Devdas (1955)

4.5

 インド国際映画祭の作品が上映されているオデオンで、6:30からヒンディー語映画「Devdas」を観た。とは言っても、今年の7月にリリースされたシャールク・カーン、マードゥリー・ディークシト、アイシュワリヤー・ラーイ主演の「Devdas」(2002年)ではない。1955年製作、ディリープ・クマール主演の「Devdas」の方だ。今回の映画祭ではやたらと「Devdas」がクローズアップされており、各時代、各言語の「Devdas」が上映されている。しかし、その中でも最高傑作の誉れが高いのが、このディリープ・クマール主演の「Devdas」なのだ。それをスクリーンで見るチャンスに恵まれたのも、全て映画祭のおかげである。やはり映画はスクリーンで観なければ意味がない。ストーリーは2002年版とほとんど同じなので、そちらを参照していただきたい。

 なんと50年前の白黒映画のリバイバル上映にも関わらず、場内はほぼ満席状態。青春時代の思い出にひたるつもりっぽいお年寄りから、クラシック映画を愛するインド人、果てはどこから聞きつけたのか旅行者っぽい外国人の姿もチラホラと見受けられた。盛り上がりも上々。有名な俳優が登場すると場内から拍手が沸き起こった。

 この1955年版「Devdas」を見ると、2002年版「Devdas」がいかに原作を現代風にアレンジしているかが明らかになる。2002年版はロンドン留学からデーヴダースが田舎に帰ってくるところから始まるが、1955年版は原作に忠実に、デーヴダースとパールヴァティーの少年時代の描写から始まる。デーヴダースの留学先もロンドンなどではなく、原作通りカルカッタである。まるで小説を忠実になぞっていくような映像化の仕方で、ちょうど原作を翻訳中の僕にとって、ひとつひとつのシーンが心の奥まで染み入った。特にデーヴダースたちの少年時代の映像は、ずっと涙ぐみながら見ていた。まるで自分の子供の頃のビデオを見ているかのように感じた。

 シャールク・カーンが演じるデーヴダースから「Devdas」の世界に入ってしまったので、最初ディリープ・クマールの演じるデーヴダースに違和感を感じた。パールヴァティーもアイシュワリヤー・ラーイのイメージが強かったし、チャンドラムキーもマードゥリー・ディークシトのイメージで固定されていた。ディリープ・クマールの演技は割と抑え気味で、けっこうモゴモゴ口調なので、彼がそれほど素晴らしいとは思わなかったし、デーヴダースを演じるには老けた顔をしすぎていると思った。だが、最後の方では許せるようになっていた。要は慣れだろう。

 最後、パールヴァティーは瀕死のデーヴダースに駆け寄るシーンがある。2002年版では門が閉じられてしまい、パールヴァティーはデーヴダースに触れることができずに終わる。このエンディングはすこぶる評判が悪い。1955年版はどうかと思い、固唾を呑んで最後のシーンを見守っていたが、やはり門が閉まってしまい、パールヴァティーはデーヴダースを見ることも適わなかった。僕は「Devdas」は素晴らしい小説だと思っているが、最後だけが気に入らない。作者には、せめて指先だけでも、パールヴァティーが、死ぬ直前のデーヴダースに触ることができるようにしてもらいたかった。なぜわざわざこんな悲しいラストにするのだろうか?ちょっと変えれば悲しいけどもハッピーエンドにできるのに・・・。