2022年11月11日公開の「Bal Naren」は、ナレーンドラ・モーディー首相が主導するスワッチ・バーラト(クリーン・インディア)運動の推進や、新型コロナウイルス対策の啓蒙を目的とした映画である。その政治的スタンスは完全に親モーディー政権であり、プロパガンダ映画の一種に含めることも可能であろう。
監督は新人のパワン・ナーグパール。主演を務めるのは、「Panga」(2020年)に出演の子役俳優ヤギヤ・バスィーン。映画撮影時は12-3歳だったはずである。他に、ビディター・バーグ、ラジニーシュ・ドゥッガル、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、ローケーシュ・ミッタル、ヴィンドゥ・ダーラー・スィンなどが出演している。
2013年、ジャーンキー村ではサルパンチ(村長)の選挙が行われていた。元サルパンチのスンダル・バーン(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)が引退し、その息子のスーラジ(ローケーシュ・ミッタル)が立候補したが、その対立候補としてヴィーレーンドラが出馬していた。選挙の結果、ヴィーレーンドラ・プラタープ・スィンが勝利する。ヴィーレーンドラは村の清掃を始めるが、デング熱に罹って死んでしまう。結局サルパンチはスンダルが続けることになった。
ヴィーレーンドラの息子ナレーン(ヤギヤ・バスィーン)はまだ4歳だったが父親を尊敬していた。2014年にナレーンドラ・モーディー首相が就任し、スワッチ・バーラト運動を始めたこともあって、彼は父親の遺志を継ぎ、村の子供たちを組織して、村の清掃活動を始める。また、活動の資金源にするため、彼はチャーイを売って稼ぐ。ナレーンのイニシアチブのおかげで、ジャーンキー村の至る所にゴミ箱が設置され、雨水をフィルターした飲み水が手に入った。
2020年、ジャーンキー村に医師のスィッダールト(ラジニーシュ・ドゥッガル)がやって来る。スィッダールトは元々この村の出身であった。彼は村の診療所で自ら進んで助手をするようになる。その頃、新型コロナウイルスがインド中で広まりつつあった。スィッダールトからそのことを聞いたナレーンは、村人たちに新型コロナウイルス対策を啓蒙して回る。母親アーラーディヤー(ビディター・バーグ)の協力もあって、ジャーンキー村ではマスクや消毒液の自給自足が始まった。また、スンダルの承認の下、村の入口に遮断機が設置され、出入りが監視されることになった。おかげでジャーンキー村からは一人もコロナ陽性者が出なかった。
インドで新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった。ナレーンはTwitterを使って首相に、早くジャーンキー村に接種所を開設するように頼む。その報せは女性子供育成省に届き、書記官のナクル(ヴィンドゥ・ダーラー・スィン)が調査のために派遣される。
ジャーンキー村ではパンチャーヤト(村落議会)が開かれようとしていた。政府からはジャーンキー村に接種所を開設する認可が下りていたが、60人が入れる場所が必要だった。ナレーンはスンダルに、パンチャーヤト会館を使わせてもらえるように頼むが、ヴィーレーンドラのライバルであり、ナレーンとスィッダールトの行動を面白く思っていなかったスーラジは、それを拒否する。そこでスンダルはパンチャーヤトを開き、村人の前で議論を要求した。そこでスィッダールトとスーラジは議論を戦わせ、最後にナレーンが訴えをする。それを聞いていたナクルは、ジャーンキー村に理想のインドを見出す。
コロナ禍が始まって以来、新型コロナウイルスを主題にした映画がいくつも作られているが、多くは都市部を舞台にしていた。この「Bal Naren」がユニークだったのは、農村を舞台にしていることだ。果たしてコロナ禍においてインドの農村はどんな雰囲気だったのか。この映画はそのヒントを提供してくれる。もちろん、あくまでフィクション映画なので、実態と全くかけ離れているということもあるだろう。それでも、描写されていた村人たちの反応には頷けるものがあった。
