ヒールとラーンジャー

 インドで「物語」というと、どうしても二大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」がツートップになるが、他にも多くの物語が語り継がれ、愛されている。インドとパーキスターンにまたがるパンジャーブ地方も民話の宝庫で、特に悲恋物語が有名だ。パンジャーブ地方の代表的な悲恋物語というと4つあるが、その中でもヒンディー語映画でもっとも引き合いに出されるのが「ヒールとラーンジャー」の物語である。

 「ヒールとラーンジャー」は、ヒールという高位の美女と、ラーンジャーという放浪の身の美青年を主人公にした物語詩である。元々は民話だったと考えられるが、18世紀のスーフィー詩人ワーリス・シャーの作とする説もある。架空の物語の可能性が高いが、ヒールとラーンジャーは実在の人物だと考える人もいる。その場合、ヒールとラーンジャーの悲恋はローディー朝時代の15-16世紀に実際に起こったことだとされる。

 「ヒールとラーンジャー」の主な舞台となるのは、「5つの河」を意味するパンジャーブ地方を流れる5つの河の内、真ん中の河であるチェーナブ河の流域にある2つの村である。チェーナブ河東岸のジャングはヒールの生まれ故郷、チェーナブ河西岸のタクト・ハザーラーはラーンジャーの生まれ故郷とされている。これらの地名は今でも残っており、パーキスターン側のパンジャーブ州に入っている。

 ヒールもラーンジャーも、ジャット(ジャート)と呼ばれる農耕コミュニティーに属するイスラーム教徒である。ヒールの本名はイッザト・ビービーといい、スィヤール氏族のジャットである一方、ラーンジャーの本名はディードーで、彼はラーンジャー氏族のジャットである。ここでは慣習にしたがって彼らをそのまま「ヒール」と「ラーンジャー」と呼ぶ。

 以下、ヒールとラーンジャーのあらすじである。

 チェーナブ河西岸のタクト・ハザーラー村の村長マウジューには8人の息子と2人の娘がいたが、その中でも末っ子のラーンジャーはもっとも美しく、父親から特に可愛がられていた。それ故に彼は、他の兄弟のように野良仕事をせず、横笛を片手に遊び歩き、近所の子供たちと戯れる悠々自適の生活を送っていた。だが、マウジューが死んだことで、家族の中でラーンジャーは冷遇されるようになる。ある日、我慢できなくなったラーンジャーは横笛を片手に家出をする。

 ラーンジャーは一晩を明かすために、とあるモスクに身を寄せる。暇つぶしのために横笛を吹いたが、管理人にそれを咎められ、追い出されそうになる。だが、笛の音を聴きに集まった村人たちにとりなされ、そのまま滞在できることになった。翌朝、ラーンジャーはモスクを立ち去る。

 その後、ラーンジャーはチェーナブ河の河岸に辿り着く。河を渡ろうとするが、渡し船の船頭ルダンは一文無しのラーンジャーを見てそれを断る。ここでもラーンジャーは横笛を吹き始め、乗客がその音色に酔いしれてしまい、渡し船に乗ろうとしなくなってしまう。仕方なくルダンはラーンジャーを渡し船に乗せる。

 対岸は、ヒールの住むジャングであった。ヒールはスィヤール氏族の首領チュチャクの娘で、その美貌はパンジャーブ中に知れ渡っていたが、美しいが故に高慢な女性でもあった。ラーンジャーの乗った渡し船には、ヒール専用の美しく飾られた席が備え付けられていた。そこに誰も座ろうとしなかったが、ラーンジャーはルダンの制止を振り切ってその席に座り、横笛を吹き疲れると、眠ってしまう。

 翌朝、ヒールが女友達と共に渡し場にやって来て、渡し船の自分の席に誰かが眠っているのを見て激怒する。だが、目を覚ましたラーンジャーを見て、彼女は一瞬で恋に落ちる。ヒールもラーンジャーの美貌を見て恋に落ち、二人は相思相愛となる。ヒールはラーンジャーと密会を重ねるため、父親に頼んで彼を牛飼いとして雇わせる。こうしてラーンジャーは毎朝ヒールの家に牛を預かりに訪れ、チェーナブ河河畔の森林で放牧をした。ヒールは家を抜け出して森林にいる彼に会いに行き、昼食を共にし、遊び回った。

 しかし、幸せな時間は長く続かなかった。ヒールの叔父でびっこのカイドーが、ヒールとラーンジャーのただならぬ関係に勘付き、真偽を確かめるために、乞食の格好をして森林を訪れる。そして、一人でいたラーンジャーに物乞いをする。ラーンジャーはヒールからもらったパンを渡すが、それはヒールとラーンジャーの関係を示す動かぬ証拠であった。カイドーはそのパンをヒールの母親マルキーに見せ、ラーンジャーがヒールをかどわかしていると密告する。このままではスィヤール氏族の首領としての名誉が地に墜ちてしまう。カイドーは、早々にヒールをケーラー氏族の息子サイーダーに嫁に出すことを提案する。

 それを聞いたヒールはラーンジャーに駆け落ちを提案したが、ラーンジャーは正式な手順を踏んだ結婚にこだわった。そうこうしている内にヒールとサイーダーの結婚式が行われた。式を執り行ったカーズィー(法学者)はヒールに結婚の意思を確認したが、ヒールは、既にラーンジャーと結婚したと主張し、結婚を拒否した。だが、チュチャクは無理矢理ヒールをサイーダーと結婚させ、輿に押し込んだ。こうしてヒールは嫁ぎ先のラングプルに行くことになった。ヒールは昼も夜もラーンジャーを想って泣き続けた。おかげでサイーダーはヒールに近付くこともできなかった。その代わり、ヒールが昔の恋人を忘れられないことを知っていたサイーダーの家族は、決してヒールを実家に帰省させようとしなかった。

