第1章
ヴァイシャーク月1の暑い昼下がりだった。日は容赦なく照りつけ、灼熱の暑さだった。ムカルジー家のデーヴダースは、学校の教室の片隅に積まれた土山の上に座っていた。手には石版2を抱えていた。目を開けたり閉じたり、足を伸ばしたり縮めたりしていたが、とうとう我慢できなくなってしまった。こんなに天気のいい日に、あちこち散歩をしたり凧揚げしたりすることもなく教室に閉じこめられていることを無意味に感じた。と、そのとき彼は大変面白いことを思い付き、石版を持って立ち上がった。
学校は今、昼休みだった。子供たちの一団が、大声を上げながらバニヤン樹の下でグッリー・ダンダー3をして遊んでいた。デーヴダースは表ではしゃぎ回っている子供たちの方を見た。デーヴダースには昼休みがなかった。なぜなら担任のゴーヴィンド先生は、昼休みにもしデーヴダースを学校の外に出してしまったら二度と戻ってこないことを熟知していたからである。その上、デーヴダースの父親の命令により、彼は昼休みに外出を禁止されていた。昼休みになると、学級委員のブーローによる監視の下、学校の中に残らなければならなかったのである。
教室の中ではゴーヴィンド先生が、疲れているのか、目を閉じて眠っていた。もう一方の隅では、級長のブーローがベンチにドッカリと腰を下ろしており、時々無関心そうに、外で遊んでいる子供たちの方と、デーヴダースとパールヴァティーの方を代わる代わる見ていた。パールヴァティーは1ヶ月前に学校に入ってきた女の子だった。先生はすぐに彼女を気に入り、安心して眠ってしまったのだった。彼女はそのとき教科書の最後のページに、先生の似顔絵を墨で描いていた。まるで熟達した画家のように真剣に観察しており、鏡に映ったかのようにそっくりな似顔絵にしようと努力していた。そこまでそっくりにならなかったとしても、彼女は絵を描くことで十分な喜びと満足感を得ていたのだった。
石版を持って立ち上がったデーヴダースは、ブーローに聞こえるように独り言を言った。「どうも問題が解けないんだよな~。」
ブーローがいぶかしげに言った。「何の問題?」
「マン、セール、チャターンク4の問題なんだけど。」
「石版を見せて。」
そんな会話をしながらデーヴダースはブーローに歩み寄っていた。デーヴダースは石版をブーローに手渡すと、近くに立った。ブーローは解説しながら、そこに書き込み始めた。「1マンの油の値段が14ルピー9アーナー3パーイー5だとすると・・・」
そのとき事件が起こった。手と足が壊れたベンチに、級長のブーローは3年間座り続けていた。その席の裏には石灰の大きな山があった。昔、先生が安く買ってきたもので、いつかそれで新しい部屋を作ろうと思っていたのだった。彼はその白い石灰をとても大事にしていた。世の中のことに無知で、計画性のない乱暴な少年たちに、少しでもその石灰の山を崩されないよう注意しなければならなかった。だからお気に入りの生徒であり、高学年のボーラーナート(ブーロー)がこの警備を仰せつかっていたのだった。彼はベンチに座ってずっとそれを守っていた。
「1マンの油の値段が14ルピー9アーナー3パーイーだとすると・・・」と書いていたボーラーが突然「うわ~!」と大声を上げた。その瞬間、パールヴァティーは腹を抱えて笑い出した。居眠りしていたゴーヴィンド先生は驚いて目を覚まし、とっさに立ち上がった。眠気で赤くなった目で彼が凝視すると、表の木の下で男の子たちが列になって一緒にホーホー言いながら走っているところだった。と同時に、壊れたベンチの上に2本の足が立っているのが見え、先生の目は火山のように噴火した。先生は大声で叫んだ。「どうした?一体何が起こったんだ?」
しかし、そこには誰も答えられる者がいなかった。パールヴァティーがいたが、彼女は床の上で笑い転げていた。先生の質問は怒号に変わった。「一体何が起こったんだ?」
石灰の山の中からボーラーナートの白い姿が現れた。怒りで震えた先生が尋ねた。「何てことだ、お前が中にいたのか?」
「エ~ン、エ~ン・・・」
「おい?」
「デーヴァー(デーヴダース)の奴が僕を押して・・・」
「それで?」
しかし、すぐに先生は全てを理解し、座り込んで尋ねた。「デーヴァーがお前を押して石灰の中に突き落とし、逃げたんだな?」
ブーローはさらに泣き出した。先生が彼の身体に付いた石灰を少しはたくと、白と黒のまだらになり、級長はオバケのようになってしまった。それを知って彼はさらに激しく泣き出した。
先生は言った。「デーヴァーがお前を突き飛ばして逃げたんだな?」
ブーローは「エ~ン、エ~ン」と泣くだけだった。
先生は言った。「もう許さん。」
ブーローは「エ~ン、エ~ン」と泣き続けた。
先生は尋ねた。「他の子供たちはどこだ?」
子供たちが赤い顔をし、息せき切って入ってきて言った。「デーヴァーを逃しました。レンガを投げてきて、捕まえられませんでした。」
別の子供がさっきと同じことを繰り返した。「レンガを投げてきて・・・」
「もういい、黙れ。」
子供たちは黙って隅に座った。怒りで震えていた先生は、まずパールヴァティーを叱りつけた。そしてボーラーナートの手を掴んで言った。「屋敷に行くぞ。地主に伝えなければ。」
つまり、地主のムカルジーのところで、彼の息子の振る舞いについて文句を言うということだ。
3時になるところだった。地主のナーラーヤン・ムカルジーは、外に座って水タバコを吸っていた。1人の召使いが手に団扇を持って扇いでいた。先生が子供を連れて突然やってきたことに驚いて彼は言った。「あれ、ゴーヴィンド先生?」
ゴーヴィンドはカーヤスト6の者で、地面に手を触れて慇懃に挨拶をした。そしてブーローの姿を見せ、全てを詳細に説明した。ムカルジーは肩を落として言った。「もうデーヴダースは手に負えない・・・。」
「どうしましょうか。おっしゃるとおりにします。」
地主は水タバコを置いて言った。「あいつは今どこに行った?」
「全く分かりません。追いかける子供たちにレンガを投げつけて、追い払ったんです。」
二人はしばらく黙っていた。その沈黙をナーラーヤンが破った。「よし、あいつが戻ってきたら、然るべきことをする。」
ゴーヴィンド先生はブーローの手を握り、恐ろしい表情をしながら学校に戻ってきて、学校の子供たちの前で声高らかに宣言した。「デーヴダースの父親はこの村の地主だけれども、息子をこの学校から追い出すことを決めた。」
その日、学校はいつもより早く終わった。家に帰る途中、子供たちはあれこれ話し合いながら歩いた。
ある男の子が言った。「まったく、デーヴァーはなんて命知らずなんだ。」
すると別の男の子は言った。「ブーローの奴によく一泡吹かせてやったもんだな。」
「それにしてもレンガを投げてくるとはな。」
ある男の子はブーローに味方して言った。「ブーローはこの仕返しをするだろうね、きっと。」
「ヘッ!仕返しするっていっても、あいつはもう学校には来ないだろうよ。」
子供たちがこのように話し合って歩いている一方で、パールヴァティーも石版と教科書を抱えながら帰路に就いていた。近くの男の子の手を掴んで質問した。「マニ、本当にデーヴダースは学校に入れさせてもらえないの?」
マニは答えた。「そうさ、絶対に入ることはできないだろうね。」
パールヴァティーはそれ以上話さなかった。そんな話など聞きたくなかったからだ。
パールヴァティーの父親の名前はニールカント・チャクラヴァルティーといった。ムカルジー氏の大邸宅の隣に、彼の小さな古いレンガ造りの家があった。10-12ビーガー7ほどの土地と数人のヤジマーン8を持っており、地主の家族とも親しかった。パールヴァティーは彼の唯一の子供だった。彼の家族は幸せに暮らしていた。
パールヴァティーは、デーヴダースの家の召使い、ダラムダースに会った。彼は、デーヴダースが1歳のときから12歳になった現在まで、彼の養育係を務めていた。毎日ダラムダースはデーヴダースを学校まで送り迎えしており、今日もそのために学校に向かっていた。パールヴァティーを見て彼は聞いた。「パーロー(パールヴァティー)、デーヴ坊ちゃんはどこ?」
「逃げちゃった。」
ダラムダースはびっくりして尋ねた。「逃げた・・・?なぜ?」
パールヴァティーはボーラーナートの憐れな姿を思い出してまた笑い出した。「あのね、ダラムおじさん、デーヴは、ハハハ、いきなりブーローを石灰の山に、ハハハ、突き落としたの・・・ブーローの頭は石灰の中に、足は上に・・・。」
ダラムダースは全てを理解し切れなかったが、彼女の笑っている姿を見て、釣られて少し笑ってしまった。その後、すぐに真顔になって聞いた。「何を言ってるんだい?何が起こったんだい?」
「デーヴダースがブーローを突き飛ばして石灰の山に・・・ハハハ!」
ダラムダースはやっと理解し、とても心配になった。「パーロー、デーヴ坊ちゃんは今どこにいるんだい?君なら知ってるだろ?」
「知らない。」
「知ってるはずだよ、教えてくれないか。そうそう、きっと腹をすかしてるだろうからね。」
「お腹すかしてるでしょうね、でも教えない。」
「なんで教えてくれないの?」
「教えたら私はすっごくぶたれるわ。そうだ、私がデーヴに食べ物を持って行ってあげる。」
ダラムダースは幾分安心した。「そうかい。じゃあデーヴ坊ちゃんに食べ物を持って行っておくれ、そして暗くなる前に家に帰るように伝えてくれないかい?」
「分かった。」
パールヴァティーが自宅に戻ると、今日学校でデーヴダースのしたことが、彼女の母親とデーヴダースの母親両方に知れ渡っていることが分かった。母親にもいろいろ質問された。すると彼女はまた笑い出し、何とか笑いをこらえて起こった出来事を話した。全てを話し終えると、彼女はショールの端にいくつかのムーリー9をくるんで、ムカルジー邸のマンゴー畑へ向かった。この畑は両家の間にあり、その一角に竹林があった。彼女は、デーヴダースが隠れてタバコを吸うために、その中に空間を作って隠れ家にしていたことを知っていた。パールヴァティーの他に誰もこの場所を知らなかった。
パールヴァティーがその隠れ家に着いて中を覗いてみると、デーヴダースが竹林の中で小さな水タバコを持って座っており、大人のようにタバコを吸っているのを見つけた。表情は厳しく、不機嫌そうな顔をしていた。パールヴァティーを見てデーヴダースは嬉しくなったが、顔には出さなかった。タバコを吸いながら言った。「こっちに来い。」
パールヴァティーはデーヴダースのそばに座った。デーヴダースはパールヴァティーのショールの端にくるんであるムーリーに目が行った。何も言わずに彼はショールを開いてムーリーを食べ始め、言った。「先生は何て言ってた?」
「先生はおじさんに全部知らせちゃったわよ。」
デーヴダースは水タバコを地面に置き、驚いて言った。「父さんに?」
「うん。」
「で?それからどうなった?」
「もう二度とデーヴを学校に行かせないって。」
「僕だって勉強したくないよ。」
ムーリーを全て食べ尽くしてしまったデーヴダースは、パールヴァティーの方を見て言った。「サンデーシュ10ちょうだい。」
「サンデーシュは持ってきてない。」
「なら水ちょうだい。」
「水なんてどこにもない。」
デーヴダースはガッカリして言った。「何にも持ってないんだったら、一体何のために来たのさ?さあ、行って水を持ってこいよ。」
パールヴァティーはデーヴダースの素っ気ない口調が気に食わなかった。彼女は言った。「今私は行けないわ。デーヴが自分で行って飲んでくれば。」
「今、僕が外を出歩けるわけないだろ?」
「じゃあ、ずっとここに隠れてるの?」
「今のところはここにいるよ。その後どっかに逃げるさ。」
パールヴァティーは悲しい気持ちになった。デーヴダースが世を捨てて出奔しようとしていると知り、彼女の目には涙があふれてきた。彼女は言った。「デーヴ、私も一緒に行くわ。」
「どこに行くんだよ?僕と一緒に?そんなことできるわけないだろ?」
パールヴァティーは頭を横に振って言った。「絶対に行くわ。」
「駄目だ、お前は来ちゃいけない。とりあえず水を持ってきてくれ。」
パールヴァティーはまた頭を振って言った。「私も行く!」
「まずは水を持ってこい。」
「いやよ。私は行かないわ。デーヴがまた逃げるから。」
「そんなことないって。僕は逃げないよ。」
しかし、パールヴァティーは彼の話を信じていなかった。だからそのまま座っていた。デーヴダースは再び指図した。「行けって言ってるだろ!」
「私は行かないから。」
デーヴダースは怒ってパールヴァティーの髪の毛を引っ張って脅した。「行けって言ってるんだ。」
パールヴァティーは何も言わなかった。デーヴダースはパールヴァティーの背中を拳で殴って言った。「行かないのか?」
パールヴァティーは泣き出して言った。「何が起こっても絶対に行かない。」
デーヴダースは突然立ち上がって外へ走り出た。パールヴァティーも泣きながら立ち上がり、デーヴダースの父親のところへ行った。ムカルジー氏はパールヴァティーをとても可愛がっていた。優しい声で彼女に尋ねた。「どうした、パーロー?どうして泣いているんだい?」
「デーヴが私を叩いたの。」
「デーヴはどこだ?」
「あそこ、竹林の中で座ってタバコを吸ってたわ。」
教師が来たときからイライラして座っていたナーヤーヤンは、それを聞いて怒りを爆発させて言った。「デーヴァーはタバコを吸っているのか?」
「うん。毎日吸ってるわ。竹林の中に水タバコを隠してあるの。」
「そうか、なぜもっと早くそのことを教えてくれなかったんだ?」
「教えたらデーヴにひどく殴られるから。」
しかし、それは本当の理由ではなかった。もしそのことがばれたら、デーヴはこっぴどくお仕置きを受けることを知っていたから、教えなかったのだった。今日はあまりに頭に来たから教えてしまった。このとき彼女の年齢はまだ8歳だった。とても怒ってはいたが、知恵や分別が足りないというわけではなかった。彼女は自分の家に帰り、ベッドに横になった。そして夜遅くまで泣いた後、眠ってしまった。その夜、彼女は何も食べなかった。
第2章
翌日、デーヴダースはひどくお仕置きされた。一日中部屋に閉じ込められた。母親が泣いて懇願したため、やっとのことで謹慎を解かれた。次の日の早朝、彼は家から抜け出てパールヴァティーの部屋の窓の下に行って叫んだ。「パーロー!おい、パーロー!」
パールヴァティーは窓を開けて言った。「デーヴ!」
デーヴダースは手招きして言った。「急いで下に来い!」
パールヴァティーが下に降りると、デーヴダースは聞いた。「お前、なんでタバコのことばらしたんだ?」
「どうして私を殴ったりしたの?」
「なんで水を持ってこなかったんだ?」
パールヴァティーは黙ってしまった。デーヴダースは言った。「お前はバカだよ、パールヴァティー!よし、いいか、今日から絶対に誰にもばらすなよ。」
「分かったわ。」パールヴァティーは頭を振って11答えた。
「よし、行こう。竹を切って、今日は池で魚釣りでもしよう。」
竹薮の近くにノーナー12の木があった。デーヴダースはその木の上に登り、苦労して一本の竹の先を引っ張って曲げ、パールヴァティーにそれを掴ませた。そして言った。「いいか、それを放すなよ、落ちちゃうから。」
パールヴァティーは力いっぱい掴んだ。デーヴダースはノーナーの木の枝に足を置き、竹を掴んで切り始めた。下からパールヴァティーは質問した。「デーヴ、学校は行かないの?」
「行くもんか。」
「おじさんは学校に行かせると思うわ。」
「父さんが僕に言ったんだよ、もうあそこには行かないって。先生が家に来て教えてくれるみたいだよ。」
パールヴァティーは心配になって言った。「デーヴ、暑くなったから、明日から学校は午前中で終わりになるみたいよ。じゃあ私は行くわ。」
デーヴダースは上から慌てて言った。「駄目だ、行っちゃ駄目だ。」
このときパールヴァティーは気をそらしてしまった。竹が彼女の手から離れて上に跳ね上がり、デーヴダースはノーナーの枝から下に落ちてしまった。枝はそれほど高くはなかったので大した怪我こそしなかったものの、体のあちこちの皮がむけてしまった。デーヴダースは激怒した。地面に落ちていた棒を拾ってパールヴァティーの腰や頬、腕や足などあちこちをぶって、叫んで言った。「どっかへ行っちまえ!」
パールヴァティーは自分の不注意を申し訳なく思ったが、デーヴダースにひどくぶたれたことで、怒りと自尊心で目が火のように燃えあがった。彼女は泣きながら言った。「今からおじさんに言いつけてやるから!」
デーヴダースは怒ってもう一度ひっぱたいて言った。「行けよ、行って言いふらせばいい!僕は何ともないからな。」
パールヴァティーは歩いて行った。パールヴァティーが遠くに行ってしまうと、デーヴダースは叫んだ。「パーロー!」しかし、パールヴァティーは無視して急ぎ足で歩いて行った。デーヴダースは再び大声で叫んだ。「おい、パーロー!ちょっと聞けよ!」
パールヴァティーは答えなかった。デーヴダースは諦めて一人でつぶやいた。「死んじまえ!」
パールヴァティーは去って行ってしまった。その後、デーヴダースは何とかして数本の竿を作った。彼はすっかり機嫌が悪くなってしまった。パールヴァティーは泣きながら家に戻った。庭に立っていた彼女の祖母が、パールヴァティーの頬にできていた青いアザを見て叫んだ。「あれ、誰がこんなひどいことをしたんだい?」
「先生が・・・!」パールヴァティーが涙を拭いながら答えた。
祖母は彼女を抱き上げて、怒って言った。「私は今からナーラーヤンのところへお前を連れて行くよ。おやまあ、なんて教師だ!女の子を容赦なく叩くなんて!」
パールヴァティーは祖母に抱きついて言った。「行こ!」
ムカルジー氏のところに着くと、祖母はその教師の先祖の悪口を並べ立て、ゴーヴィンド先生自身をも罵りながら言った。「ナーラーヤン!あのムンシー13のしでかしたことを見てみなよ、ナーラーヤン!シュードラ14のようになって、ブラーフマン15の女の子に手を上げたんだよ!しかもこんなにひどく!」祖母はパールヴァティーの頬のアザを指差した。
そこでナーラーヤン・ムカルジーはパールヴァティーに聞いた。「誰が叩いたんだい、パーロー?」
パールヴァティーは何も答えなかった。祖母は叫んで言った。「他に誰が叩くっていうんだい?あのヘボ教師の他に!」
「誰が叩いた?」ナーラーヤンはもう一度聞いた。
パールヴァティーは黙ったままだった。ムカルジー氏は彼女が何かいけないことをしたからぶたれたのだろうと思ったが、「こんなにひどくぶつのはよくない」と言った。
それを聞いたパールヴァティーは背中を開けて見せて言った。「ここも殴ったの!」
背中にはさらに大きなひどいアザがあった。それを見た二人は怒り心頭に達した。ムカルジー氏は、「教師を呼んで、なんでこんなことをしたのか、聞いてみることにする!」と言ったが、その後考え直し、そんな残酷な教師のもとに子供を送るのは適切ではないということになった。
それを聞いてパールヴァティーは喜んだ。彼女は祖母に抱かれて家に戻った。家に着くと母親が彼女に問いただした。「先生はなんで叩いたの?」
「理由なしに叩いたの!」パールヴァティーは答えた。
「理由なく叩くなんてことがあるかい?」パールヴァティーの母親は彼女の耳を引っ張って言った。
そのとき姑が廊下を通りがかったり、部屋の入口近くで言った。「母親のくせにあんたはそうやって娘を叩いているじゃない。ならあの教師が叩くこともあるでしょうよ。」
嫁は言った。「わけもなく先生が叩くはずがありません!この子がそんなお行儀いい子ですか?何かしたんでしょう、だから叩かれたんでしょう。」
姑は残念な気持ちになって言った。「そうかい、まあいいさ、でも、私はこの子を学校には行かせないよ。」
「読み書きを学ばせないっていうの?」
「それでどうなるの?手紙が書けて、少し『ラーマーヤナ』16や『マハーバーラタ』17が読めれば十分だよ。パーローが判事や弁護士になるわけでもあるまいし。」
とうとう嫁は黙ってしまった。
その日の夕方、デーヴダースは恐る恐る家に戻った。デーヴダースは、絶対に出掛けている間にパールヴァティーが全てをぶちまけたと信じていた。しかし、そんな様子は全く感じられなかった。代わりに母親から、ゴーヴィンド先生がパールヴァティーの頬と背中をひどくぶったという話を聞いた。そして、彼女ももう学校に行かないと知った。それを聞いて彼は嬉しさのあまりろくに食べ物も食べられないほどだった。お腹の中に適当に食べ物を詰め込んで、パールヴァティーのところへすっ飛んで行って尋ねた。「お前はもう学校に行かないのか?」
「行かないわ。」
「どうしてそうなった?」
「先生が私をひどくぶったって言ってやったの。」
デーヴダースは大笑いした。そして彼女の背中を叩いて、「お前みたいな賢い女はこの世に2人といない」と言った。そしてパールヴァティーの頬のアザに気付き、「あぁ」とため息をついた。
パールヴァティーは少し微笑んで彼の顔を見て言った。「なに?」
「ひどい怪我だな・・・。そうだろ、パーロー?」
パールヴァティーは首を振って答えた。「そうよ!」
「いいか、もうあんなことするなよ。僕は頭に来てたんだ。だからお前を殴っちまったんだ。」
パールヴァティーの目に涙があふれ出てきた。心の中で、「あんなことするな」などと言われたことについて何か言おうと思ったが、口には出さなかった。
彼女の頭に手を置いてデーヴダースは言った。「いいか、これからあんなことはするんじゃないぞ!いいか?」
「しないわ。」パールヴァティーは首を横に振って答えた。
デーヴダースは再び彼女を褒めて付け加えた。「僕もこれからお前を殴ったりしないからな!」
第3章
一日また一日と過ぎて行った。二人の喜びは限りなかった。一日中あちこち遊び回り、夕方になって家に帰ると叱られた。そして翌朝になるとまたすぐに家を飛び出し、夜には再び叱られた。毎晩遊び疲れてぐっすり眠ってしまうのだが、また朝になると外へ飛び出して元気一杯遊び回った。二人には他に友達がいなかったし、その必要もなかった。近所で騒いだり悪さをしたりするのに二人いれば十分だった。
その日、日の出前に二人は池にいた。昼になるまで必死になって池中を引っ掻き回し、合計15匹の魚を競争して捕まえ、二人で山分けして持ち帰った。ところが、パールヴァティーの母親は彼女をさんざん叱って部屋に閉じ込めてしまった。デーヴダースのことはよく分からなかった。彼はそういうことはあまり話さないからだ。パールヴァティーは部屋に座って泣いていた。ちょうど2時か2時半くらいの頃だった。デーヴダースは窓の下に来て、声をひそめて呼んだ。「パーロー、おいパーロー!」パールヴァティーはその声を聞いたのだが、機嫌が悪かったので無視していた。すると、彼は近くにあったチャンパー18の木の下に座ってずっとパールヴァティーが顔を出すのを待っていた。夕方になってダラムダースがやってきて、彼をどうにかこうにか説得してやっと家に連れ帰った。
パールヴァティーが部屋に閉じ込められたのはその日だけだった。次の日、パールヴァティーはデーヴダースを待っていたが、彼は来なかった。実は彼は父親と共に隣村に招待されて行っていたのだった。デーヴダースが来なかったので、パールヴァティーはがっかりして一人で外に出た。昨日、池でデーヴダースはパールヴァティーに3ルピーを預けた。忘れないように、ショールの端に3枚の貨幣を結んだ。彼女はそのショールを振ってブラブラ歩きながら時間を潰した。そのときはまだ午前中で、皆学校に行っていたので、誰にも友達に会わなかった。パールヴァティーはマノールマーの家がある地区に足を延ばした。マノールマーは学校に通っている、パールヴァティーよりも少し年上の女の子だった。でも二人はとても仲良しだった。長い間会っていなかったため、今日は久しぶりの訪問だった。パールヴァティーは彼女の家へ行って呼んだ。「マノー、いる~?」
マロールマーの叔母が出て来た。
「パーロー?」
「うん、マノーはどこ?」
「あの子は今学校に行ってるよ。お前は行かないのかい?」
「私は行かないわ。デーヴも行ってないの。」
マノールマーの叔母は笑って言った。「そうかい、お前もデーヴも学校に行ってないのかい。」
「うん、私たちのどちらも行ってないの。」
「そうかいそうかい、でもマノーは学校に行ってるのよ。」
叔母は座るように言ったが、パールヴァティーはそのまま帰ってしまった。道中、ラスィクパールの店のそばで、カンジュリー19を持ったヴァイシュナヴィー20の女乞食が3人歩いていた。パールヴァティーはその乞食たちに向かって言った。「ねえ、ヴァイシュナヴィー、あなたたちは歌を歌えるの?」
一人が振り返って言った。「歌えるとも、お嬢ちゃん!」
「じゃあ歌ってよ!」三人は振り向いて立った。一人が言った。「ただじゃあ歌えないよ、お嬢ちゃん。施しをもらわなきゃ。お前の家へ行って歌おうじゃないか。」
「駄目、ここで歌って。」
「パイサー21をくれなきゃ歌わないよ。」
パールヴァティーはショールの端の結び目を見せて言った。「パイサーじゃなくてルピー22があるわよ。」
ショールの端にくるまっていたルピー貨幣を見た乞食たちは、店から少し離れた。そして三人はカンジュリーを叩き、声を合わせて歌った。何を歌ったか、どんな意味の歌だったか、パールヴァティーには全く分からなかった。望んだとしても理解できなかっただろう。しかし、そのとき彼女はデーヴを想っていた。
歌が終わると、乞食たちは言った。「さあ、施しをおくれ。」
パールヴァティーはショールの結びをほどいて彼女たちに3ルピーを与えた。三人は驚いて彼女の顔をしばらく見つめていた。
一人が言った。「誰のルピーだい、これは?」
「デーヴのよ。」
「こんなことして、お前をぶたないかい?」
パールヴァティーは少し考えてから言った。「ぶたないわ!」
一人が言った。「長生きするように!」
パールヴァティーは笑って言った。「3人でうまく分けられたでしょう?」
三人は首を振って言った。「そうだね、ちょうど分けられたよ!ラーダー姫のご加護がありますように。」彼女たちはこの気前の良い小さな女の子が誰にもぶたれないように心から祈った。パールヴァティーはその日は早く家に戻った。
次の日の早朝、パールヴァティーはデーヴダースに会った。彼は、小さなラターイー23は持っていたが凧がなかったので、今から買いに行くところだった。デーヴダースはパールヴァティーを見て言った。「パーロー、この前のルピーを返して!」
パールヴァティーは焦って言った。「ない。」
「どうした?」
「ヴァイシュナヴィーにあげちゃったの。歌を歌ってくれたから。」
「全部あげちゃったのか?」
「うん。3ルピーしかなかったし。」
「バカ野郎!なんで全部あげちゃったんだ?」
「だって、3人いたのよ。3ルピーあげなきゃ3人でうまく分けられないでしょ?」
