Ved (Marathi)

3.5
Ved
「Ved」

 リテーシュ・デーシュムクはヒンディー語映画界の人気俳優の一人だ。「Masti」(2004年)や「Kyaa Kool Hai Hum」(2005年)などのコメディー映画でのコミックロールが印象深いが、「Ek Villain」(2014年)では悪役でも才能を開花させ、何でもそつなくこなせる安定感のある俳優に成長した。2022年12月30日公開のマラーティー語映画「Ved」は、そのリテーシュが初めて監督をした作品である。2023年4月28日にはDisney+ Hotstarで配信されたが、同時にヒンディー語吹替版もリリースされた。鑑賞したのはヒンディー語版の方である。

 題名になっている「Ved」はヒンディー語の単語ではない。マラーティー語で「狂気」を意味するようだ。テルグ語映画「Majili」(2019年)のリメイクである。リテーシュの妻ジェネリアがプロデューサーを務めると同時にヒロインも演じている。音楽監督はアジャイ・アトゥルである。

 リテーシュ・デーシュムクとジェネリア以外のキャストは、ジヤー・シャンカル、アショーク・サラーフ、ヴィディヤダル・ジョーシー、ラヴィラージ・カンデー、クシー・ハジャーレー、ヴィニート・シャルマーなどである。また、サルマーン・カーンがサプライズ出演しており、アイテムソング「Ved Lavlay」でリテーシュと共に踊り出す。

 ムンバイー近郊在住のサティヤ・ジャーダヴ(リテーシュ・デーシュムク)はクリケット選手になるのを夢見ていた。サティヤはニシャー(ジヤー・シャンカル)という女性と恋仲になるが、地元のチンピラを束ねるバースカル(ラヴィラージ・カンデー)に絡まれたこともあって、うまくいかない。ニシャーは家族と共にデリーへ去ってしまい、取り残されたサティヤは抜け殻のようになる。クリケット選手の夢も絶たれてしまった。

 それから12年後。サティヤは7年前に隣に住むシュラヴァニー(ジェネリア)と結婚していたが、心は常にニシャーを追い求めており、二人の間に夫婦生活はなかった。それでも子供の頃からサティヤを想い続けていたシュラヴァニーは、飲んだくれになってしまった彼を健気に支え続ける。

 サティヤは一念発起してデリーへ行き、U-14女子クリケットチームのコーチをすることになる。そこで出会ったのがクシー(クシー・ハジャーレー)という生意気な少女だった。すぐにサティヤは、彼女がニシャーの娘であることを知る。ニシャーはクナールと結婚したが、二人とも交通事故で死んでしまった。クシーはニシャーの父親に育てられていた。サティヤはクシーの個人コーチをすることにし、彼女を自宅に住まわせる。

 ジャーダヴ家に居候し始めたクシーは、すぐにサティヤとシュラヴァニーの仲が普通でないことに気付き、二人を接近させようと努力する。その甲斐もあって、サティヤはシュラヴァニーに心を開き始め、二人の関係がうまく行き始める。サティヤとシュラヴァニーはクシーを養女に迎える。

 ところがシュラヴァニーは、まだサティヤがニシャーを忘れられていないと感じ、職場の異動を受け入れてナーグプルへ去って行こうとする。サティヤはシュラヴァニーに、ニシャーと最後の別れをしたと言い、彼女に気持ちを打ち明ける。

 全体的に、無駄に長いシーンが多く、冗長な映画だった。序盤は観たことを後悔するほどだった。しかしながら、中盤辺りから急にグリップ力を持ち始め、終盤に掛けて様々な感情が沸き起こる作りになっている。それでも2時間半の上映時間は長すぎるので、もう少しスリム化していればさらにいい映画になっていたことだろう。

 映画の転機になるのはジェネリア演じるシュラヴァニーの登場だ。それまでは退屈だったのだが、ジェネリアの登場により一気に物語が面白くなる。何しろ、メインヒロインであるはずのジェネリアはそれまで全く顔を出さないのである。また、全く説明なしにシュラヴァニーはサティヤの妻として登場する。序盤のヒロインはジヤー・シャンカル演じるニシャーだったはずだが、気付くとシュラヴァニーが妻になっていたのだ。全く謎の展開であり、観客はどんな経緯があるのか興味を引かれることになる。

