ヒンディー語の「घंटा」という単語の第一義は「鐘」である。インドでも鐘が時間を知らせる役割を果たしていたことから、「鐘」という意味から派生して、時間の単位にもなっている。「1 घंटा」といえば「1時間」のことである。インドの街中には時計塔が立っていることがあるが、これはヒンディー語では「घंटाघर」と呼ばれる。直訳すると「鐘の家」である。
ところが近年、若者を中心にこの単語が特殊な使われ方をすることが増えてきた。日本語に訳しにくいのだが、英語でいえば「never」や「hardly」のような否定辞に近い用法のこともあるし、「なんてこった」「一体全体」「てやんでい」のように間投詞的に使われることもある。映画の台詞でもこの新しい用法の「घंटा」をよく耳にするようになった。
この単語が台詞の中でもっともクローズアップされていた映画として記憶に新しいのは「Shamitabh」(2015年)だ。アミターブ・バッチャン演じるアミターブが報道陣に対しこの言葉を使い物議を醸すシーンがある。否定辞的な用法ではあったが、単なる否定辞ではない下品な言葉ではないことが分かる。

挿入歌の歌詞にもこのスラング的な「घंटा」が時々使われるが、通常の曲というよりも、スラングとの親和性が高いラップやヒップホップでの利用が主流だ。
例えば、日本でも公開された「Gully Boy」(2019年/邦題:ガリーボーイ)には「Apna Time Aayega」というラップ曲があったが、そのサビ部分はこんな歌詞だった。
क्योंकि अपना टाइम आएगा
तू नंगा ही तो आया है
क्या घंटा लेकर जाएगा?
なぜって俺の時代が来るからさ
裸で生まれてきたんだ
何を持って死ねるだろう
ここの「घंटा」が正に件の用法である。もちろん、「鐘」と訳しても通るが、若者言葉を正確に理解して訳すならば、この歌詞の「घंटा」は間投詞であり、特に意味を持たせる必要はない。
「घंटा」の否定辞的な用法もヒンディー語映画の挿入歌に見出すことができる。「Department」(2012年)という映画でサンジャイ・ダットが歌うラップ曲「Mumbai Police」にはこんな歌詞の一節がある。
भाई लोग ने बोला, ठोकना छोड़ दो
अपुन ने बोला, घंटा
マフィアの奴らが言った、撃つのを止めろ
俺は言った、やだね
では、なぜ「鐘」や「時間」という意味の単語に、そのような俗語的な意味が加わってしまったのか。大修館書店の「ヒンディー語=日本語辞典」では、「घंटा」という単語に「男根」という俗語的な意味があると記されている。男根の先端部分が鐘の形に見えるからであろうか。ただ、「男根」という意味の単語は他にもある。それらの存在を考えると、「घंटा」だけが否定辞や間投詞的に使われることがいまいち腑に落ちない。
なぜ「घंटा」がそのように使われるのか、インド人に聞いてみたときに、以下のように説明してもらったこともある。
インドの寺院には寺院付きの僧侶がおり、参拝客はいろいろな相談事を持ってやって来る。僧侶は基本的に彼らの相談に乗るのだが、もし答えられないようなことを聞かれた場合、鐘をカンカン打ち鳴らしてごまかす。そういったことが続いたため、「鐘」という単語は、「拒絶」や「空虚」を意味するようになった。
これはこれで面白いエピソードなのだが、やはり疑問が雲散霧消するほど説得力のある回答とはいえない。
今後も「घंटा」に注意しながらヒンディー語映画の台詞に耳を傾けていきたい。