デーヴダースは真剣な表情になって言った。「僕がいたら2ルピーしかあげなかっただろうな!」彼はラターイーで土の上に計算式を書きながら言った。「そうすれば、1人につき10アーナー13ガンダー1カウリー1クラーンティ24の分け前になるな。」
パールヴァティーは少し考えてから言った。「おばあさんたちに計算ができるわけないでしょう。」
デーヴダースはマン、セール、チャターンクの計算まで習っていた。パールヴァティーの言葉を聞いて嬉しくなって言った。「そうだな。」
パールヴァティーはデーヴダースの手を掴んで言った。「よかった、あなたにまたぶたれるんじゃないかって思ってた。」
デーヴダースは驚いて言った。「ぶつ?どうして?」
「ヴァイシュナヴィーたちが言ったの。あなたが私をぶつだろうって。」
それを聞いてデーヴダースは大笑いして、パールヴァティーの肩に寄りかかって言った。「僕がわけもなくお前をぶつとでも思ってたのか?」
おそらくデーヴダースはこう考えていた――パールヴァティーのこの行為は、インド刑法には抵触しない。なぜなら3ルピーならちょうど3人で分け合うことができるから。特に、学校でマン、セール、チャターンクの計算を習っていないヴァイシュナヴィーたちに2ルピーを与えるのは非常に不当な行為だ。
デーヴダースはパールヴァティーの手を握ると、小市場の方へ凧を買いに向かった。ラターイーを茂みの中に隠して・・・。
第4章
そうこうしている内に1年が過ぎてしまった。これ以上息子を無為に過ごさせたくなかった母親は、大声を上げて夫を呼んで言った。「まったくデーヴァーはただの木偶の坊になってしまったわ。早く何とかしてください。」
ナーラーヤン・ムカルジーは考えて言った。「デーヴァーをカルカッタ25に行かせよう。ナゲーンの家に住まわせれば、心置きなく勉強できるだろう。」
ナゲーンはデーヴダースの叔父だった。その話はすぐに皆に広まった。パールヴァティーもそれを聞いて不安になった。デーヴダースが一人でいるのを見つけると、彼の手を握り、揺すりながら尋ねた。「デーヴ、カルカッタに行っちゃうの?」
「誰が言った?」
「おじさんが言ってたわ。」
「いやだよ、絶対に行くもんか。」
「もし無理矢理行かせられたら?」
「無理矢理?」
そのときのデーヴダースの顔を見て、パールヴァティーは誰も彼に何かを強制することはできないことがよく分かった。彼女もそうであって欲しかった。とりあえず安心したパールヴァティーは、もう一度彼の手を力いっぱい揺さぶって彼の顔を見て言った。「ねえ、どこにも行っちゃだめよ、デーヴ!」
「どこにも行かないさ。」
しかし、彼の宣言はもろくも崩れ去った。両親は彼をどなり散らし、はたき倒して、ダラムダースと共にカルカッタへ送ることを決めてしまった。出発の日、デーヴダースはとても落ち込んでいた。少しも新しい場所へ行く気にはなれなかった。パールヴァティーはその日、何としてでも彼に行って欲しくなかった。しかし、どんなに泣き喚いても、誰も彼女の言うことに耳を貸さなかった。
すっかりいじけてしまったパールヴァティーは、ずっとデーヴダースと口を利こうとしなかったのだが、別れの間際にデーヴダースは彼女を呼んで話しかけた。「パーロー、僕はすぐ帰ってくるよ。もし帰してもらえなくても、逃げてくるさ。」そのときパールヴァティーは自分の心に次から次へと沸き起こってくる気持ちを一気にデーヴダースに話した。その後、デーヴダースは馬車に乗って、旅行カバンを持ち、別れを惜しむ母親の祝福を受け、彼女の目から落ちた涙の最後の一滴を額に受けて、去って行ってしまった。
そのときパールヴァティーはどうしようもなく悲しくなって、目からあふれ出る涙はいつまでも止まらなかった。悲しみで心が裂けてしまいそうだった。当初の数日間は、ずっとそんな状態が続いた。しかし、ある日朝早く起きて彼女は考えた――毎日何もやることがない。学校に行くのをやめてしまって以来、朝から晩まで無駄に遊んで過ごしてしまった。勉強しなければいけなかったのに、時間がなかった。でも今なら他に何もすることがないから、時間が有り余っている。
ある日、朝からパールヴァティーは手紙を書いていた。10時になると、母親は我慢できなくなり叱った。祖母はそれを聞いて言った。「ほっときなさい。朝からアチコチ走りまわるよりは、勉強してる方がマシじゃない。」
デーヴダースから手紙が来た日は、パールヴァティーにとってとても幸せな日だった。階段に座って、一日中その手紙を何度も何度も読み返していた。このようにして2ヶ月が過ぎた。手紙の行き来も次第に途絶えがちになり、熱意もなくなっていった。
ある日の早朝、パールヴァティーは母親に言った。「お母さん、また学校に行きたいわ。」
「どうして?」母親は驚いた。
パールヴァティーは首を振って言った。「絶対に行くわ。」
「なら行きなさい。私はお前が学校に行くのを止めたことは一度もないよ。」
その日の昼、パールヴァティーは久しぶりに石版と鉛筆を探し出して、召使いと一緒に外に出て学校へ向かった。そして自分の席にそっと座った。
その召使いは言った。「先生、パーローをもうぶたないでくださいよ。この子は自分からまた勉強しに来たんです。この子が勉強したくなくなったら、また家に帰るでしょう。」
先生は心の中で「そうなればいい!」とつぶやいたが、実際には「分かりました」と言った。
先生は、どうしてパールヴァティーもカルカッタに送らないのか聞いてみようと思ったが、聞かなかった。パールヴァティーが見ると、同じ場所の同じベンチに級長のブーローが座っていた。パールヴァティーは彼を見て少し笑いが込み上げたが、すぐに目に涙があふれてきた。そしてブーローに対して怒りがこみ上げた。心の中でパールヴァティーは考えた――こいつがデーヴダースを家から追い出したんだ。
その後、幾日も過ぎていった。
久しぶりにデーヴダースが家に戻ってきた。彼はすぐにパールヴァティーのところへ行った。そしていろいろなことをしゃべった。彼は昔はそんなにおしゃべりではなかった。しゃべろうとしても、そんなに一度に話すことができなかった。しかし、デーヴダースは多くの話をした。ほとんど全部カルカッタの話だった。夏休みが終わると、またデーヴダースはカルカッタへ戻った。このときも涙の別れになったが、前ほどひどくはなかった。
このようにして4年の歳月が流れた。この間にデーヴダースの心は変わってしまった。その変わり様にパールヴァティーは何度も密かに涙を流したほどだった。以前のデーヴダースは田舎のわんぱく坊主だったが、街に住み始めてからというものの、全く遠い存在になってしまった。彼は外国製の靴を履き、上物のコートやパンツ、杖、金の鎖、時計とボタンを身に付けていないと恥ずかしく感じるようになっていた。村の川岸をブラブラするなんてことはしなくなった。その代わり、銃を持って狩りを楽しむようになった。小さい魚を捕まえるよりも、大きな魚を捕まえようとするようになった。社会の動向、政治談義、組織や集会、クリケットやサッカーのことについてばかり考えるようになった。あぁ!パールヴァティー!タールソーナープル村!全く少年時代の思い出を忘れてしまったわけではないが、忙しい毎日を送る中で、それらが思い出されてくる暇はなかったのだ。
再び夏休みになった。前年の夏休みにデーヴダースは外国旅行へ行ってしまっており、家には戻ってこなかった。今回は両親が戻ってくるように強く催促する手紙を送ったので、デーヴダースはしぶしぶ旅の準備をし、タールソーナープル村へ向かうためハーウラー駅26に降り立ったのだった。
家に到着した日は気分が悪かったので外には出なかった。次の日、彼はパールヴァティーの家まで来て呼んだ。「おばさん!」
パールヴァティーの母親が恭しく言った。「いらっしゃい、こっちに来て座りなさい。」
彼女の母親としばらく話をした後、彼は聞いた。「パーローはどこですか?」
「2階にいるでしょう。」
デーヴダースが上に行って見ると、パールヴァティーが祈りを捧げているところだった。デーヴダースは呼んだ。「パーロー!」
最初パールヴァティーは驚いたが、彼に挨拶をしてすぐに奥に隠れてしまった。
「どうしたんだよ、パーロー?」
何も答える必要はなかった。だからパールヴァティーは黙っていた。
デーヴダースは照れながら言った。「僕はもう行くよ。日も暮れたし、体の調子がよくないんだよ。」
デーヴダースは立ち去った。
第5章
女の子というのは13歳になると急に変身を遂げるものだ。家族はある日突然驚く。「あれ、あんなに小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなって!」そして両親は娘の花婿を探し始めるのだ。
チャクラヴァルティー家はここのところその話題で持ちきりだった。パールヴァティーの母親はとても不安になり、折に触れて夫に言っていた。「パーローをこのままにしておくのはもうよくありません。」
彼らは決して上流階級ではなかったが、パールヴァティーの美しさには自信があった。世界で美が尊重される限り、パールヴァティーは何も心配をする必要はなかった。もうひとつ、ここで明らかにしておきたいことがある。今までチャクラヴァルティー家では、娘の結婚に関して、息子の結婚ほど心配したことはなかった。彼らは娘の結婚式でダウリー27を受け取り、息子の結婚のときにはダウリーを渡して花嫁を家に連れてきていた。ニールカントの父親も、娘の結婚式で持参金をもらっていた。しかし、ニールカント自身はこの習慣を毛嫌いしていた。彼は、パールヴァティーを売って金を稼ぐようなことは絶対にしたくないと思っていた。
パールヴァティーの母親はそのことを知っていたから、娘の結婚について夫に折に触れて催促していたのだった。最初からパールヴァティーの母親の心には、何とかデーヴダースと娘を結婚させたいという願望があった。デーヴダースから申し出があることで、何とかその道が拓けると考えていた。
おそらく同じようなことを考えていたのだろう、ある日パールヴァティーの祖母はデーヴダースの母親にこのように話をした。「それにしても、デーヴダースと私のパーローの仲睦まじさといったら、ちょっと珍しいぐらいだね。」
デーヴダースの母親は言った。「あの二人は子供の頃からまるで兄妹のように育ってきたんですよ。何の不思議もありませんわ。」
「そうだね。だから考えることがあるよ、もし二人の・・・。そういえば、デーヴダースがカルカッタに行ってしまったとき、パーローはまだ8歳だったね。あのときはあの子ったらデーヴダースのことを心配しすぎてすっかり元気がなくなってしまって・・・。デーヴダースから手紙が来たときなんかは、大喜びして朝から晩まで何度も何度も読んでいたっけ。懐かしいねぇ。」
デーヴダースの母親は心の中で全てを理解していた。そして少し微笑んだ。その微笑みの陰には底知れない不快感が隠されていた。彼女はパールヴァティーの家族が何を考えているか、何から何まで分かっていた。彼女はパールヴァティーのことを愛してもいた。しかし、パールヴァティーは女の子を売り買いする家の子供だった。しかも隣人だった。
「ちょっと待ってください。」彼女は言った。「おばさま、主人はそんなこと全く考えていません。あの子はまだ学生ですし。そうそう、前に主人は私に言ってたわ――長男のドイジダースを若い内に結婚させたら、使い物にならなくなってしまったって。勉強が手つかずになってしまって。」
パールヴァティーの祖母はそれを聞いてがっかりした。しかし、さらに続けて言った。「それはそうでしょうとも、私の話も聞いておくれな。パーローはもう大きくなったんだよ。あの子は背も高いし、もしナーラーヤンがこの話を・・・」
デーヴダースの母親は口を挟んで言った。「駄目ですわ、おばさま、そんな話、主人には言えません。今デーヴダースの結婚話を口にしたら、私は主人に叱られてしまいます。」
そこで話は終わってしまった。しかし、女性の腹の中で噂話はうまく消化されないものだ。主人が夕食を食べているとき、デーヴダースの母親は話し始めた。「パールヴァティーのお祖母さんが、彼女の結婚について話をしていましたよ。」
主人は顔を上げて言った。「そうか、パールヴァティーももうそんな年になったか。そうだな、今が結婚させるのにちょうどいい時期だろう。」
「今日はこんなことも言ってましたよ、もしデーヴダースと彼女の・・・」
ナーラーヤンは顔をしかめて言った。「で、お前は何て答えた?」
「私ですか?確かに二人は仲良しです。でも、どうして女の子を売り買いするチャクラヴァルティー家の娘を嫁にできましょうか?それに隣に住んでる家族ですよ、まったく・・・。」
主人は安心して言った。「そのとおりだ。そんなことになったら一族の恥さらしだ。そんな話に耳を貸すなよ。」
彼女は鼻でせせら笑って言った。「当然でしょう。そんな話、全く興味ないわ。でも、あなたもそれを忘れないでくださいよ。」
主人は真剣な表情でご飯を手で掴んで言った。「もし私がそんなことをしていたら、我らは地主でいられなくなっていたことだろう。」
彼らがずっと地主でいることに私は何の異論もない。だが、パールヴァティーの悲しみについても触れなければならない。デーヴダースとパールヴァティーの結婚が拒否されたという話をニールカントが聞いたとき、彼は祖母を呼んで怒って言った。「お母さん、なんでそんなことを話したんだ?」
パールヴァティーの祖母は黙ってしまった。ニールカントは言った。「娘の結婚のために我々は誰にも媚びへつらったりはしない。むしろ多くの家族が我々に懇願するんです。私の娘は美しい。いいですか、1週間以内に縁談をまとめます。もう結婚について考えなくていいです!」
そのときパールヴァティーは扉の裏で、父親が大変な決断をしたことを聞いていた。彼女は雷で打たれたようにショックを受けた。彼女は、子供の頃からデーヴダースは自分だけのものだと思っていた。誰がその権利を彼女に与えたのかは問題ではなかった。昔は自分でもそのことをよく分かっていなかった。分からないままに心の中でその気持ちは次第に膨らんでいき、やがてそれが揺るぎないものになってしまっていた。デーヴダースが自分のものにならないと考えただけで、恐れのあまり彼女はどうすることもできなくなって、心の中が荒れ狂ってしまった。
一方、デーヴダースはそうではなかった。少年時代にはパールヴァティーを自分のものだと考えており、散々利用したものだった。ところが、カルカッタへ行って、都会の雑踏と様々な娯楽に身を埋めている内に、彼はパールヴァティーのことを忘れがちになってしまっていた。彼は、パールヴァティーが田舎の家の寂しい部屋の中で一日も欠かさず彼のことを想っていたことを知らなかった。それだけでなく、彼女は、子供の頃から自分のものだと信じていて、喜びも悲しみも分け合ってきたデーヴダースが、青春時代の入り口で別々の道を歩み始めるとは夢にも思っていなかった。しかし、そのとき誰が結婚について考えただろうか?幼馴染みという関係が自動的に結婚にはつながらないということを誰が知っていただろうか?だから、デーヴダースと結婚できないと聞いた途端、彼女の心にあったあらゆる希望が胸の内で騒ぎ出し、彼女を突き動かし始めた。
デーヴダースは、早朝は勉強して過ごしていた。昼にはとても暑くなるので、家から外に出るのは難しくなる。夕方になって気が向くと、彼は涼みに外へ出た。
ある日の夕方、彼は上物の上着を着て、高級な靴を履いて、手には杖を持って散歩に出掛けた。途中で彼はパールヴァティーの家のそばを通った。パールヴァティーは上から涙を流しながら見ていた。彼女はいろいろなことを思い出していた。心の中で彼女は、自分たちがもう大きくなってしまったと実感していた。彼らは長い間離れ離れになっていたことで、お互いにお互いを恥ずかしがるようになってしまっていた。デーヴダースは先日、何も言えずに立ち去ってしまった。恥ずかしがって満足に会話することすらできなかった。それはパールヴァティーも同じだった。
デーヴダースもほとんど同じことを考えていた。時々彼女と話したり、彼女と会ったりしたいと思っていたが、それと同時にためらいも感じるようになっていた。
ここにカルカッタの雑踏はないし、娯楽、劇場、演奏会もない。だから彼は少年時代の頃のことを思い出し、パーローはもうパールヴァティーになってしまった、と考えていた。一方で、パールヴァティーも、デーヴはもうデーヴダースになってしまった、と考えていた。
デーヴダースはよくチャクラヴァルティー家の前を通っていた。玄関で立ち止まって、「おばさん、お元気ですか?」と呼びかけることもあった。
そんなとき、パールヴァティーの母親は答えるのだった。「こっちにおいで。」
そうすると、デーヴダースは答えるのだった。「いえ、このままで結構です。僕は散歩してるだけですから。」
そういうとき、パールヴァティーは2階の自分の部屋にいることもあれば、彼の前にいることもあった。デーヴダースが母親と話をしている間に、パールヴァティーはこっそりとそこから去ってしまうのだった。
夜になると、デーヴダースの部屋には灯りが灯る。暑い日には、パールヴァティーは窓を開けて長い間そちらを見ていたが、何も見えなかった。
パールヴァティーは昔から自尊心の強い女の子だった。苦しみを顔にすら表さない子だった。誰かに相談したとしても何の得になろうか?同情されるのは我慢できず、非難されるくらいなら死んだ方がマシだ。
去年、マノールマーが結婚した。しかし、彼女は花婿の家に行かなかった。だから時々パールヴァティーに会いに来ていた。以前の二人は何の隠し事もなく、そんなことも話し合っていた。今でも話はする。だが、パールヴァティーは以前ほど心を開けなくなっていた。そういう話題になると彼女は黙ってしまうか、話を逸らすようになった。
昨晩、パールヴァティーの父親が帰宅した。数日に渡って彼はパールヴァティーの花婿を探しに出掛けていたのだった。そして首尾よく縁談をまとめて帰ってきた。相手は20-25コース28離れたバルドマーン県にあるハーティーポーター村の地主だった。裕福な家で、年齢は40歳弱だった。去年妻を亡くしてしまい、再婚相手を探していたのだった。この話を聞いてチャクラヴァルティー家で喜ぶ者は一人もいなかった。むしろ、皆悲しんだ。だが、ブヴァン・チャウダリーから合計2-3千ルピーのダウリーをもらえることから、妻も文句を言わなかった。
ある日の昼下がり、デーヴダースが食事をとっていると、母親が近くに座って言った。「パーローが結婚するそうよ。」
デーヴダースは顔を上げて言った。「いつ?」
「今月中に!昨日、花婿が来て花嫁を見て行ったそうよ。」
デーヴダースは驚いて言った。「そんな、僕は何も知らないぞ!」
「なんでお前が知らなきゃいけないの?相手は再婚で、年齢がちょっと上だけど、お金持ちだそうよ。パーローは生活に困らなくていいでしょう。」
デーヴダースは下を向いて再び食事をし始めた。彼の母親はさらに言葉を続けた。「あの家族は私たちの家と結婚することを望んでたのよ。」
デーヴダースは顔を上げた。そのとき母親は笑った。
「まったく、ありえないでしょう!あの一家は女の子を売り買いしている卑しい家柄なのよ。それにすぐ隣に住んでるんだし。」母親は顔をしかめた。デーヴダースもその様子を見た。
しばらく黙っていた母親は、再び口を開いた。「お前の父さんにも私が言ったんだよ。」
デーヴダースは質問した。「父さんは何て言ったの?」
「別に。ただ、伝統ある我が家の栄誉を傷つけるつもりはない、とだけ言ってたわ。」
デーヴダースはもう何も聞かなかった。
その日の昼にパールヴァティーはマノールマーに会った。パールヴァティーの目に涙があふれているのを見て、マノールマーはそれをぬぐった。マノールマーは聞いた。「どうするの、パーロー?」
涙をぬぐいながらパールヴァティーは答えた。「どうするって?マノーは旦那さんを自分で選んで結婚したの?」
「私の場合は別よ。好きでもなかったけど、嫌いでもなかったわ。だから特に何も感じなかったわ。でも、あなたには意中の人がいたものね。」
パールヴァティーは何も答えずに心の中で何かを考えていた。
マノールマーは気を取り直して質問した。「パーロー、相手の年齢はいくつなの?」
「誰の相手?」
「パーローの!」
パールヴァティーは指を数えて言った。「19歳ぐらいよ。」
マノールマーは驚いて言った。「え、でも私は確か40歳って聞いたわ!」
このときパールヴァティーは少し笑った。「マノー、40歳なんてそんな人いるわけないわ。私はそんな多く数え切れないもの。私は知ってるの。私の相手の年は19か20よ。」
マノールマーはパールヴァティーの顔を見て聞いた。「名前は?」
パールヴァティーは吹き出した。「マノーも知ってるでしょ。長い付き合いなんだし。」
「知らないわよ!」
「知らないの?そう、じゃあ教えてあげるわ。」パールヴァティーはちょっと笑った後に真顔になり、マノールマーの耳に口を当てて言った。「知らないの?デーヴダースよ!」
マノールマーは一瞬目を丸くし、軽く小突いて言った。「冗談はよして。さあ、名前を教えてよ。教えてくれないと・・・。」
「今言ったでしょ。」
マノールマーは怒って聞いた。「もしデーヴダースがお婿さんだったら、どうして泣いてるの?」
急にパールヴァティーは表情を曇らせた。そして何を思ったのか、こう言った。「そうね、そのとおり。もう泣かないわ。」
「パーロー!」
「何?」
「なんで本当のこと教えてくれないの?私には何が何だか分からないわ。」
パールヴァティーは言った。「言うことは全部言ったわ。」
「でも全く理解できないわ。」
「分からないでしょうね。」そう言ってパールヴァティーは顔を逸らした。
マノールマーは、パールヴァティーは何か秘密を隠していて、それを言いたくないんだと考えた。それに怒りがこみ上げるのと同時に悲しくなり、言った。「パーロー、あなたの悲しみは私の悲しみなのよ。パーローが幸せになることが私の願いなの。もしパーローが誰にも何も言いたくないのなら、言わなくてもいいわ。でもこんな風に冗談を言うのはよくないわ。」
パールヴァティーも悲しくなって言った。「冗談は言ってない。私が知ってることを話しただけ。私の夫の名前はデーヴダースだし、年は19か20なの。マノーに言ったとおりよ。」
「でも、私は誰か他の人と結婚が決まったってお祖母ちゃんから聞いたわ。」
「決まった?お祖母ちゃんと結婚するわけじゃあるまいし。私の結婚なのよ。私は誰からも何も聞いてないから。」
マノールマーは聞いたことをパールヴァティーに話し始めた。パールヴァティーは遮って言った。「その話は私も聞いたわ。」
「じゃあデーヴダースはパーローを・・・」
「私を?」
マノールマーはふざけて言った。「分かったわ!スワヤンバル29ね!二人でこっそり結婚するつもりでしょう?」
「そんなつもり、ないわ。」
マノールマーは困った声で言った。「何言ってるの、パーロー、全く訳が分からないわ!」
パールヴァティーは言った。「じゃあデーヴダースに聞いてから教えるわ。」
「何を聞くの?デーヴダースがあなたと結婚するかどうかってことを?」
パールヴァティーは頭を振って答えた。「そうよ。」
マノールマーはとても驚いて聞いた。「何言ってるの、パーロー、自分から聞くの?」
「いけなくはないでしょ。」
マノールマーは呆れ返って言った。「正気なの?自分から?」
「そうよ。自分で聞かなかったら、誰が私に聞いてくれるの?」
「恥ずかしくないの?」
「全然。ほら、今だって全然恥ずかしくないわ。」
「私は女の子よ、あなたの友達よ、でもデーヴダースは男の子よ、パーロー!」
そのときパールヴァティーは笑って言った。「マノーは友達だし、親友よ。でもデーヴだってそうだわ。マノーに言えたならデーヴにだって言えるわ。」
マノールマーは絶句してしまい、彼女の顔をじっと見つめた。
パールヴァティーは笑って言った。「マノー、あなたは嘘のスィンドゥール30を付けてるんだわ。誰を夫と呼ぶべきか、あなたは分かっていない。デーヴが私の夫でないのなら、デーヴと話すのに恥じらいを感じるのなら、デーヴのためにこんな苦しい気持ちにはなっていない。いい、マノー、いつかは死ぬなら、やるべきことはしないと。毒も甘く感じるでしょう。デーヴには何も恥じらうことないわ。」
マノールマーは彼女の顔を見つめ続けた。しばらくして尋ねた。「何て言うつもりなの?あなたの足の間に私のための場所を下さい、とか?」
パールヴァティーは頭を振って言った。「それいいわね。」
「もし断られたら?」
このときパールヴァティーはしばらく黙り込み、そして言った。「そのときのことは考えてない。」
家に帰るとき、マノールマーは心の中で考えた――なんという勇気!なんという度胸!私は口が裂けてもあんなことを言うことはできない。
パールヴァティーの言ったことは正しい。世間の女性たちは、意味もなく額にスィンドゥールを、手首にチューリー31を付けているのだ!
第6章
深夜の1時になろうとしていた。月は夜空に包まれてくぐもった光を放っていた。パールヴァティーはチャーダル32で頭から足までをすっぽり覆い隠し、忍び足で階段を降りた。目を見開いて四方を見渡すと、誰も起きている者はいなかった。彼女はドアを開けて外に出た。村の道はまるで時が止まったかのように物音ひとつしなかった。誰に会う心配もなかった。彼女はそのまま地主の家の前まで行った。入り口には年老いた門番キシャン・スィンがベッドの上でトゥルスィーダースの「ラーマーヤナ」33を朗読していた。パールヴァティーが中に入ろうとしているのに気付き、視線を上げずに聞いた。「誰だ?」
パールヴァティーは答えた。「私!」
声を聞いて門番は、それが女性だと分かった。おそらく召使い女だろうと考え、それ以上何の質問もせずに再び『ラーマーヤナ』を朗読し始めた。パールヴァティーは中に入った。酷暑期だったので、庭には何人かの召使いたちが寝ていた。深い眠りに入っていた者もいれば、まだ眠りが浅かった者もいた。寝ぼけながらパールヴァティーの姿を見た者もいただろうが、彼らも召使い女だと考えて彼女を止めなかった。パールヴァティーはいとも簡単に階段を上がって2階の部屋へ行くことができた。彼女はこの家のどこに何があるが、全て知っていた。デーヴダースの部屋を見つけることなど朝飯前だった。ドアは開けっぱなしになっており、中には灯りが灯されていた。パールヴァティーが中に入って見ると、デーヴダースはベッドに横になっていた。頭のそばに一冊の本が開いたまま置かれていたので、彼はもう寝てしまっていることが分かった。彼女は灯りの炎を強くし、静かにデーヴダースの足のそばに座った。壁に掛かった時計がカチカチと音を立てていた他は、全てが静まり返っていた。何の音もしなかった!
