
2025年6月20日公開の「Sitaare Zameen Par」は、知的障害者のバスケットボールを率いることになったコーチが主人公の感動作である。プロデューサーと主演はアーミル・カーン。スペイン映画「だれもが愛しいチャンピオン」(2018年)のリメイクである。題名は「星が地上に」という意味で、アーミル監督・主演の「Taare Zameen Par」(2007年)とほとんど同じである。「Sitaare」も「Taare」も「星」の複数形だ。だが、「Sitaare Zameen Par」は「Taare Zameen Par」の完全なる続編ではない。失読症の少年を主人公にした「Taare Zameen Par」とはテーマが似通っているものの、ストーリーやキャラクターに共通点はない。
監督は「Shubh Mangal Saavdhan」(2017年)のRSプラサンナー。音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。作詞はアミターブ・バッターチャーリヤ。
主演はアーミル・カーン、ヒロインはジェネリア・デーシュムク。この映画には実際に知的障害を持つ俳優たちが多数起用されている。アーローシュ・ダッター、ゴーピー・クリシュナン・ヴァルマー、ヴェーダント・シャルマー、ナマン・ミシュラー、リシ・シャーハーニー、アーシーシュ・ペーンドセー、サンヴィト・デーサーイー、スィムラン・マンゲーシュカル、アーユーシュ・バンサーリーである。他に、ドリー・アフリワーリヤー、グルパール・スィン、ブリジェーンドラ・カーラー、ディープラージ・ラーナーなどが出演している。
デリー・バスケットボールチームの副コーチ、グルシャン・アローラー(アーミル・カーン)は主コーチのパースワーン(ディープラージ・ラーナー)と反りが合わず、試合中に彼を殴って停職処分となる。その夜、彼は飲酒運転の上に事故を起こし、コミュニティーサービスの罰を受ける。
グルシャンは、知的障害者のバスケットボールチーム「スィターレー」のコーチを3ヶ月間務めることになる。チームには、サトビール(アーローシュ・ダッター)、グッドゥー(ゴーピー・クリシュナン・ヴァルマー)、バントゥー(ヴェーダント・シャルマー)、ハルゴーヴィンド(ナマン・ミシュラー)、シャルマージー(リシ・シャーハーニー)、スニール(アーシーシュ・ペーンドセー)、カリーム(サンヴィト・デーサーイー)、ロータス(アーユーシュ・バンサーリー)の8人がいた。彼らはほとんどバスケットボール素人であったが、ハルゴーヴィンドだけはうまかった。だが、早々に彼はチームを抜けてしまう。グルシャンにはその理由は分からなかった。当初、グルシャンは選手たちと意思の疎通を取ることもできず悩むが、徐々に彼らのことが分かっていく。
カルタール校長(グルパール・スィン)はバスケットボールチームをトーナメントに出場させる。初戦で勝利したことで波に乗り、彼らは勝ち進む。試合は北インド中で行われたため、交通手段の問題があったが、グルシャンと別居中の妻スニーター(ジェネリア・デーシュムク)が協力し、バスを手配して、チームを運ぶ。離婚寸前だったグルシャンとスニーターの仲も深まった。
決勝戦はムンバイーで行われた。再び交通手段の問題があったが、カリームをこき使っていたボスから金をせしめ、移動する。このときにはハルゴーヴィンドもチームに再加入していた。対戦相手は身長が高く不利だったが、グルシャンは低身長者の強みを活かした作戦に切り替え、追い上げる。接戦の末に負けてしまったが、スィターレーのメンバーは準優勝できたことに大喜びする。彼らから大切なことを教わったことを実感したグルシャンは、輪の中に入って喜ぶ。
インドの路上では目が見えなかったり身体の一部を欠損していたりする人々が乞食をしている。インド人は日常的に障害者と接しているためか、障害者を特別視しない代わりに配慮もしない。インド映画は時々、障害者を笑いのネタにすることがあるが、それは障害者に対するインド人の無頓着さの表れではないかと感じている。だが、それを差し引いても、障害者を笑うような映画は観ていて決して気分のいいものではない。
「Sitaare Zameen Par」も、知的障害者を題材にした映画ということで、多少不安なところがあった。だが、「ミスター・パーフェクト」の異名を持つアーミル・カーンの主演作だ。近年、彼は「Thugs of Hindostan」(2018年/邦題:タグ・オブ・ヒンドスタン)や「Laal Singh Chaddha」(2022年)などの主演作を外しているものの、彼の作品は常に特別である。期待と不安の入り交じった気持ちでこの「Sitaare Zameen Par」を観ることになった。
蓋を開いてみると、「Sitaare Zameen Par」は、決して知的障害者を慰みものにするような作品ではなかった。健常者と障害者を対比するようなこともしておらず、むしろ同じ人間として扱っていた。確かに知的障害者にはさまざまな問題がある。彼らの知能は8歳程度だとされる。だが、健常者であっても問題はある。主人公グルシャンは健常者であったが、彼にもいくつものトラウマやコンプレックスがあった。まずは身長だ。バスケットボール選手でありながら身長が低く、彼は「チビ」と言われるとカッとなる癖があった。また、幼い頃に父親に捨てられたトラウマがあり、大事な人を、捨てられる前に捨てるという癖もあった。父親になることも恐れており、子作りに消極的だった。それゆえに彼は妻スニーターと別居中であった。また、エレベーター恐怖症でもあった。
「Sitaare Zameen Par」は、知的障害者の弱小バスケットボールチームが大会で優勝するまでを描いたサクセスストーリーではない。むしろ、自分勝手な性格だったグルシャンが知的障害者たちを共に過ごすことで多くのことを学び、人間的に成長する物語である。エレベーター恐怖症を克服するのは小さな成長であったが、彼は準優勝して喜ぶ選手たちを見て、スポーツに勝敗ではない価値を見出す。また、教え子から「あなたのような父親がほしい」と言われ、父親になる恐怖にも打ち克つ。高齢出産によりダウン症などの子供が生まれる恐怖も含まれていたが、最終的には全てを受け入れる勇気を持つ。
確かに障害者の奇妙な言動を笑うようなシーンはあった。だが、悪い気持ちがするものではなかった。それはおそらくキャスティングがうまかったのだと思う。「スィターレー」のメンバーとして起用された知的障害者たちは皆、愛嬌があり、演技も自然だった。彼らが楽しげに試合をしている様子を見ると元気が湧いてくる。
しばらく不振が続いていたアーミル・カーンも、ようやく自分のフォームに戻ったと感じた。失敗作の烙印を押されている「Thugs of Hindostan」や「Laal Singh Chaddha」では奇をてらった演技をしていたが、「Sitaare Zameen Par」では等身大の彼を表現できていた。それがとても良かった。ジェネリアとの共演は初だが、意外に相性が合っていた。ジェネリアのコロコロ変わる表情の魅力が健在だったのもうれしかった。
「Sitaare Zameen Par」は、表向きは知的障害者を題材にした映画である。だが、必ずしも知的障害者をネタにしたお涙頂戴映画ではなく、むしろ人間一人一人が抱えるトラウマやコンプレックスと向き合う、もっとユニバーサルな映画だった。バスケットボールが題材になっているため、スポーツ映画に分類することもできる。インドでは口コミにより興行収入がうなぎ登りになった作品であり、2025年を代表するヒット作になった。日本で既に公開済みのスペイン映画をリメイクした作品であり、日本での劇場一般公開の可能性は低いが、機会があれば必見の映画である。