ラブ・ジハード問題を取り上げた「The Kerala Story」(2023年)はイスラーム教徒コミュニティーに対するヘイトに満ちており、イスラーム教徒をスケープゴートにすることでヒンドゥー教徒を団結させ票田とする選挙戦略を採るインド人民党(BJP)におもねるプロパガンダ映画だとの批判があったものの、2023年の大ヒット作の一本になった。「The Kerala Story」の大ヒットはインドの右傾化を象徴する出来事とされ、懸念の声も上がった。この映画のプロデューサーがヴィプル・アムルトラール・シャー、監督がスディープトー・セーン、そして主演がアダー・シャルマーであった。
2024年3月15日公開の「Bastar: The Naxal Story」は、「The Kerala Story」を成功させたヴィプル・アムルトラール・シャー、スディープトー・セーン監督、そしてアダー・シャルマーが再びタッグを組んで作った作品だ。
今回彼らが題材にしたのはナクサライト問題。ナクサライトとは、西ベンガル州、ジャールカンド州、オリシャー州、チャッティースガル州などの森林地帯でインド当局に対しゲリラ戦を繰り広げてきた極左武装組織である。「農村から都市を包囲」することでの武力革命を目指した毛沢東の思想に影響を受けているため、「インド共産党毛沢東主義派」、もしくは「マオイスト」とも呼ばれる。ナクサライトを批判的に描くことで共産主義そのものを糾弾した内容である。インドには複数の共産党系政党が存在するが、それらはBJPの政敵である。
映画の中では、ナクサライトのシンパが幅を利かせる「デリーのある大学」が登場する。これは明らかにジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)のことだ。JNUはインドでもっとも政治運動が盛んな大学であり、左翼活動家の勢力が強い。
映画の題名になっている「バスタル」とはチャッティースガル州南部の地域名である。高台に広がる密林地帯であり、独自の文化を保持するアーディワースィー(先住民)が多く住む。バスタルはナクサライトの牙城でもあり、度々ナクサライトによる襲撃があった。州当局はナクサライトに対抗するために地元の若者を特別警察官(SPO)として雇用し軍事訓練を施したが、これを「サルワー・ジュドゥーム(平和の行進)」と呼んだ。サルワー・ジュドゥームは2005年に創立され対ナクサライト戦の最前線に立ったが、2011年に最高裁判所によって違法判決を受け、解散した。その後、サルワー・ジュドゥームのリーダーだったマヘーンドラ・カルマーは2013年にナクサライトによって暗殺された。
映画の時代は2007年から2010年までだが、これはちょうど中央で国民会議派(INC)が政権を握っていた時代と重なる。カルマーもINCの政治家であった。映画の中では、内務大臣がナクサライト問題を金儲けの手段にしているという汚職が指摘されていたが、当時の内務大臣は国民会議派の重鎮Pチダンバラムであった。よって、直接的ではないものの、INCに対する批判色はあった。
主演アダー・シャルマーの他には、シルパー・シュクラー、インディラー・ティワーリー、ヴィジャイ・クリシュナ、ヤシュパール・シャルマー、ラーイマー・セーン、アナングシャー・ビシュワース、キショール・カダム、ゴーパール・K・スィンなどが出演している。
バスタルでナクサライト撲滅の任務に当たる中央予備警察隊(CRPF)のニールジャー・マーダヴァン(アダー・シャルマー)は、妊娠した後も変わらず陣頭で指揮を執っていた。一方、ランカー・レッディー(ヴィジャイ・クリシュナ)率いるナクサライトは、ニールジャーや、サルワー・ジュドゥームのリーダー、ラージェーンドラ・カルマー(キショール・カダム)を標的にしていた。最高裁判所では、リベラル作家ヴァニヤー・ロイ(ラーイマー・セーン)などと結託した弁護士ニーラム・ナーグパール(シルパー・シュクラー)がサルワー・ジュドゥームの非道を訴え、その禁止を求めていた。それに対し、弁護士のウトパル・トリヴェーディー(ヤシュパール・シャルマー)がサルワー・ジュドゥーム側に立って弁護をしていた。
ミリンド・カシヤプ(スブラト・ダッター)はバスタルでインド国旗を掲げたことでナクサライトに捕まり惨殺される。ミリンドの妻ラトナー(インディラー・ティワーリー)はニールジャーに特別警察官(SPO)としてスカウトされ、彼女の右腕となる。一方、ラトナーの息子ラマンはナクサライトに加わり訓練を受ける。
ニールジャーはナクサライトのシンパを逮捕する。その復讐としてランカーはCRPFのキャンプを夜襲し、76名の隊員を殺害する。ニールジャーは後援を送らなかった内務大臣を糾弾し停職処分寸前になるが、内務大臣の発言を密かに録音していたおかげで難を逃れた。逆に彼女は大規模なナクサライト掃討作戦の指揮を任される。
その情報を察知したランカーはヴァニヤーなどの助けを受けて他州に向けて逃亡した。ニールジャーはナクサライトのキャンプを襲撃し、主要な幹部を殺害するが、自身も怪我を負い、お腹の子供を失ってしまう。最高裁判所ではサルワー・ジュドゥームを違法とする判決が下され、ラージェーンドラはナクサライトの襲撃を受け殺される。だが、ラトナーはラマンと再会し、彼を連れ戻すことができた。ニールジャーは調査委員会の調査を受けるが、そのとき州境ではランカーがラトナーに行く手を阻まれ、殺されていた。