パールヴァティーは彼の足の上に手を置いて、静かに言った。「デーヴ!」
デーヴダースは深い眠りの中でも誰かが自分を呼んでいることに気が付いた。彼は目を閉じたまま答えた。「うん?」
「デーヴ!」
デーヴダースは目を閉じたまま起き上がって座った。パールヴァティーはショールを顔にかけていなかった。灯りが明るくなっていたので、デーヴダースはすぐにそれが誰かを理解した。しかし、それでもまだ信じられなかった。「あれ、お前、パーローか!」
「ええ、私。」
デーヴダースは時計の方を見てさらに驚いた。「こんな夜中に!」
パールヴァティーは何も答えず、うつむいて座っていた。デーヴダースは質問を重ねた。「こんな夜中に一人で来たのか?」
パールヴァティーは言った。「そうよ。」
デーヴダースは急に不安になって聞いた。「どうしたんだよ!夜道は怖くなかった?」
パールヴァティーは軽く笑って言った。「私はそれほどオバケを怖がってないの。」
「オバケは怖くないとしても、人は怖いだろ。どうやって来たんだ?」
パールヴァティーは何も答えなかったが、心の中で、今は自分でも分からない、とつぶやいた。
「どうやって家の中に入ったんだ?誰にも見られなかったのか?」
「門番に見られたわ。」
デーヴダースは目を見開いて言った。「門番に見られたのか?他には?」
「庭で召使いたちが数人寝ていたわ。誰かが私を見たかもしれない。」
デーヴダースはベッドから飛び降りてドアを閉めた。「誰にも気付かれなかったのか?」
パールヴァティーは何の感情も表に出さず、静かに答えた。「ここの人はみんな私のことを知ってるわ。誰かが気付いてもおかしくない。」
「何言ってるんだ?何でこんなことしたんだ、パーロー?」
パールヴァティーは心の中で、あなたに何が分かるだろう、と思ったが、実際には何も言わなかった。ただうつむいて座っていた。
「こんな夜中に・・・信じられないよ!明日お前は誰にも合わせる顔がなくなるぞ!」
パールヴァティーはうつむきながら言った。「そのくらいの覚悟はあるわ。」
デーヴダースは怒らなかったが、とても困った声で言った。「なんてことだ!お前はもう少女じゃないんだぞ?こんな風にここに来て、何の恥じらいもないのか?」
パールヴァティーは頭を振って言った。「全然ないわ。」
「明日、恥に耐えきれずに死んでしまわないか?」
こう聞かれてパールヴァティーは凛とした、しかし穏やかな表情でデーヴダースの顔をしばらく見て、怖れることなく言った。「もし、デーヴが絶対に私を守ってくれると信じていなかったら、恥に耐えきれずに死ぬでしょうね。」
デーヴダースは驚嘆し、落胆して言った。「僕が?でも僕だってどんな顔をすればいいんだ?」
パールヴァティーは同じように静かに言った。「でも、あなたはどうにもならないでしょう、デーヴ?」
少しの間黙った後、彼女は再び口を開いた。「あなたは男だわ。今日明日の内にあなたの汚名なんてみんな忘れてしまうでしょう。2日後には、いつの夜か自惚れ屋のパールヴァティーが全てを捨ててあなたのところに全てを捧げに来たなんてことは、誰も気にしなくなるわ。」
「何だって、パーロー?」
「そして私は・・・」
呆然としながらデーヴダースは言った。「そしてお前は?」
「私の汚名のこと?いいえ、私には何の汚名も付かない。もしあなたのところに人目を忍んで来たことで咎められるなら、それは私にとって何ともないわ。」
「どうした、パーロー、泣いてるのか?」
「デーヴ、河には水がいっぱいあふれてるわ。私の汚名を洗い流すのに十分じゃない?」
突然デーヴダースはパールヴァティーの手を掴んで言った。「パールヴァティー!」
パールヴァティーはデーヴダースの足の上に額を置き、声を詰まらせて言った。「ここに、少しでいいから、場所をちょうだい、デーヴ!」
その後、二人は黙ってしまった。デーヴダースの足の上から流れ落ちた涙がシーツを濡らし始めた。
しばらく時間が経った後、デーヴダースはパールヴァティーの顔を持ち上げて言った。「パーロー、僕じゃなきゃ駄目なのか?」
パールヴァティーは言った。「駄目よ!」彼女はまた彼の足の上に額を置いて伏した。パールヴァティーは何も言わず、しばらく伏したままだった。凍り付いた部屋の中で、涙で濡れた彼女の不安定な呼吸だけが音を立てていた。時計が2時を打った。デーヴダースは言った。「パーロー!」
パールヴァティーはかすれた声で言った。「何?」
「父さんも母さんも、その話には賛成しなかったんだ。知ってるだろ?」
パールヴァティーは頭を振って答えた。「知ってるわ。」
再び二人は沈黙してしまった。長い沈黙の後、デーヴダースは長いため息と共に言った。「それでどうする?」
水に落ちた盲人が地面を掴み、なんとしてでも離すまいとするように、パールヴァティーはデーヴダースの両足をしっかりと掴んでいた。彼の顔を見てパールヴァティーは言った。「私は何も知りたくないわ、デーヴ!」
「パーロー、親に逆らえって言うのか?」
「何がいけないの、断って!」
「お前の住む場所がなくなるぞ!」
パールヴァティーは泣きながら言った。「あなたの足の間に住むわ!」
また二人は黙ってしまった。時計は4時を打った。酷暑期の夜だった。もうすぐ夜が明けることに気付いたデーヴダースは、パールヴァティーの手を取って言った。「いくぞ、お前の家まで送っていくよ。」
「一緒に来てくれるの?」
「もちろんさ!もし汚名になっても、何か解決法はあるさ。さあ、行こう!」
二人は静かに外に出た。
第7章
次の日、デーヴダースは父親と少しだけ話をした。
父親は言った。「お前はいつもワシを困らせてばかりいる!ワシが死ぬまで困らせ続けるつもりだろう?だからお前がそんな話をしても何も驚かんぞ!」
デーヴダースは黙ってうつむいて座っていた。
父親は言った。「ワシはそれについて何も言わない。お前と母さんで話し合って、好きにしろ!」
デーヴダースの母親はそのことを聞き、泣きながら言った。「あぁ、神様、どうしてこんなことに?」
その日、デーヴダースは荷物をまとめてカルカッタへ去って行ってしまった。
それを聞くと、パールヴァティーは険しい顔からさらに険しい笑みを漏らし、そして黙ってしまった。昨夜のことは誰も知らなかった。彼女も誰にも言わなかった。そのとき、マノールマーが来て言った。「パーロー、デーヴダースが行っちゃったんだって?」
「うん。」
「なら、何か決まったの?」
何がどうなったのか、パールヴァティー自身も分からなかったのだから、誰かに伝えることなどできるはずもなかった。あれからずっとそのことについて考え続けていた。だが、どのくらい希望が持てるのか、どのくらい絶望すべきなのか、全く分からなかった。人間はこのような希望と絶望の入り混じった状態のときには、どんなに心の中が恐怖で満ちていても、最後まで希望を信じるものだ。パールヴァティーはほんの少しでも自分の中にある幸運を信じていた。自分の願う未来の方向だけを見ていた。パールヴァティーは、昨夜自分が行ったことが実りのないものになることは絶対にないと信じるだけの希望を持っていた。失敗に終わったらどうなるか、そんなことは考えもしなかった。だから、パールヴァティーは、デーヴダースが再び戻ってくると信じていた。彼は私を呼んで言うのだ。「パーロー、お前を他の男に絶対に渡さないからな!」
しかし、2日後に彼女は一通の手紙を受け取った。
パールヴァティー、僕は2日間ずっとお前のことを考えていた。僕の両親は、僕たちの結婚を全く望んでいない。お前を幸せにしようとしたら、僕の両親を傷付けることになってしまう。僕にはそんなことはできない。両親に歯向かうなんて、僕にどうしてできようか!これ以上お前に手紙を書くことはないだろうから、この手紙の中に僕の気持ちを全部書こうと思う。
お前の家系は卑しい。少女を売買する家系の女を、母さんは絶対に家に入れようとしないだろう。お前の家族は僕の家の隣に住んでいる。これも両親にとって気の食わないことだ。父さんが言ったことはお前も全部知ってるだろう。あの夜のことを考えると、僕はとても悲しくなる。なぜなら、お前のような自尊心の高い女が、どんなに辛い思いであんなことをしたか、僕の想像を絶するからだ。
それともうひとつ。僕がお前をとても愛したなんてことは、今まで一度もなかった。今日もお前のために心を悩ますのようなことはない。ただ、お前が僕のために苦悩していることだけが悲しい。僕を忘れろ。お前が幸せになることを心から祈っている。
デーヴダース
デーヴダースは手紙を郵便局に出すまで、ただひとつのことを考えていた。しかし、手紙を出した後、他のことを考え出した。石を投げるや否や、石の飛ぶ方向を見つめていた。モヤモヤした恐怖が彼の心をだんだんと覆ってきた。この石は彼女の頭に当たって、どうなるだろうか?強くぶつかってしまうだろうか?もしかして命を奪ってしまわないだろうか?
郵便局から家に戻る間、彼は一歩進むごとに考え込んだ――あの夜、僕の足に額を乗せて、あんなに泣いていたじゃないか・・・。自分のしたことは正しかっただろうか?
さらにデーヴダースはこんなことも考えていた――もしパールヴァティー自身に非がないなら、両親はどうして拒否したのだろう?
デーヴダースは、成長するに従い、またカルカッタで生活する内に、ただ見せ掛けの家名や身分に固執して、意味もなく命を奪うのはよくないと考えられるようになった。もしパールヴァティーが生きるのを諦め、心の中の炎を鎮めるために水の中に身を投げたとしたら、それこそ大きな汚名とならないだろうか?
寮に着くと、デーヴダースは自分の部屋で横になった。最近彼はとある寮に住んでいた。叔父の家は居心地が悪かったので、ずっと前に引き払っていたのだった。デーヴダースの住む部屋の隣には、チュンニーラールという青年が9年間も住んでいた。文学士課程を卒業するために、これほど長い期間、カルカッタに住んでいたのだった。これまで合格できなかったので、今でもそこに留まらざるをえなかったのだ。チュンニーは毎日夕方になると外出し、夜の明ける頃に帰ってきていた。これまで寮には誰も戻っていなかった。召使い女が火を灯して去って行った。デーヴダースはドアを閉めてベッドに横になった。
夜になると寮生たちが一人また一人と帰ってきた。夕食の時間になり、デーヴダースは呼ばれたが、彼は起きなかった。チュンニーラールはいつでも夜には帰ってこないが、この日も彼はいなかった。
夜中の1時になった。寮ではデーヴダース以外に誰も起きていなかった。チュンニーラールが帰ってきて、デーヴダースの部屋の前に立ち、様子を見た。扉は閉まっているが、灯りは点いている。彼は呼び掛けた。「あれ、デーヴダース、起きてるのか?」
デーヴダースは中から答えた。「ああ、君はもう帰ってきたのか?」
チュンニーラールは少し笑って言った。「まあな、今日は体調が悪くてな。」そう言って自分の部屋に入って行った。それから間もなく戻ってきて言った。「おい、デーヴダース、ちょっと開けてくれないか?」
「もちろんだ。」
「タバコはないか?」
「あるさ。」そう言ってデーヴダースはドアを開けた。タバコを整えながらチュンニーラールは聞いた。「デーヴダース、こんな遅くまで起きているなんて、何かあったのか?」
「毎日眠くなるとは限らないだろ?」
「眠気が来ない?」
笑いながらチュンニーラールは言った。「オレは今まで、お前のような良家のお坊ちゃんは、夜中まで起きてられないって思ってたよ!でも今日はいい勉強になった。」チュンニーラールはタバコを吸いながら言った。「デーヴダース、実家から帰ってから、お前はずっと晴れない顔してるよな。まるで誰かがお前をひどく傷付けたみたいだ。」
デーヴダースは顔を曇らせたが、黙ったままだった。
「体調が悪いのか?」
とうとうデーヴダースは起き上がって敷物の上に座った。そして、とても落ち着かない表情でチュンニーラールの顔を見て、聞いた。「そうだ、チュンニー、君には何の悩み事もないのか?」
笑いながらチュンニーラールは答えた。「全然。」
「人生の中で、全く悩んだことはないのか?」
「なんでそんなこと聞くんだよ、デーヴダース?」
「興味があるんだ。」
「分かった。いつか言うよ。」
デーヴダースは言った。「それじゃあ、チュンニー、君は一晩中どこに行ってるんだ?」
チュンニーラールは笑って言った。「何だ、知らないのか?」
「知ってはいるけど、詳しくは知らない。」
チュンニーラールの顔が急に輝き出した。彼は自分の行動について何を言われてもどうでもよかった。彼には見せかけの恥じらいだけがあったが、それも、常習化することで少なくなってしまっていた。ふざけながら、目をつむって言った。「デーヴダース、詳しく知りたければお前もオレみたいにならなきゃいけないぜ。明日一緒に来るか?」
デーヴダースは少し考えてから言った。「聞くところによると、そこは何やらすごく楽しいところらしいな。嫌なことを全部忘れさせてくれるとか。本当なのか?」
「全くそのとおりさ。」
「もしそうなら、僕も一緒に連れて行ってくれよ。」
翌日、夕方になる前に、チュンニーラールはデーヴダースの部屋に来て見た。すると、彼は自分の荷物をまとめているところだった。驚いて言った。「おい、どうしたんだ?行かないのか?」
デーヴダースは顔を上げずに言った。「ああ、行くさ。」
「なら、何もしてるんだ?」
「行く準備さ。」
チュンニーラールは少し笑いながら、行く準備にしては大がかりだと考えて、言った。「一切合切持って行くつもりなのか?」
「そうでなければ、誰のところに置けばいいのさ?」
チュンニーラールは状況が掴めなかった。「オレが行くとき、荷物を誰かに預けてるか?全部寮に置いて行ってるだろ?」
デーヴダースははっと我に返って、恥ずかしそうに言った。「チュンニー、今日僕は村に帰るよ。」
「何だって?いつ戻ってくるんだ?」
デーヴダースは頭を振って言った。「もう戻らないよ。」
チュンニーラールは驚いてデーヴダースの方をじっと見ていた。デーヴダースは言った。「このお金をもらってくれ。僕に何かの請求が来たら払っておいてくれ。もし残ったら、寮の召使いたちに分け与えてくれ。僕は二度とカルカッタに帰らないだろうから。」
デーヴダースは心の中で、カルカッタに来たのは大きな過ちだった、とつぶやいた。
今日、青春の霧で覆われた暗闇を貫いて、彼の目にひとつの真実が浮かび上がっていた。あの厄介で、無礼なほど度胸に満ちて、拒絶され抑圧された宝石と比べて、カルカッタ全体はなんと空虚で安っぽいことか。
チュンニーラールの顔を見て言った。「チュンニー、勉強も教育も知恵も知識も学歴も、全て人生の幸せを得るためのものだよ。それらを求めてもいいが、そこに幸せがなかったら、何の意味もない。」
チュンニーラールは言葉を遮って言った。「それじゃあもう勉強を辞めちまうのか?」
「そうさ、勉強のせいで僕は大きな損をしてしまった。もしこれだけの犠牲を払ってこれだけの勉強しかができないと前もって知っていたら、僕は一生カルカッタに来ることもなかっただろうな。」
「お前はどうしちまったんだ?」
デーヴダースはしばらく考えてから言った。「いつか再会できたら、そのときに全部話すよ。」
夜の9時になるところだった。デーヴダースが全ての荷物をまとめ、寮を引き払って馬車に乗って去っていくのを、チュンニーラールをはじめとする寮生たちは唖然としながら見送った。彼が去った後、チュンニーラールは怒って他の寮生に向かって言った。「あんな気まぐれな奴だとは知らなかったぜ!」
第8章
慎重かつ賢い者は、目で見ただけで何かの善し悪しを決めず、あらゆる方向から考察せずに決断を下すこともなく、ひとつやふたつの側面を見て全てを理解した気にもならないものだ。しかし、別の種類の人もいる。彼らは全く正反対だ。何事においてもよく考える力がない。目に入った瞬間にその善し悪しについて決め付けてしまう。注意深く観察する努力を払わずに、思い込みで行動を起こしてしまう。このような人たちがこの世界において何も成し遂げられないかというと、そうでもない。むしろ、しばしば多くのことを成し遂げてしまう。幸運が味方すれば、このような人々はしばしば何かの頂点に立つものだ。だが、幸運が味方しなければ、破滅の穴にはまり込む。再び立ち上がることも、持ち直すこともできない。世間に目を向けることもなく、身動きひとつせずに死体のように横たわり続ける。デーヴダースも後者のような種類の人間だった。
次の日の早朝、彼は家に到着した。母親は驚いて言った。「なんだい、もう大学は休みかい?」
デーヴダースは「そうだよ」と言い、心ここにあらずといった感じで家の中に入った。父親が同じことを聞いたが、やはり適当に答えてどこかへ行ってしまった。父親はよく理解できずに妻に聞いた。彼女はよく考えて言った。「きっとまだ暑さが引いてないから、休みになったのでしょう。」
2日間デーヴダースはあちこち歩き回っていた。しかし、彼は人気のない場所でパールヴァティーと会おうと思ったが、叶わなかった。2日後、パールヴァティーの母親はデーヴダースを見て言った。「もしこっちに帰ってきたなら、パールヴァティーの結婚式が済むまでいなさいな。」
「分かりました!」デーヴダースは言った。
昼過ぎ、パールヴァティーは昼食を食べた後、いつも貯水池に水を汲みに行っていた。脇に真鍮の水壺を抱えながら、今日もガート34に来て立った。見ると、近くのナツメの木の陰で、デーヴダースが釣り糸を垂れて座っていた。パールヴァティーは一瞬引き返そうと思ったが、こっそり水を汲んで立ち去ることにした。しかし、うまい具合にはいかなかった。水壺をガートに置いたときに音が出たため、デーヴダースの視線がパールヴァテイーの方へ向いてしまった。彼は手を挙げて呼んだ。「パーロー、聞いてくれ!」
パールヴァティーはゆっくり彼の近くへ行って立った。デーヴダースは顔を上げ、そしてしばらく河の方をボーッと眺めていた。パールヴァティーは言った。「デーヴ、何か用?」
デーヴダースはそのまま視線を動かさずに言った。「ああ、座って。」
パールヴァティーは座らずに、うつむいて立っていた。しかし、しばらくの間沈黙が流れると、パールヴァティーはゆっくりとガートの方向へ引き返そうとした。デーヴダースは一度顔を上げて見てから、また河の方に視線を戻し、言った。「聞けよ!」
パールヴァティーは戻ってきた。しかし、またデーヴダースは何も言えなかった。それを見て彼女はまた引き返した。デーヴダースは身動きせずに座っていた。少し後に彼はまた顔を上げると、パールヴァティーは水を汲み終わって家に戻ろうとしているところだった。デーヴダースは釣竿を持ってガートの傍に立って言った。「帰ったぞ。」
パールヴァティーは水壺を下ろして地面に置いたが、何も言わなかった。
「帰ったぞ、パーロー!」
パールヴァティーはずっと黙っていたが、やがてとても優しい声で聞いた。「なぜ?」
「手紙は書いたか?」
「いいえ。」
「どうしてだ、パーロー!あの夜のことを覚えてないのか?」
「覚えてるわ。でも今頃それが何?」
彼女の声には冷めきった響きがあった。デーヴダースは彼女の気持ちを理解して言った。「僕を許してくれ、僕はあのときよく分かっていなかったんだ・・・。」
「何も言わないで。そんなこと聞きたくないわ。」
「何とかして父さんと母さんを説得するよ!そしたらお前が・・・」
パールヴァティーはデーヴダースの顔を鋭い目つきで睨んで言った。「あなたには親がいて、私にはいないの?私のお父さんとお母さんの考えはどうでもいいの?」
デーヴダースは慌てて言った。「そうだな、パーロー!でも、お前の両親が望んでないことはないんだ、ただパーローが・・・」
「なんで私の両親の気持ちを決め付けるの?お父さんもお母さんも全然望んでないわ。」
デーヴダースは無理に笑って言った。「そんなことないさ、お前の両親が望んでいるんだよ。僕はよく知ってるんだ。ただお前が・・・」
パールヴァティーは言葉を遮って強い口調で言った。「ただ私が!あなたと結婚?フン!」
一瞬の内にデーヴダースの目が炎のように燃え上がった。彼は強い口調で言った。「パールヴァティー、僕を忘れたのか?」
最初、パールヴァティーは動揺したが、すぐに落ち着き、静かだが厳しい声で答えた。「いいえ、忘れるはずないわ。子供の頃からあなたを見てきたのよ。物心ついたときからあなたを恐れてきたわ。それだからあなたは私を脅しているんでしょう?でも、私だってあなたのことをよく知ってるわ。」そう言った後、彼女は毅然とした表情で立ち上がった。
デーヴダースの口からは何の言葉も出て来なかったが、やがて口を開いた。「ずっと僕のことを怖がっていたのか・・・他には何もない?」
パールヴァティーは厳しい口調で言った。「ないわ。他には何も。」
「本当のことか?」
「ええ、本当よ。あなたは私にとってどうでもいい存在よ。私の結婚相手は、お金持ちで、頭もよくて、穏やかな人だわ。信心深くもある。私の両親は私を大事に思ってくれてるから、あなたのような無教養で落ち着きがなくて悪い人に私の手を委ねたくなかったの。さあ、どいてよ。」
デーヴダースはまごついてしまった。道を譲ろうとしたが、すぐに前に踏み出し、彼女を睨んで言った。「偉そうに!」
パールヴァティーは言った。「なぜ?あなたはいつも偉そうにしてるくせに、私はしちゃいけないの?あなたは見た目はいいかもしれないけど、内面は醜いわ。私は見た目も内面もいいの。あなたの身分は高いかもしれないけど、私のお父さんだって乞食じゃないわ。それに、私だってあなたたちに見劣りしない身分になるんだから。分かってる?」
デーヴダースには返す言葉がなかった。
パールヴァティーはさらに言葉を続けた。「私にものすごい仕返しをしようと考えてるんでしょう。すごくなくても、多少はできるでしょうね。いいわ、そうすれば。さあ、道を開けて。」
デーヴダースは逆上して言った。「どうやって仕返しするっていうんだ?」
パールヴァティーは即座に答えた。「私の噂を言いふらせば?さあ、行って。」
それを聞いてデーヴダースは雷に打たれたようになった。彼の口からはただこれしか言葉が出なかった。「僕が?噂を言いふらす?」
パールヴァティーは毒々しい冷笑をして言った。「行って、私の悪い噂を言いふらせばいいわ。あの夜、私はあなたを一人で訪ねた。そのことを四方に広めて。そうすればスッキリするでしょう。」自尊心の強いパールヴァティーの憤った唇は震えていた。
しかし、怒りと恥辱によりデーヴダースの胸は内側から煮えたぎっていた。彼はかすれた声で言った。「嘘の噂を言いふらして腹いせするような男だと思ってるんだな?」そして、太い釣竿を強く振りながら大声で言った。「いいか、パールヴァティー、美人も度が過ぎると困りものだな、自惚れが強くなる。」そう言った後、少し声を和らげて言った。「月はあんなにもきれいだから、黒い斑点が付いたんだ。蓮の花はあんなにもきれいだから、黒いハチが止まるんだ。これでお前の顔に汚名の印を付けてやる。」
デーヴダースは我慢の限界に来ていた。彼は釣竿を強く握ると、パールヴァティーの額を力いっぱい打った。すぐにパールヴァティーの左睫毛まで頭が切れてしまった。一瞬で彼女の顔は血まみれになった。
パールヴァティーは地面に突っ伏して言った。「デーヴ、何するの?」
デーヴダースは釣竿を折って池に捨てると、落ち着いた声で答えた。「どうってことないさ、ちょっと切れただけだ。」
パールヴァティーは悲痛の声を上げた。「ああ、デーヴ!」
デーヴダースは自分のシャツの裾を裂いて水につけ、それをパールヴァティーの頭に巻きながら言った。「心配するな、パーロー!こんな傷、すぐによくなるさ。ただ痕が残るだけだ。もし誰かにこの傷について聞かれたら、適当に答えておけ。そうでなかったら、あの夜のことを言うんだな。」
「ああ、神様!」
「フン!騒ぐな、パーロー!別れの最後の日を記念するために印を残してやっただけだ。自分のきれいな顔を鏡で時々見るんだろ?」そう言ってデーヴダースは答えを待たずして歩き始めた。
気が動転したパールヴァティーは泣きながら言った。「ああ、デーヴ!」
デーヴダースは戻ってきた。彼の目の片隅にも涙が浮かんだ。とても優しい声で言った。「どうした、パーロー?」
「このことは誰にも言わないで!」
デーヴダースはすぐにしゃがみ込み、唇でパールヴァティーの髪に触れながら言った。「おい、水くさいじゃないか、パーロー!子供の頃から、お前が間違ったことしたら、僕が何度もお仕置きしてただろ、忘れたのか?」
「デーヴ、私を許して!」
「そんなこと言うなよ。本当に何もかも忘れたのか、パーロー?僕はいくら怒っても、最後にはお前を許してきただろう?」
「デーヴ!」
「パールヴァティー、知ってのとおり、僕は話すのが苦手なんだ。よく考えて行動することができない。思いついたらすぐに行動してしまう。」そう言った後、パールヴァティーの額に手を置いて祝福を与えながら言った。「お前は正しい選択をした。僕のところに来ても、お前は幸せになれなかっただろう。でもお前のこのデーヴはきっとこの上ない幸せを得られただろうけどな・・・。」
そのとき池の対岸から誰かが来ていた。パールヴァティーはゆっくりと水辺に下りた。デーヴダースは去って行った。
パールヴァティーが家に戻ったときには日が沈んでいた。祖母は彼女を見ずに言った。「パーロー、水を汲むのに池でも掘ってたのかい?」
しかし、その問いの返事を待つこともなく、パールヴァティーの顔を見た途端に叫び声を上げた。「ああ、神様!どうしてこうなったんだい?」
傷口からはまだ血が流れていた。布の切れ端はほとんど血で赤く染まっていた。祖母は泣きながら言った。「ああ、神様!神様!パーロー、お前の結婚式だっていうのに!」
パールヴァティーは黙って水壺を地面に置いた。
母親も泣きながら聞いた。「この傷はどうしたんだい、パーロー!」
パールヴァティーは平然と答えた。「ガートで足が滑って、頭をレンガにぶつけてしまったの。」
その後みんなで集まってパールヴァティーの治療をした。デーヴダースの言ったとおり、傷は深くなかった。4、5日の内に傷口が塞がった。このようにして10日ほどが過ぎ去った。
ある夜、ハーティーポーター村の地主ブヴァン・チャウダリーが花婿姿をし、バーラート35を連れて挙式しにやってきた。式はそれほど盛大には行われなかった。ブヴァンは分別ある人物だった。このような年齢になって、若い花婿のようにはしゃぐのはよくないと考えていた。
花婿の年齢は40歳弱ではなく、実際はそれより上だった。色白で太った体をしていた。白髪混じりの髭を生やし、頭は前から禿げ上がっていた。花婿を見て、ある者は笑い、ある者は黙ってしまった。ブヴァンは神妙な面持ちで、罪人のように結婚式の壇上に立った。悪ふざけ36は行われなかった。これほど賢く真面目な人間に対して悪ふざけする者はいなかった。そして婚姻の儀式のとき、パールヴァティーはにわかに彼をずっと見ていた。口元には笑いさえかすかに浮かんでいた。ブヴァンは小さな子供のようにうつむいてしまった。近所の女性たちは大声を上げて笑った。チャクラヴァルティー氏はあちこち走り回った。分別ある婿を得て彼は落ち着かなくなった。地主のナーラーヤン・ムカルジーは花嫁側の仕切り役を務めた。彼は全ての手配を完璧にこなし、何の間違いも起こらなかった。結婚式は無事に終わった。
次の日の早朝、チャウダリー氏は装飾品で満ちた箱を取り出した。身に付けたパールヴァティーの体は輝いた。母親はそれを見てサーリーの端で涙を拭った。そばにいた地主の妻は、優しく叱って言った。「今日、涙を流すのは縁起が悪いわ!」
日が沈む前、マノールマーはパールヴァティーを誰もいない部屋に連れて行って祝福を与え、言った。「これでよかったのよ。とっても幸せな暮らしになるでしょう。」
パールヴァティーは少し笑って言った。「そうね、幸せになるわ!昨日はヤムラージ37にちょっと会えたしね!」
「何言ってるの?」
「時が来れば分かるでしょう。」
マノールマーは話題を変えて言った。「一度デーヴダースを呼んで、この晴れ姿を見せてあげたいわ。」
パールヴァティーの顔が輝いた。「連れてこれる?本当に一度呼んできてくれたらなぁ!」
それを聞いてマノールマーは声を震わせた。「なぜ、パーロー?」
