Sarfira

3.5
「Sarfira」

 2024年7月12日公開の「Sarfira(狂人)」は、かつてインドに存在した格安航空会社エア・デカンの創業物語である。創業者GRゴーピーナートの回想録「Simply Fly: A Deccan Odyssey」(2010年)を原作としており、タミル語映画「Soorarai Pottru」(2020年/邦題:ただ空高く舞え)のヒンディー語リメイクでもある。

 監督は「Soorarai Pottru」と同じスダー・コンガラー。彼女は基本的にタミル語映画を撮ってきたが、一度だけ「Irudhi Suttru/Saala Khadoos」(2016年)をタミル語とヒンディー語の二言語で同時撮影した経験がある。音楽もGVプラカーシュ・クマールが引き続き担当している。

 「Soorarai Pottru」の主演はスーリヤーで、その演技は高く評価された。「Sarfira」の主演はアクシャイ・クマールになっている。ヒロインもアパルナー・バーラムラリからラーディカー・マダンになっている。ただ、悪役に関してはパレーシュ・ラーワルが引き続き演じている。他に両作品で共通しているのは、クリシュナクマール・バーラスブラマーニヤム、プラカーシュ・ベラワーディ、ダン・ダノアなどである。また、スーリヤーが最後にカメオ出演している。

 その他のキャストは、スィーマー・ビシュワース、Rサラトクマール、イラーヴァティー・ハルシェー・マーヤーデーヴ、アニル・チャランジートなどである。

 空軍を退役したヴィール・ジャガンナート・マートレー(アクシャイ・クマール)は、庶民のための格安航空会社を立ち上げようと奔走していたが、どの銀行も融資をしてくれなかった。そんな折、彼はラーニー(ラーディカー・マダン)という勝ち気な女性とお見合いをする。ラーニーはベーカリーを起業しようとしていた。このとき二人の縁談はまとまらなかったが、ヴィールは彼女のことを想い続けていた。

 ヴィールは、大手航空会社ジャズ・エアラインスのパレーシュ・ゴースワーミー社長を尊敬しており、彼とパートナーシップを結んで格安航空会社を立ち上げようと画策した。だが、ゴースワーミー社長は航空機による移動を富裕層のステータスだと考えており、その後ヴィールの計画を何度も潰そうとする。

 ヴィールはプラカーシュ・バーブー(プラカーシュ・ベラワーディ)という投資家から投資を受けてデカン・エアを設立するが、DGCA(民間航空局)からの認可取得に時間が掛かった上に、実はプラカーシュもゴースワーミー社長の息が掛かっており、計画は途中で頓挫させられる。母親(スィーマー・ビシュワース)や幼馴染みマンダル(アニル・チャランジート)の助けを受け、運転資金を調達して飛行機を飛ばすが、ゴースワーミー社長の妨害により、幾度も危機に陥る。

 ヴィールは最低料金1ルピーの航空券を販売し、誰でも航空機による移動ができる社会の実現を目指したが、ゴースワーミー社長は空の旅には安全性が第一だと主張し、1ルピーの運賃では安全は保証できないとして、デカン・エアに対する人々の信頼を失わせようとした。ヴィールは最初の商業飛行に母親、妻、子供を乗せて安全性をアピールする。ムンバイー発プネー便は予約ソフトのバグで予約ができなかったが、それ以外のフライトは満席で飛び立ち、デカン・エアは大成功する。

 監督が同じなだけあって、基本的には「Soorarai Pottru」をそのままヒンディー語映画にした作品だ。舞台がマハーラーシュトラ州になっていたことくらいか。両作品を見比べれば細かい違いが分かるかもしれないが、ザッと観たところでは大きな変更点を見出すことはできなかった。

 「Soorarai Pottru」はタミル語オリジナル版を英語字幕を頼りに観たが、今回はヒンディー語版だったので、理解がより深まった。その上でストーリーに疑問を感じた部分も出てきた。

 ヴィールが空軍を辞めて格安航空会社を設立しようと思い立ったもっとも直接的な理由は、父親の死に目に会えなかったことである。エコノミークラス分の金しか持っておらず、直近のフライトではビジネスクラスしか席が空いていなかったため、彼は故郷に帰るのに時間を要してしまい、彼が到着したときには既に葬式も終わっていた。そのトラウマが彼をデカン・エア設立に突き動かしたのだ。よって、父親は、息子が何かを成し遂げるとは期待していたものの、航空会社を立ち上げようとしていることは知らなかったはずだ。それなのに、父親が最後に遺した手紙には、航空会社のことに触れられていた。時系列の混乱ではなかろうか。

 また、ヴィールは空軍の友人を引き連れてデカン・エアを設立するが、彼らを誘った場面はほとんど描かれておらず、唐突な印象を受けた。

 音楽監督は交替していないが、GVプラカーシュ・クマールは単なる焼き直しに甘んじておらず、ヒンディー語映画の観客向けに新たに作曲をしている。ビートにタミルらしさが残っていると感じたが、北インドの観客に受けのいいカッワーリー曲もあり、より叙情的になっていたと感じた。

 ヴィールはかなり激情型の人間であり、怒ったり泣いたりと表情豊かだ。アクシャイ・クマールはそれらを熱演していた。ヴィールを支える「内助の功」を遥かに超越し、むしろビジネスパートナーとして対等の関係にあった妻ラーニーを演じたのはラーディカー・マダン。「ノーナンセンス」という形容がピッタリな役柄を、肝の据わった演技に定評のあるラーディカーがきっちりと演じていた。はまり役だった。もちろん、パレーシュ・ラーワルの憎たらしい演技も素晴らしい。コメディー俳優としてのイメージが強いが、「Soorarai Pottru」でシリアスな悪役も十分に演じられることが証明され、ヒンディー語映画に凱旋した形だ。

 「Sarfira」は、日本でも劇場一般公開されたスーリヤー主演のタミル語映画「Soorarai Pottru」のヒンディー語リメイクである。監督も同じ、大まかな流れも同じなので、「Soorarai Pottru」を観た人がわざわざ観る必要はないかもしれない。だが、両作品を見比べて違いを指摘するという楽しみはある。スーリヤーとアクシャイ・クマールの演技を比べてみるのも一興だろう。