
2025年10月31日公開の「Single Salma(独身サルマー)」は、33歳独身の女性が、周囲からの結婚のプレッシャーをはねのけ、自分の生きたいように生きる人生を選ぶまでの物語である。
監督は「Comedy Couple」(2020年)などのナチケート・サーマント。主演はフマー・クライシー。他に、サニー・スィン、シュレーヤス・タールパデー、ローレン・ゴトリブ、カンワルジート・スィン、ショーバナー・シャルマー、ニディ・スィン、ナヴニー・パリハルなどが出演している。
ラクナウー在住の33歳独身女性サルマー・リズヴィー(フマー・クライシー)は、ナワーブ・サーハブ(カンワルジート・スィン)の長女で、公務員のエンジニアだった。ナワーブは過去の栄光に浸って特に何もしておらず、先祖代々の邸宅は借金の抵当になっており、サルマーは高利貸のラストーギーに利子を払い続けて何とかその売却を防いでいた。サルマーには2人の妹と1人の弟がいたが、彼女は独身のまま2人の妹を結婚させ、弟の教育費も支払っていた。サルマーの母イスマト(ショーバナー・シャルマー)はサルマーに早く結婚するように急かしていた。
サルマーは親友ラトナー(ニディ・スィン)の助言に従い、母親を安心させるためにお見合いだけはする。その中で出会ったのが、アパレル業を成功させ羽振りのいいスィカンダル・カーン(シュレーヤス・タールパデー)であった。スィカンダルは純粋な男性で、サルマーに一目惚れしてしまう。サルマーはスィカンダルとの結婚を了承する。
サルマーは仕事でロンドンに2ヶ月間研修に行くことになる。両親はそれに反対したが、寛大なスィカンダルはサルマーのロンドン行きを容認する。サルマーは、上司シュリーワースタヴ(ナヴニー・パリハル)などと共にロンドンへ行き、インド系英国人3世のミート・スィン・サーニー(サニー・スィン)のガイドのもと、ロンドンの都市開発を学ぶ。サルマーはミートや彼の恋人ゾーヤー(ローレン・ゴトリブ)から、自分らしく生きる生き方を教わる。そしてある晩、サルマーはミートと一夜を共にしてしまう。
サルマーは英国のビーチで水着を着て海水浴をしたが、その写真が流出し、ラクナウーで広まってしまう。ラクナウーに帰ってきたサルマーは家族から総スカンを食らうが、サルマーはその写真が自分であると明かし、何も恥じることはないと開き直る。スィカンダルもサルマーとの結婚を止めようとはしなかった。だが、サルマーはスィカンダルの純粋さに感服し、ミートと関係を持ったことを秘密にして彼と結婚するのを潔しとしなかった。しかも、スィカンダルはリズヴィー家の借金を肩代わりしようとまでしてくれていた。サルマーはスィカンダルにロンドンで起こったことを正直に話す。スィカンダルは、既に結婚式が明後日に迫っている中、ここで結婚を中止するよりも、当日に断ってほしいと言う。
また、サルマーと別れた後、ミートはサルマーのことが忘れられず、父親にも励まされて、ラクナウーまでやって来る。彼はサルマーに愛の告白をするが、彼女は相手にしなかった。だが、ミートはバーラート(花婿行列)を連れてサルマーの結婚式場に乱入しようとする。スィカンダルのバーラートと鉢合わせになるが、サルマーは既に会場から脱出した後だった。スィカンダルとミートは駅まで彼女を追っていく。サルマーはどちらとの結婚も選ばず、ラクナウーを去り、自分の人生を生きることにする。
サルマーに感化されたスィカンダルはロンドンに渡り起業して成功した。
家父長制や男尊女卑などの社会的抑圧にさらされ耐え抜いてきた女性が何らかのきっかけで覚醒し、自分の才能を試したり、ちょっとした冒険をしたり、自分の人生を独力で生きる道を選んだりするというプロットは、女性中心映画が盛り上がった2010年代に一世を風靡したもので、「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)、「Queen」(2014年/邦題:クイーン 旅立つわたしのハネムーン)、「Tumhari Sulu」(2017年)などが作られた。「Single Salma」は完全にその二番煎じである。しかも、それら過去の名作から何らかの進展が見られるわけでもない。むしろ、ストーリーが混乱しており、完成度が低くなってしまっている。
最大の問題だと感じたのは、主人公が曖昧なことである。題名から「Single Salma」の主人公がサルマーであることは疑いようがない。だが、映画は、スィカンダルがビジネス関係の賞を受賞したときのスピーチで、過去の回想を一人称で語るところから始まる。そこで彼が恩人として取り上げるのがサルマーである。では、スィカンダルがサルマーのことをよく知る人物かといえば、そうともいえない。確かに彼はサルマーと一時的に許嫁関係にあり、それが破談となった後は、サルマーに感化されロンドンに渡り起業したことになっているが、サルマーについて偉そうに語れるほど彼女と深い接点があったわけでもない。スィカンダルはサルマーとの再会を願いながら果たせておらず、今彼女がどこで何をしているのか全く把握していない。それなのにサルマーがサルマーらしく生きていることを確信して語っている。
面倒見が良すぎて自己の幸せを犠牲にしてしまう癖のあったサルマーが自分の人生を存分に生きる道を選ぶまでの過程を描き出し、インドの女性たちに束縛からの解放を訴える目的の映画ならば、サルマーを一人称にした方がそのメッセージはよりはっきりしただろう。スィカンダルを語り手にしてしまったことで、どこかサルマーが地に足の着いていない存在のように思えてしまい、そのメッセージ性は希薄になってしまっていた。
また、スィカンダルは、許嫁が浮気をしようと、イスラーム教徒女性にふさわしい格好をしようと、また彼女の恥ずかしい写真が出回ってしまおうとも、全く気にせず、彼女との結婚を決行しようとするほど寛大な人間であった。借金の肩代わりまでしようとしてくれた。ここまでサルマーをとことん愛し、許容してくれる人をサルマーが振るのも理解に苦しんだ。サルマーは、スィカンダルのその寛大さが重荷になったようなことを言っていたが、サルマー自身が家族に対して行っている世話も同じレベルのものであり、二人は似た者同士だと思ったのだが、結ばれなかった。そこも疑問に感じたところである。
オープンな関係を求めていたミートがサルマーにのめり込み、彼女と無理やり結婚しようとするのもやはり信じがたかった。主要キャラの行動が支持できないため、物語を支持することができなくなってしまう。急にデリーから電話が掛かってきて、モデル契約を結び、借金の抵当になっていた邸宅の借金を一度に全額返済してしまうという終盤の展開もあまりに急すぎた。
ストーリーに弱さがあったものの、フマー・クライシーにとっては「Tarla」(2023年)や「Bayaan」(2025年)に続く主演作だ。ヒンディー語映画界において主演を張れる女優には誰でもなれるわけではなく、彼女にとってひとつの達成だといえる。シュレーヤス・タールパデーはスィカンダルを個性的に演じフマーを支えていたし、サニー・スィンも好演していた。
「Single Salma」は、なにかと我慢することの多いインド人女性に対し、自分の人生を生きることの大切さを説く作品である。この種の映画は2010年代にいくつも作られたため、新規性には乏しい。主演フマー・クライシーなどは好演していたものの、ストーリーが弱く、お世辞にもまとまった映画とはいえない。興行的にも失敗に終わっている。無理して観る必要はない映画である。
