Qala

3.5
Qala
「Qala」

 2022年12月1日からNetflixで配信開始された「Qala」は、女性歌手を主人公にした、心理描写と映像表現に特徴のある映画である。日本語字幕付きで、邦題は「QALA/カラ」になっている。

 監督はアンヴィター・ダット。元々台詞、作詞、脚本を書くライターであり、「Bulbbul」(2020年/邦題:ブーブル)で監督デビューした人物である。

 主演はトリプティー・ディムリー。「Laila Majnu」(2018年)や「Bulbbul」に出演していた若手女優である。他に、スワスティカー・ムカルジー、バービル・カーン、アミト・スィヤール、サミール・コッチャール、ギリジャー・オーク、スワーナンド・キルキレー、タスヴィール・カーミル、ヴァルン・グローヴァー、ヴィーラー・カプール・イー、アビシェーク・バナルジーなどが出演している。特筆すべきは、まずは2020年に死去した名優イルファーン・カーンの息子バービル・カーンがデビューしていることだ。また、作詞家スワーナンド・キルキレー、作詞家イルシャード・カーミルの妻タスヴィール・カーミル、キャスティングディレクターのアビシェーク・バナルジーなど、トリプティーの個人的友人らしき面々も見える。また、アヌシュカー・シャルマーが特別出演している。

 著名な歌手のカラー・マンジュシュリー(トリプティー・ディムリー)はゴールデンレコード賞を受賞し、インタビューに答える。そこで彼女は過去のトラウマを思い出す。

 ヒマーチャル地方のデーヴィースターンに生まれたカラーは双子だったが、片割れの兄弟は生まれてすぐに死んだ。著名な歌手だった母親ウルミラー(スワスティカー・ムカルジー)はカラーも歌手として育てようとするが、彼女に才能を感じなかった。カラーは母親の承認を強く求めるようになる。カラーのデビューの日、同じステージで歌った孤児ジャガン・バトワル(バービル・カーン)の歌声の方に注目が集まる。ウルミラーはジャガンの才能に惚れ込み、彼を引き取ってカラーと一緒に育て始める。ウルミラーの愛情がジャガンに注がれるのを見てカラーは嫉妬する。

 ウルミラーは多くの映画関係者を呼んでジャガンの歌声を披露しようとする。ところがジャガンは歌っている最中に咳き込み始め、そのまま声を失ってしまう。代わりに勝手に歌い出したカラーの方に注目が集まる。カラーは音楽監督スマント・クマール(アミト・スィヤール)の目に留まり、彼はカラーをプレイバックシンガーとしてデビューさせる。だが、絶望したジャガンは雪山の中で首吊り自殺をする。

 カラーはカルカッタに赴き録音をするが、思ったように歌えない。スマントは彼女を外そうとするが、カラーはスマントに身体を売り、何とか録音を継続させる。以降、カラーはスマントの愛人になり、彼の歌を歌い続ける。カラーは人気歌手になる。だが、カラーはウルミラーから勘当状態にあり、音信不通だった。

 時代は現代に戻り、カラーはゴールデンレコード賞の受賞を母親に伝えようとする。だが、母親は電話に出ようとしなかった。次第にカラーの精神状態は不安定になり、死んだはずのジャガンの姿を見るようになる。実はカラーは、ジャガンがデビューする直前、彼に意図的に水銀入りの牛乳を飲ませて彼の喉を潰したのだった。その罪悪感が彼女を苦しめていた。とうとうカラーは睡眠薬を大量摂取して自殺しようとする。ヒマーチャルにいた母親が呼ばれるが、カラーは首吊り自殺をしてしまう。

 アンヴィター・ダット監督の前作「Bulbbul」は女児の幼児婚が物語の導入部になっていた。今回も冒頭の展開からインドの女性問題に焦点が当てられていることが予想された。主人公のカラーは、本来双子であり、片割れは男児であった。だが、出産時に男児は死産し、カラーだけが生き残った。しかもカラーはとても健康な女児だった。歌手だった今は亡き夫の後継者として男児を望み、しかも双子の内の強い方が弱い方のパワーを吸い取ると聞いた母親ウルミラーは、失望の余りカラーを窒息死させようとする。それはできなかったものの、ウルミラーはカラーに対し複雑な感情を抱きながら彼女を育てることになる。これらの導入部からは、男児が喜ばれ女児が疎まれるインドの因習に問題意識が向けられた映画だと容易に想像できる。

 しかし、人物の顔のアップを多用し、陰影の使い方に独特な不安定感のある特徴的な映像も冒頭から続き、それだけの映画ではないことも感じさせられた。ストーリーが進んでいく内に、こちらの感覚の方が正しかったことが分かる。「Qala」は決してインドの社会問題や女性問題を中心議題として取り上げた映画ではなかった。むしろ、主人公カラーの心理に重点的に焦点を当てた心理映画である。

 カラーは、母親からの承認を強く希求する子供として育った。カラーから歌手として期待され育てられたが、自身も優れた歌手であったウルミラーは、カラーに天賦の才がないことを早々に見抜く。そして、人一倍努力をしなければ一人前の歌手にはなれないと半ば見捨てられる。そんな母親を振り向かせるため、カラーは歌手としての成功を貪欲に求め始める。だが、彼女の前に、天賦の才を持ったジャガンが現われ、母親からの賞賛を全てかっさらっていく。カラーはますます屈折した感情を抱えることになる。

