Tezaab

2.5
Tezaab
「Tezaab」

 1988年11月11日公開の「Tezaab(酸)」は、同年の大ヒット作であり、また、マードゥリー・ディークシトの出世作であり、さらに、アニル・カプールのスター性を確立した、重要な作品でもある。

 監督は「Ankush」(1986年)と「Pratighaat」(1987年)を立て続けにヒットさせたNチャンドラー。音楽はラクシュミーカーント=ピャーレーラール。主演はアニル・カプールとマードゥリー・ディークシト。二人が共演したのはこれが初で、以後、彼らは多くの共演作を送り出し続ける。

 他に、アヌパム・ケール、チャンキー・パーンデーイ、スパルナー・アーナンド、キラン・クマール、アンヌー・カプール、スレーシュ・オベロイ、テージ・サプルー、ジョニー・リーヴァル、マハーヴィール・シャー、マンダーキニーなどが出演している。

 舞台はボンベイ。踊り子モーヒニー(マードゥリー・ディークシト)がローティヤー・パターン(キラン・クマール)とその一味に誘拐された。モーヒニーを実の姉のように慕っていたジョーティ(スパルナー・アーナンド)は兄マヘーシュ・デーシュムク、通称ムンナー(アニル・カプール)に電報を送る。ムンナーはかつてボンベイに住んでいたが、1年前に行方をくらませていた。電報を受け取ったムンナーはボンベイに戻る。

 モーヒニー誘拐事件を捜査していたガガン・スィン警部補(スレーシュ・オベロイ)は、ムンナーというマフィアがボンベイ入りしたとの報を聞き、過去を思い出す。数年前にガガン警部補はナーシクでムンナーと会ったことがあった。当時、ムンナーは愛国主義に燃える優秀な士官であり、海軍に入隊することを夢見ていた。彼の両親は銀行で働いていたが、銀行強盗チョーテー・カーンに殺されてしまう。チョーテーはムンナーの活躍により逮捕された。チョーテーはローティヤーの弟であった。

 その後、ムンナーはボンベイに出て、妹ジョーティと共に大学に通っていた。そこで彼は妹のクラスメイト、モーヒニーと出会い、恋に落ちる。だが、モーヒニーの父親シャームラール(アヌパム・ケール)は二人の仲を良く思っていなかった。

 刑期を終え釈放されたチョーテーは、ムンナーに逆恨みしており、復讐に乗り出す。チョーテーはムンナーの妹ジョーティを誘拐し、レイプしようとする。駆けつけたムンナーはチョーテーを殺す。ムンナーは逮捕され、裁判に掛けられる。一定の情状酌量は認められたものの、1年間服役することになった。弟を殺されたローティヤーは刑罰が軽すぎることに怒り、ジョーティを誘拐しようとするが、ムンナーの友人バッバン(チャンキー・パーンデーイ)やカインチー・スィン(ジョニー・リーヴァル)の活躍により、ジョーティは守られる。さらに彼らはローティヤーの賭博場を襲撃し、彼をボンベイから追い出すことに成功する。

 釈放されたムンナーは、モーヒニーを助けるために、バッバンやカインチーと合流し、ローティヤーの集落へ向かう。その途中、ガガン警部補がムンナーを止めるが、ムンナーから今までの経緯を聞き、彼に24時間の猶予時間を与える。ムンナーは、やるべきことを終えたら自首すると約束する。

 ムンナー、バッバン、カインチーたちはローティヤーの集落を襲撃し、モーヒニーを救出する。だが、ムンナーはあえてモーヒニーに冷たい態度を取り、シャームラールの元に帰す。そしてガガン警部のところへ自首しに行く。ムンナーには一時禁固刑が下るが、ガガン警部補の活躍により、彼は釈放される。ムンナーはゴアで新しい人生を送ることを決意する。だが、かつてムンナーをだましたことがあったグルダスター(アンヌー・カプール)は、ムンナーとモーヒニーが愛し合っていることを知っており、二人を結びつけようとする。シャームラールはモーヒニーがムンナーのところへ行くのを止めようとするが、グルダスターが立ちはだかる。シャームラールとグルダスターは戦いの末、相打ちとなり、モーヒニーは逃げ出す。

 一方、ローティヤーがボンベイに戻ってきた。ムンナーの命を狙っていることを聞いたバッバンは、彼の隠れる造船所へ行く。後からそれを聞いたムンナーも造船所へ向かう。乱闘の末にバッバンは殺されてしまい、ムンナーはローティヤーに向かうが、駆けつけたガガン警部補に止められる。そして最後にはローティヤーはガガン警部補に射殺される。

 冒頭で述べた通り、「Tezaab」は1988年最大のヒット作になった。50週連続で公開され、ゴールデン・ジュビリーを記録するほどの大ヒットであった。ヒンディー語映画史では、「Ek Do Teen」をチャーミングに踊ったマードゥリー・ディークシトを一大スターに押し上げた作品として永遠にその名を刻まれている。だが、細部をよく吟味すると、かなりまずい出来の映画であることが分かる。特に後半は脚本と編集が乱れに乱れており、登場人物が何のためにこの行動をしているのか、よく分からなくなる。興行的な成功に映画の質が伴っていない。当時、人々はひとえにマードゥリー・ディークシトが「Ek Do Teen」を踊るのを観るためだけに映画館に足を運んだのではないかと思えるほどである。

 「Tezaab」のプロットが分かりにくいのは、回想シーンの入れ方が下手なためである。モーヒニーが誘拐され、ムンナーが救出に向かうシーンが「現在」になるのだが、その合間に、ナーシク在住の優秀な士官だったムンナーが目の前でチョーテーに両親を殺され、ボンベイに出て大学生となり、モーヒニーと出会って恋に落ち、そして妹を助けるために殺人を犯して前科者に身を落とした経緯が長々と語られる。この「過去」のシーンが長すぎたために全体のバランスが悪くなっていた。

 それに加えて、時系列的におかしなシーンがいくつか続き、混乱してくる。もっといえば、全てのキャラクターが謎である。主人公ムンナーもモーヒニーも何を思って何をしているのかよく分からないし、シャームラール、バッバン、グルダスターなど、ありとあらゆるキャラが謎の行動をする。インド映画で時々聞かれる「脚本のない映画」だったのではないかと思われるほどだ。思い付きでさまざまなシーンを撮影し、後から何とかつじつまを合わせてつなぎ合わせた作品に見える。

 それでも、ヒンディー語映画史に残るダンスシーンである「Ek Do Teen」の威力はすさまじく、確かにこれだけでも存在価値のある映画だ。コレオグラファーはサロージ・カーンである。冒頭に「Ek Do Teen」があり、いきなりクライマックスが来てしまってもったいない気もするが、一応後半にもう一回そのリプライズがあって、アニル・カプールが踊る。だが、やはりマードゥリー・ディークシトの踊る「Ek Do Teen」の方が比較にならないほど良い。

 「Tezaab」は、興行的な成功と名声に比べて意外に中身のない映画である。だが、「Ek Do Teen」が全ての欠点の穴埋めをしている。ひとつの優れたダンスシーンによって、映画全体が大ヒットに押し上げられた稀な例だ。「Ek Do Teen」だけ観ておけば十分なのだが、それによってあまり期待を高く持たずに本編を観るくらいがちょうどいいだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=lEzp6grDke0