パールヴァティーは手首の腕輪を回しながら、悲しそうに言った。「足の埃を頭に付けたいの38。今日私は行っちゃうからね!」
マノールマーはパールヴァティーを抱きしめ、二人は長い間泣いていた。日が沈み、辺りを闇が覆った。祖母は扉を叩いて外から声を掛けた。「パーロー、マノー、出ておいで!」
その夜、パールヴァティーは夫の家に去って行った。
第9章
片や、デーヴダース!その夜、デーヴダースはカルカッタのエデン・ガーデンにあるベンチに一晩中座っていた。彼は激しい苦悩と心の苦痛で苦しんでいたわけではない。彼の心の中には、一種の生気のない虚脱感が次第に生じ始めていた。まるで眠っている間に寝相が悪くて身体のどこかが麻痺し、目が覚めた後もその一部の感覚が感じられないときのようだった。そんなとき、生まれたときから共に生きてきた同志が味方をしてくれないため、心は恐ろしさのあまり一瞬だけうろたえるものだ。そしてだんだんと理解が追いついてくる。身体の一部が切り離されたという勘違いが解けてくる。ちょうどそんな状態で、デーヴダースも一晩中考えていた。運命の悪戯から突然二人の関係に麻痺が走り、それは永遠に別々になってしまった。もはや彼女に意味もなく怒ったり、仕事を押しつけたりできなくなった。彼女を所有物と考えることすら間違いだ。
ちょうど日が昇りつつあった。デーヴダースは立ち上がり、これからどこへ行こうか考えた。突然、カルカッタのあの寮が思い浮かんだ。チュンニーラールがいる。デーヴダースは歩き始めた。途中で2回も人にぶつかった。つまずいて転び、指が血まみれになってしまった。ぶつかって他人の上に倒れ込んだが、その人は酔っ払いだと思って彼を突き飛ばした。このようにヨロヨロと歩きながら、夕方には寮の玄関に辿り着いた。
そのときちょうどチュンニーラールは着飾って外出しようとしていたところだった。「おい、どうした、デーヴダース?」
デーヴダースは黙っていた。
「いつ来たんだ?顔色悪いな、ちゃんと飯を食ってるか?あれ、どうした?」
デーヴダースは路上に座り込んだ。チュンニーラールは彼の手を掴んで中に連れ込んだ。自分のベッドに座らせると、慰めながら聞いた。「一体どうしたんだ、デーヴダース?」
「昨日家から来たんだ。」
「昨日?一日中どこにいたんだ?夜はどこに泊まった?」
「エデン・ガーデン。」
「お前、頭がおかしくなっちまったのか?何が起こったんだ?」
「聞いてどうする?」
「なら言わなくてもいい。まずは水浴びして飯を食え。荷物はどこだ?」
「何も持ってない。」
「気にするな。何か食べよう。」
チュンニーラールは無理にデーヴダースに食事をさせ、ベッドに寝かせて、ドアを閉めながら言った。「とりあえず少し眠るように努力しろ。オレは夜になったら帰ってくるから。」彼は行ってしまった。
夜の10時にチュンニーラールが帰ってきて見ると、デーヴダースは彼のベッドでグッスリ眠っていた。彼は起こさず、毛布を床に敷いて、その上に横になった。一晩中デーヴダースは眠り続け、朝になっても目を覚まさなかった。
朝の10時にやっとデーヴダースは起き上がり、ベッドの上に座って聞いた。「チュンニー、いつ帰ったんだ?」
「今来たよ。」
「迷惑じゃなかったかな?」
「全然。」
デーヴダースは彼の顔をしばらくじっと見つめた後、言った。「チュンニー、僕は無一文なんだ。しばらく君のところに厄介になってもいいか?」
チュンニーラールは笑った。デーヴダースの両親が大金持ちであることを彼は知っていた。だから笑って言った。「厄介になる?いいさ、好きなだけここに住めよ。」
「チュンニー、君の収入はいくらなんだ?」デーヴダースは聞いた。
「オレの収入は普通さ。家に少し土地を持っててな、今は兄貴に貸してここに住んでるんだ。毎月兄貴が70ルピーを送ってくれてる。それだけあれば、オレとお前が生活するには十分さ。」
「なんで家に戻らないんだ?」
チュンニーラールは少し顔をしかめて言った。「いろいろあってな。」
デーヴダースはそれ以上聞かなかった。食事時を告げる呼び声がした。二人は水浴びをし、食事をして、再び部屋に戻って座った。チュンニーラールは聞いた。「デーヴダース、親父と喧嘩でもしたのか?」
「いや。」
「他の誰かと?」
デーヴダースは同じ調子で返事をした。「いや。」
チュンニーラールは突然別の話題を思いついた。「そうだ、結婚したってことはないよな?」
デーヴダースは別の方向を向いて横たわっていた。少し後にチュンニーラールが見ると、デーヴダースは眠ってしまっていた。
このようにゴロゴロしている内にさらに2日が経ってしまった。3日目の朝、デーヴダースの体の調子もよくなり、起き上がって座った。彼の顔を覆っていた深い闇は幾分晴れたようだった。チュンニーラールは聞いた。「今日の調子はどうだ?」
「前よりだいぶよくなったよ。ところでチュンニー、君は夜にどこへ行ってる?」
この日、チュンニーラールは照れながら言った。「ああ、行ってはいるが、まあいいだろう。そうだ、大学は行かないのか?」
「いや、もう勉強は辞めたんだ。」
「おいおい、それはないだろ?2ヵ月後には試験だ。お前、成績は良かっただろ。今年の試験だけでも受けろよ!」
「辞めたといったら辞めたんだ。」
チュンニーラールは黙ってしまった。デーヴダースは再び聞いた。「どこに行ってる?教えてくれないのか?君と一緒に行きたい。」
チュンニーラールはデーヴダースの顔をしばらく見た後に言った。「なぜそんなこと聞く、デーヴダース!そんないいところに行ってるわけじゃないさ。」
デーヴダースにとってそれがいいところであろうと悪いところであろうと関係なかった。彼は言った。「チュンニー、僕を連れて行ってくれないのか?」
「連れて行くことはできるけどな、行くべきじゃないぜ。」
「いや、僕は行くぞ。もし気に入らなかったら、もう二度と行かないだろうしな。でも君は楽しくてしょうがないから毎日通ってるんだろ。どんなところであっても、チュンニー、僕は絶対に行くよ。」
チュンニーラールは顔を背け、なんてこったと心の中で苦笑しながらも、「よし、じゃあ一緒に行くか」と言った。
日が沈む少し前、ダラムダースがデーヴダースの荷物を持って寮までやってきた。デーヴダースを見て泣きながら言った。「デーヴ坊ちゃん、今日で3、4日経ちます、奥様が泣いてらっしゃいますよ。」
「なぜ?」
「何も言わずにいきなり出て行ってしまうからです。」一通の手紙を取り出しながら言った。「奥様からの手紙です。」
状況を掴もうとチュンニーラールは食い入るようにやり取りを見ていた。デーヴダースは手紙を読んで、置いた。母親は家に戻ってくるように書いていた。家族の中でただ母親だけが、デーヴダースが突然消えてしまった理由を多少なりとも推測することができた。多額のお金をダラムダースを介してこっそり送ってよこしてくれていた。ダラムダースはそれをデーヴダースに手渡して言った。「デーヴ坊ちゃん、家に帰りましょう。」
「僕は帰らない。お前は帰ってくれ。」
夜になった。デーヴダースとチュンニーラールは着飾って外に出た。そういう格好はデーヴダースの趣味ではなかったが、チュンニーラールは普段着を着て外出することをよしとしなかった。
夜の9時に馬車はチトプルのとある2階建ての建物の前で止まった。チュンニーラールはデーヴダースの手を掴んで中に連れて入った。その館の女主人の名前はチャンドラムキーといった。彼女は二人を歓迎した。そのとき、デーヴダースの全身に怒りが込み上げた。彼はカルカッタに来てからというものの、知らず知らずの内に女性の体に対する嫌悪感を持ち始めていた。チャンドラムキーを見るや否や、心の中の憎悪が野に放たれた火の如く燃え上がった。チュンニーラールの顔を見て、顔をしかめて言った。「チュンニーラール、なんてひどい場所に連れ込んでくれたんだ?」
デーヴダースの怒った声と目を見て、チャンドラムキーとチュンニーラールは固まってしまった。しかし、すぐにチュンニーラールは気を取り直してデーヴダースの手を取り、優しい声で言った。「まあ、中に入って座れよ。」
デーヴダースはそれ以上何も言わずに部屋の中に入り、床に敷かれたマットの上に不機嫌そうにうつむいて座った。そばにチャンドラムキーも黙って座った。召使い女が銀製の水キセルを持ってきた。しかし、デーヴダースは触ろうともしなかった。チュンニーラールも険しい顔をして座っていた。召使い女は最初どうしたらいいのか分からず困惑していた。とうとうチャンドラムキーに水キセルを渡して立ち去った。2、3回彼女が水タバコを吸うと、デーヴダースは厳しい目つきで彼女の顔を見た。そして急に激しい憎しみに満ちた声を出した。「なんて無礼で恥知らずな女だ!」
これまでチャンドラムキーを口論で負かした者はいなかった。彼女に恥をかかすのは簡単なことではなかった。デーヴダースの内面の嫌悪感から発せられたこの短く厳しい言葉は彼女の心に刺さった。少しの間、彼女は固まってしまった。しかし、すぐに彼女は2回水タバコを吸って音を出した。それでも、チャンドラムキーの口から煙は出なかった。彼女はチュンニーラールに水キセルを渡し、もう一度デーヴダースの方を向いて、何もしゃべらずに座っていた。三人の間に沈黙が流れた。ただ時々、水タバコのグルグルという音が、間の悪そうに鳴っていた。友人の間で議論しているときに、突然つまらない口論に発展することがある。そんなとき、お互いに心の中でイライラし、興奮しながら、「さてと!」と言っているものだ。このように、三人は心の中で「さて、どうしたものか?」と言っていた。
とにかく、三人とも気まずい雰囲気だった。チュンニーラールは水タバコを置くと下に行ってしまった。多分それしかすることがなかったのだ。だから部屋の中には二人だけが残された。デーヴダースはうつむいていた顔を上げて聞いた。「お前は金を取ってるんだよな?」
チャンドラムキーはすぐには答えられなかった。そのとき彼女の年齢は26歳だった。この9年間で彼女は数え切れないほどの男と深い関係になった。しかし、このような変な男と会ったのは初めてだった。少し当惑しながらも言った。「あなたの足の埃を落としてくだされば・・・」
彼女が話し終えない内にデーヴダースは立ち上がった。「足の埃の話じゃない、金は取るのか?」
「いただいています。それをいただきませんことには仕事になりません。」
「黙ってろ。何も聞きたくない。」彼はポケットから紙幣を取り出してチャンドラムキーに手渡し、出て行こうとした。いくら渡したかも数えずに。
チャンドラムキーは丁寧な声で言った。「もうお帰りですか?」
デーヴダースは何も言わず、バルコニーに黙って立った。
チャンドラムキーはお金を返そうと思ったが、躊躇して返すことができなかった。おそらく少し怖じ気づいたところもあった。そうでなければ、彼女は汚名も罵声も侮蔑も耐え忍ぶのに慣れていた。だから何も言わず、部屋の入口に立っていた。デーヴダースは階段を降りて下へ行った。
階段の途中でチュンニーラールに会った。彼は驚いて聞いた。「どこ行くんだ、デーヴダース?」
「寮に帰るよ。」
「なぜ?」
デーヴダースはもう2、3段降りた。
チュンニーラールは言った。「オレも帰るよ。」
デーヴダースは近づいて彼の手を取り、言った。「行こう。」
「ちょっと待て、上に行ってすぐ戻ってくる。」
「いや、僕はもう行く。君は後で来いよ。」そう言ってデーヴダースは行ってしまった。
チュンニーラールが上へ行って見ると、チャンドラムキーはそのまま部屋の入り口に立っていた。チュンニーラールを見て聞いた。「ご友人はお帰り?」
「ああ。」
チャンドラムキーは手に持った紙幣を見せて言った。「これを見て!でも、もしよろしければ、お持ちになって、ご友人にお返しください。」
チュンニーラールは言った。「あいつが進んで渡したんだろ?オレは返せないよ。」
やっとチャンドラムキーは少し笑うことができた。だが、その笑みの中に何の喜びもなかった。彼女は言った。「あの方は渡したくて渡したのではないわ。私に怒って渡したの。ところで、チュンニー様、あの方は頭がおかしいの?」
「全然。でも、近頃あいつは何か心配事でもあるみたいなんだ。」
「何の心配事ですか?あなたは何か知ってらっしゃるの?」
「オレは何も知らないよ。多分家庭内の揉め事か何かだろう。」
「では、どうしてここに連れてこられたのですか?」
「オレが連れてきたくなかったんだけど、あいつが自分で無理矢理ついてきたんだ。」
チャンドラムキーは本当に驚いて言った。「無理矢理?自分で来たの?全て知ってるのに?」
チュンニーラールは少し考えて言った。「知らなかったら来ないだろ?あいつは全部知ってるんだ。もう間違ってもあいつを連れてこないさ。」
チャンドラムキーはしばらく黙って考えた後、話し出した。「チュンニー様、ひとつ頼まれていただけますか?」
「何だ?」
「あなたのお友達はどこにお住まいなのですか?」
「オレと一緒に住んでるぜ。」
「いつかあの方をもう一度連れてきてはくださいませんか?」
「それは無理だと思うな。あいつは今までこんなところに来たことがなかったし、これからも来ることはないだろうよ。しかし、なんでまた?」
チャンドラムキーは少し悲しみの混じった笑みを浮かべながら言った。「チュンニー様、もしそうなら、尚更もう一度あの方をお連れくださいませ。」
チュンニーラールは微笑み、目配せして言った。「脅されて恋が芽生えたとか?」
チャンドラムキーも微笑んで言った。「何も見ずにお金を払って出て行かれてしまわれました。お分かりになりませんか?」
チャンドラムキーの性格をよく知っていたチュンニーラールは、首を振って言った。「いやいやいや、金の話は言い訳だ、お前はそういう女じゃない。本当のこと言えよ!」
チャンドラムキーは言った。「本当に、少しだけ執着が生まれてしまいました。」
チュンニーラールには信じられなかった。笑って言った。「この5分の間で?」
今度はチャンドラムキーも笑って言った。「そういうことにしておいてくださいな。あの方の気分が晴れたら、もう一度ここに連れてきてください。そのときじっくり見てみましょう。連れてきてくださいますよね?」
「約束はできないな。」
「どうかお願いします。」
「ま、努力はしてみるぜ。」
第10章
パールヴァティーが来て見てみると、夫の家はとても大きな邸宅であった。新しい洋風の家ではなく、古い伝統的な様式の家だった。本殿、内殿39、礼拝堂、劇場、客殿、事務所、倉庫、そして数え切れないほど多くの召使いたちを見て、パールヴァティーは言葉を失ってしまった。彼女は、自分の夫が大地主であることは聞いていたが、これほどまでとは想像だにしていなかった。唯一不足していたのは家族だった。血縁者はほとんどいなかった。これほど大きな内殿はほぼ空だった。パールヴァティーは新妻だったが、家の女主人は彼女しかいなかった。彼女を家に迎え入れた女性は年老いた叔母だけで、残るは召使い女たちだけだった。
日が沈む少し前、輝かしく美しい20歳の若者がパールヴァティーのそばに来て挨拶をした。「お母さん、僕があなたの長男です!」
パールヴァティーはヴェールの下からチラッと見たが、何も言わなかった。彼はもう一度挨拶をして言った。「お母さん、僕があなたの長男です。よろしくお願いします。」
パールヴァティーはヴェールを頭の上に上げ、優しい声で言った。「さあ、こっちに来て。」
若者の名前はマヘーンドラといった。彼はパールヴァティーの顔を見て、一瞬言葉を失った。その後、そばに座って礼儀正しい口調で言った。「私の母が亡くなってから今日で2年が経ちます。この2年間を、私たちは悲しみと苦しみの中で過ごしました。今日、あなたが来てくれました。どうかこれからは幸せに過ごせるように祝福をください。」
パールヴァティーはすぐに心を開いて話し始めた。いきなり女主人となってしまったからには、なるべく多くの会話をしなければならないからだ。これが他の人であったならば、それは自然なことだったのかもしれない。パールヴァティーをよく知る者なら、彼女の人生に起こった様々な状況のおかげで、彼女は年齢の割にかなり成熟していたことをすぐに理解するだろう。さらにいえば、元から彼女には、無意味な恥じらいも、見せかけの奥ゆかしさもなかった。彼女は聞いた。「ベーター40、私の他の子たちはどこ?」
マヘーンドラはちょっとはにかんで答えた。「ご報告します!あなたの長女、つまり私の妹は婚家にいます。手紙を書いたのですが、ヤショーダーは何かの用事があって来られませんでした。」
パールヴァティーは悲しくなって言った。「来られなかったの?それとも来たくなかったのかしら?」
マヘーンドラは恥ずかしそうに言った。「よく分かりません、お母さん!」
しかし、彼の口調から、ヤショーダーは怒って来なかったのだと理解した。パールヴァティーは言った。「次男はどこ?」
マヘーンドラは言った。「あいつはすぐに来ます。カルカッタにいます。試験が終わったら来ます。」
ブヴァン・チャウダリーは自分で地主の仕事を見ていた。その他、毎日豊作のために祈りを捧げ、断食を定期的に行い、サードゥ41たちの世話をすることで、朝から夜の11時までの時間が過ぎてしまっていた。再婚したことによる喜びの色は彼の顔には見えなかった。夜になると、内殿に来ることもあれば来ないこともあった。来たとしても、ごく普通の話をするだけだった。ベッドに横になり、枕を寄せ、目を閉じて、なんとかこんな話を絞り出すのだった。「いいか、お前は家の女主人だ。全てをよく見て、理解しなさい。」
パールヴァティーは頭を振って言う。「分かりました!」
ブヴァンは言う。「それから、そう、子供たちのことだが、お前の子供たちだからな。」
夫が恥ずかしがっているのを見て、パールヴァティーは目を細めた。ブヴァンも少し笑って言う。「それと、マヘーンドラはお前の長男だ。先日文学士課程を卒業してな。あんなにいい子で、あんなに慈悲深い子で、どう思ってるか知らないが・・・」
パールヴァティーは笑いをこらえて言う。「ええ、分かってます。あの子は私の長男です。」
「すぐに分かるさ。あんな優れた子はどこにもいないだろう。それとヤショーマティー(ヤショーダー)のことだが、あの子は女の子じゃない。まるでラクシュミー女神の生き写しのようで・・・。あいつは来てくれるさ。絶対に来てくれるさ。年老いた父親に会いに来ないはずがないだろう?あの子が来たら・・・」
パールヴァティーは柔らかい手を夫の頭に乗せて、優しい声で言う。「あなたは何も心配しないでください。誰かにヤショーを呼びに行かせます。それでも来なかったら、マヘーンドラが行くでしょう。」
「行くだろう!行くだろう!もうしばらく会っていない。お前が誰かを送るのか?」
「送ります!私の娘なんです。呼ばないはずがないじゃないですか。」
そのとき年老いたブヴァンは喜びのあまり起き上がった。夫婦という関係を忘れ、パールヴァティーの額に手を置き、祝福して言った。「お前は幸せになるだろう。私が祝福する、お前は幸せになるだろう。神様がお前を長生きさせてくださるだろう。」
その後、老人は突然あらゆることを思い出した。そしてベッドに横になり、目を閉じ、心の中で言った。「あの娘はなんて可愛いのだろう!」
そのとき、白髪混じりの髭の近くを涙が流れ、枕を濡らした。パールヴァティーはそれをぬぐった。こんなことも言っていた。「ああ!子供たちが皆、戻ってくるだろう。家はもう一度活気付くだろう。ああ、以前はどんなに騒がしかったことだろう。男の子、女の子、母親、声。毎日がまるでドゥルガー祭のようだった。それがある日、全て去って行ってしまった。息子はカルカッタへ、ヤショーダーは婚家へ、そして真っ暗な葬式・・・。」
このとき再び髭の両側から涙が流れて枕を濡らし始めた。パールヴァティーは悲しくなってそれらをぬぐい、言った。「マヘーンドラはどうして結婚しないんですか?」
老人は言う。「ああ、その日が来たらどんなに嬉しいことか!それしか考えられない。しかし、あいつの心を誰が知っていよう?あいつは頑固者で、どうやっても結婚しようとしないんだ。だから、こんな年になって、家中が暗くなり、ラクシュミー女神に見放されてしまったかのようになって、全てがぼやけてしまった。一筋の光明すら見えなくなってしまった。だから・・・」
それを聞いてパールヴァティーはとても悲しくなった。同情に満ちた声で、笑いを呑み込み、うつむいて言う。「あなたが年を取れば、私も年を取ります。女は年を取るのが遅いとでもお考えですか?」
ブヴァン・チャウダリーは起き上がって座った。片手で彼女の下あごを掴み、黙って彼女の顔をしばらく見ていた。まるで彫刻家が自分の作品を飾り立て、頭に冠をかぶせ、左右から顔を見て、尊厳と愛情を感じるように、ブヴァンも感じていた。時々彼の口からかすかな言葉が漏れ出るのだった。「ああ!まずいことをした!」
「まずいこと?」
「お前は私にふさわしくないと考えていたんだ。」
パールヴァティーは笑って言った。「私はとてもあなたにふさわしいですよ。それに、私たちは、ふさわしいとかふさわしくないとか、考えなくてもいいでしょう。」
老人は横になって心の中で言う。「それは分かっている、分かっている。だからお前は幸せになるだろう。神様がお前を守ってくださるだろう。」
このようにおよそ1ヶ月が過ぎ去った。その間、一度チャクラヴァルティー氏が娘を少しだけ連れ帰ろうとして訪ねてきたことがあった。パールヴァティーは帰ろうとせず、父親に言った。「お父さん、とても複雑な家族なの。後で帰るわ。」
父親は違う方を見て、心の中で言った――女ってのはこういうものだ。
父親が帰った後、パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで言った。「ベーター、私の娘を呼んできて。」
マヘーンドラは言い訳をした。彼は、ヤショーダーがどうやっても帰らないことを知っていた。彼は言った。「一度お父さんが行った方がいいと思います。」
「それのどこがいいの?それより母親と息子が一緒に行って連れてくる方がいいでしょう。」
マヘーンドラは驚いて言った。「お母さんが行くんですか?」
「問題ある、ベーター?恥じることもないし。もし私が行くことでヤショーダーが来てくれるなら、彼女の怒りが収まるなら、私は喜んで行くわ。」
翌日、マヘーンドラは一人でヤショーダーを呼びに行った。彼がそこでどんな方法を使ったかは知らないが、4日後にヤショーダーはやってきた。その日、パールヴァティーは全身にありとあらゆる種類の新しい高価な装飾品を身に付けた。これは全て、その日にブヴァンがカルカッタから取り寄せたものだった。パールヴァティーはそれら全てを身に付けて座っていた。道の途中、ヤショーダーは心の中で怒りと自惚れの言葉を何度も繰り返していた。だが、新しい母親を見た瞬間、彼女は全く言葉を失ってしまった。あの憎悪心は彼女の心から消え去ってしまった。ただかすれた声だけが出た。「これが?」
パールヴァティーはヤショーダーの手を取って家の中に迎え入れた。そばに座り、団扇を片手に持って言った。「ベーティー42、お母さんに怒ってたの?」
ヤショーダーの顔は恥じらいで赤くなった。パールヴァティーは身に付けていた装飾品をひとつひとつヤショーダーの体に着け始めた。ヤショーダーは驚いて言った。「これは何?」
「何でもないわ!ただお前の母さんの願いよ。」
装飾品で着飾ることは、ヤショーダーは嫌いではなかった。装飾品を身に付けた彼女の口元には微笑みが浮かんだ。全身の装飾品を着せ、自身の身体からは装飾品がなくなってしまったパールヴァティーは言った。「ベーティー、お母さんに怒ってたの?」
「いいえ。なぜ怒るの、どうして?」
「怒ることはないわ、ベーティー!これはあなたのお父さんの家よ。こんなに大きな家にどれだけ召使いが必要かしら?お母さんも召使いの一人だわ。ベーティー、卑しい召使いにあなたが腹を立てるのはよくないでしょう?」
ヤショーダーの年齢はパールヴァティーよりも上だった。しかし、会話する力では彼女に劣っていた。彼女は狼狽してしまった。団扇を扇ぎつつ、パールヴァティーは言った。「可哀想な少女が、あなたたちのお情けのおかげで、ここに少しばかりの住む場所を与えてもらったの。どれだけの貧しい不幸者や孤児たちが、あなたたちのお情けのおかげで、ここで暮らさせてもらっていることか。私もその内の一人なのよ。この家で・・・」
圧倒されたヤショーダーは、突然我を忘れて足を掴んで言った。「あなたの足元にひれ伏します43、お母さん!」
パールヴァティーは彼女の手を取った。ヤショーダーは言った。「許してください、お母さん!」
次の日、マヘーンドラはヤショーダーを呼んで言った。「どうだ?怒りは収まったか?」
ヤショーダーは兄の足に手を置いて言った。「兄さん、頭に血が上って、何てこと言ってしまったのかしら!いい、誰にも言わないでね!」
マヘーンドラは笑い出した。ヤショーダーは言った。「それにしても、兄さん、あんな立派な継母っている?」
2日後、ヤショーダーは自分から父親に言った。「お父さん、あそこに手紙を書いてくれないかしら。私はもう2ヶ月はここにいるわ。」
ブヴァンは驚いて言った。「どうしてだ、ベーティー?」
ヤショーダーは照れ笑いをして言った。「体の調子がよくないの。お母さんとももう少し一緒にいたいし。」
喜びで老人の目に涙があふれてきた。夕方、パールヴァティーを呼んで言った。「お前は私の名誉を守ってくれた。ありがとう、ありがとう!」
パールヴァティーは言った。「何ですか、いきなり?」
「分からないのか?ああ、神様!どれだけの恥辱と自己嫌悪から今日、解放されたことか。」
日没後の暗闇の中だったので、パールヴァティーは自分の夫の両目から涙が流れているのが見えなかった。さらに嬉しいことに、ブヴァンの次男が試験を終えて家に戻ってきて、しばらく滞在することになったのだった。
第11章
あの後、2、3日の間、デーヴダースは狂人のように路上をあちこち目的もなくフラフラしながら過ごした。ダラムダースが注意すると、デーヴダースは目を真っ赤にして怒鳴り散らした。彼の変わり果てた姿を見て、チュンニーラールにさえ声を掛ける勇気が起こらなかった。ダラムダースは泣いて言った。「チュンニー様、どうしてこんなことに?」
チュンニーラールは言った。「どうした、ダラムダース?」
盲人が盲人に道を聞いても何も分からないように、彼の心の内を二人が知る由はなかった。ダラムダースは涙を拭いながら言った。「チュンニー様、どんな方法を使ってもいいですから、デーヴ坊ちゃんをお母様のところへ送ってくださいませ。もしもう勉強をしていないのでしたら、ここにいる必要はないはずです。」
それはそのとおりだった。チュンニーラールは考え始めた。4、5日後の夕方にチュンニーラールはいつものように外出しようとした。デーヴダースがどこかから帰ってきて、彼の手を掴んで言った。「チュンニー、どこへ行く?」
チュンニーラールは照れながら言った。「ああ、いや、行かなくてもいいんだが。」
デーヴダースは言った。「いや、僕は止めてないさ。でもこれだけは教えてくれ。君は何を望んであそこへ行ってるんだ?」
「別に何も望んでないさ!ただの暇つぶしのためだよ。」
「暇つぶし?僕の暇はなぜかつぶれない。僕も暇をつぶしたい。」
チュンニーはしばらく彼の顔を見つめていた。おそらく彼の表情から彼の心を理解しようと努力していたのだろう。そして言った。「デーヴダース、何が起こったのか、ちゃんと教えてくれないか?」
「何も起こってないさ!」
「教えないつもりか?」
「いや、チュンニー、教えることなんて何もないのさ。」
チュンニーラールはしばらくうつむいた。そして言った。「デーヴダース、ひとつオレの頼みを聞いてくれないか?」
「何だ?」
「あそこにお前をもう一度連れてくるように言われているんだ。約束しちまってな。」
「あの日行ったところか?」
「ああ。」
「フン!あそこは気に入らなかったよ。」
「行けば気に入るさ、オレが何とかするからさ。」
デーヴダースは虚ろな表情でしばらくの間考えた後、言った。「よし、行こう。」
