Mumbaikar

2.5
Mumbaikar
「Mumbaikar」

 2023年6月2日からJioCinemaで配信開始された「Mumbaikar」は、タミル語映画スターの一人ヴィジャイ・セートゥパティのヒンディー語映画デビューとなる作品である。題名は「ムンバイーっ子」という意味だ。ローケーシュ・カナガラージ監督のタミル語映画「Maanagaram」(2017年)のリメイクである。

 監督はサントーシュ・シヴァン。マニ・ラトナム監督の「Roja」(1992年)や「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)で撮影監督を務めた人物として知られ、マニ・ラトナム作品の映像美を担ってきた。監督もしており、「Malli」(1998年/邦題:マッリの種)、「Asoka」(2001年)、「Tahaan」(2008年)などの作品を撮っている。

 キャストは、ヴィクラーント・マシー、ヴィジャイ・セートゥパティ、ターニヤー・マーニクタラー、フリドゥ・ハールーン、サンジャイ・ミシュラー、ランヴィール・シャウリー、サチン・ケーデーカル、ブリジェーンドラ・カーラーなどである。

 奇妙なことに、「Mumbaikar」のキャラの多くは名前がない。よって、あらすじは俳優名を使うことにする。

 ヴィクラーント・マシーはムンバイーに住む無職の青年だった。ヴィクラーントは、IT会社ペンタゴンの人事部で働くイシター(ターニヤー・マーニクタラー)に恋していたが、イシターには断られ続けていた。ラッランというゴロツキがやって来てイシターにアシッドアタックをすると脅したため、ヴィクラーントは彼らを打ちのめす。

 フリドゥ・ハールーンは求職のためにムンバイーにやって来た。ペンタゴン社でイシターに対して面接をする。翌日、証明書類を持ってくるように指示されるが、その夕方、フリドゥはラッランの仲間たちに襲われる。彼らはヴィクラーントを狙っていたが、誤ってフリドゥを襲ってしまったのだった。フリドゥの証明書類は奪われてしまう。

 サンジャイ・ミシュラーも求職のためにムンバイーにやって来た。サンジャイが就職したのは、ムンバイーのアンダーワールドを支配するプラバル・カーント・パーティール、通称PKP(ランヴィール・シャウリー)が経営するタクシー会社だった。彼が宛がわれたタクシーにはフリドゥの証明書類が入ったバッグが置かれていた。彼はそれを警察署に届ける。その証明書類は、警察署の署長サチン・ケーデーカルの甥ヴィクラーントが持って行ってしまう。

 ヴィジャイ・セートゥパティはドンになるためにムンバイーにやって来た。ヴィジャイはとある弱小ギャングの仲間入りをし、学校から実業家ジュンジュンワーラーの息子ラーフルを誘拐する仕事を請け負う。だが、ヴィジャイが誘拐してきたのはPKPの息子だった。破れかぶれになり、彼らはPKPから1千万ルピーの身代金を奪い取ることにする。

 ヴィクラーントは、イシターを狙っていたゴロツキにさらに復讐をしようとし、バスの中で彼の尻にアシッドを掛ける。その後にヴィクラーントは逃げるが、その場にたまたま居合わせたフリドゥが警察に捕まってしまう。フリドゥは釈放され、証明書類がなかったものの、イシターの厚意でIT会社で働き出す。仕事が終わり、フリドゥはサンジャイの運転するタクシーに乗って家に向かう。

 PKPは身代金を持って誘拐犯の指示する場所へ向かっていた。ところが、ヴィジャイはラーフルを逃がしてしまう。ゴロツキたちはラーフルを必死になって探すと同時に、PKPに対しては次々に違う場所を指示し時間を稼ぐ。逃げたラーフルはヴィクラーントとイシターに保護されていた。彼らはサチン署長にラーフルを託す。ちょうどサチン署長は、路上をふらついていたヴィジャイも保護していた。