 一方、ヒールを失い傷心のラーンジャーは、パンジャーブ地方のジョーギー(遊行者)たちの中心地ティッラー・ジョーギヤーン山に至り、そこで偉大なジョーギー、グル・ゴーラクナートの弟子バールナートの門下生となって出家する。頭を剃り、耳にピアスの穴を開けてジョーギーになったラーンジャーはラングプルに至り、ヒールの家に物乞いをしに訪れる。ここでヒールとラーンジャーは久々に再会を果たすが、家族の前だったために落ち着いて話をすることができなかった。

 ただ、ヒールの義妹サイティーはこのジョーギーこそがヒールの昔の恋人だと気付き、協力を申し出る。サイラーにもムラードという貿易商の恋人がおり、彼との駆け落ちを画策していたのである。ラーンジャーは森林の中に庵を結び、村人たちの相談役になっていた。ある日、ヒールは蛇に噛まれたと嘘を付き、サイティーと共に治療のためにジョーギーのところへ行くと家族に言って家を出る。そしてそのまま脱出する。

 しかし、ヒールとサイティーがいなくなったことに気付いたサイーダーと家族はすぐに追い掛け、彼らを捕まえる。ヒールとラーンジャーは、当地の王であるアドリー・ラージャーの前に引き出される。だが、アドリー・ラージャーはヒールとラーンジャーの身の上話を聞き、彼らが夫婦であると認める。しかし、ヒールの家族はそれを認めず、ヒールを毒殺してしまう。ヒールの死を嘆き悲しんだラーンジャーは、毒を飲んで自殺し、ヒールの遺体に折り重なって死ぬ。

 実はヒールとラーンジャーのエンディングに関しては多数のバージョンがあり、一定していない。ここで紹介したのはワーリス・シャー作のものに準拠しているが、ヒールとラーンジャーが幸せに暮らすハッピーエンド・バージョンも存在する。一般的に「ヒールとラーンジャー」は悲恋物語とされているため、ここではワーリス・シャーの悲劇バージョンを選んだ。

 「ヒールとラーンジャー」の物語を読むと、インドに伝わる神話や伝承とよく似たモチーフが用いられていることが分かる。例えばラーンジャーは横笛を得意とし、チェーナブ河の河畔で笛を吹いて人間や動物を魅了するが、その姿は、ヤムナー河の河畔で横笛を吹くクリシュナ(参照)とそっくりである。一時的に牛飼いの仕事をする点でも共通しているし、その美貌が女性たちを虜にする点も似ている。

 恋愛物語の常として、ヒロインのヒールは絶世の美女とされている。彼女の美しさは、身体の細部を様々な比喩表現を使って描写することで引き立てられるが、美辞麗句で隙間なく飾り立てるこの技法はサンスクリット語文学の常套手段である。

 また、恋人ラーンジャーと別れさせられ、夫サイーダーの家に幽閉されてしまったヒールが、ラーンジャーを想いながら月日を過ごすシーンでは、12の月に分けて、移ろいゆく彼女の感情が描写される。これも、「バーラーマーサー」と呼ばれるインド文学の手法である。

 主人公のヒールとラーンジャーはどちらもイスラーム教徒であるが、物語の中にはヒンドゥー教のモチーフも登場する。特にラーンジャーがヒンドゥー教のジョーギーになるところは注目される。パンジャーブ地方では昔からヒンドゥー教とイスラーム教が共存していたことがうかがわれる。

 また、離れ離れになった愛する人をひたすら想い続けるその姿は、スーフィズムにおける神と人との関係と連動している。特にワーリス・シャーはスーフィー詩人であり、民話「ヒールとラーンジャー」にスーフィズム的な視点を加えて、スーフィズムの理解の手助けになるような物語詩にしていると考えることができる。

 ヒンディー語映画への影響も絶大である。愛し合う男女が家族や社会から結婚を認められないという筋書きはヒンディー語のロマンス映画の典型であるし、駆け落ちをするか、それとも家族に認めてもらうように頑張るかの選択肢も、ヒンディー語ロマンス映画の主人公たちが必ず直面する問題だ。ヒンディー語映画界にはパンジャーブ地方出身者が多く、彼らが作るロマンス映画には、多かれ少なかれ「ヒールとラーンジャー」のエッセンスが染み込んでいる。

 近年のヒンディー語映画において、確実に「ヒールとラーンジャー」をなぞった物語だと断定できるのは、アーナンド・L・ラーイ監督の「Raanjhanaa」(2013年)だ。題名も「ラーンジャー」の別名であるし、内容でも、どちらかというとラーンジャーを中心的な視座として「ヒールとラーンジャー」を現代に置き換えたストーリーになっている。

「Raanjhanaa」

 イムティヤーズ・アリー監督の「Rockstar」(2011年)も「ヒールとラーンジャー」を下敷きにしていると考えられる。ヒーローの名前こそジャナルダン(ジョーダン)だが、ヒロインの名前はそのままヒールである。ストーリーも「ヒールとラーンジャー」にとても似ており、インド人が昔から親しんできた悲恋物語をなぞったものになっている。それ故に「Rockstar」は名作に数えられているのである。

「Rockstar」

 ヤシュ・チョープラー監督の大ヒット作「Veer-Zaara」(2004年)も、題名から「ヒールとラーンジャー」を想起させるものだ。ただし、女性のヒールが男性のヴィールになり、男性のラーンジャーが女性のザーラーに入れ替わっている。また、ストーリーについても、「ヒールとラーンジャー」との相関性は低い。