障害コメディー

 もう四半世紀以上もインド映画を見続けており、インド映画研究者を名乗るくらいなので、熱狂的なインド映画ファンであるわけだが、インド映画の全てが好きというわけでもなく、批判すべきところはちゃんと批判しなくてはならないと常々考えている。インド映画の世界に足を踏み入れた当初から一貫して不快に感じており、ここで取り上げたいのは、インド映画における障害者の扱い方である。

 昨今、「インクルーシブ」というキーワードが各場面で使われるようになっているが、ある意味インドは昔からインクルーシブ社会であった。もちろん、現代的な意味でのインクルーシブ社会とは異なる。障害者は路上に無造作に放り出されており、乞食をしたり物を売ったりして必死に生きている。そして一般の人々も障害者のそんな姿を自然に目にする。障害者に障害を使ってしたたかに生きる場を与える、そんな社会である。見方によっては、彼らを社会の一員としてちゃんと取り込んでいるといえる。

 そんなこともあってインド人は概して障害者に対して非常にあっけらかんとした感情を持っている。決して腫れ物に触るような態度は取らない。そこは学ぶべきところだと感じるが、その裏返しとして、障害者に対してあまりに無頓着・無神経な部分も見受けられる。それが映画にも表れるのである。

 その端的な表れは言語に見られる。日本では障害者に対する呼称(「めくら」、「つんぼ」、「おし」、「びっこ」など)が差別語として認識され、公共の場では見聞きしなくなっているのに対し、インドではそのようなポリティカル・コレクトネスがほとんど機能していない。よって、映画のセリフなどで障害を示す単語を普通に耳にする。下記は一例である。

  • अंधा アンダー 目の見えない人
  • बहरा ベヘラー 耳の聞こえない人
  • गूँगा グーンガー 口が利けない人
  • लँगड़ा ラングラー 足を引きずっている人

 おそらく今後もこれらの単語が使用禁止されることはないと思われる。たとえばロマンス映画でよく引き合いに出されるフレーズ「恋は盲目」は「प्यार अंधा होता हैピャール アンダー ホーター ハェ」であり、「めくら」を意味する単語「अंधाアンダー」がしっかり組み込まれてしまっている。「びっこ」を意味する「लँगड़ाラングラー」に至っては、マンゴーの品種名になってしまっているため、もう動かしようがなさそうだ。

 もっとも問題にしたいのは、コメディー映画での障害者の扱い方である。インド映画には障害者キャラがよく登場するのだが、コメディー映画で障害がギャグとして扱われるケースが非常に多いのである。たとえば、「Tom Dick and Harry」(2006年)というコメディー映画では、耳が聞こえないトム、目が見えないディック、口がきけないハリーの3人を主人公にしており、各者の障害を笑いのネタにしていた。「Golmaal」シリーズ(2006年2008年2010年2017年)は、売れっ子監督ローヒト・シェッティーによる大人気のコメディー映画シリーズだが、このシリーズには一貫して言葉を発せないラッキーというキャラがおり、やはり障害をネタに笑いを取っている。

Tom Dick and Harry
「Tom Dick and Harry」

 どうやら映画界のそのような無神経な態度に対して不快感を覚えていたのは筆者だけではなかったようだ。2024年7月に最高裁判所が、障害を持つ人物の描写についてガイドラインを出した。曰く、「障害ユーモア(disability humour)と障害化ユーモア(disabling humour)を区別すべし」ということである。

 事の発端は「Aankh Micholi」(2023年)というヒンディー語のコメディー映画であった。この映画のヒロインは鳥目で、その父親は健忘症、その兄弟の一人はどもり症で、もう一人は耳が聞こえなかった。障害を持つこれらのキャラクターが織りなすドタバタ劇である。しかも、どもり症の人を「atki hui cassete(引っ掛かったカセットテープ)」、耳が聞こえない人物を「soundproof system(防音システム)」と呼んでいた。

Aankh Micholi
「Aankh Micholi」

 これに対し、障害者権利活動家のニプン・マロートラーが、同映画が障害者の名誉を毀損していると公益訴訟(PIL)を起こした。デリー高等裁判所の判決は2024年1月に出たが、それは原告の訴えを棄却するものだった。同映画が中央映画検定局(CBFC)から公開許可を得ていること、および、インド憲法第19条に規定された言論と表現の自由を尊重すべきことが理由だった。マロートラーが上告したために裁判は最高裁判所に持ち込まれていた。2024年7月8日に出た最高裁の判決は、デリー高裁の判決を覆すものだった。

 上では「disability humour」を「障害ユーモア」、「disabling humour」を「障害化ユーモア」と便宜的に訳してみたが、それだけでは違いがよく分からないだろう。最高裁判所によると、前者の「障害ユーモア」は、「障害に関する従来の常識に挑戦し、障害をより良く説明しようとする」のに対し、後者の「障害化ユーモア」は、「障害を否定し、障害者を卑下し蔑視する」とのことである。また、憲法第19条に規定された言論と表現の自由には、「すでに疎外されている人々を嘲笑し、ステレオタイプ化し、誤って表現し、蔑視する自由は含まれない」とした。

 ガイドラインの詳しい内容は以下の通りである。

  • 「crippled」など、制度的差別につながり、否定的な自己イメージを助長するような言葉の使用は避ける。
  • 障害者が直面する社会的障壁を見過ごすような表現は避ける。
  • 視覚メディアは、障害者の生活体験を反映したものでなければならず、一面的で健常者主義的な人物描写であってはならない。
  • 障害者の多面的な生活を反映した描写を確実にし、生活のさまざまな領域にわたって有意義に貢献する積極的な地域社会の一員としての役割を強調すること。
  • 差別を防ぐため、夜盲症などの障害について、クリエーターが十分な医学的情報を確認すること。
  • 障害を持つ人は感覚が優れているというような神話やステレオタイプに基づいた描写は、普遍的なものではないため、避けること。
  • 「私たち抜きで私たちに関することは何もない」という原則を守り、一様な参加を意識して決定を下すべきである。

 「Aankh Micholi」を製作したソニー・ピクチャーズ・インターナショナルは最高裁の判決に対し、同映画は障害者を見下したり憐れんだりするものではなく、むしろ障害者やその家族が直面する問題と、彼らが能力や技術を使ってそれを克服する姿を描いているとして反論している。

 その反論はともかくとして、最高裁のこの判決が今後のインド映画における障害者の描き方に改善をもたらすかもしれない。