
2025年7月11日からNetflixで配信開始された「Aap Jaisa Koi(あなたみたいな誰か)」は、42歳童貞がマッチングアプリを使って結婚相手を見つけようとするロマンス映画かと思いきや、「MCP」と呼ばれる男尊女卑主義男性を批判し、その反省を促す内容の映画であった。
プロデューサーはカラン・ジョーハルなど。監督は「Meenakshi Sundareshwar」(2021年/邦題:わたしたちの愛の距離)のヴィヴェーク・ソーニー。音楽監督はジャスティン・プラバーカランとローチャク・コーリー。主演はRマーダヴァンとファーティマー・サナー・シェーク。他に、アーイシャー・ラザー、マニーシュ・チャウダリー、ナミト・ダース、ビーナー・バナルジー、カラン・ワーヒー、サーヒブ・チャタルジー、アナンニャー・チャタルジー、サチン・チャウダリーなどが出演している。
日本語字幕付きで配信されており、邦題は「サムワン・ライク・ユー ~恋が動き出すとき~」になっている。
ジャールカンド州ジャムシェードプル在住のサンスクリット語教師シュリーレーヌ・トリパーティー(Rマーダヴァン)は42歳童貞だった。彼は、悪友ディーパク(ナミト・ダース)の勧めに従い、「Aap Jaisa Koi(AJK)」というマッチングアプリを使って、マッチングした女性と会話をするようになる。シュリーレーヌは、電話口で女性から「シュリー」とささやかれ興奮する。
シュリーレーヌの兄バーヌ(マニーシュ・チャウダリー)は不動産業を営んでいた。バーヌの妻クスム(アーイシャー・ラザー)は料理が上手で起業を望んでいたが、バーヌは許さなかった。あるときクスムは隣人のジョイ・ボース(サーヒブ・チャタルジー)からシュリーレーヌの縁談を持ち込まれる。相手は、ジョイの故郷コルカタに住む姪で、32歳のフランス語教師マドゥ(ファーティマー・サナー・シェーク)であった。シュリーレーヌはマドゥと会い、彼女を気に入る。
トントン拍子で縁談が進み、シュリーレーヌとマドゥの婚約式が行われる。ところが、シュリーレーヌはマドゥがAJKで話した相手なのではないかと疑い出す。マドゥがそれを認めると、シュリーレーヌは彼女との結婚を中止する。
マドゥとの縁談が破談になった後もシュリーレーヌはマドゥのことが忘れられなかった。あるとき彼はコルカタまでマドゥに会いに行くが、そこで彼はマドゥが元恋人ナミト・アガルワール(カラン・ワーヒー)と一緒にいるところを目撃する。シュリーレーヌはマドゥに、AJKを使っていたことを許すと言うが、マドゥは彼のその態度を拒絶する。
そのとき、クスムとジョイの不倫が発覚する。バーヌはクスムと対峙し、彼女を許すと言うが、クスムはそれを受け入れない。それを見ていたシュリーレーヌはクスムの肩を持つ。一方、マドゥをかわいがっていた祖母(ビーナー・バナルジー)が足を滑らせて意識不明となる。祖母はサラスワティー・プージャー祭を楽しみにしていた。シュリーレーヌは祖母のためにサラスワティー・プージャー祭を前倒しで盛大に実施する。それが終わった後、シュリーレーヌはマドゥに自身が童貞であることを告白し、対等の愛を約束する。マドゥもそれを受け入れる。
ヒンディー語映画界には、童貞をこじらせた男性が主人公の映画の系譜がある。「Mumbai Matinee」(2003年)、「Dasvidaniya」(2008年)、「Straight」(2009年)、「Anjaana Anjaani」(2010年)、「Naughty @ 40」(2011年)などである。この「Aap Jaisa Koi」をその系譜に連ねることはできるが、必ずしも童貞喪失が本題になっているわけではなかった。
前半はゆっくりとしたペースで主人公シュリーレーヌとマドゥの出会いが描かれる。アクション映画全盛の現在にあって、久しぶりにこそばゆいロマンス映画を観た気分であった。シュリーレーヌは高校でサンスクリット語を教える堅物の42歳童貞であったが、彼がお見合いした相手が32歳のフランス語教師マドゥであった。
まず、サンスクリット語とフランス語の出会いというのが知的に面白い。サンスクリット語は「死語」であり、お堅いイメージがあるが、サンスクリット語文学には恋愛物語も多く、愛の言葉ともいえる。フランス語がどこかオシャレでロマンティックなイメージを伴うのはインドでも同じで、マドゥのミステリアスな魅力を代弁していた。シュリーレーヌとマドゥはお互いに言葉を教え合ったりして、とても相性のいいカップルであることが強調される。
