サポート・ボリウッド

 現在、インドにおいてボイコット・ボリウッド運動が巻き起こっていることは以前記事にした通りである。ヒンディー語の話題作の公開が近付くたびにボイコットが呼び掛けられ、ヒンディー語映画の興行収入に少なからぬ影響を与えてきた。もちろん、ヒンディー語映画の不振は、コロナ禍において人々の映画館離れが進行したことも大きな要因になっているのだが、コロナ禍明けに多くの観客を動員している南インド映画の数々と比べると、ヒンディー語映画の失敗率は際立っている。作品の質の問題といってしまえばそれまでなのだが、SNSを中心に展開されているボイコット・ボリウッド運動の影響も過小評価できない。例えば、ほとんどの主演作を間違いなくヒットさせてきたアーミル・カーンの話題作「Laal Singh Chaddha」(2022年)は、悪くない完成度だったにもかかわらず、ボイコット・ボリウッド運動の対象になり、あえなく撃沈した。

 しかしながら、特定の運動が勢力を拡大する反動で、それに対抗する運動も生まれてくるものだ。2023年に入り、「ボイコット・ボリウッド」への反動として、「サポート・ボリウッド」を呼び掛ける運動も目にするようになった。

 まず、不振にあえぐヒンディー語映画界を救うために立ち上がったのは、「Phir Hera Pheri」(2006年)などで知られる男優スニール・シェッティーであった。

 2023年1月5日、ウッタル・プラデーシュ州のヨーギー・アーディティヤナート州首相がムンバイーを訪問し、ヒンディー語映画界の代表者と懇談をした。ヨーギー州首相によるムンバイー訪問の主な目的は、ノイダ・フィルムシティーでのロケ誘致だったらしく、シェッティーに加えて、スバーシュ・ガイー、ラージクマール・サントーシー、マンモーハン・シェッティーなどの監督や、ジャッキー・シュロフなどの男優に面会した。そのときスニールはヨーギー州首相に、「ボイコット・ボリウッド運動の中止呼び掛け」を求めたとされている。

 なぜスニールがヨーギー州首相を前にそんな発言をしたのか謎だ。ヨーギー州首相がボイコット・ボリウッド運動を主導しているわけでもないし、彼にこの運動を止める力があるとも思われない。

 ただ、どうもヒンディー語映画に対してアンチ活動をしている人々、いわゆる「ボイコット・ギャング」は、イスラーム教徒へのヘイト感情もその動機にしているように感じられる。周知の通り、ヒンディー語映画界のスターには昔からイスラーム教徒が多く、その影響もあって、ヒンディー語映画界は宗教融和にもっとも寛容な業界でもあった。だが、ここに来てその混淆文化に対して嫌悪感を露にし、「浄化」を主張する人々が出現し始めた。

 これは、ヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)の勢力拡大と無縁ではないと考えられる。2014年以来、中央政府ではBJP政権が続いており、カリスマ的政治家ナレーンドラ・モーディー首相が君臨している。モーディー首相は就任以来、並みの政治家ではとても実行できないような大胆な政策を次々に打ち出してきたが、その多くは国内のイスラーム教徒を抑圧する方向に向かっている。2017年からウッタル・プラデーシュ州の州首相を務めるヨーギーも元々はヒンドゥー教の僧侶であり、モーディーに勝るとも劣らないヒンドゥー教至上主義者かつ対イスラーム教徒強硬派として知られている。

 おそらくスニールがヨーギー州首相に直談判したのも、そういう背景を念頭に置いてのことだと思われる。彼は、映画はスターだけのものではなく、多くの人々の食い扶持を生み出していると訴えた。作品ごとに意見を述べるのは自由だが、ヒンディー語映画全てのボイコットを呼び掛け、上映しようとする映画館を暴力と威圧によって妨害するような運動は、映画産業で働く多くの人々を路頭に迷わせる行為になる。そんな切実な願いをスニールはヨーギー州首相にぶつけたのだった。

 スニールは、ウッタル・プラデーシュ州へのお世辞も忘れていなかった。ビハール州に加えてウッタル・プラデーシュ州はヒンディー語映画にとっての心臓部であり、これらの州でヒットした映画はインド全土でヒットするというジンクスがあるくらいである。現在、最悪の暗黒時代を迎えているヒンディー語映画界は、これらの州の観客を映画館に呼び戻すことに最大限の努力を払っているようだ。

 スニール・シェッティーの動きと関連があるか不明だが、その翌日、西インド映画労働者組合(FWICE)がボイコット・ボリウッド運動を非難する声明を発表した。FWICEは、ヒンディー語映画界で働く労働組合の連合組織である。FWICEの声明の文面は以下の通りだ。

FWICE
FWICEによる声明(2023年1月6日)

 この声明の日本語訳は以下の通りである。

 FWICEは、現在進行中の「#Boycott Bollywood」のトレンドを強く非難し、劇場でのフーリガン行為やプロデューサーへの脅迫に対する即時保護を求めます。

