2024年3月10日、米国で第96アカデミー賞授賞式があり、受賞作品が発表された。日本では宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」(2023年)と山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」(2023年)に注目が集まっていた。結果、前者は長編アニメーション映画賞、後者は視覚効果賞を受賞し、日本の映画界にとってどちらも快挙となった。
一方、インドで注目が集まっていたのはドキュメンタリー映画「To Kill a Tiger」であった。インド出身のカナダ人女性映画監督ニシャー・パフージャーが撮った作品で、2022年9月10日にトロント国際映画祭でプレミア上映された。強姦の被害に遭った少女とその父親の苦闘を追ったこの映画は長編ドキュメンタリー映画部門にノミネートされており、その受賞が期待されていた。前年度には「RRR」(2022年/邦題:RRR)と「The Elephant Whisperers」(2022年/邦題:エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆)がそれぞれ歌曲賞と短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しており、「To Kill a Tiger」が受賞すれば、インド関係の映画が2年連続でアカデミー賞に輝くことになる。
ところで、ニシャー・パフージャーはデリー出身、トロント大学卒の映画監督であり、過去には「The World Before Her」(2012年)というドキュメンタリー映画を撮っている。とはいえ、まだまだ無名な監督だ。しかしながら、「To Kill a Tiger」については、「Slumdog Millionaire」(2009年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)のデーヴ・パテールや「Barfi!」(2012年/邦題:バルフィ!人生に唄えば)のプリヤンカー・チョープラーといった有名人がエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねている。
インド中から注目された作品であったが、アカデミー賞の受賞は逃してしまった。長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したのは、ウクライナ映画「20 Days in Mariupol」(2023年/邦題:実録 マリウポリの20日間)であった。ロシア軍のウクライナ侵攻時に包囲され激戦区となったマリウポリでの20日間を追った作品だ。開始から2年が過ぎたウクライナ戦争への政治的メッセージという意味合いもあったのだろう、パフージャー監督にとっては分が悪かった。
それでも、「To Kill a Tiger」は受賞してもおかしくない完成度のドキュメンタリー映画だった。何より強力だったのが、集団強姦の被害にあった少女が堂々と顔を出して出演していたことである。通常、このようなドキュメンタリー映画では被害者のアイデンティティーは隠されるものだ。だが、本人や家族の希望、そして女性人権団体の助言を鑑みて、監督は彼女をそのまま出演させ、自分の身に起こったことを語ってもらうことを決断した。
少女は顔をそのまま出しているものの、名前は仮名で、映画中ではキランと呼ばれていた。キランはジャールカンド州の州都ラーンチー近郊のベーローにて、両親や兄弟と共に住んでいた。事件当時、13歳だった。2017年4月9日、キランは近所で開催された親戚の結婚式に出席したが、帰りが遅くなり、深夜12時を回った。彼女は3人の男性に式場から河岸へ連れて行かれ、代わる代わる強姦をされた。犯人はカピル、イーシュワル、ラングルーという名前で、キランの従兄弟であった。犯人については実名は公表されていたものの、顔にはモザイクが掛けられていた。
映画の中では特に強調されていなかったが、キランの一家や犯人たちは全員「ムンダー」という名字を持っている。これはムンダー族であることを示している。ムンダー族はインド亜大陸の先住民族のひとつと考えられており、指定部族(ST)のひとつになっている。部族に対する差別もあるのだが、今回の集団強姦事件についてはムンダー族内で起こったことなので、部族差別とは関係なさそうだ。もしかしたら事件が起こったのはムンダー族の村なのかもしれない。ただ、村内で起きた強姦事件に対する村人たちの反応は通常のインド人とそう変わるものではなかった。あまり部族という観点でこの映画を観ない方が良さそうだ。
父親のランジートはキランととても近しい関係にあった。最初の子供であるキランを、弟や妹よりも可愛がっていたと語っていた。また、キランも外見は田舎の純朴な少女であるが、発言から聡明さや芯の強さが感じられた。強姦の被害者は泣き寝入りすることも多い。映画の最後では、インドでは9割以上の強姦事件が通報されないと示されていた。だが、キランは泣き寝入りせず、父親にきちんと伝え、犯人がキチンと裁かれることを望んだ。ランジートも娘を最後まで支えると決意し、すぐに警察に通報した。その結果、キランを集団強姦した三人は逮捕された。