没落の階段の下りて、チュンニーラールはどこかへ消えてしまった。デーヴダースは一人チャンドラムキーの家の床に座って酒を飲んでいた。そばでチャンドラムキーは悲しい顔をして座って見ていた。彼女は恐る恐る言った。「デーヴダース、もう飲むのはおよしなさい。」
デーヴダースは酒の入ったグラスを下に置き、顔をしかめつつ言った。「なぜ?」
「お酒を飲み始めてまだ数日しか経ってないのでしょう?そんなに飲んだら耐えられません。」
「僕は耐えるために飲んでるんじゃない。ここにいるために酒を飲んでるんだ。」
その言葉をチャンドラムキーは何度も聞いていた。何度も彼女の子に、どこかで壁に頭をぶつけて血を流して死んでしまいたいという願望が沸き起こった。彼女はデーヴダースを愛していた。デーヴダースは酒のグラスを投げた。グラスはソファーの足に当たって粉々に砕け散った。そして枕の上に頭を乗せて寝転ぶと、震えながら言った。「僕には起き上がる力がない、だからここにいる。何も知らない、だからお前の顔を見て話をしてる、チャンド・・・ラ・・・いや、何も分からない。それでも少しは分かる。お前を触ることはできない。僕は嫌いなんだ。」
チャンドラムキーは涙を拭いつつ静かに言った。「デーヴダース、ここには幾人もの男性が訪れます。でも彼らはお酒に触りもしませんよ。」
デーヴダースはチャンドラムキーをにらみつけた。身体を揺らし、手をあちこちに振り回しながら言った。「触りもしない?僕が銃を持ってたら、そいつらにぶっ放してやる!奴らは僕よりもさらに罪深いな、チャンドラムキー!」
少しの間黙り込み、何か考えた後、再びしゃべり出した。「もしいつか酒を飲むのをやめたら、やめることはないが、もう二度とここには来ないぞ。僕にとっては酒が目的だが、奴らは何だっていうんだ?」
再び黙り込み、またしゃべり始めた。「悲しくて悲しくて、やってられなくなって酒を飲み始めたんだ。我々の不幸の、悲しみの、こいつこそが同志さ。そしてお前も手放せない。」デーヴダースは枕に顔を押し付けた。チャンドラムキーは近くに寄って顔を持ち上げた。デーヴダースは顔をしかめて言った。「おい、触るな!まだ生きてるぞ。チャンドラムキー、お前は知らないだろうが、僕は知ってるんだ。僕がお前のこと嫌ってるってな。いつまでも嫌い続けるだろう。それでも僕は来るぞ、それでも来るぞ、それでも話をするぞ。それしか方法がないんだ。お前には分からないだろうな!ハ、ハ!人は暗闇の中で罪を犯し、僕はここで酔っ払う。こんなに最適な場所は世界広しといえど他にない!そしてお前・・・」
デーヴダースは表情を和らげて少しの間彼女の悲しげな顔を見つめ、言った。「ああ!お前は我慢の権化だ!不名誉、罵詈雑言、犯罪、障害、この全てを女は我慢できるんだ。お前がそのいい例だよ!」
そして仰向けに横になって、静かにしゃべり始めた。「チャンドラムキーは僕のことをとても愛していると言っている。僕はそんなことは望んでいない。望んでいない、望んでいないんだ!人は演技をしてるんだ。顔に化粧して、泥棒になったり、王になったり、王女になったり、愛したり、どれだけ愛の話をすることか、どれだけ泣くことか、まるで全てが真実であるように。僕のチャンドラムキーは演技をしている、僕はそれを見る。でも思い出す。一瞬の内にどうなってしまったのかと。彼女はどこかへ行ってしまい、僕は別の道へ行ってしまった。今、一生続く泥酔劇が始まったんだ。一人のひどい酒飲みと、そしてここにもう一人、もういいだろう、いいだろう。何の心配もない。希望はない、信用もない。幸せもない、真実もない。ああ!上出来だ!」
その後、デーヴダースは寝返りをしてブツクサ言い始めた。チャンドラムキーは何を言っているか聞き取れなかった。すぐにデーヴダースは寝てしまった。その後、チャンドラムキーは彼のそばに座った。毛布を掛け、彼の目の涙を服の袖で拭った。そして濡れてしまった枕を変えた。団扇を持ってきてしばらく彼に扇ぎながら、うつむいて座っていた。夜の1時になると、彼女は明かりを消して扉を閉め、別の部屋へ行ってしまった。
第12章
デーヴダースとドイジダース、それに村人たちは、地主ナーラーヤン・ムカルジーの葬式を終え、家に戻ってきた。ドイジダースは狂ったように泣き喚いていた。近所の人々でも取り押さえられないくらいだった。デーヴダースは黙って柱のそばに座っていた。彼の口には何の言葉もなく、目には一滴の涙も見当たらなかった。彼のもとには誰も弔問に訪れなかった。訪れようともしなかった。一度、マドゥスーダン・ゴーシュが彼のそばへ来てこう言った。「こればっかりは、ベーター、神様の思し召しだから・・・」
デーヴダースはドイジダースの方を指差して言った。「あっち!」
ゴーシュ氏はうろたえた。「ああ、彼はよっぽど悲しかったんだろう・・・。」などと言いながら行ってしまった。他には誰も彼のところへ来なかった。昼食が済むと、デーヴダースは、気が抜けてしまっている母親の足のそばに行って座った。多くの女たちが彼女を囲んで座っていた。パールヴァティーの祖母もそこにいた。彼女は悲しむ寡婦に呼びかけながら、かすれた声で言った。「ほら、見て、デーヴーダースが来たよ!」
デーヴダースは言った。「母さん!」
母親は一瞬だけ彼の方を見て言った。「ベーター!」すぐに目から涙があふれてきた。周りの女たちも泣き始めた。デーヴダースはしばらくの間、母親の足の間に顔を埋めていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、父親の遺体が安置された部屋へ行った。目には涙はなかった。顔は険しくも静かだった。赤い目で上の方を見ながら、床の上に座った。もしそのとき誰かが彼を見たのなら、おそらく恐れおののいてしまったことだろう。こめかみの脈が膨張していた。髪は伸び放題で、ボサボサになっていた。精錬された金のようだった肌の色は黒ずんでしまっていた。カルカッタでの醜い行いと徹夜、そして父の死!1年前に彼を見た者は、彼をすぐには見分けられなかっただろう。
しばらくすると、パールヴァティーの母親が彼を探しながら扉を開けて中に入ってきた。「デーヴダース!」
「何、おばさん?」
「そんなことしても、何にもならないわよ、ベーター!」
デーヴダースは彼女の顔を見て言った。「僕が何かした、おばさん?」
彼女は理解したが、何も答えられなかった。デーヴダースの頭を抱きしめて言った。「デーヴ、ベーター!」
「どうしたの、おばさん?」
「デーヴ・・・ベーター・・・」
このときデーヴダースは彼女の胸の中に頭を埋め、目からは一筋の涙を落とした。
悲しみに沈む遺族の日も過ぎて行くものだ。ゆっくりと夜が明け、泣き声も収まってきた。ドイジダースもすっかり正気を取り戻した。彼の母親も気を持ち直していた。目をぬぐいつつ家事に追われていた。2日後、ドイジダースはデーヴダースを呼んで言った。「デーヴダース、父親のシュラーッド44のために、いくらぐらい使ったらいいかな?」
デーヴダースは兄の顔を見て言った。「兄さんの好きなようにしてよ。」
「いや、私だけの考えでやるのはよくない。もうお前も大きくなったんだから、お前の意見を聞く必要もある。」
デーヴダースは聞いた。「現金でいくらある?」
「父さんの遺産は合計15万ルピーある。私の考えでは、1万ルピー使えば十分だと思うんだ。」
「僕はいくらもらえる?」
ドイジダースは少し数えてから言った。「お前も半分もらえるだろう。1万ルピー使えば、お前の分は7万ルピー、私も7万ルピー手に入る。」
「母さんには何が?」
「母さんが現金をもらって何するっていうんだ?母さんは家の主人になるんだ。我々が母さんの家計を支えるんだ。」
デーヴダースは考えて言った。「僕の考えでは、兄さんの分け前の7万5千ルピーから5千ルピー、僕の分け前の7万5千ルピーから2万5千ルピーを使ってシュラーッドをすればいい。僕に残った5万ルピーの内、2万5千ルピーは僕がそのままもらって、残りの2万5千ルピーを母さんの名前にしておく。どう思う?」
当初、ドイジダースは恥じらってしまった。そして言った。「それはいい考えだな。お前も知ってのとおり、私には妻や子供がいる。彼らの結婚式やその他のことにお金が要る。だからそうしてくれればありがたい。」そして少し黙ってから言った。「念のために書面で・・・」
「書面が必要?それはよくない。僕は、お金の話はここで内密に済ませたい。」
「それはいいが、でも分かるだろう・・・」
「それじゃあ僕が書くよ。」その日の内にデーヴダースは書面を書いた。
次の日の昼頃、デーヴダースは階段を降りていた。途中でパールヴァティーを見て足を止めた。パールヴァティーはデーヴダースの方を見ていた。見てすぐに、彼が何か困りごとを抱えていると分かった。デーヴダースは厳しいが静かな表情で近づいて言った。「いつ来た、パールヴァティー?」
あのままの声!3年振りの再会だった。うつむいてパールヴァティーは言った。「今朝来たの。」
「久しぶりだな。元気か?」
パールヴァティーは首を振った。
「チャウダリーさんは元気か?子供たちは?」
「みんな元気よ。」パールヴァティーは一度彼の顔を見たが、彼に「元気?」と聞くことができなかったし、「何をしてるの?」と聞くこともできなかった。
デーヴダースは聞いた。「ここに何日かいるんだろ?」
「ええ!」
「それじゃあ」と言ってデーヴダースは外に行ってしまった。
シュラーッドが終わった。その様子を描写するととても長くなってしまうから、その必要はないだろう。シュラーッドの2日後、パールヴァティーはダラムダースを一人で呼び、彼の手に金のネックレスを握らせて言った。「ダラム、娘さんにこれをあげて。」
ダラムダースは彼女の顔を見て、濡れた目をさらに濡らしながら、泣き声で言った。「ああ!本当に久しぶりだ、お元気でしたか?」
「ええ、みんな元気です。あなたの子供たちはどう?」
「みんな元気です、パーロー!」
「あなたはどう?」
ダラムダースは長いため息をして言った。「どうしたもこうしたもないですよ。もう死んでしまいたいくらいです。ご主人様が亡くなってしまわれたし。」ダラムダースはさらに身の不幸を並べ立てようとしたが、パールヴァティーが止めた。それらの話を聞くためにネックレスをあげたわけではなかった。
パールヴァティーは言った。「何を言うの?ダラム、お前が死んでしまったら、デーヴの世話は誰がするの?」
ダラムダースは額に手を当てて言った。「子供だった頃はお世話をしましたが!今はもうそんなことはありません。」
パールヴァティーはさらに詰め寄って言った。「ダラム、ひとつ本当のことを教えてくれる?」
「ええ、もちろんですよ、パーロー。」
「じゃあ本当のことを言って。デーヴダースは今何してるの?」
「私を困らせてます。」
「ダラムダース、詳しく教えて?」
ダラムダースは再び額に手を当てて言った。「何を詳しく言うことがありましょうか?言うべきことでしょうか?もう、ご主人様もいません。デーヴ坊ちゃんに多くのお金が手に入りました。お守りするのが難しくなりました。」
パールヴァティーの顔は一気に曇ってしまった。彼女の耳にも噂が届いていた。悲しくなって言った。「教えて、ダラムダース!」
彼女はマノールマーからの手紙でいくつかの知らせを聞いていたが、全く信じていなかった。ダラムダースは頭を振りながらしゃべり始めた。「食べもせず、飲みもせず、寝もせず、ただ酒酒酒の毎日・・・3日、4日、どこかへ行って戻ってこないし、全く訳が分かりません。どれだけのお金を使い果たしたことでしょう。聞くところによると数千ルピーの装飾品を作らせたそうです。」
パールヴァティーは全身震え立った。「ダラムダース、それは全部本当のことなの?」
ダラムダースは自分からしゃべり出した。「お前なら説得できる。一度坊ちゃんを説得してくれないか?坊ちゃんの美しい体が今どんな状態になってしまったことか?こんな自暴自棄の生活をして、あと何日生きていられるだろう?誰にこんな話ができようか?奥様、ご主人様、お兄様・・・こんな話、とてもできません。」
ダラムダースは何度も額を叩きながら言った。「頭をぶつけて死んでしまいたい。パーロー、もう生きる希望もない。」
パールヴァティーは立ち上がった。ナーラーヤンの訃報を聞いた途端、彼女は急いでやってきた。このような不幸のときにデーヴダースのそばに行くのは間違っていないと考えた。しかし、あの愛しいデーヴがこんな状態になってしまったとは!多くの思い出が思い出されてきた。心の中でデーヴダースを何度も叱ったが、その何百倍も自分自身を叱った。何百回も彼女の心に、彼女がいたらこんなことにはならなかったという思いが浮かんだ。前にも彼女は自分の手で自分の足に斧を振り下ろした。だが、その斧が彼女の額にも当たった。彼女のデーヴがこのようになってしまっていた。このように破滅の道を歩んでいた。それなのに彼女は別の世界で幸せに暮らしていた。他人を家族だと思って毎日食事をよそっていた。そのとき彼女の全てであるデーヴは、何も食べずに腹を空かせていた。パールヴァティーは、今日デーヴダースの足元に頭をぶつけて死のうと決意した。
夕方になる少し前だった。パールヴァティーはデーヴダースの部屋に入った。デーヴダースはベッドの上に座って計算をしていた。パールヴァティーは静かにドアを閉めて机の上に腰を掛けた。デーヴダースは顔を上げて笑った。彼の顔は悲しげだったが、穏やかだった。突然デーヴダースはふざけた調子で言った。「もし汚名を言いふらしたら?」
パールヴァティーは恥じらいを浮かべ、蓮のような目で一度彼の方を見て、目を伏せた。一瞬の内に彼女は、あの出来事が彼女の胸に串のように永遠に突き刺さってしまったことを理解した。いろいろな話をしようと来ていたが、全てを忘れてしまった。デーヴダースの前でひとつも言い出すことができなかった。
デーヴダースは笑った。「分かってるよ、分かってるよ!恥ずかしいんだろ?」
このときもパールヴァティーは何も言うことができなかった。デーヴダースは言った。「恥ずかしがることないさ。僕たちは二人で一緒に子供っぽいことをした。そしてほら、途中でおかしなことになってしまった。怒りのあまり、お前は思ったことをそのまま口にして、僕もおでこの上に傷跡を付けてしまった。そうだよな?」
デーヴダースの言葉に皮肉や怒りは少しもなかった。笑いながら、嬉しそうに、過去の悲しい出来事を話した。しかし、パールヴァティーの胸はいっぱいになった。口を布で覆い、息を止めて、心の中で言った――デーヴ、この傷跡だけが私の幸せであり、心の支えよ。あなたは私を愛した、だから私たちの思い出をおでこの上に書いてくれたんだわ。これは私の恥ではない。汚名でもない。名誉の印よ。
「パーロー!」
口から布を外さずにパールヴァティーは言った。「何?」
「僕はお前にすごく怒ってるんだぞ!」
このときデーヴダースの声は豹変した。「父さんは死んでしまった。僕にとっては不幸な時期だ。でも、お前がいてくれたら何の心配もなかっただろう!義姉さんのことはお前も知っているだろう。兄さんの性格も分かってる。教えてくれ、こんなとき母さんのために僕は何をしてあげられるだろう?それに僕はどうすればいいのだろう、何も分からない。お前がいてくれたら、何の不安もなく、全てをお前に任せて・・・おい、どうした、パーロー?泣いてるのか?」
パールヴァティーは嗚咽しながら泣き出した。デーヴダースは言った。「泣いてるのか?なら、何も言わないよ!」
パールヴァティーは涙をぬぐいながら言った。「言って!」
すぐにデーヴダースは咳払いをして言った。「パーロー、立派な女主人になったな?」
パールヴァティーは唇を噛みしめ、心の中で言った――女主人なんてとんでもない!綿の花45を神様に捧げられるだろうか?
デーヴダースは笑いながら言った。「それにしても笑ってしまうな!お前、あんなにちっぽけだったのに、もうこんな大物になっちまって!大きな家、大きな領地、それに子供たちやチャウダリーさん、みんな立派だ。だろ?」
チャウダリー氏をパールヴァティーはとても尊敬していた。彼を思い出すと笑みがこぼれた。それ故に、このような苦しみの中でも彼女は微笑んだ。デーヴダースは真剣な顔を作って言った。「ひとつ頼み事していいか?」
パールヴァティーは顔を上げて言った。「何?」
「お前の村に、誰かいい女の子いないかな?」
パールヴァティーは咳払いをして言った。「いい女の子をどうするの?」
「もしいたら、その娘と結婚するよ。一度でいいから家庭を持ってみたいんだ。」
パールヴァティーも真面目になって言った。「とってもきれいな娘?」
「ああ、お前みたいな!」
「それで、とってもおしとやかで?」
「いや、おしとやかじゃあ駄目だ。ちょっとお転婆なぐらいがいいな、お前のように。僕と喧嘩するぐらい。」
パールヴァティーは心の中で言った――それは無理な話だわ、デーヴ!なぜなら私と同じだけの愛を学ばなくてはならないから!――だが、口に出した言葉は違った。「私のようなおしゃべりな女、何の役にも立たないわ!私みたいな何千もの女の子は、もしあなたの足の間に来られたならば、それだけで幸せだと感じるでしょう。」
デーヴダースはふざけて笑って言った。「それじゃあその中から1人紹介してくれるかい?」
「デーヴ、本当に結婚するつもりなの?」
「ああ、言ったとおりだ。ただ、これだけははっきり言わなかった。お前の他に、この世界に誰も他の女を愛することはない!」
「デーヴダース、ひとつ教えてくれる?」
「何だ?」
パールヴァティーは少し改まって言った。「あなたはお酒をどこで覚えたの?」
デーヴダースは笑って言った。「酒を飲むのに、何か学ぶ必要があるのか?」
「そういうことじゃなくて、どうして始めたの?」
「誰から聞いた?ダラムダースか?」
「誰でもいいから、で、その話は本当なの?」
デーヴダースは隠さずに言った。「まあそのとおりだ。」
パールヴァティーはしばらく考えた後、質問した。「誰かに何千ルピーの装飾品をあげたの?」
デーヴダースは笑って言った。「あげてないさ。作らせておいただけだ。お前、欲しいか?」
パールヴァティーは腕を広げて言った。「ちょうだい。ほら、私は何も着けてない。」
「チャウダリーさんからもらえないのか?」
「くれたわ。でも全部彼の長女にあげてしまったわ。」
「お前とその娘には何の関係もないのか?」
パールヴァティーは頭を振ってうつむいた。デーヴダースの目から涙があふれ出た。デーヴダースは心の中で、女性が装飾品を手放すのはとても辛いことだと考えた。目からあふれ出る涙を止めて、静かに言った。「全部嘘だよ、パーロー!どの女も愛したことはない。誰にも装飾品をあげたことはない。」
パールヴァティーは長いため息をして、心の中で、私もそう信じてるわ、と言った。
しばらく二人は黙っていた。その後、パールヴァティーが言った。「とにかく、もうお酒を飲まないって約束して。」
「それは無理だよ。お前は僕を一度も思い出さないと約束できるか?」
パールヴァティーは何も言わなかった。そのとき外から法螺貝の音がした。デーヴダースは驚いて窓の外を見て言った。「日が沈んだな。もう家に帰れよ、パーロー!」
「私は行かない!あなたが約束するまで!」
「僕はそんなことできない。」
「なんでできないの?」
「みんながみんな、全てのことをできるはずないだろ?」
「そう願えば絶対にできるはずだわ。」
「お前は今夜、僕と一緒に逃げることができるのか?」
突然、パールヴァティーの心臓が止まったかのようになった。無意識にかすれ声が口から出た。「そんなことできるの?」
デーヴダースは敷物の上に座りなおして言った。「パールヴァティー、ドアを開けてくれ。」
パールヴァティーはドアに背を付けて言った。「約束して!」
デーヴダースは立ち上がり、真剣な表情で言った。「パーロー、無理に約束をさせるのはよくないだろう?そんなことしても何の得にもならない。今日約束しても、それは守られない。そうしたら僕を嘘つき呼ばわりするのか?」
その後しばらくの間、沈黙が続いた。そのときどこかの家から時計を打つ音が聞こえてきた。既に9時になっていた。デーヴダースは焦って言った。「おい、パーロー、扉を開けろ!」
パールヴァティーは何も言わなかった。
彼は再び叫んだ。「おい、パーロー!」
「私は絶対に行かないわ!」パールヴァティーは突然泣きだして、床に寝転んだ。そしてしばらくの間、パールヴァティーは嗚咽しながら泣いていた。部屋中を深い闇が覆っており、何も見えなかった。デーヴダースは、パールヴァティーが床の上に倒れて泣いていると考えた。彼は静かに彼女を呼んだ。「パーロー!」
パールヴァティーは泣きながら答えた。「デーヴ、私、とっても苦しいの・・・。」
デーヴダースは近寄った。彼の目にも涙があふれていた。しかし、何とか声を出すことはできた。「どうした、僕には何も見えないぞ!」
「デーヴ、私は死んでしまいそう。あなたのお世話をすることができなかった。子供のときから私は・・・」
暗闇の中で涙をぬぐいつつ、デーヴダースは言った。「まだ間に合うさ。」
「じゃあ私と一緒に行こう!ここにはあなたの世話ができる人は誰もいないわ。」
「お前の家に行ったら、ちゃんと僕の世話をしてくれるか?」
「それが子供のときからの私の望みだったわ。ああ、神様!私のこの望みを叶えてください!その後たとえ死んだとしても、悲しくはないわ!」
このときデーヴダースの目は涙で一杯になっていた。パールヴァティーは再び言った。「デーヴダース、私のところへ来て!」
デーヴダースは涙をぬぐって言った。「分かった、行こう。」
「私の頭に手を置いて誓って!」
デーヴダースは手探りでパールヴァティーの足を触って言った。「このことを僕は絶対に忘れない。僕の世話をすることで、もしお前の苦しみが和らぐなら、僕は絶対に行くよ。死ぬ前まで覚えておく。」
第13章
父の死後、6ヶ月間ずっと家にいたことでデーヴダースは不安になってしまった。楽しくもないし、落ち着きもしない。何の変化もない生活を送っていた。しかも、最近では何をするにしてもパールヴァティーを思い出していた。ドイジダースと彼の貞淑な妻は彼をさらに追い込んだ。
母親の状態もデーヴダースのようだった。夫の死と共に彼女の全ての幸せは消え去ってしまった。この家に奴隷のように住み続けるのが耐えられなかった。ここ数日間、彼女はカーシー46へ移り住むことを考えていた。ただ、デーヴダースを結婚させていなかったので、思いとどまっていたのだった。折に触れて彼女は言っていた。「デーヴダース、そろそろお前も結婚して、私を安心させておくれ。」しかし、どうして結婚などできよう?ひとつの理由は、彼の悲しむべき現状、そしてもうひとつは、彼の気に入るような女性が見つかっていなかったことだ。だからデーヴダースの母親は、あのときパールヴァティーと結婚させておけばよかったと、最近時々後悔するようになった。
ある日、彼女はデーヴダースを呼んで言った。「もう私はここに住めないわ。しばらくカーシーへ行くよ。」
デーヴダースもそう望んでいた。「僕もそう思う。半年経ったら帰ってきて全て済ませればいい。」
「そうかい、そうしよう。戻ってきたら、父さんの一周忌をして、お前を結婚させて、ちゃんと家庭を持たせてから、私はカーシーに住むことにするわ。」
デーヴダースは了承し、母親をカーシーに送り届け、自らはカルカッタに戻った。カルカッタに着いてから2、3日はチュンニーラールを探し回った。だが、彼は見つからなかった。どこか他の寮へ移ってしまったようだった。ある日の夕方、デーヴダースはチャンドラムキーを思い出した。デーヴダースは少し恥じらいを感じた。馬車を賃借し、夕方になった後、チャンドラムキーの館の前に来て立った。しばらく呼びかけた後、中から女の声がした。「ここにはいないわ。」
向かいにガス燈があった。その柱のそばへ行って、デーヴダースは言った。「どこへ行ったか知ってるか?」
窓が開き、一人の女が外を覗いた。しばらくデーヴダースの姿を灯りの中で見た後、その女は質問した。「あなたは・・・デーヴダース?」
「そうだ。」
「待って!今ドアを開けるから。」
ドアを開けて言った。「来て!」
声に聞き覚えがあったが、思い出せなかった。真っ暗闇だった。疑問に思い、デーヴダースは聞いた。「チャンドラムキーはどこか知ってるか?」
その女は微笑み、言った。「ええ、教えてあげますわ。上に行きましょう!」
やっとデーヴダースは見分けることができた。「あれ、お前?」
「ええ、私がチャンドラムキーよ!私を全く忘れてしまったの?」
上に行ってデーヴダースが見ると、チャンドラムキーは端の黒い汚れたドーティーを身に付けていた。手にはただ2つの腕輪しか付けておらず、その他に何の装飾品もなかった。頭髪は乱れているように見えた。驚いてデーヴダースは言った。「お前?」
そして彼女をよく見た。チャンドラムキーは前よりも痩せて見えた。デーヴダースは聞いた。「病気にでもなったのか?」
チャンドラムキーは笑って言った。「いいえ、身体はいたって健康ですよ。さあ、くつろいで座ってください。」
ベッドに座りながらデーヴダースは部屋を見回した――部屋中驚くほど変わり果ててしまっていた。部屋の女主人と同じく、その惨状も目に余るものがあった。ひとつも家具がなかった。棚、机、椅子はなくなっていた。ただベッドだけが残っていたが、そのシーツも汚くなっていた。壁に掛かっていた絵も取り払われたが、釘はそのまま残っていた。いくつかの赤い紐が今でもぶら下がっていた。時計が台の上に置いてあったが、針は止まっていた。あたりには蜘蛛が好き放題に巣を作っていた。片隅に置かれた灯火からくぐもった光が放たれていた。そのおかげでデーヴダースは部屋の現状を見渡すことができた。悲しくなって言った。「チャンドラ、この酷い有様は何だ?」
チャンドラムキーは悲しそうに笑って言った。「これのどこが酷い有様なの?私の運は開けたわ。」
デーヴダースは全く理解ができなかった。「お前が身に付けていた装飾品はどうした?」
「売ったわ。」
「家具は?」
「それも売ったわ。」
「飾ってあった絵も売ったのか?」
このときチャンドラムキーは向かいの家の方を見て言った。「あの家にいるクシェートルマニに全部売ったわ。」
デーヴダースはしばらく彼女の顔を見つめた後、言った。「チュンニーはどこにいる?」
「知りません。2ヶ月前に喧嘩して出て行ってしまったから。その後、来てないわ。」
デーヴダースはさらに驚いた。「何の喧嘩だ?」
チャンドラムキーは言った。「喧嘩ぐらいするでしょう。」
「それはそうだが、なぜ?」
「斡旋のために来たの。だから家から追い出したわ。」
「誰の斡旋?」
チャンドラムキーは笑って言った。「ジュートの。」続けて言った。「どうして分からないの?一人のお金持ちを捕まえて来たの。毎月200ルピー、たくさんの装飾品、そして一人の門番を付けようとしてきたわ。分かった?」
デーヴダースは理解し、笑いながら言った。「そういうようには見えないけどな。」
「そうなっていたら、そういうように見えていたでしょう。私が追い払ったの。」
「何がいけなかった?」
「大していけないことはなかったけど、私が気に入らなかったの。」
デーヴダースは考え込んで言った。「で、それ以来、誰もここに来なくなったのか?」
「いいえ。あの日からというより、あなたが行ってしまってから、ここには誰も来なかったわ。時々チュンニー様が来てくれたくらい。でも、2ヶ月前から彼も来なくなったわ。」
デーヴダースはベッドに横になった。違う方向を見ながら、しばらく黙っていた。そして静かに言った。「ということは、お前は店を畳んでしまったというわけか、チャンドラムキー!」
「ええ、破産してしまったわ。」
デーヴダースはそれに答えずに言った。「どうやって生活するんだ?」
「さっき言ったように、持っていた装飾品を売ったわ。」
「どれくらい?」
「そんなに多くないわ。8、900ルピーくらいが手元にあるだけ。モーディー47のところに預けてあるの。毎月20ルピーを送ってくれるわ。」
「昔のお前の生活費は20ルピーで足りてなかったんじゃないか?」
「そうね、今でも少し足りてないわ。3ヶ月分の家賃が残っているの。だから考えていたところなの、この両手の腕輪を売って、そのお金で家賃を払って、どこかへ行ってしまおうかって。」
「どこへ行く気だ?」
