からは低評価だったが、この規模の映画としては興行的に成功したとされている。評論家のその評価は、ヴィクラマーディティヤの一途な恋が滑稽な域に達してしまっていたためであろうが、観客から好意的に受け止められたのも、ヴィクラマーディティヤが意外に純愛派だったことが功を奏したのだと思われる。

 また、音楽も非常によかった。モーヒト・スーリー監督の「Aashiqui 2」(2013年/邦題:愛するがゆえに)や「Saiyaara」(2025年)ほどではないが、「Mera Hua」などの名曲が狂おしい物語を盛り上げていた。

 もしかしたらもっとスターパワーのある俳優を起用していれば化けた映画かもしれない。ハルシュヴァルダン・ラーネーとソーナム・バージワーは、ヒンディー語映画界ではまだとてもトップスターとは呼べない俳優たちであり、それぞれ精いっぱいの演技はしていたものの、もの足りなさを感じた。特にソーナムは、トップ女優という役柄であったが、それを正当化するような、他を圧倒する美貌の持ち主かといわれれば首を傾げてしまう。ハルシュヴァルダンが演じたヴィクラマーディティヤ役についても、カールティク・アーリヤンあたりが演じていればもっと華やかさが出ただろう。

 「Ek Deewane Ki Deewaniyat」は、ありきたりと思われたストーカー系恋愛が中盤でガラリと変わり、恋愛バトル映画の方向性に向かう意外性ある展開が売りの作品だ。荒削りなところはあるし、スターパワーも不足しているが、主人公の一途な愛を見ている内についつい彼を応援したくなってしまうような巻き込み力がある。不思議な魅力を持った映画だ。ロマンス映画が盛り返した2025年を象徴する一本でもある。地味だが観て損はない映画である。