彼らの住む村は州都ラーンチーからそう遠くなさそうだが、田舎の村には変わりがない。強姦事件が起こった場合、都会であっても、しばしば警察がキチンと仕事をせず、被害届の受理や診断書の作成が遅れたりするものだ。だが、キランのケースについては警察の動きはとても迅速だったといえる。この点では驚いた。裁判も、迅速とまではいえないものの、着実に前に進んでいっていた。また、加害者の家族などから被害届の取り下げを強要されたり脅迫されたりするような場面も映画の中では見受けられなかった。ドキュメンタリー映画なので、変に劇的に演出されておらず、進行は概ね牧歌的であった。
ランジートとキランが戦わなければならなかったのは、村人たちの脳裏にこびりついた事なかれ主義であった。一人の少女が輪姦されたというのに、村人たちは全体の話ばかりを口にした。起こったことは起こったことで、今後は強姦された彼女と結婚しようとする相手も見つからないのだから、被害者は犯人の内の一人と結婚して、穏便に済ませるべきだというのが大半の村人たちの意見であった。よって、警察に被害届を提出し、裁判に持ち込んだランジートを支持していなかった。村八分とまではいかなかったが、ランジートやその家族は村人たちから腫れ物扱いされるようになってしまっていた。
ランジートとキランの戦いを後援したのがスリジャン・ファウンデーションというNGOである。おそらくパフージャー監督はスリジャン・ファウンデーションと共に村に入り撮影を行ったのだと思われる。ランジートは農民であり、裁判のことなどほとんど分からなかった。スリジャン・ファウンデーションのメンバーが彼の法廷闘争を手助けし、裁判の行方を注視していた。
途中、危うくなる場面もいくつかあった。ランジートは日々苦しい戦いをしているのかと思いきや、公判に現れない日もあり、スリジャン・ファウンデーションのメンバーが村まで行ってみると、彼はトランプ遊びをしたり酒を飲んだりして意外にエンジョイしていたのである。彼らがランジートを説得し、何とか裁判に気持ちを向かわせたものの、今度は事件の捜査をした警部補が使えない男で、公判でもしどろもどろの答弁をし、そのせいで証拠不十分により不起訴という結末もうっすらと見え始めていたのだった。
だが、キランがしっかり者で、自ら裁判所に出向き、自分が被害に遭ったときの状況をしっかりと伝えることができた。その結果、カピル、イーシュワル、ラングルーの3人には有罪判決が下り、それぞれ25年の禁固刑が言い渡された。非常に重い罰である。
インドには児童性犯罪保護法(POCSO)があり、18歳未満の未成年に対する性犯罪には厳罰が下される仕組みになっている。今回のケースもPOCSOが適用された。キランが勇気を持って強姦犯を告発し、裁判のプロセスでも臆しなかったことで、有罪判決を勝ち取ることができ、レイプを覆い隠そうとする保守的なインド社会にも一筋の光が差し込んだ。強姦されると精神的にも大きな傷を負い、裁判を戦い抜くことが難しいものだが、キランは意外にタフな性格をしており、ほとんどの場面で堂々と振る舞っていた。ちなみに「キラン」とは「光線」という意味だ。
インドではレイプに遭うと、被害者の方に汚名が着せられる悪い習慣がある。だが、ランジートはキランに対し、「お前は悪くない」「悪いのは犯人だ」と声を掛け続けた。キランが終始堂々としていられたのは、父親のその力強い声掛けがあったからだと思われる。
ただ、犯人が告訴したため、この映画の完成時には高等裁判所でまだこの事件の公判が続いているとのことだった。だが、キランの度胸が変わっていなければ負けることはないだろう。また、既にキランは成年になっている。キランが成人するのを待ち、改めて彼女の意志を確認した上で、この映画は公開されたようだ。そういう配慮もキチンとなされていることに感心する。
ちなみに、題名からはあたかも狩猟か密猟の映画かと早とちりしてしまう。これは正確にいえば「一人で虎を殺す」映画であった。娘が強姦され、司法に訴えようとしたランジートは、周囲から「そんなことは一人で虎を殺すようなものだ」と止められたという。だが、ランジートは「一人でも虎を殺してやる」と息巻き、前へ突き進んだ。勇敢な娘の映画でもあり、勇敢な父親の映画でもあった。
「To Kill a Tiger」は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を勝ち取ってもおかしくなかった出来の、インド系カナダ人映画監督によるドキュメンタリー映画である。2017年にジャールカンド州で起きた集団強姦事件を題材にしている。被害者が堂々と顔を出して出演しているのがユニークで、かつ説得力があり、しかも父娘の絆や彼らの勇敢さが分かる作品になっている。必見の映画である。