Jo Tera Hai Woh Mera Hai

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Jo Tera Hai Woh Mera Hai
「Jo Tera Hai Woh Mera Hai」

 2024年9月20日からJioCinemaで配信開始された「Jo Tera Hai Woh Mera Hai(君のものは僕のもの)」は、とある古い邸宅に住む家主と、その邸宅を手に入れようとする不動産業者の攻防を描いたブラックコメディー映画である。

 監督はラージ・トリヴェーディー。いくつかの短編映画を撮ってきた人物で、長編映画の監督は今回が初である。キャストは、パレーシュ・ラーワル、アミト・スィヤール、ソーナーリー・クルカルニー、ソーナーリー・サイガル、ファイサル・マリク、ジャティン・サリーン、バールティー・アチュレーカル、ニテーシュ・パーンデーイ、プリヤンク・ティワーリーなど。

 ミテーシュ・メーガーナー(アミト・スィヤール)は、チャーイ売りをしていた子供の頃から、ムンバイーの高級住宅街バーンドラーにある邸宅「ウトカルシュ」を手に入れることを夢見ていた。要領が良く、有力者に取り入るのに長けていたミテーシュは、裏社会ともつながりを持つ実業家メヘムード・バーイー(ニテーシュ・パーンデーイ)に可愛がられて身を立て、「ソーシャルワーカー」として不動産業などをして生計を立てていた。妻のルクミニー(ソーナーリー・クルカルニー)、長女のリヤー、長男のラーフルと共に社宅に住んでいた。また、彼は女優志望のプリーティ(ソーナーリー・サイガル)を愛人として囲っており、彼女の住む家まで与えていた。

 ミテーシュはリヤーとラーフルをインターナショナルスクールに通わせていたが、クラスメイトたちは富裕者の子供たちばかりだった。遂にウトカルシュを手に入れるときが来たと思い立ったミテーシュは、情報を収集し始める。

 ウトカルシュの前でチャーイ屋を営むお調子者の青年ティクラム(プリヤンク・ティワーリー)によると、その邸宅には現在、ゴーヴィンダー(パレーシュ・ラーワル)という名の老人が、使用人のチョートゥー(ジャティン・サリーン)と共に住んでいた。ゴーヴィンダーの息子のアミトは不慮の事故で亡くなっていた。身寄りをなくしたゴーヴィンダーはヴィボール・バーバーという宗教家に帰依し、心の拠り所としていた。ミテーシュはヴィボール・バーバーの集会で偶然を装ってミテーシュに近づき、アミトの友人だと自己紹介する。そして、食事などの面倒を見るようになり、次第にゴーヴィンダーの心を勝ち取る。彼は、ゴーヴィンダーを「パパ」と呼ぶまでになる。

 とうとうミテーシュはゴーヴィンダーと契約を交わすことに成功する。ゴーヴィンダーが生きている間は必要経費を全て払う代わり、彼が死んだらウトカルシュはミテーシュのものになるという契約だった。ところがゴーヴィンダーは急に邸宅のリノベーションをし始めるなど、散財するようになった。もちろん、その経費はミテーシュが払わなければならなかった。

 ミテーシュはルクミニーと協力してゴーヴィンダーを偽の怪奇現象によって怖がらせ、邸宅から追い出そうとする。ミテーシュは心臓発作を起こして倒れてしまうが、一命は取り留める。ティクラムはヴィボール・バーバーの弟子に扮してウトカルシュに住み始め、ミテーシュから絶縁を言い渡され家を追い出されたプリーティも看護婦の振りをしてウトカルシュに押しかけてくる。ミテーシュの一家もウトカルシュのサーバントクォーターに住み始める。だが、ミテーシュとプリーティの仲がルクミニーにばれてしまう。ルクミニーは子供たちを連れて実家に帰ってしまう。

 ミテーシュは高利貸しのラジャン(ファイサル・マリク)から多額の借金をしていた。メヘムード・バーイーは事故死し、彼の後ろ盾がいなくなってしまった。ラジャンから借金の取り立てを受けるようになり、妻にも逃げられてしまったミテーシュは、ゴーヴィンダーを毒殺して無理矢理ウトカルシュを手に入れようとする。彼は寸前で思い止まるが、ゴーヴィンダーはミテーシュの目の前で足を滑らせて階段から転げ落ち、頭を撃って死んでしまう。チョートゥー、ティクラム、プリーティはミテーシュがゴーヴィンダーを殺したと主張する。口封じのために仕方なくミテーシュはウトカルシュを3人に割譲することにする。

