かつてネータージー・スバーシュチャンドラ・ボースと一緒に戦ったフリーダムファイターにして古の拳法ヴァルマカライの使い手がインド独立からおよそ半世紀を経て世直しのためにもう一度立ち上がるという内容のタミル語のアクション映画「Indian」(1996年/ヒンディー語版:Hindustani/邦題:インドの仕置人)は、「Robot」(2010年/原題:Enthiran/邦題:ロボット)などのぶっ飛んだ大作を送り出してきた奇才シャンカル監督の初期の傑作だ。当時としては画期的なCGの使い方をしていた上に、時代に先駆けて多言語展開し、インド全国で話題になった。
「Indian」の最後で、主人公のヴィーラシェーカラン・セーナーパティ、通称「インディアン」は生き残った。よって、続編の余地は残されていたものの、シャンカル監督は良い脚本を思い付かず、長年そのままになっていた。そもそも、当時、ヒット作の続編を作るという考え自体がインド映画界には希薄だった。
だが、あれから四半世紀以上の歳月が過ぎ、遂に「Indian 2」のプロジェクトが始動した。シャンカル監督にとっては「2.0」(2018年/邦題:ロボット2.0)以来の監督作となる。「2.0」のポストプロダクション期間中に脚本を書き上げたという。前作で既にインディアンは老齢になっていた。「Indian 2」は前作から28年後という設定であり、まだ彼が生きているというのは容易には受け入れがたい。普通に考えたら100歳前後になっているはずだ。だが、映画の中ではその辺りはあまり深く突っ込まれていなかった。ヴァルマカライは鍼灸術に通じるものがあり、インディアンは自分で自分に長寿の施術を施して、生き長らえていたと勝手に想像しておくことにしよう。
続編の「Indian 2: Zero Tolerance」は、2024年7月12日に公開された。オリジナルのタミル語版に加え、テルグ語版とヒンディー語版も同時公開された。前作のヒンディー語版題名は「Hindustani」だったことから、その続編も「Hindustani 2」になっている。
主演は前作から引き続きカマル・ハーサン。彼がいなければ「Indian 2」は成立しないだろう。他に続投になったのは、前作で敏腕CBI捜査官クリシュナスワーミーを演じたネドゥムディ・ヴェーヌだ。彼らを除けばキャストは新顔であり、スィッダールト、ラクル・プリート・スィン、プリヤー・バヴァーニー・シャンカル、ボビー・スィンハー、サムティラカニ、グルシャン・グローヴァー、サーヤージー・シンデー、ザーキル・フサイン、ピーユーシュ・ミシュラー、アキレーンドラ・ミシュラーなどが出演している。ヒンディー語映画俳優の起用が目立ち、汎インド映画を狙って作られたことが分かる。
音楽監督は前作のARレヘマーンからアニルッドに交替している。特に他意はないようで、単にレヘマーンが多忙だったためにアニルッドに頼むことになったようだ。
チェンナイ在住の青年チトラー・アラヴィンダン(スィッダールト)は、仲間たちと共にYouTubeチャンネル「バーキング・ドッグス」を立ち上げ、汚職や不正を糾弾する動画をアップロードしていた。だが、若い女性が汚職の餌食になって自殺するところを目の当たりにし、自分たちの活動は力不足だと感じる。チトラーが思い付いたのは、28年前に現れて世直しをした「インディアン」を呼び戻すことだった。チトラーは「#COMEBACKINDIAN」を立ち上げインディアンの出現を待つ。このハッシュタグはトレンドになり、台北に潜伏していたインディアンにも届く。
台北に亡命していた悪徳実業家アミト・アガルワール(グルシャン・グローヴァー)を抹殺したインディアンはインドに舞い戻る。それを待ち構えていたのが、28年前にインディアン逮捕に全力を尽くしたクリシュナスワーミーの息子で同じくCBI捜査官のプラモード(ボビー・スィンハー)だった。空港での逮捕には失敗するものの、プラモードは父親の助言を受けて執拗にインディアンを追う。
インドに戻ったインディアンは、インドの若者たちに対し、汚職を撲滅するためには家族内から始めるようにメッセージを発信する。チトラーをはじめ、インディアンに感化された全国の若者たちは、両親や兄弟など、家族が汚職していないかチェックするようになり、もし不正が発覚した場合は通報するようになった。一方、インディアンは汚職に手を染めた官僚や実業家などを次々に抹殺していく。
チトラーの父親ヴァラダラージャン(サムティラカニ)は汚職対策局の捜査官だった。チトラーは、父親も汚職に手を染めていたことを知り、通報する。ヴァラダラージャンは逮捕されるが、それにショックを受けた母親が自殺をしてしまう。チトラーは親戚から糾弾され、母親の葬儀からも追い出される。インディアンはチトラーの前に姿を現すが、チトラーは彼に恨みを抱くようになり、「#GOBACKINDIAN」を始める。