 映画においてカラーが行った行為の中で、もっともショッキングなものは、水銀によってジャガンの喉を潰したことである。ジャガンも、ウルミラーへの恩を返すために、そして何より自分のために、歌手を目指していた。だが、カラーにとってはジャガンのその頑張りが脅威であり邪魔でもあった。カラーはジャガンから歌声だけを奪おうとしていたが、ジャガンにとって歌声は全てであり、それを失った今、彼の前には自殺した選択肢が残されていなかった。ジャガンの没落と入れ替わりでカラーはチャンスを掴み、プレイバックシンガーとして人気になる。だが、彼女の心の奥底にはジャガンの死への罪悪感がしこりのように残り続けていた。

 カラーがジャガンに水銀を飲ませたという事実は映画の最後で明らかになる。だが、それまでにもそれを示唆する映像が提示され、十分に伏線は張られていた。カラーは事あるごとにジャガンの姿を見るようになり、彼から「盗人」と揶揄された。水銀を思わす映像も出て来て、彼女の精神に何がのしかかっているのか、中盤には勘のいい観客には分かるように工夫されていた。

 アンヴィター・ダット監督は元々、脚本の中でも登場人物の台詞の執筆を担当する台詞作家(Dialogue Writer)をしてたが、この映画は台詞よりも映像に重きが置かれていて面白かった。台詞作家なだけあって、台詞で語ってしまうとつまらなくなってしまうことがあることもよく理解していると見える。特に、カラーがスマント・クマールに身体的な奉仕をすることで成功を盗み取ろうとしたシーンは直接的な描写が避けられ、映像と演技によって暗示されていた。ウルミラーはカラーに、「娼婦同然の歌手ではなく、尊敬される歌手になりなさい」と教えたが、結局カラーは前者になってしまった。ウルミラーは娘の歌才のみならず、そんな将来まで見抜いていたのかもしれない。

 時代がはっきりと提示されていない映画だった。現代のシーンと過去の回想シーンを往き来しながら物語が進行するが、過去のシーンはおそらく独立前である。カラーが歌手としてデビューした日は、ちょうどマハートマー・ガーンディーがシムラーに来たときというヒントがあり、まずはガーンディー存命中かつロンドンや南アフリカからインドに戻ってきた後であることが分かる。ただ、ガーンディーは生涯にシムラーを少なくとも10回訪問しており、この点だけから正確な年代を割り出すことは不可能だ。また、回想の中でもカルカッタのシーンでは、背景に建設中のハーウラー橋が見えた。ハーウラー橋の工期は1936年から42年だ。よって、回想におけるカルカッタのシーンは、自動的にこの頃の話ということになる。

 カラーが人気歌手になり念願のゴールデンレコード賞を受賞したのが独立前か独立後か、これを特定するのも難しい。英国人が全く登場しないため独立後の可能性もあるが、そもそも植民地時代であるはずの回想シーンにも英国人は登場しないので、英国人の存在は全く無視されている。ただ、建設中のハーウラー橋が映っていたシーンよりも後になるので、早くて1940年代半ばくらい、遅くて1950年前後なのではないかと思われる。

 カラーは果たして実在の歌手をモデルにしているのかということもつい考えてしまう。ただ、ピッタリはまる歌手はいない。もっとも近いのはギーター・ダットであろうか。出生から死までほとんど一致する点はないが、歌い方のスタイルや、精神的に不安定になった点など、類似点がないことはない。ちなみに、カラーが歌の録音をする際、歌詞がウルドゥー語で書かれていたのが目に留まった。この頃の歌手は皆ウルドゥー語が読めたのだろうか。

 アンヴィター・ダット監督はディープティー・ディムリーがお気に入りのようで、2作続けて彼女の底力を引き出すような作品を撮ってきている。監督の作風も独特だが、彼女の演技も特徴があり、あまり今までヒンディー語映画界にいなかったタイプの女優だと感じる。今後も彼女の出演作には注目してきたい。

 イルファーン・カーンの息子バービル・カーンはまだ未知数の男優だ。父親は長年かけて苦労して演技派男優としての地位を築き上げたが、バービルはとりあえず鳴り物入りでデビューをすることができた。今回、父親譲りの演技力や表現力があるとは感じなかったが、下手にヒーロー男優を目指すのではなく、個性的な演技で業界内に自分のスペースを作っていってもらいたい。

 音楽監督はアミト・トリヴェーディーである。今回、彼は独自色よりもストーリーとの合致を重視した音作りをしていたように感じる。音楽がテーマの映画であり、音楽は映画の成功のために重要な要素だ。伴奏はオーケストラを使って録音されており、力が入っている。中世の詩人カビールの詩をジャガンが歌う「Nirbhav Nirvair」、ジャガンの代わりにカラーが歌う「Phero Na Najariya」など、いい曲が多かった。

 「Qala」は、承認欲求の強い女性歌手の不安定な精神状態に焦点を当て、特徴的な映像でもってそれを表現することを徹底した、実験的な心理映画だ。古典音楽や映画音楽に関連する音楽映画でもあり、打ち込みではなくオーケストラによる伴奏を使って古典的に録音された楽曲が使われていて、この点で興味を引かれる人はいるだろう。ただ、救いや希望のない終わり方をする映画で、後味は決して良くない。