
インドでもっとも有名な観光地といえば、ウッタル・プラデーシュ州アーグラーにあるタージマハルである。白大理石でできたタージマハルは建築的にも美麗なのだが、その建設にまつわるエピソードも人々を引き付けている。ムガル朝の最盛期を謳歌した第5代皇帝シャージャハーンは、王子時代から連れ添った愛妻ムムターズ・マハルを亡くし、彼女のために世界一美しい霊廟を建造しようとしたのである。22年の歳月と巨額な予算を投じて建造されたタージマハルは、現代まで「世界でもっとも美しい建築物」の名をほしいままにしている。
ムガル朝はイスラーム教政権であり、歴代の皇帝はイスラーム教を信仰していた。タージマハルを設計したのもイラン系のウスタード・アハマド・ラホーリーであり、イスラーム教徒である。よって、歴史学においてタージマハルはイスラーム教建築に分類されるのが普通である。ところが、インドでは昔からタージマハルはシャージャハーンが建築したのではなく、元々はヒンドゥー教の寺院「テージョー・マハーラヤ」だったという主張が繰り返されてきた。タージマハルでヒンドゥー教の祭祀を行うことを認可するように公益訴訟(PIL)が出されたことも何度もある。タージマハルの地下には秘密の部屋があり、ヒンドゥー教の神像が祀られているという噂もまことしやかに語られている。当然、歴史学者は全く相手にしていないが、2014年にモーディー政権が樹立し、ヒンドゥー教至上主義が支配的になってきたことで、またこの論争がぶり返している。
2025年10月31日公開の「The Taj Story」は、「タージマハルはヒンドゥー教の寺院である」という立場に立って作られた法廷劇である。プロデューサーはCAスレーシュ・ジャー。「CA」というのは名前の頭文字ではなく公認会計士(Chartered Accountant)の略であり、つまりは彼の肩書きだ。異業種から映画プロデューサーに名乗りを上げた人物ということになる。監督はトゥシャール・アムリーシュ・ゴーエル。全く知らない監督だが、過去に何本も映画を撮っている。ナレーンドラ・モーディー首相を持ち上げた「Modi Kaka Ka Gaon」(2017年)という映画を撮ったこともあり、BJP政権に近い人物であることが予想される。
これだけの情報からすると、「The Taj Story」は歴史修正主義のとんでも映画のように見えるのだが、キャストには名のある俳優が名を連ねており、容易に無視できない。主演は名優パレーシュ・ラーワル。他に、ザーキル・フサイン、アムルター・カーンヴィルカル、ナミト・ダース、スネーハー・ワーグ、シシル・シャルマー、アキレーンドラ・ミシュラー、ブリジェーンドラ・カラー、アニル・ジョージ、シュリーカーント・ヴァルマーなどが出演している。
2025年。アーグラー在住のヴィシュヌ・ダース(パレーシュ・ラーワル)は祖父の代からタージマハルでガイドをして来た。息子アヴィナーシュ(ナミト・ダース)、息子の妻スシュミター(スネーハー・ワーグ)や彼らの子供たちと共に暮らしていた。アヴィナーシュも父親の後を追ってタージマハルでガイドをしていた。ヴィシュヌはガイド協会の会長選挙に出馬し、現会長のウスマーン・ベーグと争っていた。
ある日、ヴィシュヌはインド系米国人ドキュメンタリー監督ハルシャー・パテール(アムルター・カーンヴィルカル)からインタビューを受け、父親マヘーンドラのことを聞かれる。マヘーンドラは1959年にタージマハルの地下室に入って修復作業に携わった人物の一人だった。父親の影響により、ヴィシュヌはかねてからタージマハルの由来について疑問に思っていることがあり、ハルシャーのインタビューによってそれを思い出した。だが、ヴィシュヌが酔っ払って口走ったタージマハルに関する疑問が録画され、SNSに投稿されて炎上し、ヴィシュヌやアヴィナーシュはガイドの仕事を失う。傷心のヴィシュヌは父親の遺品を取り出し、父親と共に地下室に入ったVNヴァッツを訪ね、マスーリーへ赴く。マスーリーではVNヴァッツの息子が彼を出迎える。ヴィシュヌはマスーリーでVNヴァッツの残した資料を読みあさり、タージマハルの秘密を解き明かす。彼は、タージマハルはシャージャハーン前から存在したヒンドゥー教徒寺院だと結論付ける。
数ヵ月後、アーグラーに戻ったヴィシュヌは弁護士シャシカーント(ブリジェーンドラ・カラー)を通じてタージマハルを相手取って公益訴訟(PIL)を起こす。アーグラーのイスラーム教徒コミュニティーはこの訴訟を潰しにかかり、弁護士アンワル・ラシード(ザーキル・フサイン)が起用される。シャシカーントが裁判開始直前に怖じ気づいて逃げ出したため、ヴィシュヌは自ら裁判を戦うことにする。PILは却下されず、公判が続行されることになる。
ラシードは、歴史学者や考古学者を証人喚問してタージマハルに関する定説を補強する。一方、ヴィシュヌは定説に見られる矛盾点を突き、タージマハルがヒンドゥー教寺院という説を固めていく。裁判が進む中で、アヴィナーシュが暴漢に襲われるという事件も起きるが、ヴィシュヌは前進し続けた。ヴィシュヌはデヘラードゥーンに、1974年にマヘーンドラやVNバッツと共にタージマハルの地下室に入ったことのあるヨーゲーシュ・バットがいることを見つけ、彼をアーグラーまで呼び寄せることに成功する。イスラーム教徒コミュニティーはヨーゲーシュを誘拐しようとするが、ヴィシュヌは先手を打ってそれを防いでいた。
