
2024年11月22日公開の「I Want to Talk」は、喉頭癌になった父親と娘の物語である。アルジュン・セーンという人材する人物の半生にもとづいて作られている。一応はヒンディー語映画ということになっているが、米国が舞台のため、英語のセリフが多く混じる。ヒングリッシュ映画と呼んでもいいくらいである。
監督は「Vicky Donor」(2012年)や「Sardar Udham」(2021年)などのシュジート・サルカール。セリフ作家のリテーシュ・シャーがプロデューサーを務めている。主演はアビシェーク・バッチャン。他に、ジョニー・リーヴァル、アヒリヤー・バムルー、ジャヤント・クリパラーニーなどが出演している。また、プロデューサーのリテーシュがカメオ出演している。
米国在住のインド人マーケティング専門家アルジュン・セーン(アビシェーク・バッチャン)は、妻と離婚協議中であり、日替わりで娘のレヤー(アヒリヤー・バムルー)を育てていた。あるときアルジュンは喉頭癌と診断され、何もしなければ余命はあと少しだと宣告される。セカンドオピニオンを受けると、癌は喉頭のみならず胃の周辺にも転移していることが分かった。看護師のナンシーはアルジュンを励まし、担当医ジャヤント・デーブ(ジャヤント・クリパラーニー)がアルジュンの手術を行う。手術は成功しアルジュンは生き残るが、声が出しにくくなったため仕事を辞し、妻との離婚も成立して家を引き払うことになる。レヤーの養育は引き続き日替わりで行うことになった。
その後、癌は次々に別の場所にも転移が分かり、その度に手術を受ける。アルジュンは20回以上も手術を受けることになったが、その度に生き残る。レヤーは成長し、ボーイフレンドを連れて来るようにもなる。アルジュンとレヤーは、反発をしながらも近づいていく。アルジュンはデーブやナンシーとも親交を続けていたが、ある日突然ナンシーが自殺をしてしまう。それがアルジュンを突き動かし、マラソンに挑戦すると言い出す。レヤーは心配するが頑固なアルジュンは出場する。
映画は主人公アルジュンが喉頭癌と診断されるところから始まる。マーケティング専門家としてキャリア絶頂期にあったときに発覚した病気であり、それは彼の人生を大きく変えてしまう。それまでは話術でキャリアを築き上げてきたが、喉の手術をして声が出しにくくなったことで本領を発揮できなくなり、会社も辞めることになる。離婚協議中だった妻との仲も、彼の病気が分かった後も変化せず、そのまま離婚が成立してしまう。喉頭癌は彼を人生の高みから一気に谷底に突き落とした。
それでも、アルジュンはあまり感情を表に出さない人物で、癌の転移が次々に見つかり手術を繰り返さなくてはならなくなっても淡々と手術を受け続けていた。だから悲愴感は希薄だった。あまりに何度も手術を受けさせられていたため、医療に対する疑問を提起する映画なのかとも思い始めたが、そちらの方向にも行かなかった。いまいちどの方向へ向かっているか分かりにくい作品であった。
だが、終盤に向かうにつれてだいぶテーマが固まってくる。病気の話ばかりが語られるが、それらはあくまで副次的なものだ。この映画のメインテーマは父と娘の関係である。アルジュンと元妻は日替わりで娘のレヤーを育てていた。レヤーは幼少期から、平日は父親か母親の家に滞在し、週末は週替わりでどちらかと共に過ごす生活を送ってきた。レヤーにとっては母親の方が圧倒的に近い存在だった。幼いレヤーがあるとき周囲の人間を親しい順に同心円状に並べて図示したことがあった。その中心には母親とレヤーがいる一方で、父親アルジュンはもっとも外側である8番目の円に置かれていた。アルジュンはその図を見てショックを受けるが、少なくとも紙の上に載っていたことをよしと考えることとした。
幼い頃のレヤーは父親とほとんど会話を交わさなかったが、成長すると今度は何かとぶつかるようになる。それでもレヤーは日替わりで父親と母親の間を行ったり来たりする生活を止めようとしなかった。いつしかレヤーは母親に成り代わりアルジュンと接するようになっていた。レヤーは湖畔で父親と共に過ごす時間が好きで、そこで何でも話をしたのだった。
奇妙なことにアルジュンの妻は映画中ほとんど顔を出さない。一瞬だけ映っていたシーンが数回あったが、おそらく意図的に存在感が消されている。よって、レヤーが母親とどのように過ごしているのか、母親とどのような関係を築いているのか、よく分からない。父と娘の関係にフォーカスするためにそぎ落とされたのかもしれない。
アルジュンが20回も手術を繰り返してきたことは、次第にそれ自体に意味が付与されてくる。一見すると目的なく手術を受けているようだ。だが、彼は娘の結婚式で踊るという約束を守るために生き続けているようにも見える。余命あとわずかと宣告されながら、何度も手術を乗り越えて生き続けた結果、彼を心配してくれたスボード(リテーシュ・シャー)やナンシーの方が先に死んでしまった。映画の最後にアルジュン・セーン本人が登場し、生き続けていることを誇るような発言をしていたが、結局この映画がもっとも伝えたいのは、どんな困難があっても生き続けるということなのかもしれない。
アビシェーク・バッチャンは今までにない身体を張った演技を見せていた。何しろ手術を受けるたびに弱っていく病人の役なのだ。しかも、娘との関係に悩む父親でもある。そんな弱い姿を力強く演じていた。俳優として一段上に上がったのを感じる。レヤーを演じたアヒリヤー・バムルーはインスタグラマーであり、この「I Want to Talk」が映画デビューとなる。高く評価できるい演技であった。なぜかベテランコメディアン俳優のジョニー・リーヴァルが端役で起用されていたが、特に彼である必要性はなかった。
「I Want to Talk」は、主人公が喉頭癌になるところから始まるため、病気がテーマの映画かと思いきや、軸となるテーマがいまいち定まらず進行していく感覚が序盤にある。だが、次第に父と娘の関係に話題が絞られていく。アビシェーク・バッチャンの成熟した演技が見られるのが一番の収穫だ。興行的には大失敗に終わったが、評論家からの評価は高い。観て損はない映画である。