「決めてないわ。安く住めるところに行くと思う。どこか小さな村へ。20ルピーでも生活できるような。」
「どうしてもっと早く行かなかったんだ?もし本当に商売をやめたなら、こんな長い間、無意味にここに済んで、どうしてこれほど借金を増やしたんだ?」
チャンドラムキーはうつむいて考え出した。人生で初めて、彼女はその話をするのに恥じらいを感じた。デーヴダースは言った。「どうして黙ってるんだ?」
チャンドラムキーは恥じらいながら、ゆっくりとベッドの隅に腰掛けて、小さな声で言った。「怒らないでください。行く前に、あなたにもう一度会えたらいいと思っていたんです。あなたなら、必ず一度来てくれるだろうと。あなたが来たら、すぐにでも行く準備をしようと思っていました。でも、私はどこへ行けばいいのでしょう?」
デーヴダースは驚いて立ち上がり、言った。「僕に会うために?でも、なぜ?」
「そう願っていたの。あなたは私をとても嫌っていたわ。これほど私を嫌った人はいない、多分それが理由よ。あなたは覚えているか分からないけど、私は覚えてる。あなたが初めてここに来た日、私の視線はあなたに釘付けになってしまった。私は、あなたがどこかのお金持ちの息子だと分かったわ。でも、お金を求めてあなたに惹かれたわけではないわ。あなたの前にも、ここには多くの方が来て、去って行ったわ。でも、誰にもこんな激しい想いは抱かなかった。そして、来た途端にあなたは私を傷付けた。思いがけず、正しくも間違った冷たい態度を取った。憎しみで顔を背けて、劇のチケットのように、私にいくらかのお金を投げつけて去って行ってしまった。全部覚えているわ!」
デーヴダースは黙っていた。チャンドラムキーは続けて言った。「そのとき、私はあなたを想うようになった。愛したわけではない。憎んだわけでもない。何か新しいものを見ると、それが心から離れなくなるように、あなたことが忘れられなくなった。あなたが来ると、私は怖くもあったし、注意もしなくてはならなかったけど、あなたが来ないと、私は何も手が着かなかった。その後、どうなってしまったのか分からないけど、この両目からあらゆる物事が別物のように見えるようになった。今の私は、以前の私ではなくなってしまった。その後、あなたはお酒を飲むようになった。私はお酒が大嫌いよ。誰かがお酒を飲んで酔っ払うと、私はその人に対してすごく怒りを感じるわ。でも、あなたがお酒を飲んで酔っ払っても、怒りは込み上げてこなかった。ただ、とても悲しかった。」
チャンドラムキーの目には涙が浮かんでいた。デーヴダースの足に手を置いて彼女は言った。「私はとても下賤で卑しい女よ。今まで何をしてきたか、聞かないで欲しい。あなたがどれだけのことを言っても、憎しみから怒鳴っても、私はあなたのそばにいたいと思う。とうとうあなたが寝てしまうと、いいえ、忘れてください、もう何も言いません。でないとまたあなたは怒るでしょうから。」
デーヴダースは一言もしゃべらなかった。このような話は聞いたことがなく、彼を困惑させた。
チャンドラムキーはこっそり目をぬぐって言った。「あるときあなたはこんなことを言いました。私たち女はどれだけ我慢するのかと。汚名、軽蔑、傲慢、不正・・・その日から私は自分に誇りを持ちました。その日から私は何もかも辞めてしまいました。」
デーヴダースは起き上がって言った。「でも、どうやって生活するんだ?」
「それはもう言ったでしょう。」
「いいか、もしそいつがお前を騙して、お前の金全部を・・・」
チャンドラムキーは恐れず、穏やかな、そして素朴な表情で言った。「そうなっても驚かないけど、そのときのことももう考えてある。何かあったら、あなたからお金をもらうわ。」
デーヴダースは考えて言った。「ああ、いいさ。さあ、どこかへ行く準備をしろ。」
「明日するわ。腕輪を売って、一度モーディーと会ってみる。」
デーヴダースはポケットから100ルピー札を5枚取り出して枕の下に置き、チャンドラムキーに言った。「腕輪は売らずにモーディーと会え。でも、どこへ行く?どこかの巡礼地か?」
「いいえ、デーヴダース!宗教や巡礼をそれほど信じてないの。カルカッタからそんなに遠くには行かないわ。どこか近くの村にでも行って住むわ。」
「どこかの金持ちの家で小間使いでもするのか?」
チャンドラムキーの目には再び涙があふれてきた。ぬぐいながら言った。「いいえ、そんなことは望んでいないわ。私は自立して、自由に暮らすの。わざわざ痛み付けられに行かないわ。力仕事を我慢できたことはなかったし、今でもできないでしょう。さらに働いたら壊れてしまうわ。」
デーヴダースは悲しそうに笑って言った。「でも、街のそばに住んでいると、誘惑に負けてしまうぞ。人間の心は信用できないからな。」
チャンドラムキーも笑って言った。「そうね、人間の心が信用できないのは本当だわ。でも、私は今、誘惑には負けない。女は欲深いものだけど、それが自ら進んで手放したものなら、怖がるものは何もないと私は信じてるの。一時的に感情に流されて手放したなら、気を付ける必要はある。でも、これだけの長い間、後悔したことはなかった。私は今、とても幸せなの。」
それでも、デーヴダースは頭を振りながら言った。「女心は変わりやすいものだ、信じられないぞ!」
チャンドラムキーはデーヴダースのそばに座り、彼の手を取って言った。「デーヴダース!」
デーヴダースは彼女の顔を見た。彼は、僕に触るな、とは言えなかった。
チャンドラムキーの目には愛情があふれてきた。震えた声で、彼の両手を自分の胸に抱いて言った。「今日が最後の日よ。もう怒らないでね。私はずっと前からあなたにひとつ聞きたいことがあったの。」
彼女はしばらくデーヴダースの顔をじっと見てから言った。「パールヴァティーはあなたをひどく傷付けたの?」
デーヴダースの眉間にしわが寄った。「なんでそんなこと聞くんだ?」
チャンドラムキーは動じなかった。静かだが芯のある声で言った。「私に関係あるから。あなたが悲しいと私も悲しいの。本当よ。その他にも、おそらく私はあなたのことをよく知ってるわ。酔っ払っているとき、あなたから多くのことを聞いたの。でも、パールヴァティーがあなたを騙したとは思えない。あなたが自分で自分を騙したとしか思えない。デーヴダース、私はあなたより年上よ。この世界のことをよく見てきた。私が何を思っているか、知ってる?あなたが何か間違いを犯したのだと思うわ。女性を心が変わりやすいと決め付けて汚名を着せているけど、実際にはそうではないわ。汚名を着せているのもあなたなら、尊敬をしているのもあなたよ。あなたたちは言いたいことを何でも言えてしまう。でも、女性たちはそうはいかない。思っていることを口に出すことができない。口に出したら、誰も理解してくれない。なぜなら、しっかりと言えないから。あなたたちの理屈に押しつぶされてしまう。その後、さらなる汚名を着せられることになる。」
チャンドラムキーは少し止まり、喉を整えてしゃべり始めた。「私は人生の中で愛の演技を長いことしてきたけど、愛したのは一度だけ。その愛の価値は大きい。多くのことを学んだ。愛情と肉欲は別物だって知っているでしょう?この2つが大きな混乱を引き起こすの。そしてより混乱してしまうのが男性よ。あなたたちに比べて、私たち女性は肉欲が少ないわ。私たちは、あなたたちのように一瞬で肉欲に駆られてしまうことは少ない。あなたたちが愛を感じて、いろいろな話をしたり、いろいろな感情を表したりすると、私たちは皆、黙ってしまう。あなたたちを傷付けるため、何度も恥ずかしい思いをし、悲しい気持ちになり、ためらいを感じる。顔を見て嫌悪感を感じても、恥じらいから、あなたを愛せないとは言えない。その後、愛情の演技が続き、ある日、それが全て終わってしまうと、男性は怒りから動揺して言う――何て裏切り者だ!皆、彼の話を聞いて、私たちは皆、黙っているの。」
「心にどれだけ苦しみがあるか。でも、誰がそれを見に行くの?」デーヴダースは何も言わなかった。チャンドラムキーもしばらく彼の顔を見ていた。
さらに続けた。「母性のような感情が生まれ、女性たちはそれをおそらく愛だと理解してしまう。女性たちは大人しく真面目に家事をする。悲しいときには全力で手助けをする。でも、あなたたちはどれだけ褒めている?女性たちにどれだけ感謝の言葉を投げ掛けている?そんなときでも女性たちは愛情の印が得られない。その後、もし何らかの不幸なときに、胸の奥から救いようのない悲しみが一気に放たれると・・・」そう言って彼女はデーヴダースの顔を鋭い目つきで見た。
「そのとき、あなたたちは叫んで言う――汚らわしい女め!なんてことだ!」
突然、チャンドラムキーの口をデーヴダースが手で覆って言った。「チャンドラムキー、どうした?」
チャンドラムキーは静かに手をどかして言った。「怖がらないで、デーヴダース!あなたのパールヴァティーの話をしているわけではないわ。」そう言って黙ってしまった。
デーヴダースもしばらく黙った後に、悲しそうに言った。「でも、義務はある。ダルマがある。」
チャンドラムキーは言った。「それはそのとおりよ。それがあるからこそ、デーヴダース、本当に愛している者は皆、耐え忍ぶことができるの。ただ内なる愛情によって幸せと満足が得られるなら、そのほんの一部でも得られるなら、この世界の中に、無意味な悲しみや不安を広げようとは思わない。でも、デーヴダース、私ははっきりと言える。パールヴァティーはあなたを少しも騙してはいない。あなたは自ら自分を騙したのよ。それを理解する力は、今のあなたにないことは私も知っている。でも、そのときが来たら、私が本当のことを言っていたと分かるでしょう。」
デーヴダースの両目から涙があふれてきた。彼にも何とか、チャンドラムキーの話は全く本当だと感じられるようになった。チャンドラムキーはデーヴダースの涙を見たが、彼女はその涙をぬぐおうとはしなかった。彼女は心の中で言った――私はあなたを何度も何度も見て、知っている。よく知っているわ。普通の男性のように、私はあなたを見て聞いて愛することはできない。外見については別だけど、美しい外見を愛さない人はいない。でも、あなたの美しさを見て、誰かがあなたに夢中になってしまうとは、信じられない。パールヴァティーは美人かもしれないけど、最初に彼女があなたを愛したのでしょう、最初に彼女があなたに想いを打ち明けたのでしょう。
チャンドラムキーは心の中でこれらのことを言っていたが、最後の言葉がつい口に出てしまった。「自分を見て分かったわ、彼女があなたをどれだけ愛したことか!」
デーヴダースはすぐに起き上がって言った「何て言った?」
チャンドラムキーは言った。「何でもない!私が言ったのは、彼女はあなたの外見に惹かれたのではないってこと。あなたは美男子だけど、それで恋してしまうことはない。このとてもそっけない外見は、全ての人に好まれることはない。でも、あなたを愛した者は、二度と目を離すことができない。」
チャンドラムキーは大きくため息をついて言った。「あなたにどれだけ魅力があるか、いつあなたを愛し始めたのか、その人しか知らない。自ら望んでこの天国から地上に戻ろうとする女性はいないでしょう。」
少しの間、彼の顔をじっと見つめた後、優しい声で話し始めた。「あなたの美しさは目には留まらない。でも、心の奥底にその影が映るの。その後、寿命が尽きたとき、火によって灰になるの。」
デーヴダースは動揺を浮かべながらチャンドラムキーの顔を見て言った。「今日のお前はいったい何を言っているんだ?」
チャンドラムキーは優しく微笑んで言った。「誰からも愛されなかった人に無理に愛の話をすることほど、悲しいことはないわ。でも、私はただパールヴァティーのために弁護をしていたの。自分のためじゃない。」
デーヴダースは立ち上がって言った。「僕はもう行くよ。」
「もう少し座って行って。私は今まで一度も素面のあなたとこんな風に話せたことはなかった。一度もこんな風にあなたの両手を掴んで話ができなかった。ああ、なんて幸せでしょう!」しゃべりながら、彼女は突然笑い出した。
少し驚いてデーヴダースは聞いた。「なんで笑っている?」
「何でもない、昔のことを思い出してしまって。10年程前かしら。私は恋に狂って、家族を捨てて来たの。そのとき私は、彼をすごく愛してやろうと思っていたわ。命も惜しくないくらい!その後、ある日、どうでもいいような装飾品を買うとか買わないとか、そんな些細なことから大喧嘩して、それ以来彼とは二度と顔を合わせていないの。そのとき私は自分で自分に言い聞かせたわ、彼は私のこと全然愛していなかったんだって。もし愛していたら、私に装飾品ぐらいくれるでしょう?」
チャンドラムキーは再び笑い出した。そして突然真剣な顔になって話し始めた。「くだらない、あんな装飾品!何の変哲もないヘアピンに命まで捧げなければならなかったなんて、あのときの私にどうして分かったでしょう!そのときの私には、スィーターとダマヤンティー48の苦しみを理解するほどの知恵がなかったし、『ジャガーイー=マガーイーの物語』49も信じてなかった。ねえ、デーヴダース、この世に不可能なことなんてないわよね?」
デーヴダースは何も言えなかった。呆然と黙って見つめた後、言った。「僕は帰るよ。」
「何を怖がってるの?もう少し座って行って!私はもう、あなたを騙してここに留めておこうなんて思ってないわ。そんな日々はもう終わったの!今の私は、あなたが私を嫌っていたのと同じくらい、私自身を嫌っているわ。でも、デーヴダース、あなたはどうして結婚しないの?」
デーヴダースは息を吸って、笑って言った。「そうだな、願望がないんだ。」
「したくなくてもするべきよ。子供の顔を見れば、心が落ち着くでしょう。それに、私の得にもなる。あなたの家に召使い女として住まわせてもらって、残りの人生を自立して過ごすことができるから。」
デーヴダースは笑って言った。「そうか、もしそうなったら、お前を呼ぶよ。」
チャンドラムキーは、彼の笑顔が見えなかったような振りをして言った。「あなたにもうひとつだけ聞きたいことがあるわ。」
「何だ?」
「あなたはこんなに長く私とどうして話をしてくれたの?」
「何かいけないことでも?」
「それは分からないけど、でも、こんなこと私にとって初めてなの。今まであなたはお酒を飲んで酔っ払ってからじゃないと、私の顔を見もしてくれなかったわ!」
デーヴダースはチャンドラムキーに何の答えも返すことができなかった。そして彼は悲しい表情で言った。「最近酒は触れてもないよ。父さんが死んだんだ。」
チャンドラムキーは同情に満ちた顔でしばらく彼の顔を見た後に言った。「もう飲まないの?」
「どうかな。」
チャンドラムキーは彼の両手を自分の方へさらに強く引いて、涙声で言った。「もしできるなら、もう飲まないで。無闇にあなたの美しい体を傷つけないで。」
デーヴダースはふいに立ち上がって言った。「僕はもう行く。どこへ行っても、僕に連絡するんだぞ。それと、何か入り用だったら、遠慮はするな。」
チャンドラムキーは彼の足に手を触れて言った。「私が幸せになれるように祝福をください。それからもうひとつ、どうか神様、彼にこの召使いが必要になるようなことがないように、それでももし必要になったら、必ず私のことを思い出してください。」
「分かった」とデーヴダースは言って、階段を降りて行った。
チャンドラムキーは両手を合わせて泣きながら言った。「神様、どうか彼にもう一度会えますように!」
第14章
2年が過ぎ去った。パールヴァティーはマヘーンドラを結婚させ、大分肩の荷が下りた気分だった。マヘーンドラの妻ジャラドバーラーは飲み込みが早く、仕事のできる女だった。以前はパールヴァティーがしていた多くの家事を、今はジャラドバーラーがしていた。パールヴァティーは他のことを考えられるようになった。結婚してから今日まで5年の歳月が過ぎたが、子供はできなかった。自分の子供がいなかったために、他人の子供の方に彼女の母性愛が向かった。貧しい者たちは支援が得られていたのでよかったが、その子供たちのためにもお金を費やすようになった。その他、祭祀の仕事や、サードゥたちのお世話や、障害者の看病を巣ることで彼女の一日は終わっていた。夫に頼んで、もうひとつ客殿を造らせた。そこには家のない者や身寄りのない者が好きなだけ住むことができた。彼らは地主の家から食べ物も支給された。パールヴァティーは秘密裏にもうひとつ事業をしていた。それは夫にも内緒だった。貧しい貴族の家族を密かに財政支援していた。その費用は彼女の懐から出ていた。夫から毎月いくらかはもらっていたが、彼女はそれをこの事業に費やしていた。しかし、あらゆる支出は、事務所で働く事務員たちには知られていた。このことについて、彼らの間では口論が起きていた。召使い達はひそひそと、家計が倍になり、貯金が増えていないと噂していた。家計の支出が無意味に増えているのを見て、召使いたちは心中は穏やかではなかった。
ある日の夜、ジャラドバーラーは夫に言った。「あなたはこの家の何なのですか?」
マヘーンドラは言った。「なぜ?」
「召使いたちまで知ってるのに、あなたは全く気付いていないの?お義父様は新妻への愛情にどっぷり浸かってらっしゃるから、何も言えないでしょう。でも、あなたなら言えるでしょう。」
マヘーンドラは理解できなかったが、好奇心は湧いた。彼女に聞いた。「誰の話をしてる?」
ジャラドバーラーは真顔になって夫に助言した。「あなたの継母には子供がいないでしょう。だから、家計のことなんてお構いなし。無駄遣いばかりしているわ。知らないの?」
マヘーンドラは顔をしかめて言った。「そうなのか?」
ジャラドは言った。「目があるなら、自分で見てみれば!最近、支出が倍になったのよ。施し、寄付、接待、あらゆることにお金を使ってるわ。継母は自分の死後のためにそういうことをしているとするわよね、でも、あなたにも子供がいるのよ。子供たちは何を食べればいいの?財産を食い潰した後、乞食にでもなるの?」
マヘーンドラはベッドから起き上がり、座って言った。「お前は母さんの悪口を言っているのか?」
ジャラドは言った。「言わなければならないと思って言っただけ。」
マヘーンドラは言った。「だからって、お母さんの訴訟をしに来たのか?」
ジャラドは怒って言った。「私には訴訟とか裁判とか分からないわ。ただ、家のことを話しただけ。でないと、結局は私が責任を負わされるでしょうから。」
マヘーンドラはしばらく黙って座っていた。その後、言った。「お前の父親の家では毎日食事にもありつけなかった。それなのに、お前に地主の家のことがどうして分かる?」
ジャラドも怒って言った。「あなたの両親の家にはいくつの客殿があるかしら、教えてよ。」
マヘーンドラはさらに口論をすることもなく、黙っていた。朝になるとすぐに彼はパールヴァティーのところへ行って言った。「なんで結婚なんてさせてくれたんですか、お母さん!あの女とは一緒に住めません。僕はカルカッタへ行きます。」
パールヴァティーは絶句して言った。「どうしたの、ベーター?」
「あなたのひどい悪口を言うんです。あんな女、もう要りません。」
パールヴァティーは以前からジャラドバーラーの態度を見ていた。しかし、彼女はそのことには触れず、笑って言った。「駄目よ、ベーター、あの娘はとてもいい娘よ!」
その後、彼女はジャラドだけを呼んで言った。「バフー50、喧嘩でもしたの?」
朝から夫がカルカッタへ行く準備をしているのを見て、ジャラドは心の中で動揺していた。姑の言葉を聞いて彼女は泣き出して言った。「私のせいなの、お義母さん!でも、召使い女たちが一日中あれこれ話をしてるわ、最近出費が急増したって!」
パールヴァティーは全ての話を注意深く聞いた。恥ずかしくなって、彼女はジャラドバーラーの涙をぬぐいながら言った。「バフー、あなたは正しいわ。でも、私は賢い妻じゃないの、ベーティー!だから、支出が増えたことに気付かなかったわ。」
そして彼女はマヘーンドラを呼んで言った。「マヘーンドラ、誰も悪くないのに怒ってはいけないわ・・・お前は夫よ。あなたの幸せ以外のことを女は考えられないの。バフーはあなたのラクシュミー女神よ。」
しかし、その日以来、パールヴァティーは浪費を止めた。客殿では昔のような世話をしてもらえなくなった。多くの孤児や盲人や乞食たちは出て行ってしまった。
主人はその話を聞き、パールヴァティーを呼んで言った。「どうした、ラクシュミー女神の懐は空になってしまったのかい?」
パールヴァティーは笑って言った。「与えてばかりではうまくいかなくて。少しは貯金もしないといけません。ご存じないのですか、支出がとても増えてしまって!」
「好きなだけ使えばいいさ!私に残された日があとどれだけある?残った余生、出来る限り善行を積んで、あの世のことを考えていればいい。」
パールヴァティーは笑って言った。「まあ、なんて自分勝手な意見でしょう!自分のことだけしか考えてないのですか?子供たちのことがどうなってもいいのですか?しばらくは黙っていてください。その後、また始めます。」
チャウダリーは黙っていた。
パールヴァティーには暇が出来たため、心配も増えてしまった。しかし、全ての心配にはひとつの共通点がある。希望を持つ者はあることを考え、希望を持たない者は別のことを考える。先に述べた悩みには、活力があり、喜びがあり、満足があり、悲しみがあり、切望がある。それにより人は疲れてしまう。長い間考えることができない。しかし、希望を持たない者は、喜びもなく、悲しみもなく、切望もない。あるのはただ満足のみ!目から涙が落ち、心も重いが、毎日新しい悲しみも起こらない。あちこち飛び回り、風のないところに留まり、風が吹くと飛んでいく、あの薄い雲のように。熱中した心は、悲しみのない不安の中にいくらかの意義を見出す。今日のパールヴァティーの状態はこのようだった。祈りを捧げる彼女の、揺れて目的のない落胆した心は、その瞬間、タールソーナープル村の竹林や、マンゴー畑や、学校や、貯水池の方に彷徨うのだった。そして時には、自分自身を探し出せないような場所に隠れてしまうのだった。以前、このような状態になったときには、唇に笑みが浮かんだものだった。今、このような状態になると、目から涙が流れ、パンチャパートラ51の水に混ざってしまうのだった。そのときでも日は過ぎていった。仕事をして、甘い話をして、善行を積んで、世話や面倒を見ても、日は過ぎていった。彼女のことを、ラクシュミー女神の姿をしたアンナプールナー女神だと言うものもあれば、ぼんやりした悲しい女性だと言う者もいた。しかし、昨日の朝、彼女の中に別の変化が起こった。激しく、固い変化が起こった。あふれんばかりの満潮のガンガー河に、突然どこかから干潮がやってきたかのように。家の誰にもその理由は分からなかった。ただ我々のみが知っている。昨日、マノールマーが村から一通の手紙を書いてよこした。そこにはこのようなことが書かれていた。
しばらく私たちはお互いに手紙を書いていませんでした。この責任は私たち二人にあります。妥協をしたいと思います。二人とも自分の間違いを認めて、自尊心を抑えましょう。でも、私は年上だから、私の方からあなたに謝りたいと思います。急いで返信してくれることを願っています。およそ1ヶ月前から私はここにいます。私たち主婦は、身体の調子についてそれほど知識があるわけではありません。死んだら死んだで天国に行けたと言い、生きていたら生きていたで元気だと言います。私もそんな感じで元気です。でも、これは私の話です。無駄話はここまでにしましょう。かといって、意味のある話があるわけでもありません。それでもひとつあなたに知らせたいことがあります。昨日から、書こうか書くまいか迷っていました。書いたらあなたは悲しむでしょうし、書かなかったら私は我慢ができなくなります。マーリーチャ52のような状態になってしまいました。デーヴダースの話を聞いてあなたは悲しむでしょう。でも、私もあなたのことを思い出して泣かずにはいられません。神様が守ってくださったのでしょう、そうでないなら、自尊心の強いあなたのことですから、彼の手を掴んで今頃水の中に沈んでいたか、毒を飲んでいたことでしょう。もしかれのことを今日聞かなかったとしても、いつかは知ることになるでしょう。なぜなら、世間が知っていることを隠すことはできないからです。
デーヴダースが村に帰ってきてから6、7日が経ちました。あなたも知っていると思いますが、彼のお母さんはカーシーへ行ってしまって、デーヴダースはカルカッタに住み始めました。彼は、お兄さんと喧嘩をしてお金をむしり取るために家に帰ってきました。聞くところによると、彼は時々このように帰ってきているそうです。お金が手に入るまで彼は家に留まっているのです。そしてお金が手に入るとすぐに去って行ってしまうのです。
彼のお父さんが死んでから2年半が過ぎました。聞いて驚くでしょうが、この間に彼は自分の財産の半分を使い果たしたそうです。ドイジダースがお金をしっかりと管理しているから、デーヴダースの財産は今でも守られてるみたいです。そうでなければ、とっくに人々にお金を絞り取られていたでしょう。お酒と売春婦に全てを費やしています。誰も彼を守ってくれません。守ってくれるとしたらヤムラージのみでしょう。そしてその日も遠くないように思えます。彼が結婚しなかったことは幸いでした。
あぁ、悲しくなります。あの黄金のような身体はもうなく、あの美しい容姿も輝きもありません。まるで別人のようです。渇いた髪の毛が風に揺られて、目は窪んで、鼻は外に突き出しています。どんなに醜くなってしまったか、あなたにどう伝えたらいいでしょう。見ると憎しみが湧いてきますし、怖くもなります。一日中、河や池の岸に座って小鳥を撃ち殺しています。そして日光に当たって目眩がすると、ナツメの木の下でうつむいて座っています。夕方になると家に帰って酒を飲みます。夜には寝ているのかうろついているのか、神様だけが知っています。
ある日、河岸に水を汲みに行きました。見ると、デーヴダースが不機嫌そうな顔で、手に銃を持って歩いていました。私を見て、近寄ってきました。私は全身の血が凍りついてしまいました。河岸には誰もいませんでした。私は正気を失ってしまいました。でも、神様が私を助けてくださいました。デーヴダースは特に何もおかしなことや悪いことはしませんでした。身寄りのない紳士のように、穏やかな声で言いました。「マノー、元気か?」
他にどう答えればいいのか、恐る恐る頭を振って言いました。「ええ!」
デーヴダースは大きくため息をついて言いました。「幸せでいるように!お前が幸せなのを見て、僕もとても嬉しいよ。」そしてゆっくりと去って行きました。私は立ち上がって、急いで逃げました。ああ、神様、運が良かったから、彼は私の手を掴んだりしませんでした。そんなことはどうでもいいです。彼の悪行について手紙では書けません。
あなたを悲しませることになったでしょうね?もし今日まで彼を忘れられていなかったら、本当に苦痛でしょう。でも、どうすることができますか?このことに関してもし私が何か間違ったことをしたとしたら、寛大な心で、あなたの愛情を願うこのマノーを許してください。
手紙が届いたのは昨日だった。次の日、パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで言った。「2挺の輿と、32人の担ぎ人を用意して。私はすぐにタールソーナープル村へ行くわ。」
マヘーンドラは驚いて聞いた。「輿と担ぎ人の用意ならしますけど、でも2挺の輿はどうしてですか、お母さん?」
「お前も一緒に来るんですよ、ベーター!もし道中で私が息絶えたら、私の遺体に火をつけるために長男が必要でしょう!」
マヘーンドラはそれ以上何もしゃべらなかった。輿が来ると、二人は出立した。
チャウダリー氏はその知らせを聞いて困惑してしまった。召使いたちに問いただしたが、彼らは何も知らなかった。熟慮した結果、彼は5人の門番と召使いたちに後を追わせることに決めた。
一人の召使いが聞いた。「途中で追いついたら、戻ってくるように言いますか?」
彼は考えた後、心配になって言った。「いや、そうじゃない。お前は一緒に行って、何事もないようにしてくれ。」