 映画の入りはとても良かった。主人公ミテーシュの人物像が紹介されるわけだが、ナレーションなどに頼らず、彼の言動などによって彼がどんな人物なのかすぐに察知できるように工夫されていた。口が達者で機転が利き、有力者に取り入るのがうまく、ズルをしてでも目的を達成する。チャーイ売りだった彼がここまで大物になったのだ。だが、いくら大物になったといっても、いつまでも小物感が抜けていない雰囲気をアミト・スィヤールがうまく表現していた。

 ミテーシュには子供の頃からの夢があった。それは、彼がかつて働いていたチャーイ屋の前に建っていた「ウトカルシュ」を手に入れることだった。「Jo Tera Hai Woh Mera Hai」は、ミテーシュが何とかウトカルシュを手に入れようと奮闘するストーリーになっている。

 ただ、広げた風呂敷を畳むのに失敗した映画だと感じた。ミテーシュ以外にも何人もの個性的キャラを散りばめたのはいいが、彼らをうまく使えていなかった。たとえばミテーシュと愛人プリーティの関係は消化不良であったし、妻ルクミニーもよく分からない人物になっていた。序盤に少しだけ登場したティクラムも後から思い出したように顔を出し、かなりの重要人物になってしまう。ヴィボール・バーバー、メヘムード・バーイー、ラジャンなどももっと掘り下げることができただろう。とても中途半端に感じた。

 ウトカルシュの主ゴーヴィンダーの行動もはっきりしない。彼はミテーシュの下心を知っていてわざと彼を利用したのか、それとも本当にミテーシュを息子同然に扱っていたのか。ブラックコメディーとしては、ゴーヴィンダーの方がミテーシュよりも一枚上手だったという筋書きの方が味があるだろうが、不慮の死を遂げてしまうため、彼の意図もウヤムヤになってしまった。

 ウトカルシュを手にするためにミテーシュは家も車も家族も全てを失ってしまった。一体、全てを投げ打ってまで手に入れるだけの価値のあるものだったのか。子供の頃の夢だとはいうが、現在の生活を壊してまでその夢を叶える必要はあったのか。結局、ミテーシュ自身の行動も謎に包まれたまま幕を閉じる。何だか腑に落ちないストーリーなのである。

 主演アミト・スィヤールは、個性派俳優として知られていたが、近年はこの映画のように主演を張るチャンスも手にするようになった。映画自体の出来に疑問符は付くが、「Jo Tera Hai Woh Mera Hai」での彼の演技を過小評価するものではない。ゴーヴィンダーを演じたパレーシュ・ラーワルは、今回は暴走を控えた大人しい演技をしていた。ミテーシュの妻ルクミニーを演じたソーナーリー・クルカルニーは1990年代からコンスタントに映画に出演する息の長い女優だ。愛人プリーティを演じたソーナーリー・サイガルは「Pyaar Ka Punchnama」(2011年)でデビューした女優だが、同作で共演したヌスラト・バルチャーほどは躍進できていない。

 「Jo Tera Hai Woh Mera Hai」では、ムンバイーにおいて居住する地区がステータスと密接に結び付いていることが如実に表現されていた。ミテーシュがウトカルシュに憧れていたひとつの理由も、それが高級住宅街バーンドラーにあったからだ。ただ、それはどの都市でも同じことである。住所はその人の社会的地位をかなり指し示してしまう。それは共通しているのだが、どの地域がどういうレベルなのかを細かく知るには、やはりムンバイーに一定期間住む必要があるだろう。バーンドラーの他には、カーター・ロード、バンドスタンドなどの地名が出て来たが、それらに付随するイメージまではさすがに知り得なかった。

 「Jo Tera Hai Woh Mera Hai」は、不動産を巡るブラックコメディーである。優れたコメディー俳優であるパレーシュ・ラーワル、最近勢いのあるアミト・スィヤールなどが出演しており、インド映画ファンから一定の関心は引くだろう。ただ、様々な要素が中途半端かつ消化不良で、腑に落ちないまま幕切れを迎えてしまった印象を受けた。無理して観る必要はない映画だ。