
通常、「ダシャーヴァターラ」とは、ヴィシュヌ神の10の化身を指す。ヴィシュヌ神はこの世に不正がはびこるとき、化身となって地上に姿を現し、正義を回復するとされている。その代表的な10の化身がダシャーヴァターラである。ただ、2025年9月12日公開のマラーティー語映画「Dashavatar」が題名で指し示す「ダシャーヴァタール」とは、ヴィシュヌ神の十化身も含むが、むしろ地芝居の一形態のことを意味しているようだ。主人公は、村の舞台で夜な夜な変装して演技をする老役者である。
監督はスボード・カーノールカル。マラーティー語映画界でプロデューサー、監督、脚本家として活躍する人物である。音楽はAVプラフッラチャンドラ。主人公バーブリーを演じるのは、マラーティー語映画界のベテラン俳優ディリープ・プラバーヴァルカル。彼は、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)でマハートマー・ガーンディー役を演じていた俳優である。
他に、マヘーシュ・マーンジュレーカル、スィッダールト・メーナン、プリヤダルシニー・インダルカル、アビナイ・ベールデー、スニール・ターウデー、ラヴィ・カーレー、ローケーシュ・ミッタル、バラト・ジャーダヴ、ヴィジャイ・ケーンクレーなどが出演している。
マハーラーシュトラ州スィンドゥドゥルグ県のドーンガルカッター村に住むバーブリー・メーストリー(ディリープ・プラバーヴァルカル)は地元の劇場で夜な夜な役を演じる老役者であった。妻は既に亡く、息子のマーダヴ(スィッダールト・メーナン)と共に暮らしていた。バーブリーは目を悪くしており、演劇に対してドクターストップが出ていた。マーナヴは父親に演劇を止めさせようとし、もし就職できたら演劇を止める約束を取り付ける。
ところでドーンガルカッター村では、アショーク・サルマルカル大臣(ヴィジャイ・ケーンクレー)が採掘を行っていた。サルマルカル大臣は、村人たちが信仰するカトロバーという神域にコバルトが埋まっていることを聞きつけ、それを採掘しようと計画する。マーナヴはこの採掘業者に就職したが、コバルト採掘計画を知り、サルマルカル大臣の息の掛かったアーバー・タンデール(ラヴィ・カーレー)などに追われることになる。マーダヴは恋人のヴァンダナー・ソーマン(プリヤダルシニー・インダルカル)に連絡するが、その直後に音信不通となり、後に遺体で発見される。警察はマーダヴの死を自殺として処理した。
マーダヴを失い深い悲しみに沈んだバーブリーは狂人のようになってしまう。ヴァンダナーからマーダヴの死は自殺ではなく他殺だと聞いたバーブリーは、息子を殺した犯人たちを、ヴィシュヌの十化身に変装して一人また一人と殺し始める。そして、サルマルカル大臣の息子モンティー(アビナイ・ベールデー)を誘拐する。
モンティー誘拐事件の捜査するため、敏腕警官マイケル・デコスタ警部補(マヘーシュ・マーンジュレーカル)が呼ばれてくる。デコスタ警部補はすぐにバーブリーに目を付け、彼を自宅に幽閉するが、地元警官ジャナールダン・パラブ巡査(スニール・ターウデー)はバーブリーの家に火を付けて彼を殺す。
ところが、バーブリーは抜け道から抜け出し森に逃げ込んでいた。デコスタ警部補は警察犬を使ってモンティーを捜索するが、彼の部下たちは次々に罠に掛かって倒れてしまう。一時、バーブリーは警官たちに追い込まれるが、村人たちから守護神と崇められる黒豹が現れ、バーブリーを救う。最終的にバーブリーはモンティーを解放するが、サルマルカル大臣がバーブリーを撃つ。そこへヴァンダナー率いる村人たちが現れ、サルマルカル大臣に対して抗議を行う。デコスタ警部補はバーブリーをカトロバーに連れて行き、そこで彼は息を引き取る。
おそらく大ヒットしたカンナダ語映画「Kantara」(2022年)に影響を受けて作られた作品である。主人公バーブリーは老齢ながら、「ダシャーヴァタール」と呼ばれる地芝居の役者である。ダシャーヴァタールで彼が演じているのは必ずしもヴィシュヌ神の十化身ではなく、むしろ「ラーマーヤナ」のハヌマーンや「マハーバーラタ」のビーシュマなどを好んで演じていた。
バーブリーは、普段は温厚なよぼよぼの老人だが、ひとたび変装をし舞台の上に立つと、急に矍鑠として、まるで役が乗り移ったかのように豹変する。その変身ぶりが素晴らしかった。ディリープ・プラバーヴァルカルの演技力そのものだ。一般的な映画ならば、息子のマーダヴの方が主人公になるところだったが、マーダヴは早々に死んでしまい、その仇討ちをバーブリーが行うのである。しかも、わざわざヴィシュヌ神の十化身に化けて報復を行う。とはいっても、十化身の全てになりきるわけではない。登場したのは、イノシシの化身ヴァラーハ、魚の化身マツヤ、人獅子の化身ナルスィンハである。
マラーティー語映画は基本的に小規模な予算で作られることが多く、この「Dashavatar」も例外ではない。近年はどの映画界でもCGで派手に彩られた豪華絢爛な映画が主流だが、この作品はあくまで特殊メイクにこだわり、限られた予算で最大限の娯楽を提供しようと努力していた。確かに安っぽく感じる場面はあるのだが、それがマラーティー語映画の味なのであろう。
むしろ気になったのはまとめ方だ。スローガンを連呼する村人たちが悪役サルマルカル大臣を取り囲むという最後だったが、何となく舞台劇を思わせる終わり方だった。また、開発を目的とした森林伐採や自然破壊に反対する社会的メッセージが発信されていたが、これでは開発ができなくなってしまい、発展を阻害してしまう。ただ反対するだけで対案を示していないので、一方的な主張になってしまっているようにも感じた。とにかく生真面目な映画である。
「Dashavatar」は、「Kantara」を想起させる土着文化を下敷きにしながら、村の地芝居で役を演じるのが生き甲斐の老役者を主人公にして、開発のための無責任な自然破壊を糾弾する社会的メッセージを発信する社会派映画である。主演ディリープ・プラバーヴァルカルの演技は素晴らしい。マラーティー語映画としては異例のヒットになっているが、あくまでそれはマラーティー語映画としてであり、ヒンディー語映画などと比べたら製作費も興行収入も桁が違う。CGなどに頼らず、実直に作られた映画であるが、安っぽさを味と捉えることができなければ、迫力不足を感じるであろう。
