Vanvaas

3.0
Vanvaas
「Vanvaas」

 アニル・シャルマー監督は「Gadar: Ek Prem Katha」(2001年)や「Gadar 2」(2023年)といったアクション映画でもっとも名を知られた映画監督だが、しんみりしたドラマ映画も作る人物だ。2024年12月20日に公開された「Vanvaas(森林追放)」は、認知症になった老父を息子たちが捨てようとする姥捨山的なストーリーである。

 主演はナーナー・パーテーカル。他に、ウトカルシュ・シャルマー、スィムラト・カウル、ラージパール・ヤーダヴ、クシュブー・スンダル、マニーシュ・ワードワー、ラージェーシュ・シャルマー、プラシャーント・バジャージ、アシュウィニー・カルセーカル、ムシュターク・カーン、ヘーマント・ケール、バクティ・ラートール、ケータン・スィン、スネーヒル・ディークシト・メヘラー、パーリトーシュ・トリパーティー、シュルティ・マラーテー、サテーンドラ・ソーニーなどが出演している。

 ウトカルシュはアニル・シャルマー監督の息子であり、「Gadar」や「Gadar 2」にも出演していた。スィムラトは「Gadar 2」のヒロインである。つまり、アニル・シャルマー監督が自分のチームを再結成して作った映画だといえる。

 この映画がインドの映画館で上映されている期間に筆者はインドにおり、この映画を観るチャンスもあった。だが、時間の関係もあって最終的には観なかった。その後、Zee5で配信されたものを鑑賞した。

 ディーパク・ティヤーギー(ナーナー・パーテーカル)は愛妻ヴィムラー(クシュブー・スンダル)を亡くし、認知症を患っていた。しかも、彼がパーランプルに建てた邸宅ヴィムラー・サダンを基金に入れようとしていた。ディーパクの3人の息子、ソームー(ヘーマント・ケール)、バブルー(ケータン・スィン)、チュトカー(パーリトーシュ・トリパーティー)とその妻、マンジャリー(バクティ・ラートール)、アーンチャル(スネーヒル・ディークシト・メヘラー)、プージャー(シュルティ・マラーテー)はそれを阻止するため、ディーパクをヴァーラーナスィーに捨ててくる。ディーパクの持ち物から彼の身元が分かるものを全て奪い、認知症の薬も取り上げていた。地元に戻った彼らはディーパクがガンガー河に流されたと嘘を言い、彼の葬儀を行う。

 ヴァーラーナスィーにて参拝客や観光客から金銭をだまし取って生計を立てていた孤児ヴィールー(ウトカルシュ・シャルマー)はディーパクを発見する。当初は彼から所持金を盗むが、警察から命令され、彼の面倒を見ることになる。口うるさいディーパクに辟易していたものの、恋人ミーナー(スィムラト・カウル)について相談するうちに打ち解け、彼はディーパクを父親と見なすようになる。ただ、彼は全てを忘れてしまっていたため、名前すら分からなかった。

 ミーナーの育ての親ラームパティヤー・マウスィー(アシュウィニー・カルセーカル)はヴィールーに対し、もしミーナーと結婚したかったらディーパクを家族の元に帰して来ることを条件に出す。ヴィールーはディーパクを友人に託して遠くへ追いやろうとするが、ディーパクが臓器密輸マフィアの売られたことを知って彼を救出する。彼の診察をした医師から記憶を取り戻すコツを伝授されたディーパクは、彼の思い出の地がシムラーであることを突き止める。ディーパクはスリの親分パップー(ラージパール・ヤーダヴ)、子分のビームラーオ(サテーンドラ・ソーニー)、ミーナー、ラームパティヤーたちと共にディーパクをシムラーに連れて行く。

 一方、ソームーたちは、祖父がガンソーリーに持っていた土地が空港建設のために政府によって買い上げられ、4億ルピーの補償金が出ることを知る。ガンソーリーの土地はディーパクの名義になっていた。その金額を聞いて彼らの目の色は変わる。ディーパクの死亡証明書を偽造してその補償金を手にしようとする。

 ヴィールーはディーパクをシムラーに連れて行き、彼の思い出をたどる。彼の父親はダルハウジーで郵便局員をしていたことも分かるが、ダルハウジーの郵便局では大した手掛かりは得られなかった。だが、土砂崩れにビームラーオが巻き込まれ、ディーパクが迅速な救助行動を行ったことでヒントが得られる。彼は国家災害対策部隊(NDRF)の元隊員だったのである。NDRFと接点ができたことでディーパクの素性が全て判明する。

 ヴィールーたちはディーパクを連れてパーランプルのヴィムラー・サダンへ行く。だが、既にヴィムラー・サダンは第三者に売り払われた後だった。そのとき、ソームーたちは政府から4億ルピーの補償金を受け取っていた。そこへディーパクは現れ、息子たちに勘当を言い渡す。その後、ディーパクは倒れ、帰らぬ人となる。だが、ヴィールーはディーパクの息子として彼の葬儀を執り行う。