 サチン署長はヴィジャイを使ってPKPから身代金をせしめようとする。PKPはゴロツキたちのところではなくサチン署長のところへ来ていた。だが、そこへヴィクラーントも現れ混乱する。混乱の中、PKPとサチン署長が撃たれた。ヴィジャイはPKPとラーフルを連れて逃げる。サチン署長も救急車で搬送される。

 一方、サンジャイとフリドゥは、PKPを待ち構えていたゴロツキたちと遭遇する。サンジャイは殴打されて倒れるが、フリドゥは勇気を振り絞ってゴロツキたちに立ち向かい、彼らを打ちのめす。フリドゥが血を流して倒れたサンジャイを病院に運ぼうとしていると、そこへ偶然ヴィクラーントが通りがかる。ヴィクラーントはサンジャイとフリドゥを病院に送り届ける。病院から抜け出たフリドゥはヴィクラーントにお礼を言う。ヴィクラーントは持っていた証明書類をフリドゥに渡す。そのとき、ラッランたちがやって来て彼らに襲い掛かるが、ヴィクラーントとフリドゥは反撃する。

 「ムンバイーっ子」という題名の映画だが、登場人物の大半はムンバイー出身ではない。そればかりか、映画の開始時にムンバイーにやって来たという新参者だ。セリフの中でも時々彼らが余所者であることが強調される。

 主な登場人物は、警察官になるのを一応の夢としながらも無職のまま過ごしている青年(ヴィクラーント・マシー)、その青年が片思いしている女性イシター(ターニヤー・マーニクタラー)、イシターの勤める会社に面接をしに来た青年(フリドゥ・ハールーン)、マフィアのドンPKP(ランヴィール・シャウリー)、PKPの経営するタクシー会社で運転手として働き出した老人(サンジャイ・ミシュラー)の5人だ。彼らが2日ほどの間に相互に関係性を持ちながらストーリーが進展する。その複雑な絡み方はインドのスリラー映画によく見られるものだ。

 ただ、サントーシュ・シヴァン監督のストーリーテーリング技術には疑問を感じずにはいられない。よくいえば実直だが、悪くいえば鈍い編集になっており、現代のスリラー映画に必ず観察されるスタイリッシュさが欠けている。映像監督としての彼が高く評価されている映像美も、「Mumbaikar」からは微塵も感じられなかった。

 それでも、ヴィクラーント・マシー、フリドゥ・ハールーン、ターニヤー・マーニクタラーといった若手の俳優たちは真摯な演技を見せていたが、今回ヒンディー語映画デビューを果たしたヴィジャイ・セートゥパティは何だか鷹揚な演技をしており、周囲から浮いてしまっていた。ヒンディー語のセリフは自分でしゃべっていたと思われるが、決して流暢ではない。ヴィジャイ・セートゥパティのヒンディー語映画デビューとしては必ずしもいい選択ではなかったと感じた。

 ムンバイーに新たにやって来た登場人物たちに名前がなかったのは、おそらく毎日のように様々な夢や希望を抱きながらムンバイーに移住してくる名もなき人々を代表させたかったからであろう。当初、彼らの目にはムンバイーは人情味のない冷たい街に映る。だが、一連の事件を通して彼らはムンバイーの奥底にある温かみを感じ取り、やがて自身もそんな「ムンバイーっ子」になっていくのである。

 「Mumbaikar」は、独特な映像美で知られる撮影監督サントーシュ・シヴァンがメガホンを取り、ローケーシュ・カナガラージ監督が撮ったタミル語のスリラー映画を翻案して作られたヒンディー語映画である。ヴィジャイ・セートゥパティのヒンディー語映画デビューとしても特筆すべきだ。複雑に入り組んだ脚本は原作譲りであろうが、それら以外にほとんど取り柄のない映画で終わってしまっている。劇場一般公開されず、OTTスルーとなったのも頷ける。