「Bastar: The Naxal Story」は、「The Kerala Story」の大ヒットが夢か幻だったかのように大コケした。イスラーム教徒を敵視する「The Kerala Story」は受けて、共産主義者を敵視する「Bastar」が受けなかったのは、もしかしたらインド国民の関心の度合いがこの2つのトピックの間で異なっているからなのかもしれない。だが、たとえそういう理由が少しあったとしても、「Bastar」が受けなかった理由は単純明快だ。映画としての出来が悪かったのである。
映画の冒頭でも断りがあるように、この映画は実際の事件にもとづいてはいるものの、それらを忠実に時系列に並べたり、事実を明らかにしたりはしていないし、そういう努力も最初から放棄されている。ナクサライトに関して起こった事件を都合よく並べ、ひとつの物語にしている。その点はフィクション映画なので問題はない。
この映画が失敗している第一の原因は、様々な要素がうまく噛み合っていないことにある。アダー・シャルマー演じるニールジャーは、妊娠している身でありながら最前線に立ってナクサライトを追い続ける。彼女の気迫はすさまじいのだが、何が彼女をそこまでかき立てているのかよく分からない。しかも、夫との関係も希薄にしか描写されていない。惨殺されたカシヤプの妻ラトナーはSPOに、息子のラマンはナクサライトになる。この要素は一番のドラマを生むはずだったが、有効活用されているとはいえなかった。最高裁判所ではサルワー・ジュドゥームの存続を巡ってニーラムとウトパールの間で舌戦が繰り広げられるが、これもモメンタムを欠いた。ナクサライトのメンバーの間でも人間関係のドロドロが示唆されていたが、これも不完全燃焼であった。さらに、銃撃戦シーンの撮り方があまりに下手で全く臨場感がなかった。
映画としては残念な出来だったため、関心はこの映画が準拠した「事実」に移る。まず、物語の中でも非常に大きな事件として取り沙汰されていたのが、76名のCRPF隊員が惨殺された事件だ。これはほぼ実際に起こった出来事である。2010年4月6日、ダンテーワーラー県でCPRFの乗った車列がナクサライトの襲撃を受け、76名の隊員が殺害された。映画の中では、任務を終えて休憩中だったCRPFが襲撃に遭ったとされていた。映画中ではサルワー・ジュドゥームのリーダー、ラージェーンドラ・カルマーが殺されたシーンもあったが、これも実際の事件を再現している。
「学術的目的」のためと称してナクサライトと接触し、彼らに情報提供などを行っていた作家ヴァニヤー・ロイのモデルはアルンダティ・ロイとしか考えられない。ロイはブッカー賞を受賞した作家であり、人権や環境の活動家でもある。ナクサライト問題に関して彼女は完全にナクサライト側の人間であり、度々インド当局によるナクサライト掃討作戦を批判している。ただ、彼女はナクサライトを「武器を持ったガーンディー主義者」と呼んだことがあり、これについては彼女が各方面から批判を浴びた。
また、ヴァニヤー・ロイのキャラには、サルワー・ジュドゥームの禁止を裁判所に訴えた社会学者ナンディニー・スンダルの要素も入っていると思われる。ナンディニーはモーディー政権に批判的な左翼系ネットメディア「The Wire」の創立者スィッダールト・ヴァラダラージャンの妻でもある。
驚いたのは、ナクサライトがパーキスターンのテロ組織ラシュカレ・タイイバ(LeT)、スリランカの反政府組織タミル・イーラム解放の虎(LTTE)、アッサム独立を掲げるアッサム統一解放戦線(ULFA)、武装革命によるフィリピン政府転覆を狙うフィリピン共産党、そしてスペインの左翼政党スペイン共産党とつながりを持ち、支援を受けているとされていたことだ。
つまり、この映画は第一には武力革命を狙う世界中の極左組織をまとめて敵視する内容になっているのだが、それが共産主義全体とイコールで結ばれ、左翼やリベラル主義までもが悪とされている。それによって結果的に愛国主義や保守主義を支持している。BJPの名前は全く出て来ないが、BJPに都合の良い映画であることには変わりがない。下院総選挙開始の1ヶ月前に公開された点も注目したい。
さらに、斬首やめった刺しなど、残虐シーンが多い映画である。これもナクサライトの残虐性を浮き彫りにするためにわざわざ映し出されているように感じた。グロテスクな映像が苦手な人は避けた方がいい映画だ。
ヒンディー語映画界ではいくつかナクサライトを題材にした映画が作られてきており、ナクサライトの描写の仕方も様々であるが、「Bastar: The Naxal Story」は完全に当局側の視点に立って作られた映画であり、しかも当時の与党だったINCを批判する内容にもなっている。政治的なメッセージはプンプン臭ってくるものの、映画としての出来が悪かったために興行的に失敗し、「The Kerala Story」ほど話題にはならなかった。昨今のインドで増加しつつあるプロパガンダ映画の研究のためには外せない映画の一本だが、残虐シーンが多いこともあり、純粋に楽しむ目的ではあまり勧められない作品である。