その日の夕方、2挺の輿がタールソーナープル村に到着した。しかし、デーヴダースは村にはいなかった。その日の昼にカルカッタに発ってしまっていた。
パールヴァティーは額に手を当てて言った。「なんてこと!」
彼女はマノールマーに会いに行った。マノーは言った。「パーロー、デーヴダースを見に来たの?」
「違うわ。」パールヴァティーは言った。「一緒に連れて行くために来たの。ここには彼を助けてくれる人が誰もいないわ。」
マノールマーは仰天して言った。「何言ってるの?恥じらいはないの?」
「今頃誰に恥じることがある?自分のものを自分のために持って行くだけ。恥なんてないわ。」
「そんなこと言わないで!普通じゃないわ、口に出すのもいけない。」
パールヴァティーは苦笑して言った。「マノー、物心ついたときから私の心の中にあった考えが、時々口から滑り出してしまうの。あなたは私のお姉さんよ、だからあなたには言ったの。」
翌朝、自分の両親の足に手を触れた後、パールヴァティーは輿に乗った。
第15章
チャンドラムキーがアシャトジューリー村に一軒の小さな庵を構えて2年が経っていた。小川のそばの丘の上に、彼女の2部屋から成る家があった。近くの小屋に、1匹の黒い大きな乳牛を飼っていた。両方の部屋の内、ひとつには台所と倉庫があり、もうひとつに彼女は住んでいた。清潔な暮らしで、ラマー・バーグディーの娘が毎日掃除をしに来ていた。四方はトウゴマの森になっていた。その中に一本のナツメの木があった。隅にはトゥルスィー53の茂みがあった。家の向かいはガートになっていた。労働者を雇ってナツメヤシの木を切らせ、階段を作らせた。彼女の他にこのガートを使う者はいなかった。雨季には両岸まで水が迫り、チャンドラムキーの家のすぐ下まで水位が上がった。村人たちは心配になって鍬を持って集まった。下に土を盛って、地面をかさ上げし、去って行った。この村には教育を受けた者がいなかった。ハルワーハー、グワーラー、バーグディー、それにテーリーが2世帯、そして村から少し離れた場所に2つの家があり、チャマールが住んでいた54。チャンドラムキーはこの村に来てからデーヴダースに知らせた。返事と共に彼はいくらかのお金を送ってよこした。このお金をチャンドラムキーは村人たちに貸した。不幸があったときは皆、走って彼女のところへやって来た。そしてお金をもらって家に帰った。チャンドラムキーは利子を取らなかった。その代わりに彼らは進んで野菜や果物を置いて行った。借金についても彼女は取り立てをしなかった。返せない者は返せなかった。チャンドラムキーは笑って言った。「なら私はもうあげないわ。」
彼らは慇懃に言った。「奥様、今年の作物がよく実るように祝福をください。」チャンドラムキーは祝福を与えた。そしてまたも不作に終わり、借金の催促をすると、彼らはまた手を合わせて立つのだった。そしてチャンドラムキーはまたお金を与えるのだった。そんなとき、彼女は心の中で笑いながら言うのだった。「こんな関係が続きますように。私にはお金の心配などないのだから!」
しかし、そうもいかなかった!彼からの消息が途絶えてからおよそ6ヶ月が過ぎていた。手紙を書いても返事が来なかった。書留で送っても戻ってきてしまった。家の近くに、チャンドラムキーはあるグワーラーの家族を住まわせていた。彼の息子の結婚式に彼女は15ガンダー・ルピーを与え、レヘンガーも買ってあげた。彼らは家族共々チャンドラムキーの庇護下にあり、とても忠実だった。
ある日の朝、チャンドラムキーはバイラヴ・ガワーラーを呼んで言った。「教えて、バイラヴ?タールソーナープル村はここからどのくらい?」
バイラヴは考えて言った。「2つほど平野を越えれば事務所に着きます。」
チャンドラムキーは聞いた。「誰か地主が住んでいるでしょう?」
バイラヴは言った。「はい、この地区の地主様がお住まいです。この村もその地主様のものです。地主様は3年前に亡くなってしまわれました。そのとき、村人たちは、1ヶ月ほどそこに留まって、腹一杯食事をさせてもらったものです。地主様には2人の息子がおられます。長男は立派な方です。まるで王様です!」
チャンドラムキーは言った。「バイラヴ、そこまで私を連れて行ってくれる?」
バイラヴは言った。「もちろんです、奥さん!いつでも行きますよ。」
チャンドラムキーは喜んで言った。「じゃあ行きましょう、バイラヴ!今日行きましょう。」
バイラヴは驚いて言った。「今日?」そしてチャンドラムキーの顔の方を見て言った。「ならば奥さん。急いで食事を作ってください。私も少しラーイー55を包みます。」
チャンドラムキーは言った。「私は今から料理はしないわ。バイラヴ!お前はラーイーを用意しなさい!」
バイラヴは家に行って、布きれにラーイーとグル56をくるんで肩に掛けた。そして手には一本の棒を持って現れた。「さあ、行きましょう。しかし、奥さんは何も食べないのですか?」
チャンドラムキーは言った。「いいえ、バイラヴ、まだお祈りが済んでいないの。時間があったら、そこでするわ。」
バイラヴは先に立って道案内しながら歩き始めた。後からチャンドラムキーは苦労しながら畦道を歩いた。歩き慣れていなかったため、彼女の柔らかい足は切れて血が流れた。日光のせいで彼女の顔は赤くなった。沐浴も食事もしていなかった。それでもチャンドラムキーは次々と畑を越えて行った。畑仕事をしていた農民たちは、驚いて彼女の方を見ていた。
チャンドラムキーは赤い端のドーティーを着ていた。手には2つの腕輪を付け、額まで布で顔を覆っていた。そして全身を寝具用の厚いチャーダルで覆っていた。間もなく日没というときに二人はタールソーナープルに到着した。チャンドラムキーは少し笑って言った。「バイラヴ、お前が言ってた2つの平野はやっと終わったの?」
その冗談を理解したバイラヴは素朴な様子で答えた。「奥様、やっと辿り着きました。でも、奥様のか弱いお体で、今日中に帰ることができますか?」
心の中でつぶやいた――今日は元より、明日もおそらく無理だわ!――そして彼女は言った。「バイラヴ、車はないかしら?」
バイラヴは言った。「ないわけないでしょう、奥さん。牛車でいいですか?」
チャンドラムキーは牛車を用意するように言い付けてから、地主の家へ向かった。
牛車を探しにバイラヴは別の方向へ去って行った。中ではベランダに、現地主ドイジダースの妻が座っていた。召使い女がチャンドラムキーを彼女の元に案内した。二人はお互いをまじまじと見た。
チャンドラムキーは挨拶をした。地主妻の身体に装飾品はなかった。彼女の目からは傲慢さが滲み出ていた。唇と歯はパーン57とお歯黒のためにほぼ黒くなっていた。片方の頬が膨らんでいた。おそらくその中にはパーンが入っていた。まるでトサカのように髪を縛って結んでいた。両耳には大小の数十の耳輪が付いていた。小鼻の片側にはラウング58が付いており、もう片側には大きな穴があった。おそらく姑になったら、そこにナト59を付けるのだろう。
チャンドラムキーが見ると、地主妻はとても太っており、色黒で、目は大きく、丸顔だった。黒い端のドーティーに、高価なブラウスを着ていた。彼女を見た途端、彼女には嫌悪感が湧き上がった。それに対し地主妻はチャンドラムキーを見て、年は取っているが身体からは美しさがあふれていると感じた。二人は同い年くらいだったが、心の中で地主妻はそれを受け入れられなかった。この村でパールヴァティーを除いてこれほどの美人を彼女は見たことがなかった。驚いて聞いた。「お前は誰だい?」
チャンドラムキーは言った。「私はあなたの領地の住人です。年貢の払い残しがありましたので、払いに来ました。」
地主妻は心の中で愉快になって言った。「ならどうしてここに来たの?事務所に行きなさい。」
チャンドラムキーは笑って言った。「奥様、私たちはとても貧しいのです。全ての年貢を払えません!聞くところによると、あなたはとても慈愛深い方とのことです。だからあなたのところへ来ました。お願いですから、少し免除してはくださいませんか。」
そのような話を聞いたのは、彼女の人生で初めてだった。彼女は慈悲深く、年貢を免除することもできる。これらの話をしたことで、チャンドラムキーはすっかり気に入られてしまった。地主妻は言った。「そうだね、ベーティー!毎日どれだけの村人が来て懇願していることか。そして何ルピーもの年貢を免除してやっていることか。私は『いいえ』とはいえないんだよ。だから、主人から叱られてしまうのさ。ところで、一体いくらの年貢が残ってるの?」
「多くはありません、奥様!たったの2ルピーです。それでも私にとっては山のようです。今日一日歩いてやってきたのです。」
地主妻は言った。「ああ!お前のような貧しい人々には同情せざるをえないでしょう。ちょっと、ビンドゥー!この人を外へ連れて行って、秘書官に私の名前と一緒に伝えなさい、この人の2ルピーを免除するようにって。そうそう、ベーティー、お前の家はどこだい?」
チャンドラムキーは言った。「あなたの領地です。アシャトジューリー村です。そういえばご主人様、2人の地主様の分け前は同じですか?」
地主妻は言った。「それがね!小さい地主の土地はもうほとんど残ってないのよ。2日後には全て私たちのものになるでしょう。」
チャンドラムキーは動揺して言った。「どうしてですか、奥様?小さい地主様に多額の借金があるとか?」
地主妻は笑って言った。「私たちが担保としてもらってるの。義弟は完全に堕落してしまった。カルカッタで酒と売春婦に溺れてしまったのよ。いくらのお金を使い果たしたことか、全く分からないわ。」
チャンドラムキーは青ざめてしまった。少し間を開けて言った。「では、奥様!小さな地主様は家に戻ってこないんですか?」
地主妻は言った。「戻ってくるとも!お金が必要になると戻ってくるわ。お金を借りて、土地を担保に出して、また行ってしまうわ。2ヶ月前に来て、千ルピー持って行ったわ。助かる見込みは全くないでしょう。全身、汚らわしい病気に罹っているみたい。全く!」
チャンドラムキーは震え上がった。悲しい表情で聞いた。「カルカッタのどこにお住まいですか?」
地主妻は額を打って笑って言った。「最悪の状態よ。誰が知っているでしょう?どこかの食堂で食事をして、誰かの家に転がり込んでいるそうよ。それもヤムラージのみが知っているでしょう。」
突然チャンドラムキーは立ち上がって言った。「私は行きます・・・」
地主妻は少し驚いて言った。「もう行くのかい?ビンドゥー!」
チャンドラムキーは止めて言った。「結構です、奥様!自分で事務所まで行きますから」そう言って彼女はゆっくりと去って行った。
邸宅の外ではバイラヴが1台の牛車を用意して待っていた。その日の夜にチャンドラムキーは家に戻った。
翌朝、バイラヴを呼んで言った。「バイラヴ、今日、私はカルカッタへ行きます。お前は行くことができないでしょうから、お前の息子を連れて行こうと思います。いいですか?」
「仰せのままに。しかし、どうしてカルカッタに?急用ですか?」
「そうです、バイラヴ、急用です。」
「いつ戻ってきますか、奥様?」
「まだ分からないわ、バイラヴ!多分すぐに帰ってくると思うけど、時間がかかることもあるわ。そしてもし私がいつまでも戻らなかったら、この家も家具も全てお前のものです。」
バイラヴは言葉を失った。その後、彼の両目から涙が流れてきた。「何を言うんですか、奥様?あなたが戻らなかったら、この村の皆は死んでしまいます。」
チャンドラムキーも目に涙を溜めながら、微笑んで言った。「そうかしら、バイラヴ!私は2年の間だけここに住んでいました。その前からお前たちはここで暮らしていたでしょう?」
愚かなバイラヴは何も答えられなかった。しかし、チャンドラムキーは彼の心の全てを理解していた。バイラヴの息子だけが一緒に行く。荷物を車に載せていると、村人たちが皆やってきて泣き出した。チャンドラムキーの涙も止まらなかった。「カルカッタなんて!もしデーヴダースのためにこんなことをしなくてよければ、カルカッタの女王になれるとしても、チャンドラムキーはこんな愛情をはねのけて行くことはできなかっただろう。
次の日、彼女はクシェートルマニの家に着いた。彼女が住んでいた部屋には今では別の人々が住んでいた。クシェートルマニは驚いた。「あれ!今までどこへ行ってたの?」
チャンドラムキーは真実を隠して言った。「イラーハーバード60にいたの。」
クシェートルマニは彼女を頭から足の先まで眺めわたして言った。「それに、装飾品はどこへ行ったの?」
チャンドラムキーは笑って簡単に答えた。「全部あるわ。」
同じ日、彼女はモーディーと会って聞いた。「ダヤールさん、いくらもらえる?」
ダヤールは困ってしまった。「そうだね、ベーティー、6、70ルピーかな。今日でなかったら2日後には渡せるだろう。」
「別に何もしなくていいわ。ただ、ひとつ頼みごとがあるの。」
「どんなことだい?」
「少し厄介なことだけど。私たちの地区に賃貸の家を探して欲しいの。分かった?」
ダヤールは笑って言った。「分かったよ、ベーティー!」
「素敵な家、素敵な敷物、枕、シーツ、灯り、絵、2脚の椅子、机、分かった?」
ダヤールは首を振った。
「それと、鏡、串、2着のカラフルな服、私の身体に合ったブラウス。金メッキの装飾品がどこで手に入るか分かる?」
ダヤールは場所を教えた。
チャンドラムキーは言った。「ならそれも一式、いいものを買っておかないと。一緒に行って選ぶわ。」その後、笑いながら言った。「私たちが必要なもの、全部知っているでしょう。1人、召使い女も置かなければ。」
ダヤールは言った。「いつまでに、ベーティー?」
「できるだけ早く。2、3日の内に全部準備できたらいいわ。」そう言ってチャンドラムキーは彼の手に100ルピー札を握らせて言った。「いいものを揃えてね、ケチらないで」
3日後、彼女は新しい家に移った。一日中彼女はケーヴァルラームと一緒に、思いのままに部屋を飾り立てた。そして夕方になる前に自分に化粧をした。石鹸で顔を洗いパウダーを付け、アールターを解かして足に塗った。パーンを食べて唇を赤くした。その後、体中に装飾品を付け、アンギヤー61を締めて、カラフルなサーリーを着た。久しぶりに着飾って、ビンディーを付けた。鏡に顔を映し、心の中で笑って言った。「この不幸者はあとどれくらい苦しまなければならないのかしら?」
小さな村の純朴な青年ケーヴァルラームは、急に着飾った姿を見て恐る恐る聞いた。「これは?」
チャンドラムキーは笑って言った。「ケーヴァル、今日、花嫁が来るの!」
ケーヴァルラームは驚いて黙っていた。
夕方、クシェートルマニが散歩がてらやってきた。「どうしたの?」
チャンドラムキーは口を押さえて笑いながら言った。「また必要になったの。」
クシェートルマニはしばらく彼女をじっと見つめた後、言った。「年を取るごとに美しさが増してるわ。」
彼女が去った後、昔のようにチャンドラムキーは再び窓のそばに来て座った。道の方をじっと見つめていた。これが彼女の用事だった。これをするために彼女は来たのだった。ここのいる限り、こうし続けるつもりだった。時々、新しい客が現れ、扉を叩いたが、ケーヴァルラームは慣れた感じで言った。「ここじゃありません。」
旧知の客が訪ねてきたこともあった。チャンドラムキーはその人を座らせ、笑って会話をし、話の中でデーヴダースのことを聞いた。何も知らないと分かると、彼女はその人を丁寧に帰した。深夜になると彼女は自ら外に出た。近所の扉を巡った。こっそりと閉まった扉に耳をつけて盗み聞きした。いろいろな人がいろいろな話をしていた。だが、聞きたかったことを聞くことはできなかった。彼女の顔を見て、無理矢理顔の近くに来る者もいた。触ろうと手を伸ばす者もいた。チャンドラムキーはすぐに避けた。昼になると、彼女は旧知の友人の家を訪ねた。話の中で彼女は聞いた。「デーヴダースは知ってる?」
彼女たちは聞いた。「デーヴダースって誰?」
チャンドラムキーは熱心に彼の特徴を教えた。「色白で、ちぢれっ毛で、下顎の左側には切り傷があって、立派な人なの・・・いっぱいお金を使ってるんだけど、知らない?」
誰も手掛かりを見つけられなかった。ガッカリして、チャンドラムキーはそのまま家に帰るのだった。一晩中起きていて、道の方を見ていた。眠気が来ると悲しくなり、心の中で言うのだった――寝ている場合じゃないでしょう?
このように1ヶ月が過ぎてしまった。ようやくある夜、彼女の運は開いた。そのとき、夜の11時になっていた。落ち込んで彼女は家に戻っていた。そのとき彼女は、道の端で、とある扉の前に、一人の男が寝ころんで何かをつぶやいているのを見た。チャンドラムキーの心臓は高鳴った。聞き覚えのある声だった。何万人もの男性の中からでも、チャンドラムキーはその声を聴き分けることができた。そこは少し暗くなっていた。そこにその男は完全に酔っ払って倒れていた。チャンドラムキーはそばに寄って、彼の身体に手を置いた。「あなたは誰?こんな風に寝ているのはなぜ?」
その男は歌いながら言った。「聞け、友よ、心のこの願い。もしクリシュナのような夫を得られたら・・・」
もはやチャンドラムキーに何の疑いもなかった。彼女は呼んだ。「デーヴダース!」
デーヴダースは歌いながら言った。「う~ん!」
「どうしてここで寝てるの?家に行く?」
「いや、ここでいい・・・」
「少しお酒飲む?」
「飲む!」デーヴダースは嬉しくなって、チャンドラムキーに抱きついて言った。「こんな優しいお前は誰だ?」
チャンドラムキーの目から涙がこぼれた。やっとのことで何とか彼女の肩に掴まりながら立ち上がり、しばらく彼女の顔の方を見た後に言った。「わあ、わあ、これは大した上玉だ!」
チャンドラムキーは泣きながらも笑って言った。「ええ、上玉でしょ?さあ、私の肩に掴まって進んで。馬車が必要でしょう。」
「必要だな。」道を歩きながらデーヴダースは声を詰まらせて聞いた。「ベッピンさん!僕を知ってるのかい?」
チャンドラムキーは言った。「ええ、知ってるわ。」
デーヴダースは歌い出した。「他の皆は忘れてしまった、幸運にも私は知っている。」その後、馬車に座って、チャンドラムキーの肩に支えられながら、彼女の家に着いた。扉のそばに立って、ポケットに手を入れて言った。「ベッピンさん、連れて来たのはいいが、ポケットには何もない。」
チャンドラムキーは黙って彼の手を掴んで中に引っ張り込んだ。そして彼を敷物の上に寝かせて言った。「もう寝て!」
デーヴダースは相変わらず声を詰まらせて言った。「何のつもりだ?ポケットは空っぽだと言っただろう。期待しても無駄だぞ、分かったか、ベッピンさんよ!」
ベッピンさんは全て分かっていた。彼女は言った。「明日でいいわ。」
デーヴダースは言った。「そんなに信用するのもよくないぞ。何が欲しい?はっきり言え。」
チャンドラムキーは言った。「明日言うわ。」そして隣の部屋に行ってしまった。
デーヴダースが目を覚ますと、日は高く昇っていた。部屋には誰もいなかった。
チャンドラムキーは沐浴の後、台所仕事をしに下へ下りていた。デーヴダースは起き上がって見回したが、彼は全く見知らぬ部屋にいた。置いてあるものには何も覚えがなかった。昨夜何が起こったか、全く思い出せなかった。唯一、誰かに親切にしてもらったことだけは覚えていた。誰かは分からないが、とても優しく彼をここに寝かせてくれた。
そのときチャンドラムキーが部屋の中に入ってきた。夜に付けていた装飾品はほとんどを外していた。身体には装飾品を付けていたが、昨晩着ていたカラフルな服や額のビンディー、そして唇に付いていたパーンの跡はなかった。とても地味な服を着て、部屋に入った。デーヴダースは彼女の方を見て笑った。「昨日、どこかに強盗に入って、僕を誘拐してきたのか?」
チャンドラムキーは言った。「誘拐したわけじゃないわ。ただ道で拾ったの。」
デーヴダースは真面目になって言った。「まあ、それはそれでいいとして、しかしお前はまたこの仕事を始めたのか?いつ来た?そんなたくさんの装飾品を付けて、誰からもらった?」
チャンドラムキーは鋭い視線をデーヴダースに投げかけて言った。「また?」
デーヴダースは笑って言った。「いやいや、そういう意味じゃないんだ。冗談ぐらい言わせてくれよ。いつ来たんだ?」
チャンドラムキーは言った。「1、2ヶ月前よ。」
デーヴダースは心の中で数えてから言った。「ということは、僕の家に来てからすぐにここに来たってわけか。」
チャンドラムキーは驚いて言った。「あなたの家には行ったけど、どうしてそのこと知ってるの?」
デーヴダースは言った。「お前が去った後、僕も家に行ったんだ。お前を義姉さんのところへ連れて行った召使い女が、お前のことを教えてくれたんだ。昨日、アシャトジューリー村から1人の美人が訪ねてきたってな。すぐにピンと来たよ。それにしても、そんなたくさんの装飾品、どうやって作らせたんだ?」
チャンドラムキーは言った。「作らせてないわ。全部金メッキよ。カルカッタに来てから買ったの。全く、あなたのために私は無駄遣いしてしまったわ。でも、昨夜あなたは私に気付いてくれなかったわ。」
デーヴダースは笑って言った。「すぐには気付かなかった。でも、何とか気付いたよ。何度も考えたよ、僕のチャンドラムキー以外にこんなことはしないって。」
嬉しさのあまり、チャンドラムキーは泣き出したくなった。しばらく黙った後、彼女は言った。「デーヴダース、もうあなたは私をそれほど嫌っていないのね、なぜ?」
デーヴダースは答えた。「いや、むしろ愛しているよ。」
日中の沐浴のとき、チャンドラムキーはデーヴダースの腹部にフランネルの切れ端が巻いてあるのを見つけた。チャンドラムキーは叱った。「これは何、フランネルをどうして巻いてるの?」
デーヴダースは言った。「腹が少し痛いんだ。でもどうしてそんなこと気にするんだ?」
チャンドラムキーは額を叩いて言った。「病気じゃないの?肝臓に痛みはない?」
デーヴダースは笑って言った。「チャンドラムキー、そんなところだと思う。」
その日、医者が来て精密検査をし、全く同じことを述べた。薬を出し、二人ともその意味を理解した。家に知らせを送り、ダラムダースを呼んだ。薬を買うために銀行からお金を引き出した。2日が過ぎ去った。しかし、3日目に彼は発熱した。
チャンドラムキーはデーヴダースを呼んで言った。「いいときに来たものだわ、そうでなければ会えもしなかった。」
チャンドラムキーは全力で彼の看病をした。彼女は手を合わせて祈った。「神様、こんなときに役に立つことができて嬉しいです。願ってもいませんでした。でも、デーヴダースを良くしてください。」
1ヶ月以上、デーヴダースはベッドに寝たきりだった。その後、次第に快方に向かってきた。病状はそれほど深刻にはならなかった。
ある日、デーヴダースは言った。「チャンドラムキー、お前の名前は長すぎる。呼ぶときにいつも不便だ。だから省略して呼ぼうと思う。」
チャンドラムキーは言った。「いいですよ!」
デーヴダースは言った。「それじゃあ、今日から僕はお前を『バフー』って呼ぶよ。」
チャンドラムキーは笑って言った。「どんな風に呼んでもらってもいいけど、そこに意味はあるでしょう?」
「何にでも意味があるわけじゃないさ。」
「もしそうしたいなら、そう呼んでください。でも、なぜそうしたいのか、聞かせてくれませんか?」
「いや、理由は聞かないでくれ。」
チャンドラムキーは頭を振って言った。「分かったわ、もう聞かない。」
デーヴダースは長いこと黙っていた。その後、とても真剣な表情で彼は質問した。「それじゃあ、バフー、お前はこんなに熱心に僕の看病をしてくれているけど、お前は僕の何なんだ?」
チャンドラムキーは恥ずかしがり屋のバフーでもなければ、おしゃべりなバフーでもなかった。彼の顔をじっと静かに見た後、優しい声で言った。「あなたは私の全てなのよ。今でも分からないの?」
デーヴダースは壁の方を見ていた。そちらを見ながら、静かに言った。「それは僕も知ってるさ。でも、そんなに満足できないんだ。僕はパールヴァティーをどんなに愛していることか、彼女は僕をどんなに愛していることか。でも、どんなに悩ましいことか。ひどく苦しんだから、もうこの罠には二度と足を踏み入れないと決めた。望んでしたわけではないけど、お前はどうしてこんなことをした?どうして無理矢理僕を縛り付けた?」そう言って、少し間を置いて言った。「バフー、お前もパールヴァティーのように苦しむだろう!」
チャンドラムキーは口を布で覆いながら、ベッドの隅に黙って座っていた。
デーヴダースは再び優しい声で話し続けた。「お前とパールヴァティーの間にどれだけ違いがあることか!それでいてどれだけ似ていることか!一人は傲慢で頑固な女、もう一人は静かで自制的な女!あいつは絶対に我慢することができないが、お前はどれだけ我慢強いことか!あいつにあるのは名誉で、お前にあるのは汚名だ!皆があいつを愛しているが、誰もお前を愛していない。それでも僕はお前を愛しているんだ!愛さないわけないだろう?」そう言って深いため息をして言った。「善悪の判断をする者がお前についてどんな判断を下すのか、知らない。でも、もし死んだ後、お前と会うことがあれば、僕は二度と君と離れ離れになれないだろう。」
黙って泣きながら、チャンドラムキーの胸は濡れてしまった。心の中で彼女は祈り出した。「神様!いつか、いつの世か、もし私のような罪人の禊ぎが済んだなら、このご褒美をください。」
2ヶ月が過ぎ去った。デーヴダースは回復したが、身体は弱ったままだった。環境を変える必要があった。明日、彼は西の方へ行くことになった。ダラムダースが同行することになった。
チャンドラムキーは懇願した。「あなたには召使い女も必要だわ。私も連れて行って。」
デーヴダースは言った。「いや、そんなことはできない。他のことはできても、そんな恥知らずなことはできない。」
チャンドラムキーは黙り込んでしまった。彼女は分からず屋ではなかった。だから、すぐに理解した。どんなことがあっても、彼女は尊敬を得られない。彼女と共にいることで、デーヴダースは幸せになれるだろう、面倒も見てもらえるだろう。だが、尊敬は得られない。目をつむって言った。「いつ会えるの?」
デーヴダースは言った。「何も言えないな。でも、もし生きていたら、お前に会いたいという気持ちは絶対に消えない。」
足に触れてチャンドラムキーは離れた。そして静かに言った。「その言葉だけで私には十分だわ。それ以上のことは望まない。」
別れ際にデーヴダースはチャンドラムキーの手に2千ルピーを渡して言った。「持っておけ。人間の身体にいつ何が起こるか分からない。最期がどうなるのか。」
チャンドラムキーはそれも理解した。だから彼女は手を伸ばしてお金を受け取った。目をぬぐって言った。「行く前にひとつだけ教えて。」
デーヴダースは彼女の顔の方を見て言った。「何だ?」
チャンドラムキーは言った。「地主の奥様が言いました。あなたの身体に悪い病気が生じていると。それは本当なの?」
質問を聞いてデーヴダースは悲しくなって言った。「義姉さんは何でも言うな。でも、本当にそうなら、お前が知らないわけないだろう?僕の全てをお前は知っているのだから。パールヴァティーよりもよく知ってるはずだ。」
チャンドラムキーはもう一度目をぬぐって言った。「良かった!でも、それでも、気を付けてください。あなたの身体は弱っています。いたわってください。絶対に間違いはしないでください。」
デーヴダースは笑って答えた。何もしゃべらなかった。
チャンドラムキーは言った。「あとひとつだけ。体調が悪くなったら、私に知らせてくださいね?」
デーヴダースは彼女の顔の方を見て、首を振って言った。「そうするよ、バフー!」
もう一度彼の足に手を触れ、チャンドラムキーは泣きながら中に入ってしまった。
第16章
カルカッタを出た後、デーヴダースはしばらくイラーハーバードに滞在していた。その頃、彼はチャンドラムキーに1通の手紙を出した。「バフー、僕はもう二度と恋をしないと決めた。恋をすると、自分自身を制御するのがとても難しくなってしまうからだ。その後、また新たに恋をすることほど大きな失態はこの世に存在しない。」
チャンドラムキーがこの手紙にどう返事をしたかを説明する必要はない。しかし、このときデーヴダースは心の中で考えていた――もし彼女が現れたらどんなに嬉しいことか!
