Mrs.

3.5
Mrs.
「Mrs.」

 2023年11月17日にエストニアのタリン・ブラックナイト映画祭でプレミア上映され、2025年2月7日からZee5で配信開始された「Mrs.」は、マラヤーラム語映画「The Great Indian Kitchen」(2021年/邦題:グレート・インディアン・キッチン)の公式ヒンディー語リメイクである。ケーララ州の田舎町を舞台にしていた原作がデリーに置き換わっており、描写される文化も北インドのものになっているのを比較して観るのが面白い。

 監督は「Cargo」(2020年)のアーラティー・カダヴ。主演は「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)のサーニヤー・マロートラー。他に、ニシャーント・ダヒヤー、カンワルジート・スィン、アパルナー・ゴーシャール、グリスターなどが出演している。

 リチャー(サーニヤー・マロートラー)は自分のダンスグループを持つ有能なダンサーだったが、デリー在住の医者ディワーカル・クマール(ニシャーント・ダヒヤー)と結婚しデリーに移住した。当初は幸せな結婚生活に思えたが、リチャーは次第に疑問を感じるようになっていく。義父のアシュウィン(カンワルジート・スィン)は保守的な考えの持ち主で、料理や家事にうるさかった。義母のミーナー(アパルナー・ゴーシャール)はテキパキと家事をこなす主婦だった。そして夫のディワーカルもアシュウィンとそっくりで、妻をこき使うようになっていく。また、ディワーカルとの夜の営みも彼女にとっては苦痛でしかなかった。ミーナーが留守にしたことで家事はリチャー一人にのしかかる。

 それでもリチャーは健気に耐え続けていた。結婚してもダンスへの情熱は収まらず、近くのダンススクールで非常勤講師としてダンスを教えたくなった。求人への応募もしたが、アシュウィンはそれを許さなかった。カルワー・チャウト祭の日にもリチャーはディワーカルとケンカをする。その後、アシュウィンの誕生日に自宅でパーティーが開かれた。耐えきれなくなったリチャーは汚水を客に飲ませ、家を飛び出て実家に帰る。

 主人公リチャーが嫁いだのは、首都デリーにありながら家父長制が残る医者の一家クマール家だった。クマール家では女性が全ての家事をこなし、男性は悠々自適の生活を送っていた。確かに外では医者として忙しく働いていたが、家では決して家事を手伝おうとしなかった。義母のミーナーはベテラン主婦であり、彼女の作る料理は完璧で、洗濯や掃除など、その他の家事においても誰からも文句が出ない徹底ぶりだった。だが、新たに嫁いだリチャーが義母ほど家事をこなせるはずもなく、次第に負担が募っていく。

 原作の「The Great Indian Kitchen」もそうだったが、料理のシーンが多い映画だ。北インドの料理なのだが、見たことがないような料理も多い。インド料理の奥の深さを感じさせられる。序盤では延々と料理を中心に主婦が家事をする様子が映し出される。明るめのBGMと相まって、当初は幸せな結婚生活の一幕に感じられる。だが、次第にクマール家の主婦に課せられた仕事量の多さが気になり出す。そして、これは決して幸せな結婚生活ではないことが分かり始める。

 ただ、ケーララ州が舞台だった原作の要素をそのまま北インドに当てはめたため、違和感を感じるところもあった。たとえば生理の描写は気になった。インドでは伝統的に生理がタブー視されており、生理中の女性は不浄だとして、神聖なる台所に立ち入ることなどを禁止される。よって、リチャーは生理中の4-5日間、自室に閉じこもることになった。それは家事に追われる毎日を送っていたリチャーにとっては束の間の休息の時間にもなっていた。だが、今どきデリーでそんなタブーを実践している家庭など聞いたことがない。

 ところで、リチャーが生理中、義母は嫁いだ娘の家に行っていて留守だった。では誰がリチャーの代わりに家事をしたかといえば、夫ディワーカルの診療所で掃き掃除をする女性だった。クマール家ではカーストによる差別も根強く、本来ならば低カーストの彼女が作った料理を食べるなどもってのほかだが、なぜかこういうときだけ都合良くカースト制度が棚に上げられていた。これはクマール家の偽善性を示しているといえよう。「Mrs.」において追加されていた要素だった。

 しばしば男尊女卑を象徴する祭礼として槍玉に挙がるのがカルワー・チャウト祭だ。既婚女性はこの日、日の出から断食をし、夜になって月が出ると、夫の手によって断食を解く。こうすることで夫の長寿を願う祭りである。特に北インドで祝われる祭りで、これも「Mrs.」の追加要素であった。もちろん、クマール家でもカルワー・チャウト祭が祝われる。義父のアシュウィンは、「断食は身体にいい、古くからの慣習には科学的な理由がある」などとウンチクをたれるが、ならば男性も断食をすればいいではないか。カルワー・チャウト祭で断食をするのは女性だけである。そんな怒りがこのシーンには込められていた。

 それでもリチャーは家父長制によって引き起こされる大方の男尊女卑には耐えていた。おいしい料理が作れるいい嫁になろうと、健気に努力していた。彼女の心が折れたのは、彼女の尊厳が損なわれたからである。リチャーはダンスが好きで、彼女の率いるダンスグループはYouTubeでも話題になっていた。結婚後も何かダンスに関われないかと考えており、家事が空いた時間に近くのダンススクールで非常勤のダンス講師をしようと思い立つ。だが、そのささやかな希望は義父によってあえなく押しつぶされた。また、ディワーカルは妻のダンス動画を恥辱だと見なしていた。彼はその動画の削除を命令する。とうとう堪忍袋の緒が切れたリチャーは、台所の流し台下のパイプから漏水していた汚水を溜めてあったバケツを取り出し、義父の誕生日パーティーに出席していた客にその汚水を飲ませる行動に出る。それに気付いて台所に駆け込んできたディワーカルに、今度はバケツいっぱいの汚水を浴びせかける。

 「Mrs.」は、家父長制に反旗を翻した一人の女性の物語だ。実家に逃げ帰ったリチャーは離婚し、ダンスの世界に戻ってショーを成功させる。だが、いまいち解決策が見えなかった。ディワーカルはすぐに再婚したが、彼や義父に反省の色は見られず、新たな嫁はすぐに第二の犠牲者になるだろう。リチャーはこのままダンサーとしてのキャリアを追求するのだろうが、家父長制は残り続ける。インドは何も変わらないのではないかという気分にさせられる映画だ。

 主演のサーニヤー・マロートラーは、「Pagglait」(2021年)や「Kathal: A Jackfruit Mystery」(2023年)などの一風変わったOTT映画に主演として好んで出るようになっており、独自の地位を築きつつある。「Mrs.」での演技も素晴らしかったし、踊れる女優であることも分かった。ユニークな立ち位置にいる女優であり、今後の活躍にも期待したい。

 「Mrs.」は、日本でも公開され、日本にも通じるものがある家父長制批判の作品として話題になったマラヤーラム語映画「The Great Indian Kitchen」のヒンディー語リメイクであり、サーニヤー・マロートラーが主演している。原作のストーリーラインをなぞりながらも北インド向けのアレンジがなされており、比較すると面白い。原作を観た人にもおすすめできるし、観ていない人にとっては必見の映画になっている。