 映画の最初から最後までスクリーンの中心に据えられているのはリテーシュ演じるサティヤであるが、ジェネリアの登場以降、実は「Ved」の主人公はサティヤではなくシュラヴァニーだと感じられてくる。シュラヴァニーは子供の頃からずっとサティヤを片思いし続けていた。サティヤにニシャーという恋人ができた後も、変わらずサティヤを想い続けた。サティヤがニシャーと別れ、ボロボロになったところを彼女は拾い、彼との結婚を強く主張して、遂に成就させる。しかし、サティヤの傷んだ心が癒えることはなく、シュラヴァニーは結婚後も彼に片思いをし続けていた。それでも、彼女はサティヤと一緒にいられることが幸せだった。

 サティヤは、クリケット選手になるという夢を叶えることもできず、恋人ニシャーとの恋愛を育むことにも失敗した。以来12年間、仕事もせずに飲んだくれていたダメ人間であった。シュラヴァニーとの結婚後は、彼女の稼ぎで酒を飲んでいる始末だった。観客がサティヤに同情するのは難しい。シュラヴァニーに感情移入をするのが自然だ。

 さらに、終盤になって二人の関係に変化をもたらす重要人物が登場する。クシーである。サティヤは、クシーがニシャーの娘であること、そしてニシャーは既にこの世にはいないことを同時に知る。ニシャーはクシーをクリケット選手にしようとしていた。彼女がそう思ったのは、おそらくサティヤの影響があるのだろう。それを知ったサティヤは、ニシャーの遺志を継ぎ、クシーをクリケット選手に育て上げることを決意する。自堕落な人生を送っていたサティヤに、久々に目標ができた瞬間だった。

 シュラヴァニーにとってクシーは複雑な存在だったに違いない。サティヤが愛していたニシャーの娘なのだから、シュラヴァニーにとっては憎い相手にもなりえる。だが、クシーはサティヤの人生に希望をもたらした存在でもあった。それにクシーは生意気だがとびっきり可愛い少女だった。シュラヴァニーは彼女を温かく迎え入れる。

 クシーもクシーで、サティヤとシュラヴァニーの関係が普通でないことにすぐ気付き、二人の関係改善に尽力し始める。その努力が実り、サティヤはシュラヴァニーに笑いかけるようになる。ひたすらサティヤに尽くしてきたシュラヴァニーとって、待ちに待った変化だった。

 こうして最後はサティヤとシュラヴァニーが名実共に夫婦となり、感動のエンディングを迎えるわけだが、これが感動なのはもしかしたら男性側の見方なのかもしれない。女性側から見たら、いつまでも過去の恋愛を引きずり飲んだくれているサティヤにひたすら尽くし続けるシュラヴァニーの献身にもどかしさを感じるのではなかろうか。確かに、一度はサティヤを捨てる覚悟を決めたのだが、サティヤから優しい言葉を掛けられると、すぐに留まってしまった。

 リテーシュ・デーシュムクとジェネリアの夫妻がプロデューサー、監督、主演を独占して作った映画であり、彼らが一番いいところを持って行っている。リテーシュは渋みのある演技をしていたし、アクションシーンもこなしていた。それよりも良かったのはジェネリアだ。特にエンディング直前、駅での彼女の演技は素晴らしかった。

 ヒンディー語映画界でも十分な知名度を誇るリテーシュが、監督デビュー作としてマラーティー語映画を撮ったというのは不思議な選択に思える。ヒンディー語映画の方が市場が大きく、単純計算すればマラーティー語で作るよりもヒンディー語で作った方が採算を取りやすいからだ。ただ、最近はヒンディー語映画が不調であり、敢えてヒンディー語を外してマラーティー語で撮ったのかもしれない。あるいは、リテーシュが政治家の息子である点も関係しているかもしれない。父親のヴィラースラーオ・デーシュムクは既に2012年に亡くなっているが、マハーラーシュトラ州の州首相を2期に渡って務めた大政治家だ。現時点でリテーシュに政治的な野心があるとは思えないが、マラーティー語での映画作りがマハーラーシュトラ州の人々の支持集めだとすると、将来の政界進出への布石と捉えることもできる。そういえば「Ved」でのリテーシュは、父親の名前をミドルネームとし、「リテーシュ・ヴィラースラーオ・デーシュムク」とクレジットされていた。ヒンディー語映画ではあまり見ないクレジットである。

 「Ved」は、ベテラン俳優の域に達したリテーシュ・デーシュムクが初めてメガホンを撮った作品である。妻のジェネリアがプロデューサー兼ヒロインであり、デーシュムク一家のホームプロダクションといった雰囲気だ。基本的にはマラーティー語映画らしい地味さのある映画だが、サルマーン・カーンのアイテムボーイ出演は大きなサプライズだ。マラーティー語映画界では2022年最大のヒットになったと伝えられている。欠点がない映画ではないが、リテーシュが作りたかった映画という感じで、観て損はないのではなかろうか。