 最近の「#Boycott Bollywood」のトレンドは、プロデューサーたちや映画産業で働く何千人もの労働者に影響を与えており、この産業から日銭を稼いでいる一般労働者や技術者、アーティストたちの生存に関わる重大な状況を引き起こしているとして、FWICEはこれを重大視しています。映画産業では、プロデューサーや脚本家、監督だけでなく、何千人ものスタッフが一つの映画に関わっています。映画には莫大な投資が行われ、何千人もの人々が映画で生計を立てています。このような大きな事業である以上、映画プロデューサーは当然ながら、その作品を1つの価値あるものにするために、最大限の努力をしなければならなりません。

 映画をボイコットするのは簡単ですが、その映画の製作に多大な投資をしてきたプロデューサーはどうなるのでしょうか。映画は、情熱と成功への夢を持って作られます。しかし、その夢は頻繁に、憎しみを信じる人々や、平和、調和、統一を支持しない人々によって影響されたトレンドによって打ち砕かれます。人々が劇場に押し入り、観客を脅し、劇場から強制的に立ち退かせています。プロデューサーや主演の俳優・女優への脅迫もありました。彼らはソーシャルメディアのプラットフォームで下品な言葉で罵倒されています。

 私たちは、こうした行為や、検閲の最終機関であるCBFCによって既に認証された映画をボイコットすることを強く非難します。CBFCによって映画が認証されること自体が成果です。なぜなら、映画と映画プロデューサーは、苦労して認証の全過程を通過したのですから。よって、映画に抗議する人たちは、やみくもに映画産業全体をボイコットするような破壊的なトレンドを作り出すのではなく、正しいルートに従って、CBFCや他の管理当局に映画に対する不満を報告すべきです。私たちは、人々が正しい、合理的な異議申し立てのために映画をボイコットすることを評価しますが、ボリウッド映画全体の無差別ボイコットは、いかなる代償を払っても受け入れられませんし、許されません。これはどこかで終わらせるべきです。

 FWICEは、映画を製作し、何千人もの人々に雇用を生み出し、彼らが生計を立て、尊厳を持って生きていけるよう支援しているプロデューサーたちを強く支持しています。私たちは、政府がこの問題に介入し、「#Boycott Bollywood」の流れを止めることを強く求めます。

 スニール・シェッティーとほとんど同じ内容のことを訴えており、無関係とは思えない。雇用問題を切り口にしながら、特定の映画に不満があるならば、制度を利用してその不満を訴えるように呼び掛けている。しごく真っ当な主張である。

 さらに、1月9日には、大ヒットしたカンナダ語映画「Kantara」(2022年)に出演していた男優キショールが「#Support Bollywood」というハッシュタグと共に、ボイコット・ボリウッド運動を痛烈に非難し、インド全国民がヒンディー語映画界を支えるべきだと発言した。

 キショールはボイコット・ボリウッド運動を「狂信的なフーリガン行為」かつ「俳優に対する憎悪の政治」と呼び、それが南インド映画界にも波及しない内に止めるべきだと主張した。そして、各政府に対し、安心してビジネスが行える環境を保証することを求めた。

 これら一連の流れの中で具体的な映画名は出ていなかったが、ちょうどボイコット運動の対象になっていたのは、シャールク・カーン主演の話題作「Pathaan」(2023年)であった。例えばヒンドゥー覚醒組(HJM)やバジラング党が「Pathaan」のボイコットを呼び掛け、暴力行為を行う事件がインド各地で報道されていた。どちらの団体も、BJPの親団体である民族義勇団(RSS)の傘下にある極右団体である。

 2022年までは、これら極右団体のボイコット呼び掛けが一定の効果を上げていたと思われる。しかし、2023年になって人々の中にも、何でもかんでもボイコットすることに飽きてきたと同時に、このままだとヒンディー語映画界が消え去ってしまうという危機意識が生まれたのではなかろうか。それがサポート・ボリウッド運動という形で顕在化したと考えられる。

 果たして、現在「Pathaan」は映画史を塗り替えるほどの大ヒットになっている。娯楽映画として完成度が高いことや、過去30年にわたってヒンディー語映画界を支えてきた「キング・カーン」がしっかり仕事をしたことなどがその第一の要因だろうが、「Pathaan」の成功を、コロナ禍にインド中を席巻したボイコット・ボリウッド運動への、インド国民からの反動と受け止めることも可能である。もしくは、本当にヨーギー州首相が影響力を行使し、狂信的なヒンドゥー教徒の暴徒たちを制止したのであろうか。

Pathaan
「Pathaan」

 思い起こせば2002年、あの年もヒンディー語映画界は不振にあえいでいた。その中で唯一怪気炎を上げたのは、シャールク・カーン主演の「Devdas」(2002年)だった。その後、ヒンディー語映画は何度目かの黄金期を迎える。今回の「Pathaan」の成功も、ヒンディー語映画復活の兆しとなるだろうか。