 小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)やラヴィ・チョープラー監督の「Baghban」(2003年)を思わせる作品だった。まず問題となっているのは、老齢となった父親ディーパクを非情にもヴァーラーナスィーに捨ててこようとする息子たちの行動である。ディーパクは認知症を患っており、家族に当たり散らすことも多く、厄介者になっていた。しかも、彼らが生まれ育ったヴィムラー・サダンを息子たちに相続させずに基金の所有物にしようとしていた。これらの行動が息子たちを姨捨山的行動に駆り立てたのである。

 題名の「Vanvaas」は、直訳すれば「森林在住」という意味である。だが、この言葉は「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」の文脈では「森林追放刑」を意味する。ラーマ王子やパーンダヴァ五王子はそれぞれの理由で森林に追放され、しばらくの間そこで過ごすことになった。日本語では「島流し」に近い。主人公ディーパクも、薄情な息子たちによってヴァーラーナスィーに置き去りにされてしまった。なお、映画の中では「ヴァナプラスタ」という言葉も出て来た。これは、バラモン男性のライフステージを示した「4つのアーシュラマ」の3番目のステージである。仕事をし、結婚をし、子どもを作った後、隠居して森林で住む時期のことを指す。一般的には「林住期」と訳される。だが、「ヴァナプラスタ」が自らの意思で森林に住むのに対し、「ヴァンワース」は外部からの力によって強制的に森林に住まわされる点で違いがある。

 ガンガー(ガンジス)河の中流域に位置するヴァーラーナスィーはヒンドゥー教最大の聖地であり、ここで死んだ者は解脱が得られると信じられている。「カーシー」、「バナーラス」などとも呼ばれるが、日本では「ベナレス」という呼び名の方が有名だろう。そんな宗教的聖地であるため、死期を悟った老人が自らここに居を移し最期のときを待つことがある。それは「Mukti Bhawan」(2017年/邦題:ガンジスに還る)の主題になっていた。だが、その一方で、この「Vanvaas」のように、邪魔者になった老人を置き去りにするケースもあるという。そのような哀れな老人たちを保護するためのシェルターも用意されている。この映画は決して突拍子もない行動を描いたものではない。

 実の息子たちが父親を捨てようとした一方で、ヴァーラーナスィーのガート(河岸)に捨てられた孤児たちが彼を父親同然に受け入れる。捨てられたばかりでは悲しいストーリーになってしまうが、「Vanvaas」では捨てられた子どもが捨てられた父親を助けるという出来事を通して喜怒哀楽のバランスが取られていた。ヴィールー、パップー、ビームラーオのトリオは、参拝客や観光客から財布をすったりして生計を立てる軽犯罪者であった。いったんはディーパクもその被害に遭うのだが、彼の事情を知り、打ち解けたことで、彼らはディーパクを家族の元に帰そうと努力する。ディーパクが捨てられたことが分かると、彼らはディーパクを父親として受け入れ、一緒に暮らそうとする。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」である。また、軽犯罪者であっても、家族を大事にする心を持つ者の方が優れているというメッセージも感じた。

 ただ、ヴィールーがディーパクを助けようとしたきっかけは人道主義ではなかった。彼は恋人ミーナーとの結婚を求めており、その育ての親から出された条件がディーパクを家族の元に帰すことだったのだ。よって、当初はディーパクをぞんざいに扱っていたが、いくつかの事件を経てヴィールーはディーパクと実の父子のような絆を感じるようになる。

 ヴァーラーナスィーとシムラーという2つの対極的な都市を舞台に、ファミリー層向けに親孝行の大切さを思い出させる作品になっていたが、いかんせん、冗長すぎた。特にシムラー入りしてからの展開はもっとスピーディーにできたはずである。もっとコンパクトに仕上げられていれば評価も変わってきたことだろう。

 ディーパク役を演じたナーナー・パーテーカルはインド映画界随一の演技派男優のひとりとして知られる。数々の映画で名演技を見せてきたが、女優タヌシュリー・ダッターによってセクハラ訴訟を起こされ、キャリアに停滞が生まれた。まだ裁判は最終的な決着を見ていないが、ここに来て再び出演作が増えてきており、この「Vanvaas」でも見事な演技を見せていた。

 ウトカルシュ・シャルマーはこれまでいくつかの映画に出演してきたものの、全てが父親アニル・シャルマー監督の映画であることが大きなネックである。裏を返せば父親からしか起用されない俳優ということで、確かに同年代のスターたちに比べてカリスマ性で劣っている。悪くはないのだが決め手がないのである。「Vanvaas」でも大きな飛躍は感じなかった。スィムラト・カウルについてもアニル・シャルマー映画専属の女優になりつつあり、制限を感じる。

 「Vanvaas」は、アクション映画で定評のあるアニル・シャルマー監督が、姥捨山的な出来事を描くことで親孝行の大切さを訴えようとしたファミリードラマである。ナーナー・パーテーカルの演技は素晴らしかったが、内容と比してコンパクトさを欠き、魅力が減っていた。おそらくシャルマー監督が息子ウトカルシュ・シャルマーの出番を増やすために蛇足なシーンを加えてしまったのだと思う。もしナーナーの演技とエピソードにフォーカスしていればより優れた作品になっていた。