LSD 2

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LSD2
「LSD2」

 ディバーカル・バナルジー監督の「Love Sex Aur Dhokha」(2010年)は、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)で一世を風靡したファウンド・フッテージ型映画の手法を発展させたオムニバス映画で、その斬新な映像表現と過激な性描写で話題を呼んだ。題名は「愛、セックス、欺瞞」という意味で、頭文字をつなげると「LSD」になる。2024年4月19日公開の「LSD 2」はその続編だ。

 監督は引き続きディバーカル・バナルジー。彼自身がエークター・カプールなどと共にプロデューサーも務めている。キャストは、パリトーシュ・トリパーティー、ボニター・ラージプローヒト、アビナヴ・スィン、スワスティカー・ムカルジー、モウニー・ロイ、ウルフィー・ジャーヴェード、スワルーパー・ゴーシュなど。ソフィー・チャウドリー、トゥシャール・カプール、アヌ・マリクが本人役で特別出演している。

 前作と同じく、「LSD 2」は3つのエピソードから構成されている。「Love Like」、「Sex Share」、「Dhokha Download」である。

 第1話の「Love Like」は「テラスハウス」式のリアリティー番組「Truth Ya Naach(真実か踊りか)」を題材にしている。インドの人気リアリティー番組「Bigg Boss」が直接のモデルになっていると思われる。複数の男女が同じ屋根の下で生活し、原則としてカメラが常に彼らのやり取りを録画し続け、それが全国に放送される。ただし、出演者の意志により、オンカメラかオフカメラを選ぶことができる。出演者は視聴者からの評価を受け、それで順位が決まるが、オンカメラの方がポイントが得られやすい仕組みである。また、セレブリティーがジャッジになって映像を鑑賞しコメントを加えたりする。俳優のトゥシャール・カプールとソフィー・チャウダリー、そして音楽監督のアヌ・マリクがジャッジをし、女優モウニー・ロイが司会を務めていた。

 主人公はヌール(パリトーシュ・トリパーティー)というトランスジェンダーである。男性として生まれたヌールは女性器形成手術を受けるために多額の金を必要としており、番組でトップになって賞金を得たいと考えていた。ヌールにはプラカーシュという彼氏がおり、彼を性的に満足させるためにも女性器が必要だった。ヌールはポイントを稼ぐために長らく会っていなかった母親を呼び寄せ、感動の再会を演出しようとする。ところが、母親は今でも息子の性転換を快く思っておらず、ヌールの思惑通りには進まない。やがてヌールの身勝手な行動が目に余るようになり、番組制作者側もヌールを出演者から外すことを決める。ヌールはカメラの前で母親と口論し、彼女に平手打ちをしてしまう。それが決定打となってヌールは外される。

 第2話の「Sex Share」は、またもトランスジェンダーが主人公のエピソードだ。名前はクッルー(ボニター・ラージプローヒト)といい、トランスジェンダー向けの人材派遣会社による斡旋により、架空の地下鉄会社オージャスウィー・メトロで働いていた。

 エピソードの冒頭でクッルーは暴行を受けた状態で見つかる。上司のロヴィナー・スィン(スワスティカー・ムカルジー)は当初、単なる暴行として片づけようとするが、医師により性的暴行の可能性が示唆されたため、強姦だとする。ところが彼女の身体からは5人の精液サンプルが見つかった。そこでロヴィナーは集団強姦されたとクッルーに主張させる。実際にはクッルーは生計を立てるために売春をしていたのだった。会社としては社員が売春をしていたことが分かると都合が悪く、それをひた隠しにしていた。警察が別件でクッルーと同居するアジマルを逮捕したことで激怒したクッルーは地下鉄に侵入して大暴れする。ロヴィナーは穏便に済ませるため、クッルーを必要書類が不十分だったと理由付けして解雇する。

 第3話の「Dokha Download」の主人公はインフルエンサーのシュバム(アビナヴ・スィン)である。18歳のシュバムは「ゲームパーピー」というハンドルネームと共にネット上でゲームの実況をしていた。際どい言葉遣いによる実況が人気だった。

 ある日、シュバムのチャンネルが何者かにハックされ、彼の恥ずかしい写真が配信されてしまった。シュバムは一転してネット中の笑い物になってしまう。また、現実世界でも彼は学校で下級生にからかわれ、暴行を加える様子が監視カメラに捉えられていた。後にその少年が殺されたことで、シュバムは容疑者になる。結局逮捕されたのはアジマルであったが、シュバムは気が触れてしまい、カメラの前で全裸になって表に飛び出す。そのままシュバムは行方不明になるが、メタバースの中には存在しており、多くの信者を抱える教祖になっていた。

 一般的な映画ではカメラが存在感を消しているものだが、「LSD 2」では映像を映し出しているカメラやその他の媒体がそれぞれ存在感を持っている。それはTVカメラであったり、携帯電話カメラであったり、ビデオチャットであったり、配信動画だったり、監視カメラだったり、メタバースだったりする。それらのいくつかは前作とも共通しているが、あれから10年以上の時間が流れ、新たに加わったものもある。そして前作と比較して本作で特に強化されているのは、そのカメラを見ている主体の視点だ。第1話ではカメラのこちら側には視聴者が存在し、第3話ではフォロワーが存在した。それらの主体は我々観客と一体となって、目の前で起こる出来事をジッと見ており、時にはコメントを発しているのである。第2話に関しては、一部監視カメラなどの映像もあったが、基本的には一般的な映画の視点に近かった。そういう意味では第1話と第3話がもっとも前衛的であった。

 主人公たちが自らのプライバシーを売って何かを得ようとしていたのも第1話と第3話で共通していた。ヌールは視聴者からの投票を集めることでナンバー1を目指していたし、シュバムはゲーム実況をすることでフォロワーのさらなる増加を目指していた。第2話のクッルーはもっと純粋であり、恋人のアジマルとの平穏な生活と、生計を立てていくためのお金だけを求めていた。第3話ではAIによって生成されたと思われる映像が使われていた。インド映画で生成AIが活用されたのはこれが初めての例ではなかろうか。

 それぞれのエピソードでは別々の主人公がいるものの、それぞれ微妙につながりを持っており、同じ時間軸でストーリーが進んでいることが明らかになっていく。クッルーは「Truth Ya Naach」の視聴者であったし、殺された少年の同級生ニミーシュはクッルーの上司ロヴィナーの息子だった。この手法は前作でも採用されていた。

 「LSD 2」は、インターネットが人生の一部もしくは人生そのものになってしまった現代人や、この時代の雰囲気をよく捉えた作品だ。ディバーカル・バナルジー監督は、前作「Love Sex Aur Dhokha」のスタイルをさらに発展させ、前作を超える斬新な映画作りを実現した。しかしながら、細かい説明を廃して断片的な映像のコラージュで物語を構築しており、しかもセリフが若者言葉すぎて、難解な映画にも思えた。賛否両論は避けられず、興行的には大失敗に終わった。おそらくバナルジー監督もヒットを狙って作ったわけではないだろう。とても実験的な作品であった。このような問題作が作られるところにヒンディー語映画界の多様性を感じる。