2000年問題以来、インドが国際的に「IT大国」のイメージを確立する中で、IT産業を支えるITエンジニアはインド人に人気の職業として日本のメディアに取り上げられることが多くなった。それに伴い、多数の優秀なITエンジニアを輩出するインド工科大学(IIT)に注目が集まった。
ところが、インドの大学に留学し、インド人の若者がどんな将来の目標に向かって勉強しているのかを近くで観察すると、ITエンジニアよりもさらに上の人気職業が浮上する。それは「IAS」、「IFS」、「IPS」と呼ばれる国家公務員である。そして、それになるための試験は「UPSC」と呼ばれている。
略称ばかりなので混乱しただろうが、ひとつひとつ解説していこう。まず、国家公務員3種は以下のように訳すことができる。
- IAS=Indian Administrative Service=インド行政職
- IFS=Indian Foreign Service=インド外交職
- IPS=Indian Police Service=インド警察職
これらは国家公務員の中でもトップのエリート集団である。毎年IASは180名前後、IFSは35名前後、IPSは200名前後の募集がある。
それらよりもランクは下がるが、その他にも「グループA」と呼ばれる中央政府の国家公務員職と、「グループB」と呼ばれる連邦直轄地の国家公務員職がある。グループAは以下の通りである。
- Indian Posts & Telecommunication Accounts and Finance Service(IP&TAFS)=インド郵便通信会計財務職
- Indian Audit and Accounts Service(IA&AS)=インド監査会計職
- Indian Revenue Service(IRS)=インド歳入職
- Indian Defence Accounts Service(IDAS)=インド国防会計職
- Indian Ordnance Factories Service(IOFS)=インド兵器工場職
- Indian Postal Service(IPoS)=インド郵便職
- Indian Civil Accounts Service(ICAS)=インド民事会計職
- Indian Railway Traffic Service(IRTS)=インド鉄道交通職
- Indian Railway Accounts Service(IRAS)=インド鉄道会計職
- Indian Railway Personnel Service(IRPS)=インド鉄道人事職
- Indian Railway Protection Force Service(IRPFS)=インド鉄道防護隊職
- Indian Defence Estates Service(IDES)=インド国防敷地職
- Indian Information Service (IIS)=インド情報職
- Indian Trade Service(ITdS)=インド貿易職
- Indian Corporate Law Service=インド企業法務職
グループBは、デリー、アンダマン&ニコバル諸島、ラクシャドイープなど、連邦直轄地の行政と警察を担う職になる。
国家公務員職の中でも文句なく一番人気はIASだ。IASの初任給は5万6,000ルピー、最高ランクの官房長官(Cabinet Secretary)になるとその額は25万ルピーになるとされている。あとは住居費や交通費の手当てが付く。多国籍企業に比べたら給料の額は低いが、それを補って余りある絶大な権力と社会的な尊敬を手にすることになる。よって、インドの若者はIASを目指すのである。
これら国家公務員になるためには試験を受けなければならない。その試験は、中央政府人事苦情年金省下の連邦公務委員会(Union Public Service Commission)が実施する。この頭文字を取った「UPSC」が、そのまま国家公務員試験の通称として人々に知られている。UPSC上位者がIASになり、それ以下の成績での合格者が順次その下に位置するポストに割り振られていく。
大学まで進学した頭のいいインド人の若者の多くは、IAS、IFS、IPSといったハイランクの国家公務員になるためにこぞってUPSCの勉強をしている。大学のカリキュラムもUPSCの試験科目につながるため、彼らはUPSCのために大学に通っているといっても過言ではない。IITに進学した優秀なインド人は多国籍企業から破格の高給をオファーされるとされてはいるが、彼らの中にも就職よりUPSC合格を目指す者は少なくない。それほどIASはインド人にとって魅力的な職業なのである。
試験は3段階に分かれている。まず予備試験(Preliminary)がある。予備試験は多項選択式で、公務員適性試験と一般教養試験が行われる。予備試験に合格すると、次に本試験(Main)がある。本試験は記述式で、9科目あり、制限時間は1科目につき3時間となっている。本試験に合格すると、最後に面接がある。
毎年100万人以上の受験生がUPSCを受験する。最終的にUPSCに合格するのは750名ほどである。合格率は0.08%だ。受験できる回数には上限があり、カーストによって異なっているが、通常は6回である。年齢制限もある。合格するまで、もしくは回数上限・年齢制限までUPSCを受け続けるとすると、合格する確率は0.2%とされている。
UPSCはインド最難関の試験であり、受験者も桁違いに多いので、UPSC対策のための塾も乱立している。特に大学の近くの学生街には多くの塾ができている。
UPSCは失業対策ともいわれている。大学卒業後、就職の希望があって職に就いていない若者の人口が増えると、それは若年失業率を押し上げてしまう。だが、働かなくてもUPSCの勉強をしていることで、彼らは失業者にカウントされない。若年失業率の増加は社会を不安定にさせる。優秀な若者たちをUPSCに釘付けにしておくことで、インドは安定を保っているとされている。
だが、一方でUPSCに合格できずに挫折した落伍者も社会に多くあふれている。20代の全てをUPSCに捧げた挙げ句に合格できなかった者は、30歳前後という年齢で職歴なしの無職として社会に放り出されることになる。気持ちを切り替えて何か新たなビジネスを起こせればいいが、絶望のあまり自殺をして人生からも下りてしまう者も少なくない。UPSC対策塾の経営者や教師も、UPSC脱落者である例が多いという。
UPSCは映画の題材にもなっている。その代表例は「12th Fail」(2023年)だ。貧困を乗り越えてUPSCに合格した実在のIPSマノージ・クマール・シャルマーの伝記を映画化したもので、UPSCの試験自体やそれを取り巻く塾産業、そしてUPSC受験生の様子などがよく分かるようになっている。
他にも、「Shaadi Mein Zaroor Aana」(2017年)や「Ekkees Tareekh Shubh Muhurat」(2018年)といった映画の中で、UPSC合格がいかにその人の人生を変えてしまうかがよく描写されている。インドにおいてIASに代表される国家公務員はそれほど絶大な権力を持った職業であり、合格した途端に周囲の人々の合格者に対する扱いは一変するのである。