また、「トリパーティー」姓のシュリーレーヌはブラーフマンであり、ジャールカンド州在住のヒンディー語話者であることが分かる。さらに、シュリーレーヌの兄バーヌが不動産業を営んでいたことから、ブラーフマンではあるが、ビジネスで成功している家系であることも分かる。一方、「ボース」姓のマドゥはベンガル人カーヤストである。家族には、古典音楽を教える祖母や、自称女優の叔母など、文化的な気風があり、しかも魚好きである。ステレオタイプなベンガル人像がそのまま受け継がれている。
婚約式までは幸せいっぱいにトントン拍子に進む。そのまま進めてしまうのもひとつの手だったと思うが、ツイストが用意されていた。二人の結婚の障害となったのが、題名にもなっている「Aap Jaisa Koi(あなたみたいな誰か/AJK)」という名称のマッチングアプリであった。シュリーレーヌはマドゥとのお見合い前にAJKを使って不特定多数の女性たちと電話口で会話を楽しんでいたが、婚約式の日に、マドゥがAJKで話した女性の一人であることが発覚するのである。
基本的には温厚だったシュリーレーヌは、AJKを使っていたマドゥを激しく拒絶する。自分もAJKを使っていたのは棚に上げて、マドゥだけを糾弾した。AJKのようなアプリは、男性なら使ってもいいが、女性には許されないというのだ。マドゥは、女性にも欲望はあると反論するが、シュリーレーヌの怒りは収まらなかった。マドゥもシュリーレーヌの偏屈な態度に失望し、縁談は破談となる。
この辺りから映画のテーマが明確になってくる。シュリーレーヌの兄バーヌも、妻クスムに対して、男尊女卑的な態度を取っていた。たとえば、クスムの起業を許さなかった。それがクスムを隣人ジョイとの浮気に走らせた。ジョイはクスムに優しく接し、彼女の料理を絶賛していた。それがクスムの女性としての自尊心をよみがえらせたのだった。映画の中では、男尊女卑主義の男性のことが「MCP」と呼ばれていた。「Male Chauvinist Pig(男性優位主義豚)」の略である。バーヌもシュリーレーヌも、性格は異なったが、MCPという点では共通していた。シュリーレーヌはマドゥに、AJKを使っていたことを「許す」と言い、バーヌはクスムに、ジョイとの浮気を「許す」と言った。だが、女性に対して「許す」立場にいると思い込んでいることこそがMCPの精神性の証拠であった。
また、マドゥの元恋人ナミトもMCPの一人だ。彼はマドゥに処女であることを求めた。マドゥはナミトと真剣に交際していたが、ナミトから処女の確認をされて、一気に恋は冷めた。女性に処女を求める態度もMCPの一種である。マドゥは、「16歳以上の処女はいない」と言い放ち、42歳童貞のシュリーレーヌはビクッとする。
ただ、MCPの男性を徹底的に追い込むような映画でもなかった。ラストシーンでシュリーレーヌはマドゥに、家父長主義の家庭で育ってきた男性は知らず知らずのうちに家父長主義に染まってしまうと主張しながら、それでも改善する努力はできると言う。女性側に、染みこんでしまった男尊女卑的価値観を抜くための猶予期間を求めている。そして、「愛の対価は愛である」という金言と共に締めくくっている。
2010年代からヒンディー語映画界で主流になった、家父長制批判映画の一種だといえる。そのメッセージはいいのだが、映画の作りはアンバランスだ。前半はスローテンポだが、後半は目まぐるしく話が進む。ジョイとクスムの不倫などは唐突すぎた。また、すっきりしない部分もある。意識不明になった祖母がいつの間にか復活しピンピンしていたし、バーヌとクスムの関係がその後どうなったのかも曖昧にされていた。結婚相手に処女であることを重視する風潮への批判はあったが、高年齢の童貞に対する嘲笑を批判するようなまなざしが感じられなかったことは、男尊女卑に傾くあまり、弱者男性への配慮を失っているようにも受け止められた。
カメラワークには工夫が見られ、音楽の使い方もミュージカル風のものがあった。だが、それも前半に集中しており、まるで前半と後半で監督が違うようであった。
42歳童貞シュリーレーヌはあまりかっこいい役柄ではなかったが、Rマーダヴァンは朴訥な演技でなりきっていた。ファーティマー・サナー・シェークは2024年に全く出演作がなかったが、落ち着いた演技ができる女優に成長しているのを感じる。
「Aap Jaisa Koi」は、ヒンディー語映画に時々見られる童貞喪失物語かと思いきや、家父長制や男尊女卑主義を批判する内容の啓蒙映画になっている。前半と後半でテンポや作風が異なるように感じ、それが完成度を低めていたが、発信されているメッセージははっきりしていて分かりやすい。いまどきのヒンディー語映画らしい作品である。