待ち構えていたプラモードはインディアンを取り囲み、逃亡した彼を追跡する。民衆もインディアンのせいでチトラーの母親が自殺したことを知ってインディアンに憎悪を抱くようになり、彼を追うようになる。とうとうインディアンはプラモードに逮捕されてしまうが、彼が油断をしたところで秘孔を付き、瀕死の状態にする。インディアンでなければ治せなかった。クリシュナスワーミーの嘆願によりインディアンは釈放され、プラモードを連れて逃げ出す。
インド社会には汚職が蔓延していた。チトラーはYouTubeを使って世直しをしていたが、限界も感じていた。彼が頼ったのは、28年前に汚職撲滅のムーブメントをもたらしたインディアンであった。「もうインディアンは生きていない」という声もあったが、チトラーは直感を信じてインディアン探しを始めた。果たして彼の直感通りインディアンは台北で生きており、インド国民からの声を聞いてインドに舞い戻った。ちなみに、インディアンが台北にいた理由は、ボースが死んだとされる場所が台北だった上に、戦友がいたからのようだ。
序盤は、インド人の精神にはびこるメシア思想を感じながら鑑賞していた。インディアンという一人の最強世直し人がカムバックすることで全ての不正が正されるという信仰が民衆に広まり、その願いの通り、インディアンが復活する。これで本当に全てが解決してしまったら、映画としては完全に失格だった。
だが、これまで観客の予想の斜め上をいくストーリーを提供してきたシャンカル監督のことである。続編がそんな定型に収まるはずがない。「Indian 2」が優れていたのは、不正や社会悪に対する戦いとの対立軸に家族愛を持ってきたことである。社会活動家アンナー・ハザーレーによる汚職撲滅運動が2011年にインド全土で盛り上がった後、インドの各映画界も多数の汚職撲滅映画を作ってその運動を応援してきた。だが、家族を犠牲にしてまで汚職撲滅を実行できるか、そんな難しい問いを発した映画は「Indian 2」が初めてだった。
インド人は世界でもっとも家族を大事にする国民である。もし家族が不正をしていると知った場合、どうすればいいか。一般的なインドの美徳では、汚職撲滅よりも家族を匿う方が優先される。家族に勝る優先事項はないからだ。インド社会から汚職が撲滅されない理由の根幹に、インド人のこの脆弱な家族愛があると喝破したインディアンは、インド中の若者たちに、家族を監視し、もし不正を見つけたら通報するように訴えかける。
インディアンをインドに呼び寄せた張本人のチトラーも、父親の不正を発見してしまう。そして迷わずその不正を通報し、結果として父親は逮捕されてしまう。そしてこれが原因で母親は自殺してしまう。インド社会はチトラーの行動を正しいものとは見なかった。父親を売り、母親を殺した人でなしとみなした。それまでインディアンを信奉してきたチトラーは幻滅し、インディアンに敵対するようになる。
また、チトラーの父親は、汚職に手を染めて裏金を貯めたのは、全てチトラーのためだったと弁明する。父親はチトラーが欲しいものを何でも買ってあげていた。チトラーの物欲が父親を汚職に走らせたともいえる。「Indian 2」は、汚職の裏には家族愛があると主張する。
「Indian 2」は完結しておらず、映画の最後で「Indian 3: War Mode」が2025年に公開される予定であることがアナウンスされる。前作では民衆から英雄として祭り上げられたインディアンは、今作の最後では民衆から追われる存在になってしまった。どうやってまとめるのか、見ものである。
主演のカマル・ハーサンは、映画の中でほとんど素顔をさらすことがない。前作「Indian」撮影中は30代だったため、老齢のインディアンを演じるために老人のメイクアップをして臨んでいた。「Indian 2」の撮影時、彼は60歳になっていたが、そのままでインディアンを演じられるほど老け込んでもおらず、やはりメイクアップして役作りをしていた。その結果、映画中のほぼ全ての場面で彼は特殊メイク状態にあった。
一方のスィッダールトは既に40代になっているが、いつまでも若々しい。今回彼が演じたチトラーは20代だと思われるが、違和感がない。ちなみにアーミル・カーンが「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)で18歳の大学生を演じたのは44歳のときだった。アーミルの大学生は多少無理があったが、スィッダールトはまだ青年を演じられる。ちなみにスィッダールトはシャンカル監督の「Boys」(2003年)でデビューしており、監督との協業はそれ以来になる。
「Indian 2: Zero Tolerance」は、シャンカル監督が1990年代に作った傑作「Indian」の続編であり、四半世紀の歳月が過ぎた後に満を持しての公開となった。元祖汚職撲滅の英雄インディアンが再び大暴れするかと思いきや、意外な展開を見せ、最後には民衆から追われる身となってしまう。結末はシリーズ第3作となる「Indian 3」に持ち越されたため、最終的な評価は下せないが、汚職撲滅と家族愛を対立軸に置くなど、その発想の豊かさには驚かされてばかりだ。興行的にも成功している。必見の映画であるが、ストーリー上のつながりがある続編であるため、まずは前作の鑑賞が必須である。