次の瞬間、恐ろしくなって彼は考えた――いや、いや、どうにもならない。もしいつかパールヴァティーに知れたら?
このように、時にパールヴァティ-、時にチャンドラムキーが彼の心に去来するのだった。そして時には二人の顔が一緒に彼の心で輝いていた。まるで二人とも彼の愛しい人であるかのように。
心の中に二人とも一緒に住むことができれば――そんな思いも彼の心の中にふと浮かんでくるのだった。まるで二人とも寝てしまったかのように。そんなとき、彼の心は、生気のない不満のようなものが木霊のようにいつまでも鳴り響き続けるほど、空虚になってしまうのだった。
その後、デーヴダースはラホール62へ行った。そこでチュンニーラールが働いていた。住所を調べて彼に会いに行った。久しぶりにデーヴダースは酒に触れた。彼は考えた――彼女はなんと賢いのだろう!なんと大人しく辛抱強いのだろう。そしてどんなに愛情深いのだろう!このとき、パールヴァティーのことは忘れていた。ただ、消えかかった炎のように、時々燃えあがるのだった。しかし、ラホールの環境は彼に合っていなかった。時々苦痛を感じるようになった。腹部にまた痛みが走るようになったのである。ダラムダースはある日、泣きながら言った。「デーヴ坊ちゃん、あなたの身体はまた悪くなっています。別のところへ行きましょう。」
デーヴダースは他人事のように言った。「行こう!」
デーヴダースはほとんど家では酒を飲まなかった。チュンニーラールが来ると、飲むこともあれば、外に行くこともあった。夜の3時頃に家に戻った。夜通し戻らないこともあった。今日は2日続けて家に帰らなかった。涙に暮れたダラムダースは食事もしなかった。3日目、デーヴダースは発熱しながら帰宅した。ベッドに横になり、立ち上がれなくなった。数人の医者が来て治療をした。
ダラムダースは言った。「デーヴ坊ちゃん、カーシーのお母様に知らせましょう・・・」
デーヴダースはすぐに泣きだした。「駄目だ、母さんに合わせる顔がない。」
ダラムダースは反論した。「病気は誰でもなるものです。こんな大変なときこそ、お母様にお会いすべきです。何を恥じる必要がありましょうか?デーヴ坊ちゃん、カーシーへ行きましょう。」
デーヴダースは顔を背けて言った。「いや、ダラムダース、僕は今、母さんのところには行けない。よくなった後に行く。」
ダラムダースは一瞬だけ、チャンドラムキーの名前を出そうか考えた。しかし、ダラムダースは彼女のことを嫌っていた。彼女の顔が思い出された途端に黙ってしまった。
デーヴダース自身の心にも、何度もチャンドラムキーのことが浮かんでいた。しかし、彼も何も話す気になれなかった。結局、誰も来なかった。それから数日が過ぎ、彼はゆっくりと回復していった。ある日、彼は起き上がって座りながら言った。「行こう、ダラムダース!どこか別のところへ行こう。」
「もうどこにも行くことはありませんよ!家に帰りましょう、できればお母様のところへも行きましょう。」
荷物をまとめ、チュンニーラールに別れを告げて、デーヴダースはまたイラーハーバードに戻った。彼の健康状態は至って良好だった。しばらく過ごしたある日、ダラムダースを呼んで言った。「ダラム、どこか行ったことのないところへ行ってみないか?まだボンベイ63に行ったことがない。行くか?」
彼の熱意を見て、嫌々ながらもダラムダースは従った。ジェーシュト月64だった。ボンベイはそれほど暑くなかった。ボンベイに着くとデーヴダースはすっかり元気になった。
ダラムダースは聞いた。「そろそろ家に帰りませんか?」
デーヴダースは言った。「いや、いい気分なんだ。僕はここにしばらく住むことにする。」
1年が過ぎた。バードーン月65のある日の朝、デーヴダースはボンベイ病院から退院し、ダラムダースの肩を借りながら列車に乗った。ダラムダースは言った。「坊ちゃん、私の話を聞いてください。今こそ、お母様のところへ行くべきです。」
デーヴダースの両目に涙があふれた。ここのところずっと母親を思い出していた。病院に入院している間、こんなことを考えていた――この世に僕のものと呼べる人はいるが、本当に僕のものである人は誰もいない。母さんがいる、兄さんがいる、妹よりも大切なパールヴァティーがいる。チャンドラムキーもいる。みんな僕のものだ。でも、僕は誰のものでもない。
ダラムダースも泣きだして言った「それなら坊ちゃん、お母様のところへ行くということでいいですか?」
顔を背けてデーヴダースは涙をぬぐった。「いや、ダラムダース、母さんに会いたいとは思わない。まだそのときは来ていない気がする。」
年老いたダラムダースは大声で泣きわめいて言った。「坊ちゃん、今やお母様しかいないのですよ。」
これだけの会話でどれだけのことが明らかになったか、二人とも心の中で感じていた。デーヴダースの体調はとても悪化していた。膵臓と肝臓が膨れあがっていた。さらに熱があり、咳が出た。色は真っ黒になってしまった。身体は骨と皮だけになってしまった。目は窪み、瞳が不自然に光っていた。頭には渇いてもつれた髪が、数えようと思えば数えられるくらいの量だけ残っていた。手の指に目をやると虫唾が走った。一本一本が細長い上に、病に冒され変色し醜くなっていた。
駅に着くと、ダラムダースは聞いた。「どこ行きのチケットを買いましょうか、デーヴ坊ちゃん?」
デーヴダースはしばらく考えた後に言った。「じゃあ、家に行こう。その後、また考えよう。」
発車時刻になると、彼らはフグリー駅66行きのチケットを持って乗り込んだ。ダラムダースはデーヴダースのそばに座った。夕方になる前、デーヴダースの目が痛み出し、また発熱した。彼はダラムダースを呼んで言った。「ダラムダース、もう家に辿り着くのは難しいように感じる。」
ダラムダースは恐る恐る聞いた。「どうしてですか、デーヴ坊ちゃん?」
作り笑いをしながらデーヴダースはこれだけ言った。「また熱が出たんだ、ダラムダース!」
カーシーを越えたとき、デーヴダースは熱で意識を失っていた。パトナー駅67近くで彼は意識を取り戻して言った。「言ったとおりになっただろう、ダラムダース、母さんのところへ行く運命になかったんだ。」
ダラムダースは言った。「さあ、坊ちゃん、パトナー駅で降りてお医者さんのところへ行きましょう。」
デーヴダースは答えた。「いや、いい、家に行こう。」
列車がパーンドゥヤー駅68に着いたとき、ちょうど夜明けだった。一晩中雨が降っていたが、そのときは止んでいた。デーヴダースは起き上がった。床ではダラムダースが寝ていた。デーヴダースはそっと彼の額を触ってみたが、ためらいを感じ、起こせなかった。その後、彼は扉を開いてゆっくりと外に出た。眠ったままのダラムダースを乗せて列車は行ってしまった。震えながらデーヴダースは駅の外に出た。一人のイッカー69乗りを見つけ呼んだ。「バーバー70、ハーティーポーター村へ行けるか?」
イッカー乗りは一度彼の顔の方を見て、左右を見回した後、答えた。「駄目です、旦那。道が悪くて。この雨では、馬車はあそこまで行けません。」
デーヴダースは困って聞いた。「担い籠はあるか?」
イッカー乗りは言った。「ありません!」
不安になったデーヴダースは座り込んだ。「では、行けないのか?」彼の顔には死相が浮かんでいた。盲人ですらそれを感じ取ることができた。
イッカー乗りはとても優しい声で言った。「牛車を用意しましょうか?」
デーヴダースは聞いた。「いつ頃着くだろうか?」
イッカー乗りは言った。「道がよくないのでね、旦那。多分、2日はかかるでしょう。」
デーヴダースは心の中で数え始めた――あと2日も生きていられるだろうか?でも、パールヴァティーのところへは行かなくてはならない。
彼は、過ぎ去った日々に、自分が付いてきた多くの嘘や、自分が行ってきた多くの悪行を思い出した。だが、この最期のときに、あの約束だけは守らなければならなかった。何があっても、最期に彼女に合わなければならない。しかし、現世において残された時間はもう多くなかった。それだけが大きな不安だった。
牛車に乗ると、デーヴダースは突然母親のことを思い出し、彼の目には涙が浮かんできた。そして、もうひとつ、愛情に満ちた優しい顔が、人生の最期のときに、とても清浄なるものとして浮かんできた。その顔はチャンドラムキーのものだった。下賎な女として常に憎んできた彼女の顔が、今日、母親の隣に神々しく浮かび上がったのを見て、彼の目からは涙が止めどなく流れ出た。現世ではもう彼女と出会うことはないだろう。長いこと、訃報を受け取ることもないかもしれない。それでも、パールヴァティーのところへ行かなければならない。デーヴダースは誓ったのだ、もう一度会うと。今日こそあの誓いを守らなければならない。道はよくなかった。雨水が道に溜まっているところもあれば、道が崩れているところもあった。泥水で道全体が浸かっていた。牛車はカタカタ音を立てて進んでいた。ぬかるみにはまった車輪を牛車乗りが下りて持ち上げなければならないところもあれば、2匹の牛を無慈悲に鞭打って前に進めなければならないところもあった。なんとしてでもこの16コース71の道のりを走り抜けなければならなかった。ヒューヒューと冷たい風が吹いていた。今日も夕方を過ぎると高熱が出た。デーヴダースは恐る恐る聞いた。「あとどれくらいだ?」
牛車乗りは答えた。「あと8-10コース72くらいでしょう。」
「急いでくれ、バーバー、金は弾むから。」ポケットに100ルピー札が入っていた。それを見せて言った。「100ルピーやるぞ。だからとにかく急いでくれ!」
その後、どうやって夜が過ぎていったのか、デーヴダースは分からなかった。意識を失っており、朝になって目を覚まして言った。「おい、あとどれくらいだ?この道はずっと終わらないのか?」
牛車乗りは言った。「あと6コース73くらいでしょう。」
デーヴダースは大きくため息をついて言った。「もっと急いでくれ、バーバー!もう時間がないんだ。」
牛車使いは理解できなかった。だが、牛たちを強く打って、新しい罵声を浴びせながら進んだ。牛車は全速力で進んでいた。中ではデーヴダースがのたうち回っていた。会えるだろうか?到着できるだろうか?――それだけを考えていた。
昼に車を止め、牛車乗りは牛たちに餌を与え、自分も食事をして、また乗り込んだ。彼は言った。「何も食べないんですか?」
「いや、バーバー、でも喉が渇いた。少し水をくれ。」
牛車乗りは道端の池から水を汲んできた。夕方になると、発熱と同時にデーヴダースの鼻から血が滴り始めた。彼は力一杯鼻を押さえた。すると、歯の間からも血が出ているように感じた。息をするのも辛くなった。息絶え絶えになりながら言った。「あとどのくらいだ?」
牛車乗りは言った。「あと2コースです。夜の10時には着くでしょう。」
デーヴダースはやっとのことで頭を起こし、道の方を見ながら言った。「神様!」
牛車乗りは言った。「旦那、なぜそんなことを?」
デーヴダースは何も答えることができなかった。
車は進み続けたが、夜の10時には到着しなかった。12時近くになってハーティーポーター村の地主宅の前の、ピーパルの木の下で止まった。
牛車使いは言った。「旦那、下りてください!」
何の反応もなかった。もう一度呼んだが、またも返答がなかった。彼は怖くなって、ランタンを彼の顔のそばに近づけた。「旦那、眠ってるんですか?」
デーヴダースはただ目を開いていた。唇を震わせて何かをしゃべったが、声にはならなかった。牛車乗りはもう一度呼んだ。「旦那!」
デーヴダースは手を上げようとしたが上がらなかった。ただ彼の両目の端から2滴の涙がこぼれ落ちた。牛車乗りは必死に考えを巡らせて、ピーパルの木の下に草葉を集めて敷物のようなものを用意した。その後、苦労してデーヴダースを持ち上げて、その上に寝かせた。外には誰もいなかった。地主の家は深い眠りに落ちていた。デーヴダースは何とかしてポケットの中から100ルピー札を取り出し、彼に与えた。ランタンの光の中で牛車乗りが見ると、乗客が彼を見ているのが分かった。牛車乗りは乗客の状態を予想し、紙幣をもらってターバンの中に入れた。ショールを広げてデーヴダースの顔まで覆った。目の前でランタンが燃えていた。この新しい友人は彼の足のそばに座って考えていた。
夜が明けた。朝になると地主宅から人々が外に出て来た。驚くような光景だった。どこの紳士だろう!身体にはショールを巻き、足にはピカピカの靴、手には指輪があった。一人、また一人と集まり、人だかりができた。やがてブヴァン氏の耳にもその話が届いた。医者を呼ぶように言って、自分でも様子を見に行った。デーヴダースは皆の方を見たが、喉は涸れており、ひとつの言葉を発することができなかった。ただ両目から涙が流れ続けていた。牛車乗りは知っていることを話したが、それでは何の情報も得られなかった。医者は言った。「息が止まりそうだ。もうすぐ死ぬだろう。」
皆が言った。「はぁ!」
誰かが憐れんで彼の口に一滴の水を垂らした。デーヴダースはその人の方を痛ましい目つきで見て、目を閉じた。しばらく息はあったが、その後、事切れた。誰が葬式をするか、誰が触るか、カーストは何か、そんな会話が交わされ始めた。ブヴァン氏は近くの警察署に知らせた。警部補が来て調査を始めた。死因は膵臓と肝臓の病だった。鼻や口に血の跡があった。ポケットから2通の手紙が見つかった。一通はタールソーナープル村のドイジダース・ムカルジーがボンベイのデーヴダースに宛てたもので、「今回はお金を送ることはできない」と書いてあった。
もう一通はカーシーのハリマティーが、前述のデーヴダース・ムカルジーに宛てたもので、「元気かい?」と書かれていた。
左手には英語で、名前の頭文字が入れ墨されていた。調査を終えた警部補は言った。「分かった、この男の名前はデーヴダースだ!」
手にはサファイヤの入った指輪があった。価値はおよそ150ルピーだろう。身体のショールの価値はおよそ200ルピーだろう。その他、衣服などについて全て記録された。チャウダリー氏とマヘーンドラナートもその場にいた。タールソーナープル村の名前を聞いてマヘーンドラは言った。「お母さんの実家の人です。見てもらったら・・・」
チャウダリー氏は怒った。「母さんに死人の識別をさせるのか!」警部補は笑って言った。「ありえない!」
ブラーフマンの死体ということで、村の誰も触ろうとしなかった。だから、メヘタル74が来て持って行った。その後、どこかの干上がった池の岸で半分焼いて放置した。ハゲワシやカラスがたかった。犬やジャッカルが獲物を巡って喧嘩を始めた。それでも誰もがそれを聞いて「はぁ!」と言うだけだった。召使いたちもこんなことを言った。「はぁ!立派な人だった。200ルピーのショールと150ルピーの指輪。今では警部補の手元にある。2通の手紙もそうだ。」
この知らせは朝の内にパールヴァティーの耳に届いていた。最近、何事にもやる気がなくなっていたため、このことについてもよく理解できなかった。しかし、あまりに皆がこの話題で持ちきりだったため、パールヴァティーも召使い女を呼んで言った。「何が起こったの?誰が死んだの?」
召使い女は言った。「はぁ!誰かは分かりません、奥様!前世でこの土地の土を買ったんでしょう、だから死にに来たんでしょう。寒さの中で一晩中あそこに横たわっていたんです。今朝の9時に死にました。」
パールヴァティーは長いため息をついて聞いた。「はぁ!誰だったのか、何も分からないの?」
召使い女は言った。「マヘーンドラ様なら知っています。私は詳しく知りません。」
マヘーンドラが来て言った。「母さんの村のデーヴダース・ムカルジーです!」
パールヴァティーはマヘーンドラのそばに寄って、鋭い目つきで聞いた。「誰、デーヴ?どうして分かったの?」
「ポケットの中から2通の手紙が出て来たんです。1通はドイジダース・ムカルジーが書いたものでした。」
パールヴァティーは泣いて言った。「ええ、それは彼のお兄さんだわ!」
「そして、もう1通の手紙はカーシーのハリマティーが書いたものでした。」
「ええ、彼のお母さんだわ。」
「手に入れ墨がありました。」
「ええ、カルカッタに行ったときに入れたものだわ。」
「サファイヤの指輪が・・・。」
「それはジャネーウー75のときに叔父さんが彼にあげたものよ。知ってるわ。」そう言ってパールヴァティーは走って下に下りた。マヘーンドラは驚いて言った。「あれ、お母さん、どこへ行くんですか?」
「デーヴダースのところよ!」
「もういませんよ!ドーム76が持って行きました。」
「あぁ、なんてこと!」そう言ってパールヴァティーは泣きながら走った。マヘーンドラは追い抜いて前に出ると、彼女を止めて言った。「どうかしたんですか、お母さん?どこへ行くんですか?」
パールヴァティーはマヘーンドラの方を怒った表情で見て言った。「マヘーンドラ、本当に私がおかしくなったとでも思ってるの?道を空けなさい!」
彼女の目を見て、マヘーンドラは道を空け、黙って彼女を追い掛けた。パールヴァティーは外に出た。そのときも外ではナーヤブ77とグマーシュター78が仕事をしていた。ブヴァン氏は顔を上げて言った。「誰が出掛けるんだ?」
マヘーンドラが言った。「母さんが、デーヴダースを見に!」
ブヴァン・チャウダリーは叫んだ。「お前たちみんな、頭がおかしくなったのか?捕まえろ、捕まえろ!捕まえて連れて来い。どうかしてしまった、あぁ、マヘーンドラ、パールヴァティー!」
その後、召使いたちが力を合わせてパールヴァティーを捕まえ、気を失って倒れた彼女の身体を中に連れ戻した。
翌日、パールヴァティーの意識が戻ったが、彼女は何も言わなかった。ただ、召使い女を呼んでこれだけを聞いた。「夜に来たんですね?一晩中・・・!」その後、パールヴァティーは黙ってしまった。
あれからパールヴァティーがどうなったのか、どうしているいるのか、私は知らない。知りたいとも思わない。ただデーヴダースをとても哀れに思う。君たち読者も、この物語を読んで、私と同じく悲しくなっただろう。それでも、もしいつか、デーヴダースと同じような、不幸で自制心がなく罪深い者と知り合ったのならば、その人のために祈ろうではないか。何があっても、デーヴダースのような最期を迎えることがないように!誰にでも死は訪れる。だが、死ぬときに誰かの愛情に満ちた手がその人の額に添えられるように。慈悲と愛情に満ちた顔を見ながら人生の最期を迎えられるように。死ぬ間際に誰かの両目から流れ落ちる涙を見ながら、安らかに眠りに付けるように。
-完-
脚注
- ヴァイシャーク月:インド歴の第2月で4-5月にあたる。インドでは酷暑期の真っ只中であり、一年でもっとも暑くなる。 ↩︎
- 石版:田舎の学校では石版がノートになる。 ↩︎
- グッリー・ダンダー:野球やクリケットに似た遊び。 ↩︎
- マン、セール、チャターンク:どれも重さの単位。1マン=約34kg=40セール=640チャターンク。 ↩︎
- ルピー、アーナー、パーイー:全て貨幣の単位。1ルピー=16アーナー=192パーイー。 ↩︎
- カーヤスト:官僚・書記の家系。 ↩︎
- ビーガー:面積単位。1ビーガー=約2,500㎡。 ↩︎
- ヤジマーン:顧客。檀家。 ↩︎
- ムーリー:炒り米。 ↩︎
- サンデーシュ:お菓子の一種。 ↩︎
- 頭を振って:Yesの意。 ↩︎
- ノーナー:ギュウシンリ。 ↩︎
- ムンシー:カーヤストの尊称。ここではゴーヴィンド先生のこと。 ↩︎
- シュードラ:カースト制度(四姓)の最下層。肉体労働を主とする。参照 ↩︎
- ブラーフマン:バラモン。カースト制度(四姓)の最上層。司祭や頭脳労働を主とする。ムカルジー家もチャクラヴァルティー家もカースト上では同じバラモンである。 ↩︎
- 「ラーマーヤナ」:インド二大叙事詩のひとつ。参照 ↩︎
- 「マハーバーラタ」:インド二大叙事詩のひとつ。参照 ↩︎
- チャンパー:キンコウボク。 ↩︎
- カンジュリー:タンバリンの一種。 ↩︎
- ヴァイシュナヴィー:ヴィシュヌ派の人。 ↩︎
- パイサー:貨幣の単位またはお金の意。 ↩︎
- ルピー:貨幣の単位。1ルピー=12アーナー=64パイサー。 ↩︎
- ラターイー:凧糸を巻く芯。 ↩︎
- 10アーナー、13ガンダー、1カウリー、1クラーンティ:アーナーとカウリーは貨幣単位だが、ガンダーとクラーンティは不明である。2ルピーは32アーナーであり、これを3で割ると、1人あたり10アーナーとなり、2アーナーが余る。 ↩︎
- カルカッタ:現コルカタ。ベンガル地方の中心都市。1911年まで英領インドの首都でもあった。 ↩︎
- ハーウラー駅:カルカッタの駅。 ↩︎
- ダウリー:持参金。参照 ↩︎
- 20-25コース:コースは距離の単位。1コースは約3.2km。20-25コース=約65-80km。 ↩︎
- スワヤンヴァル:花嫁が花婿を公衆の面前で選ぶ古代インドの儀式。 ↩︎
- スィンドゥール:髪の分け目に付ける赤い印。既婚の女性が付ける。参照 ↩︎
- チューリー:腕輪。既婚の女性が付ける。 ↩︎
- チャーダル:毛布。身体を覆ったり床に敷いたりする大きな布。 ↩︎
- トゥルスィーダースの「ラーマーヤナ」:正確にいえば『ラームチャリトマーナス(ラーマの行状記)』。成立は16世紀。 ↩︎
- ガート:沐浴場。 ↩︎
- バーラート:花婿側の参列者によるパレード。 ↩︎
- 悪ふざけ:インドの結婚式では、親睦を深めるために両家の間でふざけ合いが行われる習慣がある。 ↩︎
- ヤムラージ:死神。寿命の尽きた人の魂をあの世に連れて行く。 ↩︎
- 足の埃を頭に付け:尊敬を表す仕草。 ↩︎
- 内殿:ビータリー・マハル。女性用居住区。ザナーナーともいう。 ↩︎
- ベーター:息子に対する呼びかけ。 ↩︎
- サードゥ:遊行者。 ↩︎
- ベーティー:娘に対する呼びかけ。 ↩︎
- あなたの足元にひれ伏します:尊敬を表す言葉。 ↩︎
- シュラーッド:供養の儀式。 ↩︎
- 綿の花:セーマルの花。はかないものの喩え。綿の花を神様に捧げられないとは、自分は女主人にはふさわしくないという意。 ↩︎
- カーシー:ヴァーラーナスィーの古名。ヒンドゥー教の聖地。ベンガル地方の寡婦が人生の最期を迎えるために移住することが多い。 ↩︎
- モーディー:高利貸し。 ↩︎
- スィーターとダマヤンティー:共に神話上の女性。スワヤンヴァルで夫を選んだ共通点がある。 ↩︎
- 「ジャガーイー=マガーイーの物語」:ヴィシュヌ派の聖人チャイタニヤに会って改心した元乱暴者たちの物語。 ↩︎
- バフー:嫁の意。 ↩︎
- パンチャパートラ:祈祷礼拝の儀式の際に用いられる金属製の水入れ。 ↩︎
- マーリーチャ:ラーヴァナの叔父。黄金の鹿に化け、ラーヴァナがスィーター姫をさらうのを助けた。ラーマ王子に殺された。 ↩︎
- トゥルスィー:カニメボウキ。ホーリーバジル。 ↩︎
- ハルワーハー、グワーラー、バーグディー、テーリー、チャマール:全てカースト名。ハルワーハーは農民、グワーラーは牛飼い、バーグディーは部族、テーリーは製油業者、チャマールは皮革業者。 ↩︎
- ラーイー:炒り米。 ↩︎
- グル:粗糖。 ↩︎
- パーン:キンマ。 ↩︎
- ラウング:女性が鼻や耳に付ける丁字型の装身具。 ↩︎
- ナト:女性が小鼻に付けるリング状の鼻飾り。 ↩︎
- イラーハーバード:現ウッタル・プラデーシュ州の都市。ガンガー河とヤムナー河の合流点があり、ヒンドゥー教の聖地のひとつ。カーシーからも近い。 ↩︎
- アンギヤー:ブラジャーのような胴着。 ↩︎
- ラホール:パンジャーブ地方の中心都市で、現在はパーキスターン領の都市。英領時代は一貫してパンジャーブ管区の主都だった。 ↩︎
- ボンベイ:現ムンバイー。当時はボンベイ管区の主都だった。 ↩︎
- ジェーシュト月:インド暦の第3月で5-6月にあたる。 ↩︎
- バードーン月:インド暦の第6月で8-9月にあたる。 ↩︎
- フグリー駅:カルカッタ近郊の駅。 ↩︎
- パトナー駅:現ビハール州の州都にある駅。 ↩︎
- パーンドゥヤー駅:ベンガル地方の駅。フグリー駅まで23kmほど。 ↩︎
- イッカー:一頭立ての二輪乗用馬車。 ↩︎
- バーバー:年長者に対する敬称。 ↩︎
- 16コース:コースは距離の単位。1コースは約3.2km。16コースは約50km。 ↩︎
- 8-10コース:コースは距離の単位。1コースは約3.2km。8-10コースは約25-30km。 ↩︎
- 6コース:コースは距離の単位。1コースは約3.2km。6コースは約20km。 ↩︎
- メヘタル:掃除人カースト。 ↩︎
- ジャネーウー:入門式。 ↩︎
- ドーム:火葬人カースト。 ↩︎
- ナーヤブ:代議士。 ↩︎
- グマーシュター:事務官。 ↩︎