また、一人の聡明な少年が、新型コロナウイルスから村を守り、ワクチン接種の啓蒙もするというプロットも面白い。実話にもとづく映画ではないので、本当にこういう少年がいたとは思えないが、特に子供の観客にとってはより自分事にしやすい内容になっていた。その分、筋書きは単純であり、極端に悲しい出来事や残酷なシーンも少ない。多少の物足りなさを感じながら観ていたが、最後に主人公ナレーンがパンチャーヤトで行う演説は、それを補って余りあるほど、感動的である。
ジャーンキー村は、おそらくマトゥラー近くの村を想定しているだろうが、大方の予想通り、保守的な村である。サルパンチのスンダルは寛大かつ理解があったが、その息子スーラジは権威主義的な人物で、ナレーンを嫌っていた。やはり村中から家父長制や男尊女卑の匂いがプンプンする村で、村のチャウパール(広場)で年配の男性たちが仕事もせずにTVを観て一日を過ごしている一方、女性たちは家事に勤しんでいた。さらに、大人たちは子供のいうことにまともに耳を貸そうとしなかった。
ナレーンはまだ家父長制や男尊女卑のことをよく理解していなかったに違いない。だが、彼は、仕事をしていない大人ほど、子供の言うことに耳を傾けてくれないと感じ、パンチャーヤトでその不満をぶつける。ナレーンの純粋な心から出たその言葉は、村人たちの心を打った。スーラジも意外にあっさり負けを認めたおかげで、スッキリした終わり方になっていた。
啓発という観点では、ワクチン接種の必要性が説かれている点がもっとも重要だ。インドではまだまだワクチンに対する迷信が根強く、「Bal Naren」の舞台ジャーンキー村でも、新型コロナウイルスのワクチンを接種すると不能者になったり心臓発作で死んだりすると言って反対している村人がいた。それに対し、医師のスィッダールト、子供のナレーン、そして役人のナクルが代わる代わるワクチンの安全性を説く。この映画が、ロックダウンによる映画館封鎖が解除された直後に公開された点にも注目したい。これはそのままインド全土の村々へのワクチン接種呼び掛けメッセージと読み取れる。
これは親モーディーのプロパガンダ映画なのかどうかという点は必ず話題に上るだろう。まず、主人公の名前が「ナレーン」であり、これはナレーンドラ・モーディー首相を容易に想起させる。また、ナレーンは、モーディー首相が始めたスワッチ・バーラト運動に影響を受け、ジャーンキー村の清掃に乗り出す。新型コロナウイルス関連の政策や行政機関の描き方を見ても、政権批判色は全く感じず、むしろ、政府がしっかり対策を打ったような印象を受けるようになっている。明確なモーディー礼賛とまではいかないが、批判はしていないので、それは支持と見ることも可能であろう。
ヤギヤ・バスィーンは、現在のヒンディー語映画界で「天才子役」と呼んで差し支えない人材だ。ふっくらした顔に縮れっ毛という特徴ある外見をしており、その演技は自信に満ちている。パンチャーヤトでの演説シーンは素晴らしかった。
それに比べてラジニーシュ・ドゥッガルは、かつてヒーロー俳優の一角にいたのにもかかわらず、最近では地味な役しか任されなくなった。ヤギヤの上昇との対比でその没落振りが際立つ。ビディター・バーグにしても、「The Sholay Girl」(2019年)などの頃の勢いはない。
「Bal Naren」は、農村に住む、意識高い系の子供の目線から、スワッチ・バーラト運動や新型コロナウイルス対策が語られる、啓発的な映画である。子供が主人公の映画であるため、子供向け映画といえるが、大人の鑑賞にもギリギリ値するだろう。コロナ禍において、科学を信じ、迷信を遠ざけ、人々が団結して危機を乗り越える必要性が発信されていた。