判決では、タージマハルの由来を巡る議論は保留とされたが、歴史教科書の再考を促す指示が出された。
日本にも、「源義経が大陸に渡ってチンギス・ハーンになった」「明智光秀が本能寺の変の後も生き残って徳川家康に仕え天海になった」といった説が存在するが、インドでも全く同じであり、学問的根拠に欠けたさまざまな偽史が浮かんでは消えている。インドでは宗教が絡むのでさらに厄介である。ヒンドゥー教徒の多くは、過去にイスラーム教徒の為政者たちがヒンドゥー教寺院を破壊してモスクを建てたと信じており、特にヒンドゥー教の重要な聖地に建つモスクを問題視している。この問題意識が刺激された結果起こった大事件が、1992年のバーブリー・マスジド破壊事件だった(参照)。バーブリー・マスジドは、「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子の生誕地に建っているとされており、かつてそこにあったラーム生誕地寺院を破壊して建てられたとも考えられていた。「The Taj Story」が取り上げる「タージマハルはかつてヒンドゥー教寺院だった」という説も、同様のコミュナル対立を引き起こしかねない危険な主張だ。しかも、タージマハルはインドを代表する観光地である。もしこの問題に火が付いたら、バーブリー・マスジド破壊事件以上の惨事につながる恐れもある。
「The Taj Story」は、法廷劇の形で定説に挑戦し、「タージマハル=ヒンドゥー教寺院」説を唱える人々の主張を提示した作品だ。説を裏付けるための証拠は2種類に大別される。ひとつは文献である。実在する文献を根拠にして、タージマハルがシャージャハーンの手によるものではないことが語られる。たとえばシャージャハーンの時代に編纂された歴史書「パードシャーナーマー」には、シャージャハーンがムムターズ・マハルの墓廟のために、ラージプートの王ジャイ・スィンから土地と建物を購入したという記述があり、それが「タージマハル=ヒンドゥー教寺院」論者たちにとって強力な論拠になっている。また、タージマハルの建築年を巡る矛盾にも触れられていた。このようにして、一応学問的な議論がなされていたのは注目に値する。
その一方でもうひとつの証拠になっていたのは、タージマハルの地下室である。タージマハルには22室の地下室があるとされているが、封印されており、観光客には解放されていない。それが想像力をかき立てるようで、そこにヒンドゥー教の神像が祀られているのではないかという説が生まれることになった。さらに、タージマハルがヒンドゥー教寺院であることが知れると大問題になるので封印されたという陰謀論まで飛び出ている。映画の中では、主人公ヴィシュヌの父親マヘーンドラが、その地下室を目撃した数少ない人物ということになっており、まるで地下室にヒンドゥー教の神像が祀られているのが事実であるかのような描写が成されていた。
タージマハルを巡る陰謀論に言及される中で、左派の歴史学者も槍玉に挙げられていた。法廷にはウルミラー・ビシュノーイーとレハーン・ハビーブという歴史学者が登場する。これらのキャラクターはおそらく、著名な歴史学者であるローミラー・ターパルとイルファーン・ハビーブをモデルにしていると思われる。彼らは法廷で、単なるガイドであるヴィシュヌに論戦で言いくるめられてしまうという失態を演じていた。
さらに、ヴィシュヌを後方支援するのが、ヒンド・ラーシュトラ・パーティー(インド国家党)という架空の政党に所属する政治家ヴィブーティであった。明らかにインド人民党(BJP)をイメージしている。ヴィシュヌは当初、政治的中立を保つために政治家からの支援を拒否するが、最終的にはヴィブーティの助け船のおかげで証人を法廷に連れて来ることに成功するのである。
以上の事実から、「The Taj Story」はナレーンドラ・モーディー首相、BJP、ヒンドゥー教至上主義などのイデオロギーに立脚した映画であることは間違いない。映画の土台を成すイデオロギーの是非によって映画を評価するのはなるべく避けたいと思うが、それ以前にこの映画はイデオロギーの喧伝がむき出しになりすぎていて映画としての純粋な楽しみに欠けている。もちろん、パレーシュ・ラーワルやザーキル・フサインの演技は一級品であったが、それが救いにはなっていなかった。
「The Taj Story」は、タージマハルがイスラーム教建築ではなくヒンドゥー教建築であるという大胆な仮説にのっとって、右派イデオロギーの影響下で作られた、歴史修正主義的プロパガンダ映画である。インドでは表現の自由が保証されているので、どんな主張をするのも自由だ。だが、プロパガンダに傾きすぎていて法廷劇映画としての緊張感に欠け、真理を探究する好奇心を刺激することにも失敗している。多数のベテラン俳優が出演し見事な演技を見せているのだが、映画の完成度は低い。
